君子危うきに近寄らず、侏儒危うきに近う寄る
大正時代には、洋食が一般的になっていたと聞いていたが。
我らが『ルミナティ探偵事務所』の所長様は、鹿撃ち帽にインバネスコートなんて着ている割には西洋文化に明るくないらしく、麦飯に汁物、妙な臭いのする煮魚を提供してくれていた。
「知っとるかね、助手くん」
この名探偵様は、食事中、死ぬほど行儀が悪い。
鹿撃ち帽をかぶったまま、椅子に深く腰掛け足を組み、ぎぃぎぃ椅子を揺らしながら椀を片手に食事をする。
「そこの角の茶屋では、あいすくりーむを出すようだよ。まったく、西洋かぶれも大概にしておきたまえと言いたいね」
大正初期、アイスクリームはまだ工業化していなかったらしい。ホテルやレストラン、喫茶店では提供されているようだが、一般住宅で楽しむには程遠く、嗜好品として貧乏人の舌の上に乗るものではなかったようだ。
「ミス・ルミナティ」
「先生と呼び給え」
なんで、コイツ、飽きてくると呼び名を変えるんだよ。
「先生」
「なんだね、助手くん。本日は快晴なり、だよ」
「窓の外を見れば、一目瞭然の天気はどうでも良いんですがね……つい先日、お頼み申したカワイイ助手の依頼はどうなりましたか?」
片手でお椀をもって、酒盃を煽るかのように味噌汁を飲んでいた彼女は、ぼけーっとしながらつぶやく。
「エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフト、か。
威風堂々と平安の世を謳歌したとも言われるエンシェント・エルフ、己が生み出した一族を己の手で滅ぼした破壊神、数多の名を併せ持ち歴史上に刻まれている著名の一部は彼女のことを指すと言われている。
で、なんだって、君はそんな歩く幽霊と会いたいと言い出すのかね」
「握手して欲しくて」
「そんな一文にならないことはやめて仕事をしなさい仕事を」
ため息を吐きながら、最近、元気のない名探偵は『緋色の研究《A Study in Scarlet》』を取り出しぱらぱらとページを開いた。
「魔導書の養殖の件だがね、なかなか、条件に合致する場所が見つからない……ふむん、なにか、要素が足りないのか……養殖、養殖、養殖……魔導書同士の交合、即ち、魔力線の接続……帝都の地が悪いのか……?」
ふんふん言いながら、椅子を揺らしたルミナティは、ちょいちょいと俺を指で招いて新聞紙を渡してくる。
「二回めくって左下」
言われたとおりにめくって、目を向けてみる。
「魔人討伐義勇兵募集……魔法士は優遇……給金は雀の涙でお国のために、ね……何時もの集団自殺教唆じゃないですか? コレがなにか?」
「二言目だよ」
「魔法士は優遇……」
俺は、目を瞠る。
「政府が魔法士を募集するのは初めてだ……現在まで、魔法士について触れたことなんてなかったのに……」
「角の茶屋のアイスクリームだがね、実に甘く冷たくて美味しい。
そんなアイスクリームの甘い香りに釣られてかは知らんが、試製拳銃付軍刀を佩いた帝国陸軍の連中も混じっていてね。なんだって、現在の時代に開発失敗に終わった試作品を腰にぶら下げた輩が混じっていると思ったら。
彼奴ら、試製拳銃付軍刀を『三十二年式魔銃付軍刀』と称し、引き金の付いた刀を帯びていた」
思わず、息を呑む。
「魔導触媒器……!!」
「ふむん、我が助手も西洋かぶれか。そんな名で呼ばれるモノは、古今東西、どこにも存在しちゃあいないようだがね。
まぁ、大量のダンジョンが発生し、黄金の国と呼ばれた時代に外からやって来た私のような異人が言えることじゃないかもしれないが……さて、魔法士なんぞに頼らずに、大和魂と撫子心で戦ってきた政府の軍人どもが、急に魔法にかぶれ始めた理由がわかるかな?」
「……思想が変わる理由はひとつだ」
俺は、ささやく。
「外部からの驚異」
「ふふん、賢い君に更に尋ねよう。
では、外部からの影響とはなにか?」
「魔法士……それも極大の影響力を持った……魔法に精通し名の売れた何者か……驚異的な力の体現者……」
「エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフトは」
なんてことのないように、紙面から目を離さない彼女はつぶやく。
「帝都にいる」
「……名探偵か?」
「最初から、そうゆってるだろがーっ!! 見ろコレ見ろコレ!! 書いてあるだろがっ!! 名・探・偵!! 名・探・偵!! この鹿撃ち帽とインバネスコート、幾らしたと思ってるのー!?」
なんというか。
その洞察力も瞠目に値するが、それ以上にその語り口が驚異的だ。いつの間にやら、話に引き込まれており、ずぶずぶと足を踏み入れていて、気付いた時には結論にまで導かれている。
