稀代の名探偵
鹿撃ち帽にインバネスコート。
三条緋路に気安く呼びかけてきた少女は、斜めっている木造建築物に俺のことを招き入れる。
俺と見知らぬ少女は、ギシギシと音を立てて鋭角の階段を上る。少女が六度も蹴りを入れて開ける程に、建て付けの悪い引き戸の先にある部屋に入り、陰気の籠もった空気がぶわっと流れ込んでくる。
本。
本、本、本。
重力に従って先端部がしなっている本の山が、両側から俺たちに迫っており、床に散らばった新聞紙は絨毯のようだった。
「そこ、穴が空いてるから気をつけたまえよ」
俺は、ひょいっと、床に空いている穴を避ける。
少女は雑に足でスペースを作り、座布団なのか布の塊なのかわからないモノを持たされ、俺は床に座らせられる。
ひとつだけ備わっている窓から差し込む光が、宙空のホコリを照らし、『名探偵』と描かれた紙の三角柱が立っている木製の長机を照らした。
「ようこそ」
その椅子に座った彼女は、ニコリと微笑む。
「我が探偵事務所へ」
「……あ?」
パイプを咥えた彼女は、足を組み、微笑みながら指を鳴らした。
「少年、自己紹介から始めようじゃあないか。私は、ルミナティ・レーン・リーデヴェルト。
見ての通りの――」
鹿撃ち帽に角度をつけて、彼女は片手で己の顔を覆った。
「名探偵ッ!!」
あたかも、運命に導かれるように。
いや、実際に、俺は歴史を辿らされているのかもしれず……予定調和的に『三条緋路』の前に現れたルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、ポーズを決めたまま、チラチラとこちらを窺ってくる。
ルミナティ・レーン・リーデヴェルト。
1913年(大正2年)に魔導書の養殖を始め、異界と事を構えようと画策した主戦派の筆頭として、後に魔法結社と呼ばれるようになる秘密結社を作り、各地のダンジョンに魔導書をばら撒いた愚か者。
三条名無しこと三条緋路と共に、人類の敵である万鏡の七椿の側につき、カルイザワ決戦を主導した悪逆無道として語り継がれている。
そんな彼女が、なぜ、俺の前で『名探偵ッ!!』とかアホなことを言いながらポーズを決めているのか……意味がわからなすぎて泣けてくる。
「ふふっ、どうやら、私が名探偵であるかどうか疑っているようだね」
「初対面のわけわかんねーヤツがわけわかんねーことを言い出したことに対する正常な反応を『疑い』と定義するのはやめてください」
「三条緋路」
ふふんっと、ルミナティは鹿撃ち帽を人差し指で押し上げる。
「あ、はい」
「……うん」
「…………」
「…………」
「…………」
「普通、狼狽えないッ!?」
バンッと、机を叩いた名探偵は、顔を赤くして目を潤ませる。
「ふっつー!! ふっつー、ねぇー!! びっくりするでしょー!? 『な、なぜ、僕の名前を……?』とか『どうして、ご存知なのですか!?』とか『コレが名探偵か!?』とかー!! そーゆーの!! そーゆーのあるんじゃないかなぁ!? ねぇー!! 君、私、名探偵だよ名探偵!! 感動してよ感動!!」
「感動したぁ……!!」
「そ、そうそう! それで良いんだよそれで!!」
本当にそれで良いのか……?
ごほんと咳払いをした彼女は、気を取り直したかのように足を組み直した。
「ふふーん、どうやら、私の推理力に驚きで声も出ないようだね」
「うおりゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「声を出すなぁ!! 急にすんごい声出すなぁ!!」
「……現在ので傷が開いた」
「うわぁ!? 声どころか血まで出すなぁ!!」
さっきの全力疾走で半ば傷が開いていたのか、血がだらだらと流れ始め、俺はルミナティが持ってきた包帯やらで応急処置を終える。
早くも馬脚が表れているルミナティは、ぜいぜい言いながら髪を搔き上げる。
「と、ともかく、私は天才で凄いので、君が万鏡の七椿と戦って唯一生き残った人間であると知っているんだよ」
「そっすか。
じゃ、お疲れっした」
「どわぁー!? 待て待て待て!! 導入で帰るな導入で帰るな!!」
全力で引き止められた俺は、仕方なく元の位置にまで戻る。
「わ、私の推理力によれば、君、三条家に追われているようじゃないか」
「アルコール、あと針と糸ない? 縫合したいんだけど?」
「この話が終わったら、西欧医学に精通している闇医者に連れて行ってやるから……お願いですから、話を聞いてください……」
さすがに可哀想になってきたので、俺は拝聴の姿勢に入る。
ホッと安堵の息を吐いて、格好良いポージングをしたルミナティは口を開いた。
「君を助手にしてあげようじゃないか」
「はい?」
「口を噤んで、傾聴し給えよ。
我が探偵事務所で、雇ってやると言っているのだよ。三条家に追われている君は、隠れ家と物資、そして天才的頭脳を持つ私のような名探偵の助けが必要な筈だ。三種の神器が雁首並べて手を差し伸べているとは君も幸運な男じゃないかね」
「あの」
俺は、俺たち以外にはいない事務所を眺め回す。
「偉そうに雁首並べた神器のひとつがご講釈垂れ流してくださってますが、天才的頭脳を持つ貴女のような名探偵様に他の助手はいないんですか?」
「失礼な。いるに決まっている」
そう言って、彼女は、五寸釘が全身に突き刺さった藁人形を机に置く。
「第一の助手、藁太郎だ」
続いて、彼女は、カエルのホルマリン浸けを机に引っ張り出した。
「第二の助手、カエル男爵だ」
最後に、彼女は、俺のことを指した。
「第三の助手、三条緋路だ」
「呪いの館かココは……というか、その系列に我が物顔で人様を並べるんじゃねぇよ……ホラー映画的手法で泣かせるぞ、名探偵……」
「悪いことは言わない、少年よ。
私の助手として、これから成し遂げる一大事業に参加し給え。君と私はそうなる運命なのだからね」
「……一大事業?」
ボロい事務所の中で、ずいっと、ルミナティは顔を突き出し――ささやいた。
「魔導書の」
微笑んだ彼女は、手に持った本の背表紙を叩く。
「養殖だ」
コレは――俺は、思わず、天を仰いで――マズいな。




