パワー型エルフ
口を開くな。
咄嗟の判断で、俺は、沈黙を守り続ける。
「…………」
「…………」
返答を間違えれば、俺は、眼前の怪物に潰される。
本来であれば、俺如き塵芥は彼女の視界に入らない筈だ。だが、七椿を相手取って生き延びたことで、エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフトはその魔眼で俺を捉えてしまっている。
「…………」
「…………」
マズい。
回答権はこちらにあって、黙秘を続けるのにも限界がある。
俺は、『Everything for the Score』というゲームをプレイして、エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフトというキャラクターを知っている。彼女の性格を鑑みて、この状況から生き延びる方法がわかっている筈だ。
「…………」
「…………」
言葉は、不要だ。
一瞬、俺は、籠めていた殺意をフッと抜いて――起立すると同時に鞘を抜き放ち――エスティルパメントは俺の背後に居た。
速――腎臓。
折り曲げた人差し指と中指が腎臓に食い込み、俺の身体がふわりと浮き上がる。凄まじい衝撃と激痛、ぶわっと大量の冷や汗が溢れ出し、膝を着いたと思ったら全身が後方へと加速し始めていた。
蹴られた。
気づいたのは1.5秒後、地面に衝突した後で、ごろごろと転がった俺は棺桶の上に起立したままの怪物を見上げる。
黒い影。
俺は、ソレを宙空で受け止める。
「貸してやる」
外套をたなびかせながら、両手足すらも出さず、微笑んだエスティルパメントはささやいた。
手の内を視る。
そこには、よく見慣れた魔導触媒器――黒戒があった。
よろめきながら。
立ち上がった俺は、黒戒に魔力を流し込み、短刀と化したソレを逆手に構えて左足を前に出す。
「…………」
魔力が、足りない。
頼りなく揺れる無属性の刀身を視て、俺は、額から血混じりの汗を垂れ流す。
宝石を介した触媒魔法、アレは三条緋路の力ではなく、マージライン家の家宝である蒼玉に籠められた魔力に拠るもので、金と銀が魔法士として優れていたに過ぎない。
現在の俺は、手中に宝石もやかましい双子龍の手綱も握っていない。
とは言っても、それらを揃えていたとしても、エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフト相手に――勝ち目はなかった。
「失礼ながら、俺と貴女が争う理由はないと思いますが」
「争う理由はないが争わない理由もねぇーんだよ。
名も知らぬ坊主よ、おれは常に面白いと思った方を取るんだよ。退屈で退廃で退嬰な瞬間というものを憎んでいるわけだ。あー、こうして、喋っている間にも飽きてきた飽きてきた飽きてきた」
髪を掻き回していた彼女は、ぴたりと手を止めて眼を見開く。
「……蕎麦が食いたい」
「は?」
「おれは、現在、猛烈に蕎麦が食いたい」
消える。
かと思えば、彼女は屋台を右手で持ち上げており、左手で割烹着姿の女性を抱えている。どさりと、持ってきた彼女を屋台の前に下ろし、ドカッと足を組んで椅子に座って肘をカウンターに置いた。
「月見蕎麦」
「……え?」
「月見蕎麦だよ、つーきーみーそーば。
大至急だ、とっとと作れ。さもなければ、七椿の数倍以上の規模でこの帝都をブチ壊す。つーか、もう、この星を素手で叩き壊す」
懐から取り出した枝を素手で削り、箸を作り上げたエスティルパメントは指先でカウンターを叩く。
「卵は半熟だ。とろっとさせろ。全熟になってたら、七椿の数倍以上の規模でこの帝都をブチ壊す。つーか、もう、この星を素手で叩き壊す」
突然、この星の命運を預けられた女性は大慌てで蕎麦を作り始める。
傍若無人なエルフは、俺のことを忘れきったかのように配膳を待ち――凄まじい破砕音と共に棺桶が真上に吹き飛び、舞い上がった七椿は幾重にも鏡を組み合わせる。
「消え失せろ、エスティルパメントォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
光。
眩いばかりの光は、ひとりのエルフを包み込――箸――二本の枝先で、光線を弾き飛ばしたエスティルパメントは宙に跳んでいた。
「人様がァ!!」
光り輝く右拳が、七椿のこめかみに叩き込まれ――
「飯食ってんだろうが、ゴミクソがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
地面が割れて、世界が揺れた。
目にも留まらぬ速さで墜落した七椿は、耳を劈くような破壊音と共に地面に亀裂を走らせ、どこまでもどこまでもどこまでも、下手すれば星の中心にまで突き抜けていった。
地が揺れて。
へたれ込んだ蕎麦屋の主人は、がくがくと震えながらエスティルパメントを見上げる。
ぎゅるんぎゅるんと、回転音を立てながら。
主人の下へと戻った棺桶を蹴り飛ばし、ソレを椅子にしたエスティルパメントは箸をぱちぱちと鳴らした。
ゆっくりと、彼女は、目線を上げる。
「まだか、月見蕎麦?」
「た、ただいま!! ただいま、作らせて頂きます!!」
「いや、もう、月見蕎麦は飽きちまった。お前、もう、帰って良いぞ。
おい、坊主、駄賃をやるからうなぎを買ってこい。あの燃えてる家の横に、美味いうなぎ屋があるから……良い塩梅に焼けてるだろ」
俺は、エスティルパメントから、正規の手段で入手したとは思えない50銭銀貨を両手から溢れるほどに手渡される。
「承知しました、この身命を賭しても」
「おべっかは良いから行け」
しっしっと手を払われ、俺は、うなぎ屋に行ったフリをして離脱する。
エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフト……原作通りのやべーヤツだ……関わるべきではないくらいに危険なヤツなのは間違いないが、味方に引き入れることが出来れば、魔人と対等に戦えるどころか一方的に処理することが出来る……。
俺は、燃える街路を走りながら思考を巡らせ――ふわり――見覚えのある銀色とすれ違った。
「……あ?」
燃え広がる火焔を意図も介さず、俺が向かってきた方向へと疾走する銀色の影は、燃え落ちる民家の壁を蹴り飛ばし屋根から屋根へと飛んでいく。
その後ろ姿を視て、俺は、ニヤリと笑った。
視えたぜ――勝利の方程式。




