神代の執行者
赤と黒。
燃える帝都は、黒煙を発し赤焔に包まれる。
どこまでも燃え広がる大火に囲まれ、逃げ惑う人々の悲鳴を聞きながら、血に塗れた俺は無銘刀を構える。
地に堕ちた魔人は――己の頬についた刀傷をなぞり笑む。
「おぬし、名は?」
「三条」
霞の構えを取った俺は、赤黒く染まった前髪の裏からささやく。
「三条緋路」
「ほほっ、ただの人間に手傷を負わされたのは久方ぶりじゃ……三条家の人間にしてはやるのう……随分と気前良く宝石を触媒にした魔法を用いたようじゃが……先の一合でがま口の中身は空になったのではないのかのう……?」
空を舞う金と銀は、追尾してくる鏡とその中から吐き出される光線を避けながら必死に反撃を行っていた。
あの様子では、彼女らに助けを求めることは不可能だろう。
俺、ひとりでやり合うしかない。
「三条の緋路よ、妾は命というものを愛しておる」
ひら、ひらっと。
どこからともなく迷い込んだ蝶々が、七椿の捧げた人差し指に止まり、魔人は穏やかな笑みを浮かべる。
「この世において」
ぼっと。
急に燃え始めた蝶々は、火炎に包まれた翅で羽ばたき、藻掻きながら地に落ちて俺の前で命を終えた。
「命ほど平等なものはない」
「…………」
燃える、燃える、燃える。
富者も貧者も賢者も愚者も異者も現者も、皆等しく、命は焔に呑まれて燃えてゆく。
そこには、何者かが用意した運命の天秤のみが存在していて、眼前の魔人が宣うように釣り合いがとれた平等さがあった。
「だからこそ、妾にはわからんのじゃ。何故、何故に、人は命を惜しむ。少々、先に死んだからと言ってなんなのじゃ。どちらにせよ、人間の行き着く先は平等なる死ではないか。
今宵、妾に殺されて灰になるのと、爺婆になって布団の上で命運を遂げるのとなんの違いがある? 命は美しいと、どこぞの詭弁家が申しておったが、妾の目に映るのは醜くも余生にしがみつく虫螻だらけ」
袖で口元を隠し、七椿はくすくすと笑う。
「なぜ、人の幼子は、虫螻の手足をむしって遊ぶのに……妾が、人の手足をむしって遊ぶと怒るのじゃ……わからんのう、わからんのう……二足歩行の猿がなにを偉ぶって頂点に旗を立てておるのか……妾のように気高く誇り高い最高の魔人が構ってやっていると言うに……有り難く想いながら死ぬれよ、おぬしらは……」
「人間は」
ぽたぽたと、血を垂らしながら。
「人間は学ぶんだよ」
間合いを測りながら、俺は、彼女へとささやいた。
「何時までも、虫螻の手足をむしって遊んでたりはしない……何時までも何時までも何時までも……そうやって、残虐さを学ばずに遊んでやがるのはテメェだけだ……たったひとりで……何時まで……そうやって、頂点で虫螻の手足をむしってるつもりだ……いい加減、誕生日ケーキの蝋燭を吹き消せよ……テメェの誕生日は……」
ちゃきりと、俺は、鯉口を鳴らす。
「もう、とっくの昔に……過ぎ去ってるんだよ……」
「…………」
無言で。
七椿は指を上げ――踏み込み――彼女の人差し指が消し飛んだ。
眼。
見開いた俺は、驚愕で仰け反った七椿の胴に無銘刀を叩き込む。
刃が折れる。
間髪入れずに柄に残った刃を七椿の喉にブチ込み、彼女はごふっと血を吐き出した。
「どうした?」
俺は、微笑む。
「虫螻に手傷を負わされたのも初めてか?」
「おぬし」
魔人は、ニタァと咲う。
「未来から来たな?」
完全に把握している七椿の予備動作を目視し、完璧に管理された間合いから放たれた未来予知めいた一撃を受けて彼女はそう判断した。
「ならば、わかるじゃろう?
