歴史の大海
真剣。
2尺4寸5分の無銘刀、その重さ0.24貫。
現代換算すれば、74.2cm、920g。
それほどまでに長く軽く研ぎ澄まされた鋼の塊が、時速65kmで振り落とされる。
師、曰く。
過去、日本刀の試し斬りは、罪人の遺体の胴体を台の上に重ね、一太刀で何体の胴を両断出来るかで計られた。最高記録は1681年、七体の胴体を切り落とした『七ツ胴』で、その記録から日本刀の驚異的な斬れ味を測り知れる。
日本刀での真剣勝負は、殆どが初太刀で勝敗が決まる。真剣で行われる勝負に二本目はない。篭手であろうと胴であろうと面であろうと、刀が振れなくなった時点で勝敗は決まり、致命傷を負わなくても勝者と敗者が分かれる。
だからこそ。
俺は、躊躇わずに胴へと直線を引いた。
色鮮やかな血飛沫が上がり、よろけた男は後方に倒れる。内臓にまで達していない、その斬り口を見つめ諸手左上段に構える。
「…………」
次は、殺すことになる。
現在の一巡で理解したが、この男よりも俺の方が人や魔物(怪異)を斬ってきている。現代で魔人やらを相手取ってきた俺の経験は、眼前の男が格下であることを見抜き、一人目の面を叩き割り、二人目の胴を両断すべきだと言っている。
相手は三人だ、しかも一人は刀を抜いている。
緋路の肉体では、加減をしてやることは出来ない……もし、残りの二人がかかってくるようなら殺すことになる。
俺が殺さなければ、背後のロザリーと彼女が抱える子供が殺される。
ならば、殺さなければならない。
俺は、ロザリー・フォン・マージラインの側に付くと決め、相手を殺すための刀を手に取り間に入ったのだ。手心を加えられる実力のない若輩者が、己の頭で考えて決断を下したのだから、その結果を受け入れるのは当然のことだろう。
不殺を貫きたいのであれば、その覚悟に見合った実力を求められる。
俺にその実力はない。ならば、この行動に伴う代償は己で支払う。
「…………」
刀を置かず、立ち上がる素振りを見せたら――斬る。
四肢に気力が満ちる。
見開いた両眼は、地に伏した男を睨めつけ、広がった視界には硬直した残りのふたりが入っていた。
脳内で、剣筋が紡がれる。
一人目の面を叩き割り、踏み込み、二人目の胴を断つ。
三人目は、一人目か二人目の血で目を潰し、踏み込むと同時に真正面から喉を突く。
「…………」
男は。
かちゃりと音を立て、刀を地面に落とし、ゆっくりと立ち上がった。
「…………」
腹の浅傷を押さえた男は、ふたりを伴って裏路地から消えていった。
その背が消えるまで、構えを取り続けた俺は足音が遠ざかるまで待ち、残心を怠らず納刀の動作を取った。
「「…………」」
俺の殺意に当てられたのか。
微動だにせず、固まっていたふたりを見下ろし、顔の血を雑に拭った俺は苦笑する。
「この間は、助けてくれてありがとう。
それじゃ、お疲れ」
そのまま立ち去ろうとし、マントの裾を掴まれて止められる。
振り返る。
ロザリーは、綺麗な手ぬぐいで俺の顔を拭ってから微笑んだ。
「ありがとうございました」
さすが、屍体の山から生き残りを探していた子だけはある。もう、放心状態から回復したらしい。
「ご無事で何よりです。心配しておりました。急な家出だったので、なにか失礼があったのかと……戻ってきてくださったのですね」
「いや、アレ、家出だと思われてたの……?」
「はい! 元気いっぱいの家出だと思っておりました!」
元気いっぱいに肯定するな。
さっきの連中が戻ってくる可能性もあるので、表通りに出た俺たちは、とりとめなく歩きながら言葉を交わすことにした。
ロザリーにくっついて、不安そうにこちらを見上げる精霊種の少女は、俺が見下ろすと保護者の背後に隠れる。
「で、この子は? 隠し子?」
