大正浪漫から浪漫を抜いたらこうなる
運命からは逃れられないのか。
本格的に腹部から出血し始め、三条家にも追われている俺は、ルミナティ・レーン・リーデヴェルトの庇護を受ける以外の選択肢を持ち得なかった。
この自称名探偵と行動を共にしていくうちに、自身が置かれている状況もわかってくる。
どうやら、三条緋路は、もう三条家にとって不用な存在になったらしい。
と言うのも、彼は跡継ぎ候補としての『予備』だったらしく、現当主と妾(事実上の側室)の間に女児が生まれたことで、彼を生かしておく必要はなくなり七椿討伐にかこつけて始末するつもりだったらしい。
なにせ、何時までも、男性を女性と偽り続けるのは難しい。
男子も女子も、皆等しく成長する。
男性らしい体つきになるにつれ、声変わりを契機に疑問を持たれ始めれば、あっという間に三条緋路は男だとバレて三条家内の不和を招く。そもそも、彼の生まれた意味は、女児が生まれるまでの間の繋ぎであり一時的な安定剤だった。
彼自身も、自身の末路を感じ取っていたのだろう。
血で塗れてしまった袖袋には、一枚のモノクロ写真が入っており、満面の笑みを浮かべたロザリー・フォン・マージラインが映っていた。
「簡単な推理だよ、助手くん」
自身を『ミス・ルミナティ』と呼べと言ってくる名探偵は、鹿撃ち帽で顔を隠し椅子を揺らしながらささやいた。
「死臭を帯びた人間は、最期に美しいモノを見に行くのさ。
君があの子に懸想していたのは知っていたから……日向に咲く綺麗な花を覗きに行ったんだろうと思ったんだよ」
ロザリーは、ヒロのことを知らなかった。
彼がどこで彼女と巡り逢い、どのようにして言葉を交わしたのかはわからない。ただ、『遊び人』と称された彼が足繁く通ったという遊郭に足を運んでみれば、張見世の女郎たちはからかうように声を投げかけてきた。
「また、お茶飲みに来たのヒロさん」
なんとなく、彼が仕掛けた絡繰が視えてくる。
仮にも三条家の、しかも男である自分が、マージライン家のお嬢様に堂々と近づいたらどうなるか……物陰から彼女を窺うだけでも神経を使ったヒロは、遊郭に通う遊び人を装って、まかり間違ってもロザリーに迷惑がかからないようにしたのだろう。
上手い意識逸らしだ。
彼の策は見事にハマって、誰も、彼がロザリーに抱いた気持ちを知らなかった。
後世、遊び人と蔑まれることはわかっていたであろうに、彼は好きな女性を見守るためだけに自身の栄誉も面目も捨て去ってみせた。
七椿討伐に赴いた義勇兵の志願理由は、殆どが家族や恋人を護るためだという。
きっと、三条緋路も。
どうせ、死ぬのであれば……大切な人を護るために戦って死にたかったのだろう。万が一にも、日向に咲く美しい花が理不尽に踏みつけにされないように。
「…………」
この肉体が持つ記憶が蘇る。
書生服を着た彼が、物陰から彼女を見守る姿が。
いずれ、美しい彼女は、自身の視界から外れ自分ではない誰かと幸せになるのだろう。もし、その幸福な未来に影を差す者がいるとすれば……きっと、三条緋路は、その障害を打ち壊そうとした筈だ。
なんとなくわかる。
俺がこの時代の七椿の権能を用いて、未来に帰ったとしたら、この肢体は屍体へと戻ってしまうことを。
この肉体からは、既に三条緋路は感じられない。
俺とアルスハリヤのように、彼と軽口を交わすことが出来たりはしない。俺がやって来るのが、一歩、遅かった。この肉体からは彼の魔力という魔力は失われ、魂と呼ばれるモノも抜け落ちてしまっているのだ。
「…………」
余程、大切だったのだろう。
美しく綺麗に保管されていたその写真は、折り目ひとつなく、ロザリー・フォン・マージラインの美しい笑顔は幸福な未来を象徴していた。
三条緋路のような人間が、あの負け戦で何人死んだのか。
魔導触媒器がない時代に、日本刀を持たされて魔力の塊である魔人に突撃させられ、彼ら彼女らは何を想って死んでいったのか。
「…………」
三条緋路の裡には、凪のように安らいだ心があった。
魔人と化した俺とは正反対の心中……写真を見つめる彼の眼差しには、ただ、陽だまりに映る彼女への想いだけがあった。
三条名無し。
一輪の花のために、名を失った男。
「……借りるぜ、この身体」
俺は、彼のために立てた無名の墓にロザリーの写真を供える。
「後は任せろ」
この時代で、俺が為すべきことがわかった。
為すべきことを為して、元の時代に戻るには何をすれば良いのか。
そのためには万鏡の七椿と接触する必要があり、有難いことに、このままルミナティ・レーン・リーデヴェルトと共にいれば運命は俺たちをかち合わせる。
ただし、俺は、歴史を捻じ曲げる。
