鏡の国のヒイロ
幾度かの攻防。
闇に呑まれた塗籠で、揺らめく灯り、密やかに人影が交錯した。
押し出されて。
俺はへし折られた光剣を再生成し、七椿はゆらゆらと袖を揺らしながら微笑んだ。
「久しいのう、三条の緋路。
よもや、あの状況下から逃げ果せているとは妾も驚きが隠せぬ……ほほっ、かような童のために生涯を懸けた愚か者が、ようもまぁ生きて妾の前に顔を出せたものじゃ」
千切れかけている腕を押さえながら、大量の汗を流した俺は微笑む。
「誰だよ、緋路って。人の顔もまともに視えねーのか、万華鏡の代わりに老眼鏡で世界を覗いてみろや。
俺は、三条燈色だ。テメェをこの世から消し去る男の名前を胸に刻んで、地獄の底への手土産にしろよ」
「三条……燈色……」
袖口で口元を隠し、くすくすと魔人は咲う。
「ほほっ、なんじゃ、ようよう視てみればアレよりも薄汚い面をしておるわ。土砂降りの中に取り残された雑巾のような相貌じゃ。年月を経た三条家の手合いは、こうも穢れ落ちるのか。
なんじゃなんじゃ、鏡を使い過ぎたのかのう……ひーふーみー……のう、三条の緋路よ、現在は何年になるのかえ?」
「4444年」
無音で。
呼び出された鏡から放たれた光線が、俺の肩を射抜き口から声が漏れる。
「妾への畏敬の念で、肩を怒らせているのはわかるがのう。ほほっ、そう緊張することはないぞよ。
血気盛んな若人へ、血抜きの御愛想じゃ」
「うるせー、ババア!! 死ね死ね死ねッ!! ばーかばーかばーか!!」
「…………」
七椿は、鏡を呼び出し光線を放って――予備動作を確認、引き金、強化投影――眼を見開いた俺は、その攻撃を掻い潜り、上段から一閃を振り下ろした。
呆気なく、その斬撃は弾かれる。
が、既に、俺はそこにはいない。
九鬼正宗を空中に取り残した俺は、幾重ものフェイントを織り交ぜて魔力を籠め、両脚を跳ね上げて足裏を七椿の顔面に叩き込んだ。
「よぉ、良い化粧じゃねぇか」
俺は、笑いながら距離を取ってささやく。
「そのムカつく顔に、足裏でメイクアップだ。喜びな、三条燈色の足跡だぜ。4444年後、テメェがくたばった後に歴史的価値が出る」
「……その口」
七椿の全身から魔力が迸り、空間上に大量の裂け目が開き、鏡が割れ落ちる音が連続して響き渡る。
「二度と回らんようにしてやろうかッ!!」
おっと。
俺は、血と汗を流しながら微笑する。
死んだかな、コレは。
迎撃の体勢を整える前に、七椿は幾重にも折り重ねた万華鏡の世界を解き放とうとし――急激に魔力が萎んだ。
「ぐっ……!!」
痛苦と歯痒さで引き攣った顔面。
わなわなと震えながら、天を仰いだ七椿の魔力は霧散していき、開いていた裂け目が瞬く間に閉じていく。
「む、虫螻どもがァ……わ、妾の魔力を抑えつけおって……リーデヴェルトのゴミ虫がァア……!!」
膝をついた七椿を見下ろし、俺は、ニヤリと笑った。
「あれあれぇ? コレって、もしかしてぇ?」
顔を歪めた七椿は、脂汗を流しながらこちらを見上げる。ニヤニヤと笑った俺は、ボキボキと拳を鳴らした。
「三条燈色くん、お得意の弱い者いじめの時間ですかぁ~?」
「ほほっ、この戯け者が。妾を誰と心得るか。
おぬし如きに手こずる妾ではな――」
七椿の顔面に、俺の握り拳がブチ込まれる。
勢いよくその全身は吹き飛び、笑いながら飛びかかった俺は、彼女の上に馬乗りになって拳を振り回し顔に叩き込む。
「無抵抗の魔人、ボコるのたっのし~!! うひょ~!! ダイレクトアタックのバーゲンセールや~!!」
「ま、待て! わ、妾は、万鏡の七――」
「うるせぇ!! 嬲り殺しだッ!!」
加速、加速、加速ッ!!
