鏡堕としの夜
第四柱、万鏡の七椿。
原作では、道楽のために大暴れする無法者として描かれており、登場シーンのひとつひとつが『莫大な予算をかけたB級映画』と評される。
派手好きの彼女は、なにをするにしても栄華を求め、可能な限りの暴虐無道を辿ろうとする。
そのため、彼女が現れるだけでも被害は壊滅的なものになり、戦闘時の攻撃手段も広範囲攻撃が殆どだった。
彼女が掌握している鏡の国を通し、ありとあらゆる時間軸の魔力をかき集めて放つ、通称『妾ビーム』は街ひとつ吹き飛ばすくらいの威力をもっており、光属性魔法の極限とまで言われている。
彼女は自身のことを『最高』と称しているが、ソレは己を鼓舞して高揚させるための『セルフ太鼓持ち』であり、フェアレディのように自分自身のことが大好きで最高だと思っているわけではない。
ただ、彼女は、爆発と祭りと耀きを愛しているだけであり、それらを生み出す力を振るうために自分自身をヨイショしているだけに過ぎない。
言うなれば、地面に出来た蟻の巣やブロックで作られた城やシルバニアファ○リーを蹂躙して楽しむ子供みたいなものだ。
それらの行為に対して、七椿には悪意はない。
ただ、彼女は、純粋無垢に玩具で遊んでいるに過ぎないのだ。
魔人は愛や命といった観念を理解できないため、彼女にとっては『なんか人間が面白いモノ作ってる! ぶっ壊してあそぼー!!』くらいの感覚で、帝都を光線で破壊したり人間を虐殺したり侵犯行為を行ったりする。
とは言っても、七椿にも守るべき最低限の法則がある。
遊び相手の人間が滅んだら困るので、人間に元気がない時には自重して大人しくなる。逆にその活動が活発になればなる程に『そろそろ、遊んでもいいのかな……?』と首を出し、ド派手な復活を遂げるようになっている。
万鏡の七椿の復活となる原因、六忌避は『饗宴』だ。
わかりやすいところで言えば『戦争』、『虐殺』、『発展』、『改革』……良きも悪しきも、人間世界の進歩と結びついている。
アルスハリヤは『人間の友人を作りたい』と宣い、フェアレディは『人類そのものを救済したい』と願っていた。
人間に友好的(※)だったアルスハリヤたちと七椿が異なるのは、彼女は人間そのものを『玩具箱の中の玩具』と捉えているところだ。
七椿にとって、玩具を生み出すこの世界は玩具箱そのもので、その玩具をどう扱おうと彼女の勝手だと思っている。
エスコファンからは『ななつばきちゃん(5)』とか『妾ビーム! して♡』とか『鏡に向かって『You can do it!!』』とか言われている七椿は、幼児扱いされることが多く、SNSではロリ化されたファンアートが上がっていたりする。
だがしかし、実際に、彼女の破壊を前にしてみれば――五歳児レベルの道徳観を持ったバケモノというのは――凶暴という言葉だけでは言い表せない。
焔。
暗黒に包まれていた帝都の夜空は、焼け付くように赤く染まり、密やかな夜気を切り裂くように悲鳴と怒声が打ち上がっていた。
「ほほっ、妾の手で染まる赤焔の空は綺麗じゃのう! 立ち昇る黒煙は水墨画のように美しく、華麗で華憐で華美で七つの花弁を開いた椿のようじゃ! 妾、斯様も美しく、咲き誇るは帝都の月夜!!」
帝都に現れし、一柱の魔人。
円い月が、ふたつ、並んでいる。
その中央で両手を広げ、球状と化した怪異に包まれ、屹立している魔人は鏡を担った。
「空々……」
彼女は、鏡を胸に抱いたまま、綺麗な涙を流した。
「善き宵よ」
放たれる。
連続で打ち放たれた光線は、帝都の静かな夜を引き破りながら走り、間断なく起こった爆発音が静寂をぶち壊した。
指先ひとつで。
命を蹂躙する七椿を見上げて、ロザリーは目を見開いた。
「やめて……」
そっと。
蝶ネクタイに手を添えた俺は、ソレを素早く引き千切って気道を確保し、腰の無銘刀を確認してからゆっくりと立ち上がる。
「ロザリー」
俺は、彼女にささやく。
「宥和派のお偉方を連れて、鹿鳴館の外に逃げろ。郊外だ。派手好きのアイツのことだから街の中心部を狙う」
「……ヒロさんは?」
「魔人を」
左手で鞘を押さえた俺は、口端を曲げる。
「天から斬り堕とす」
「そんな……無理です、そんなこと……貴方は、こんなところで……こんなところで死んではいけません……ダメ……っ!!」
地響きと共に破片が降り注ぐ中、ロザリーを抱えた従者たちは、必死で鹿鳴館の出口を目指し――俺は、引きずられていくロザリーに笑いかける。