正史では三条緋路とルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、万鏡の七椿に付いたらしいが……そんなことは、俺が赦さない。当時の彼らがなにを考えたのかは知らないが、俺は、三条緋路の想いを刃に乗せるだけだ。
本来であれば、百合を護る者として許されざることだ。
この世界の女性に想いを寄せる男のために戦ってやろうなんて……だが、ヒロは自ずから身を引いて、ロザリーが幸福になる道を選び、結果として百合の花を咲かせようとしていた。
見上げた心意気だ、気に入った。
百合ゲー世界で、男の味方をするのはコレが最後だ。
三条緋路の肉体を借りた俺は、来るべき七椿との決戦に備えて、体力と筋力と魔力を鍛え始めることにした。
鍛え始めてわかった。
三条燈色の肉体、そして、認めたくはないがアルスハリヤの補助は戦闘能力に換算してみれば優秀だった。
言っては悪いが、三条緋路の肉体は燈色と比べれば虚弱だ。
刀の振り方と組み討ちは、師匠に死ぬ寸前まで叩き込まれたから再現するのは容易かったが、如何せん、基礎となる体力がないので直ぐに限界を迎えて気を失ってしまった。
元々、燈色は体力の基礎能力値に強みがあるキャラクターだ……体感的には、三条緋路は知性と敏捷に重きを置いており、ソレ以外の能力値は燈色よりも数段は劣る。
その上、この時代には魔導触媒器が存在しない。
そもそも、107年後には巷に溢れている魔法士は珍しく、魔導触媒器が自動で行っていた魔術演算子の操作が行えず、魔法陣(陣形で表現された入力信号)の形成も手作りする他ない。
所謂、古流魔法と呼ばれるものだ。
ロザリーに仕えていた龍人も、小瓶に収めていた魔術演算子を活性化させる粉末を用いて魔法陣を形成していた(性質的には、委員長が使っていた『妖精の金粉』に近いものだろう)。
魔法士が珍しいからこそ、魔人相手に日本刀で斬りかかっているのだ。
探偵業を務めるルミナティは、魔導書の養殖を始める前の資金稼ぎと称し、帝都で巻き起こる事件の数々に俺を巻き込んだ。
どうやら、彼女は、俺のことを体の良い戦闘員と見做しているらしい。
この時代の日本に現れる魔物は『怪異』と呼ばれており、大正政府はダンジョンをほぼ放置しているため、当然のように帝都に住む人間は襲われまくっている。
その怪異に対して、刀と六角棒で立ち向かう警邏たちは体力だけで言えばバケモノ揃いで、魔法士不足のこの時代では『動かなくなるまで物理で殴る』が正攻法らしい。
この時代、筋肉が正義ということもあり、肉盾たる男にも活躍の機会があったらしく、ゴリラとゴリラを掛け合わせたような男性の警邏たちが奇声を上げながら斬りかかっていた(この時代は、二の太刀要らずの示現流が流行りらしい)。
どうやら、七椿の出現に伴い、彼女の配下である魔物が活発化しているらしく……稼ぎ時だと言わんばかりに、自称名探偵はほんの僅かな手がかりを元に、下手人たる怪異を突き止めて俺にその始末を任せる。
正直、何度、死にかけたかわからない。
人間の命がゴミのように消費される時代なので、酷い時は通りに屍体が転がっていたりする。そんな死臭を帯びる通りの中で、けらけらと笑いながら、ハイブリッドゴリラの毛むくじゃらおじさんは『血を刃に流すと斬れやすい』と教えてくれた。
試してみて、納得がいった。確かに斬れやすい。
どうやら、コレは、血に混じっている魔力を刃に取り込んでいるようだ。たぶん、どこかの筋肉だるまが『なんか、血ぃ塗ってみたら斬れたわ(爆笑)』と言った感じで偶然編み出し、生活の知恵ならぬ戦闘の知恵として口伝されていったのだろう。
書生の姿をして、怪異を斬り殺す美少年。
ポニーテールみたいに後ろで長髪を縛った俺は、目立たないよう闇夜に怪異を始末していたせいか、血塗れ姿の目撃談が幽霊話のように広まり、図らずも『魔人』と呼称されるようになってしまった。
生きるか死ぬかの生活を送りながら、徐々に、絶望に満ちた現状が視えてくる。
①三条緋路は虚弱体質で、体力も筋力も魔力もない
②魔導触媒器は使えない
③まともに戦闘を行える味方はいない
④この時代の七椿は弱体化しておらず全盛期状態である
⑤現在、俺は、死の運命へと向かっている
おんし、死にもうしたな(笑)。
同業と五人がかりで、火車の形をした怪異をタコ殴りにした後、肩で息をしている俺はダメになった刃を見つめる。
「……勝てる気がしねぇ」
恐らく、この時代、七椿と対等に戦えるとしたらヤツしかいない。
であるならば、彼女を探して助力を頼むしかないのだろう。
封印執行者、エンシェント・エルフ、出来得る限り近づくべきではないあらゆる意味で別格の存在。
エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフト。