カルイザワへ
「……は?」
俺が計画の全容を話すと、対面のアステミルは口をぽかんと空けた。
着物姿のウェイトレスからアイスクリームを受け取り、嬉しそうにぱくぱくと食べていた彼女は立ち上がる。
「では、帰ります」
「アイスクリーム」
びくりと身動ぎし、顔を真っ青にしたアステミルはそっぽを向く。
「食っただろ」
「……た、食べてません」
「食っただろうがァ!! 口の端にアイスクリーム付いてんだろうがッ!!」
「か、甘味で人を釣って思うがままに操ろうとするとは……奸賊ならぬ甘賊……どこまで、卑しい人なんですか貴方は……!?」
「卑しいのは、俺の奢りだと言った瞬間におかわり注文したテメェだろうがァ!! 三杯も食いやがって!! 三杯もッ!!」
ルミナティから貰った給金を注ぎ込んだ俺は、捕獲したアステミルを無理矢理席に座らせる。
「しかし、荒唐無稽な……下手すれば、七椿をどうこうするという話ではなくなりますよ。他の魔人が日本に迫ってきているという情報もありますし、七椿の封印に失敗すれば大惨事に陥ってしまう。
それに、何故、打倒ではなく封印なのですか?」
「なら、アステミル、あんた万鏡の七椿を倒してくれるのか?」
「…………」
俺は、お汁粉を啜ってからささやく。
「そういうことだよ。
エスティルパメントの獲物に手を出せば殺されかねない。そして、アステミル、あんたが手を出せないって言うなら七椿を倒す手は存在しない。エスティルパメントの仕事は飽くまでも封印で、魔人を倒す気なんて毛頭ないからな」
「まぁ、我が師は人間の判断基準で動くような女性ではありませんからね……」
「だから」
手を組んだ俺は、肘をテーブルに載せて微笑する。
「万鏡の七椿を封印して未来に託す」
「……未来?」
「107年後だ。
俺たちの末裔が、万鏡の七椿を打倒して平和を取り戻す」
「しかし、そんなことをすれば我が師が黙ってはいませんよ。万鏡の七椿は、あの御方の獲物なんですから」
「問題ない。107年後、エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフトは、エンシェントエルフとしての機能を失って眠りに落ちている。王子様がキスしなければ、ずっと、白雪姫を演じ続けてくれるさ」
「エンシェントエルフの活動限界を周期で把握してるんですか?」
「まぁ、そんなもんだよ。
ともかく、エスティルパメントを誘き寄せられるかはあんたにかかってるんだ。精々、命懸けで気張ってくれよ」
「まさか、私の命の価値がアイスクリーム三杯分とは……しかし、この三杯であの御方を良いように動かせるというなら……値打ち物ですね」
俺とアステミルはニヤリと笑い、拳と拳を合わせた。
アーサー・コナン・ドイル、『緋色の研究』。
シャーロック・ホームズシリーズの第一作目であり、ホームズとワトスンの出会いが描かれる作品だ。
「大事なものだから」
いつの間に帰って来ていたのか。
ルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、音もなく事務所の扉を開けて、定位置の安楽椅子の上に収まる。
「汚さないでくれよ?」
俺は、微笑んで本を閉じる。
「丁度、読み終わりましたから」
「そうかい」
荷造りが終わったらしく、パンパンに膨れた鞄が床の上で鎮座しており、俺はホコリが積もった本の山を見つめる。
「本、読まないんですか?」
「なぜ、そんなことを?」
「ホコリ」
俺は、指先で掬い取ったホコリを息で吹き飛ばす。
「積もってますから。
読むことよりも残すことを目的にしてるのかなって」
「…………」
『名探偵』と書かれた紙の三角柱、机の上で足を組んだルミナティは、鹿撃ち帽を下げて顔を隠した。
「藁太郎とカエル男爵、持って行くんですね」
「……大事な助手だからな」
俺は、彼女に紙切れを手渡す。
「一筆、もらっても良いですか?」
「…………」
「『名探偵』って書いてください」
「……君は」
ルミナティは苦笑する。
「名探偵か?」
「いえ、第三の助手ですよ」
笑ってから、俺は、紙切れを懐に仕舞い直した。
ぎぃぎぃと音を鳴らして。
安楽椅子を揺らしたルミナティは、ぼそりとつぶやく。
「謎を解いたことがないんだ」
ルミナティは鹿撃ち帽で顔を隠したまま、古びた事務所にか細い声が響き渡る。
「一度も……自分の手で、謎を解いたことがないんだよ……受け売りなんだ、すべて……つまらない人間だ……法則に縛られている……視えない鎖で、雁字搦めにされて身動きが取れない……わたしは……」
鹿撃ち帽の隙間から――一筋の涙が流れる。
「ただ……遺された謎を解きたかった……」
俺は、天井を見上げる。
木と木の継ぎ目に目線を走らせ、ゆっくりと、息と一緒に言葉を吐いた。
「……カルイザワに行けば」
吐いた言葉は、空気中に溶け落ち、俺は透明になった言の葉を見つめる。
「貴女は、稀代の戦犯として歴史に名を遺すことになる。誰も彼もに蔑まれ、忌避され、リーデヴェルト家の汚点として遺ることになる。歴史の教科書には、悪逆無道の奸物として書き遺される。
だが」
俺は、107年越しに彼女へとささやく。
「たったひとりの女の子だけは、貴女のことを信じている」
「…………」
「その子は、貴女の無実を願っている」
「…………」
「彼女は、リーデヴェルト家の法則を破り、己自身の法則をもって貴女の身の潔白のために命を懸けている」
「…………」
「あんたはどうする、ルミナティ・レーン・リーデヴェルト」
「…………」
「あんたの運命は――自分が決めろ」
静かに。
鹿撃ち帽を脱いだルミナティは、そっと、ソレを『名探偵』と書かれた紙の三角柱の上にかぶせて――微笑んだ。
「カルイザワへ」
そして、ささやいた。
「最期の謎を解きに行きましょう」
光が差す。
俺は、笑って、彼女へと手を差し出す。
彼女は、ぎこちなく、その手を握った。
俺たちの間で、机の上に乗った『緋色の研究』が日の光に照らされ――祝福するかのように、その表紙がきらきらと輝いた。