「ロザリー・フォン・マージライン、よく憶えとけ」
彼女は目を見開き、俺は煌々と輝く魔人を見上げる。
「今宵は、星の代わりに魔が堕ちるぞ。
三回、願い事を懸けても」
俺は、笑う。
「叶わない」
絶句したロザリーは、姿を消し、俺は踏み出そうとして――
「飛べるのか」
唯一、鹿鳴館に残ったオルゴォル・ビィ・ルルフレイムに問われ、ニタニタとしている彼女に振り返る。
「跳びます」
「ふはっ、ひひっ、けらけら、おまぇ、本気で言ってるなぁ。ココまでネジの外れた人間は、久方ぶりに視たわ。
どうだ、おまぇ、オレと取引きしないか?」
指輪だらけの指を鳴らしながら、彼女は綺麗に伸びた人差し指を振った。
「翼を貸してやる。
代わりに、おまぇの最も大事にしているモノを差し出せ」
「わーお」
俺は、肩を竦める。
「悪魔との取引きみたーい。
でも、良いですねぇ、そういうの俺はだいだいだーいすきですよ」
ニヤリと、俺は彼女に笑いかける。
「よこせよ、その翼。代わりに、俺の裡側をくれてやる」
「金、銀」
チャイナドレスに良く似た衣装を纏った金と銀の鱗を持つ龍人が前に出て、じっと、左右対称に俺のことを見つめる。
「この若造に力を貸してやれ。
後払いだぁ。とっとと、あのうざったい灯りを消してこい」
「金でーす」
「銀です」
彼女らは、シュバシュバシュバっと位置を入れ替えながらポーズをとる。
「「ふたりそろって、金銀財宝でーす」」
「……いや、どっから財宝出てきた?」
「「うるせー、バーカ」」
「え、なに? 最近の翼は、借用者に暴言吐いたりしちゃうの? そこんとこどうなのよ、ルルフレイム家の王様さん?」
唐突に。
煌めいたなにかを投げ渡され、俺は、反射的にソレを受け取った。
マージライン家の家宝の首飾り……手の内にあるソレを確認した俺は、ニヤついているオルゴォルを見つめる。
「良い蒼玉だぁ」
黄金で飾られた首元を長い爪で鳴らし、ゆったりと椅子に腰掛けているオルゴォルは笑みを浮かべる。
「ソイツは、報酬の前払いだぁ。財の想いを踏みにじり、今宵を穢した無法者を堕としてこい。
老骨のオレの代わりに」
彼女は、長い爪で俺の胸を指した。
「不夜を踊ってこい」
「後で」
首飾りを握り締め、俺は微笑む。
「肩たたきしてやるよ」
印。
目にも留まらぬ速さで印を組みながら、朗々と詠唱を行っていた金と銀の龍は、同時に宝石を踏み砕き――俺の足元から蒼白い魔力が迸ると共に、ふたつの三角柱に重なった俺の身体はふわりと浮き上がり――二体の龍人を伴って飛び立つ。
速い。
急加速した俺は、一気に天空にまで昇り上がる。
俺の両脇に従っている金と銀は、肩甲骨の辺りから金粉と銀粉を吐き散らし翼の形をとっていた。
彼女らは、胸の前で印を結んだまま舞い上がり、ほぼ同時に正反対方向へと飛び――
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 千切れちゃぅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!」
俺の右手足と左手足が、猛烈な勢いで反対方向に引っ張られ、ブチブチと筋繊維が千切れていく音が聞こえたような気がした。
宙空。
十字架に貼り付けられたかのような体勢で、しくしくと泣いている俺を余所目に、金と銀の龍人は喧嘩を始める。
「銀ちゃーん、ダメでしょー!! 左だよ左ーっ!! 金の感覚がねー、ささやいてんのーっ!! 左だぁ、左ぃ、左だぁってぇ!! どぅぁからぁ、ずぅぇったぁい、ひだりーっ!!」
「金ちゃんはおバカちゃんですね。疑いようもなく右の経路の方が、七椿のヤローに近いのは疑いようもない事実です。右から行くのですよ、右から。そうでもなければ、金ちゃんとはやってられません」
「はっはっは、喧嘩はやめなさい喧嘩は。間に挟まれた俺の両手足が悲鳴を上げて、股から裂けちゃうところだったんだからね」
「じゃあ、引っ張り合いっこで白黒つける?」
「望むところです」
「良い度胸だ、ゴラァ!! 来いやァ!! 三条緋路の四肢の強靭さを見せつけてやらァ!! 必死に鍛え上げた筋肉で、テメェらの喧嘩の仲裁を買って出てやらァ!!」
「なんじゃぁ……?」
きらきらと目を輝かせた七椿が、ぎゃーぎゃーと喚いている俺たちを視認する。
「ほほっ! 面白い羽虫がおるぞぉ!! 飛んどる飛んどる!! アレは、妾が落とすぞ!! 妾のじゃ、妾のじゃぁ!!