妾はァ!! 完全無欠ッ!! 唯我独尊ッ!! 完璧最強ッ!! つまるところォ!!」
溜めから抜刀。
俺は、二本目の無銘刀を抜き放ち――背後の四角、鏡から放たれる光線――粉々に刃先は砕け落ち、俺は、両眼を見開く。
「虫螻に勝ち目はない」
右の五指と左の五指。
赤、青、黄、緑、紫……色とりどりの光線を指先から吐き出しながら、空を照らした七椿はニッコリと笑む。
「風光明媚な妾の爪もまた、絢爛豪華なのじゃぁ」
優しく、撫でられて。
腹に焼き痕がつき、無銘刀の鞘を投げつけた俺は、脱兎のごとく逃げ始める。
「はいはいはいッ!! 勝てない勝てない勝てない、わかってたわかってたわかってましたァ!! 今日のところは、このくらいにしといてやらァ!! 何時か、ぶっ殺してやるから憶えてやがれーっ!!」
ぽかんと。
捨て台詞を残し、全力で逃走し始めた俺を眺めていた七椿は咲う。
「ま」
そして、楽しそうに俺を追いかけ始めた。
「まてまてまてぇー!! またんかぁーっ!!」
「そういうのじゃないそういうのじゃないそういうのじゃない!! 見逃せ見逃せクソがァーッ!! こんなところで、テメェとやり合うつもりなんてなかったんだよ!! アポもなしに急に現れてんじゃねぇぞ無礼者がッ!!」
俺は帝都の街を駆け回り、自在に宙を飛び回る七椿は指から光線を放つ。
連続的に爆発音が鳴り響き、転がるようにして俺は必死に通りを疾走し、避難している人たちの行列を回避して横道に逸れる。
当然、この辺りの地理なんて知らない俺は追い詰められ、七椿は嬉しそうに俺を殺そうとして――
「待てッ!! 待て待て待てッ!! もっと楽しいことで決着を着けよう!! じゃんけんだ、じゃんけん!! このまま、俺を殺しても、何時もと同じでなにも楽しくないだろ!?」
「……じゃんけん?」
小首を傾げた七椿は、人差し指を下ろし、胸を撫で下ろした俺は彼女にじゃんけんのルールを教える。
「なんじゃ、ただの虫拳か」
「お前、バカ、ただの虫拳と思うなかれよ。俺の人生史上、ココまでエキサイティングなスポーツは存在しないね。血湧き肉躍るどころか、血沸騰し肉乱舞するわ。一度、経験したら病みつき、しかも俺とじゃんけんしたヤツには特別なスタンプもプレゼントしている」
「なんじゃなんじゃ、面白そうじゃのう!! やろうやろう!!」
わくわくしながら、ノッてきた七椿に俺は微笑みかける。
「じゃあ、行くぞぉ!
じゃんけ――死に晒せ、オラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
俺の握り拳が七椿の顔面にブチ込まれ、どうと倒れた魔人の上を飛び越える。
「対戦者、全員サービス!! 拳スタンプ、プレゼントッ!!」
全速力で逃げる俺の後ろで、むくりと起き上がった七椿は満面の笑みを浮かべる。
「三条の緋路、おぬし、愉快じゃのう愉快じゃのう!!
決めた! おぬしの首は、妾の国の玄関に飾ってやろう!!」
「誰がテメェの国に生首永久就職するかよ!! 祟るぞ、クソガキババアッ!!」
ひたすらに、俺は、駆け続ける。
早く来い早く来い早く来い……いい加減、来てもおかしくねぇだろ!? 時間を稼ぐのももう限界だぞ!? とっとと来やがれッ!!
俺は、走――足に熱と共に衝撃が来て、倒れた瞬間、強烈な激痛が走って真っ赤に染まった右脚が視えた。
「ひーろーくーん」
闇の中で、魔人は、愉しそうに咲う。
「つぅかぁまぇたぁー!」
じりじりと、這って逃げようとした俺の前に回り込み、ふわふわと浮き上がった七椿は指先で俺の鼻を突いてくる。
「なかなか、楽しかったのぉ。時間潰しにはなった。じゃが、妾も多忙の身、少々、残念ではあるが首になってからまた会おうぞ」
ふと。
俺は、差した影に気づいて笑みを浮かべる。
「なぁ、今日の気象報告、聞いたか?」
ぴたりと、動きを止めた七椿は、ぱちぱちと瞬きを繰り返し――
「今日の天気は、晴れのち――」
凄まじい衝撃音と共に、棺桶に押し潰され、俺の視界から消えた。
「棺桶」
砂煙。
もうもうと巻き起こった砂塵に包まれた棺桶は、中央に十字架が刻まれた純黒の全身を見せつけ、その表面に血管のように走った蒼白い魔力線が点滅しながら膨大な魔力量を垣間見せる。
天から落ちたのは、罰ではなく棺だった。
天から地へと納棺を終えた神代の執行者は、棺桶の上でしゃがみ込みチューイングガムを膨らませている。
焦げ茶の外套とフードで、全身を覆い隠している彼女は、くちゃくちゃと音を立てながら首を傾げる。
外套が、たなびく。
その隙間から、褐色の肌が覗き、芸術染みた紋様と化している魔力線が蒼と白に発光していた。
ぱちんと、膨らませたガムが割れる。
舌先で、それを口に押し込んだ彼女は、ゆっくりと立ち上がりガムを吐き捨てる。
そして。
彼女は、真っ蒼な魔眼で俺を見下ろした。
「坊主」
射竦められた俺は、神域に踏み込んだとしか思えない量の魔力を立ち昇らせた怪物を前に、愕然としたまま動作を止める。
「どうやって死にたい?」
エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフト。
魔人を棺桶で叩き潰した封印執行者は、外套をたなびかせながらそう言った。