「裂け目から抜けてきてしまった子……異邦人です。裂け目が安定していないのか、此程はこういった子が巷に溢れており、わたしが見つけた時には彼らに囲まれていました」
「裂け目……異界と現界の?」
首肯して、ロザリーは路地の奥を指差した。
薄暗い路地の奥の奥、注連縄と札が貼られ封印が施されている空間は歪んでおり、時折、ぱちっぱちっと音を立てながら蒼白い魔力を発していた。
この大正時代、次元扉は存在していない。
そのため、異界と現界が繋がっている座標に対し入出制限を加える措置は施されておらず、空間的に不安定な状態が維持されてしまっている。
現界から異界へ、異界から現界へ。
諸々の条件が噛み合った際に発生する空間の裂け目に生物や事物が吸い込まれ、意図せぬ転移を招くこともある。
それは人間も例外ではなく、この時代、そういった事象は『神隠し』と呼ばれ恐れられているようだった。
古来より発生していた神隠しによって、現界と異界は入り混じり、多種多様な半人半魔が発生した。
万鏡の七椿が猛威を振るっているこの時代、魔的な要素をもった半人半魔は敵愾心を抱かれ差別され暴力の渦に呑まれている。
恐らく、半人半魔に対するこういった差別は、大正政府によるプロパガンダの一種で、警邏のゴリラたちは敢えてこういった暴行を止めようとしていないように視える。
半人半魔は護るべき国民ではないと言えば道理は立つし、魔人によって荒んだ世をどうにも出来ない政府に対する悪感情を半人半魔に引き受けさせているのだろう。
そして、現在、エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフトの出現により、政府は魔法の有用性に気づきつつある。
魔法を用いるには、魔力が必要不可欠だ。
異界から流れ込む魔力という名の資源の有用性に気づいた人間が取る行動は予測出来る。
争って独占するか、取り込んで分けてもらうか。
主戦か、宥和か。
迷い込んだ半人半魔への差別主義、七椿への対抗手段としての魔法士の台頭、魔力の有用性とその資源の貴重性、異界の玄関口たる次元扉、即ち、大量の裂け目が存在しているカルイザワ。
結びついていく。
すべては、万鏡の七椿が現れたことから始まった。
七椿の出現という起点によって、運命の糸が紡がれていき、主戦派と宥和派が生まれていった……その歴史を、俺は目の当たりにし、これらの物事が起こるべくして起こったことを知った。
魔力を独占するため、異界との戦争を起こそうとした主戦派――コレは、魔人に対して膨れ上がった憎悪が、政府のプロパガンダとヘイトコントロールによって歪められ、半人半魔と異界への怨嗟と化したことによって生まれた。
では、宥和派は?
宥和派は、どのようにして生まれたのか?
――かのカルイザワ決戦で亡くなった霊を慰めるための催し、『調和祭』もロザリー様の発案だと言われておりますことよ
「…………」
俺は、精霊種の女の子の手を優しく握り、隣を歩いている少女を見つめる。
彼女は。
ロザリー・フォン・マージラインは、微笑んでこちらを見上げる。
「どうしましたか?」
「……いや、なんでも」
俺は、歴史を目の当たりにしている。
歴史とは、川の流れによく似ている。
ありとあらゆる方向から流れ込む支流、枝分かれしていたその流れが合流し、ひとつの大きな流れとなって大海へと流れ出していく。
かつて、モーセは海を割った。
だが、広大無辺の海を枯らした者は誰もおらず、どこにあるのかもわからない川の支流をひとつひとつ辿って堰き止めた者もいない。
「…………」
俺は、三条緋路として歴史に流されている。
だが。
まだ、海には――着いていない。
「ロザリー」
「はい?」
ならば、俺は――
「ひとつ、頼みがあるんだが」
己が望む岸に這い上がるまで藻掻くだけだ。