ゆっくぞーっ!!」
魔力が集積していき――金と銀は勢いよく顔を上げ――極大の光線が放たれる。
「妾、ビィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイムッ!!」
完璧なタイミングで。
急下降した金と銀は、両眼を輝かせたまま夜空を滑り、次々と打ち放たれる光線を避けていく。
黒い空に、金と銀の河川が流れる。
光り輝きながら、極大の光線を避け続ける金と銀は、夜空を駆ける流星と化した。二体の龍人に追いすがるように、幾重にも枝分かれした光線の数々を急上昇したり急降下したりしながら躱してみせる。
「「いっえーい!」」
彼女らは、宙返りしながら互いに手を合わせる。
「「よっゆーっ!!」」
「余裕なのはわかったから、ハンドルから手ぇ離すんじゃねぇーよ!! 怖い怖い怖い!! 風圧がダイレクトに来るッ!! 吐きそう!! でも、このほのかな百合の気配、俺は嫌いじゃない!! むしろ好ましい!! ありがとう!!」
「おぉーっ!
やるのぉ、ほほ、ならばコレでどうじゃ」
満月を鏡に見立てて。
裂けた月の中央から、一匹の龍が流れ落ち、大口を空けて迫りくる。蒼い鱗で覆われた巨大な蒼龍は、優雅に尾を棚引かせながら引き連れた雷雲を鳴らし、牙を剥き出し髭を揺らしながら落ちてくる。
「おい、お前らの仲間来た!! お前らの仲間来たぞ!? 話しかけろ話しかけろ話しかけろッ!! どうにかして帰ってもらえ!! 懇切丁寧に説得して、穏便に帰ってもらえッ!!」
「「ぴかぴかしててながくてきもーいっ!! バカ面ぁー!! 蒼い鱗とかだっさー!! ヒゲくらいちゃんと剃れーっ!!」」
「クソガキどもがァ!!」
怒号の代わりに雷鳴を鳴らして。
真っ直ぐに、蒼龍はこちらに突っ込んできて――金と銀は印を結び――無銘刀に体内から流れ込んだ魔力が宿る。
「……イケる」
俺は、刀身に血を流し込み抜刀の構えを取る。
「今夜はァ!!」
迫る、迫る、迫るッ!!
宵闇を照らす雷、真っ赤な口腔が空を覆い尽くし、矮小な人間を凌駕する長躯が真っ向から迫りくる。
その大口へと。
俺は、溜め込んだ魔力を解き放ち――
「龍の刺し身だァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
金と銀は、口内で宝石を噛み砕く。
無銘刀の切っ先を包み込んだ金粉と銀粉が、凄まじい勢いで噴出し、七色に光り輝いた刀身が龍身の内側で暴れ回りながら瞬いた。
斬れる、斬れる、斬れるッ!!
その中心から龍を切り裂きながら、高速で飛翔を続ける俺の無銘刀は一本の流星と化し、頭から尾の先まで一刀の下に両断する。
斬。
悲鳴を上げる間もなく、蒼龍は魔力光を撒き散らしながら墜落し、万鏡の七椿は大きく目を見開いて――
「金、銀!!」
俺は、絶叫する。
「飛ばせッ!!」
跳ぶ。
二匹の龍人の手で撃ち放たれた俺は、宙空で魔人へと背を向けて、ふたつの月が――重なる。
音。
微かな音を立てて、俺が弾いた蒼玉が、七椿の前で仄かに輝いた。
両眼を見開いて。
抜刀を終えた俺は、夜を駆け、無銘刀を首の後ろにまで振りかぶる。
魔は空を見上げ、人は地を見下ろした。
「――堕ちろ」
刀身が蒼玉を捉えて――七色の光が、不夜を生んだ。