ルミナティ・レーン・リーデヴェルトからは、後に秘密結社を立ち上げ、扇動者として猛威を振るったと言われる所以が垣間見えていた。
「どうすれば会えると思います?」
「実に簡単」
人差し指で、彼女は、新聞紙をつついた。
「万鏡の七椿だ。
エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフトと魔人の出現時期は一致しているのだよ。故に、かのエンシェント・エルフ殿は、魔人を狩りに猟銃担いで森から下りてきたと推察出来る」
「期待通りの回答、大感謝~!!」
要は、義勇兵に志願して、七椿とやり合えば自ずとウィッチクラフトさん家のエスティルパメントさんとかち合うと言っているらしい。
でも、それは目的と手段が食い違っている。
七椿と戦うためにエスティルパメントと会いたいのに、エスティルパメントと会うために七椿と戦ってしまったら意味がない。
十中八九、無駄死にすることになるのだから、現在はまだヤツと相対するわけにはいかないだろう。
「他になにかありません? 命を落とさない感じの優しいやつ?」
「ふむん、そうだね、軍の高官なんかと伝手のある華族あたりの縁故に期待するとか……そこから辿れば、いずれ、エスティルパメントに到達するんじゃないのかね……例えば……」
「ロザリー・フォン・マージラインとか、ね」
口端を歪めて、胸の前で両手を組んだ彼女は、俺から奪い取った新聞紙で顔を覆って暗闇を作り出した。
「ではでは、私は、一足先に眠りの世界に旅立つことにしよう。
ふふん、名探偵というのは、常に明晰な頭脳を保つために長い睡眠を必要とするのだよ」
「ただの昼寝を口先で飾り付けるのやめてくれませんかね?」
ふがーふがー言いながら、爆睡し始めた名探偵に蹴りを入れ、それでも起きない彼女に嘆息を吐いてから外に出る。
確かに、ルミナティの言うことはもっともだ。
マージライン家の力を借りることが出来れば、貴重な時間を無駄にすることなく、手っ取り早くエスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフトに辿り着ける……いずれ、巻き起こるカルイザワ決戦まで時間的に余裕があるわけではない……俺と七椿の間にある大差をどう埋めるか……その結末によって、生死と運命が枝分かれする……ロザリーと三条緋路を関わらせて良いのだろうか……?
自然と、まるで導かれるように。
この肉体が、そう望んでいるかのように、俺はロザリー・フォン・マージラインの住む屋敷へと足を運んでいた。
その道中で、声が聞こえてくる。
三条緋路の心臓がざわつき――俺は駆け出し――裏路地、額から血を流したロザリーが、精霊種の子供を胸に抱えて投石と殴打を受けていた。
「いい加減、どかんかっ!!」
「魔人と同じもんを!! 異界の化物を庇うのか!?」
「どきなさい!! そいつは斬り殺さんといけん!! いけんのよ!!」
三人の男女。
着物を着た彼ら彼女らは、ロザリーとその胸の中の半人半魔に血走った目を向け、思い思いに刀を振りかざしていた。
刃物を向けられても。
ロザリー・フォン・マージラインは、一歩も引かず、金色の髪を真っ赤に染めて――蒼い瞳を彼らに向ける。
「やめませ――」
彼女の顔に、無骨な男の拳が入る。
口の中が切れて、大量の血が溢れ出し、口端から血液が漏れ出た。
それでもなお、彼女は微笑み、ささやいた。
「やめませんか?」
「やめんわっ!!」
気圧された男が後ろに引き、代わりに前に出た女が口角泡を飛ばした。
「そいつはバケモノなのよ!! バケモノ!! 魔人に旦那を殺されて、なんで、黙ってられるのよ!? えぇ!?」
「この子は、魔人とは無関係です。
ロザリー・フォン・マージラインの名に誓って」
胸に手を当てて。
ロザリー・フォン・マージラインは、真っ直ぐに彼女を見つめて、そっと口から誓いを吐き出した。
「我がマージライン家が、万鏡の七椿を打ち倒します」
彼女の目は――異様なまでの気力に満ちていた。
「幾年月を懸けても、この身命を賭して」
「…………」
「どけ」
構えだけで。
長きに渡って、剣術を学んできた者だとわかった。
前に出た熊のような男は、洗練された動作で抜刀し、刹那の躊躇いもなしに振り下ろ――紫電――斬撃と斬撃が正面からぶつかり合い、明朗な金属音を立て、マントを翻した俺は無銘の刀で影を作る。
その影の下で、彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
「その誓い」
俺は、ニヤリと笑い、ロザリーにささやく。
「俺もノッた」
眩しそうに。
目を細めたロザリー・フォン・マージラインは――微笑んだ。