腕の付け根から指の先端まで、一気に魔力線補強。
魔力という魔力を魔人へと叩き込み、己の出血を意も介さずに活動限界まで、顔面ごとその脳を破壊するために拳を振り回し続ける。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」
ドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴォッ!!
床へとめり込んだ七椿の首が折れ、メキメキと音を立てながら割れ落ちる床板、放射状に亀裂が広がって大音響と共に落下が始まる。
床を隔てた先は。
宙。
鏡と鏡、合わせ鏡の世界。
四面を埋める大量の鏡へと、万鏡の七椿に拳を叩き込む三条燈色の姿が映り込む。
装着、引き金、射出ッ!!
腰に差していた射出操作刃弾を連続で射出し、指先でソレらを操作しながら、俺は回転する刃を踏み台として空中を跳び回る。
四方八方、挟撃斬撃、失墜必殺ッ!!
刃という刃が、魔人に襲いかかり、彼女を消し飛ばしていく。
落ちながら、堕としている。
急速な落下を続けながら、射出操作刃弾を踏みつけては跳び、死角から七椿の身体を切り飛ばす。拳による連撃で眼を潰された彼女は、反撃を返せず、失落しながら射出操作刃弾に切り刻まれる。
ココで殺る。
無茶をし過ぎた俺の右腕が根本から千切れ、修復を捨てて、攻撃に全魔力を回した俺は左腕による斬撃を優先する。
ココで、七椿を殺れば。
意識を失いかけるような激痛を笑い飛ばしながら、俺は魔人の左足を斬り落とし、次いでその心の臓に刃を突き立てた。
この先は、必要なくなる。
「…………」
だらんと。
人形のように、脱力していた七椿を視て――ぞくり――背筋が凍った。
急激に、ぐるんっと、魔人は顔を上げる。
彼女の相貌は、鏡の結晶で塗り固められており、何重にも繋がった椿の鏡華が咲き誇っていた。
「……あ?」
パリンと、眼前の七椿が割れて。
己の心臓に突き立てられた九鬼正宗を見つめた俺は、血反吐を吐き散らしながら落下し、べしゃりと水鏡の上に落ちた。
「まったく」
へし折れた首を戻しながら、七椿は双眸を歪める。
「寸でのところで鏡像と入れ替われなければ、こんな腐った雑巾如きに良いようにやられるところじゃったわ……忌まわしい忌まわしい……あの魔導書のせいで、妾は妾ではなくなってしまった……妾は、華美で完璧で煌めいていなければならぬというのに!!」
「…………」
立ち上がろうとした俺の頭を踏みつけ、ニタリと七椿は咲う。
「ほれ、妾の足跡じゃ。泣いて喜ぶがよいぞ、雑巾虫。
しかし、おぬし」
俺の胸から九鬼正宗を引き抜いた魔人は、しげしげと、血塗られた刃を視てつぶやく。
「人間ではない……この気配、アルスハリヤか……ほほっ、どのような経緯で三条の緋路に取り憑いたのかは知らぬが堕ちたものじゃのう……こんな男に縋り付いてでも、余生を啜ろうとするとは魔人の面汚しじゃ……」
脇腹に刀を突き立てられ、思わず口から苦悶が漏れる。そのか細い悲鳴を聞いた彼女は、愉しそうに咲いながら俺の全身に刃を刺した。
「で? あの魔導書はどこじゃ?」
「…………」
「大方、予想はついておる」
くるくると、両眼の鏡面上の万面鏡像を回しながら血塗れの魔人は微笑んだ。
「マージライン家の小娘じゃろう?」
「…………」
「ほほっ、おぬし、アレだけ入れ込んでおったからのう……道理で、地下天蓋の書庫を幾ら探しても見つからんわけじゃ……力を失した現在、人の世に出てはならんと己を律しておったが、現在の世の眷属は無能ばかりで使えぬ……又……」
真っ赤な口腔を開いて、七椿はニンマリと咲った。
「マージライン家の小娘で遊んでやろうか」
「…………」
刃が突き刺さったまま。
ずるり、ずるりと、立ち上がった俺は、払暁叙事を開き――
「あの子に手を出したら」
九鬼正宗から手を離し、後ろに下がった七椿を見つめる。
「殺すぞ」
「…………」
鏡の中で。
緋色の眼だけが、ぼんやりと光り輝き――目にも留まらぬ一閃。
腹を引き裂かれた俺は、無造作にその刃影を握り込み、徐々に力を籠めて光剣を砕き散らした。
静かに、俺は七椿に視線を注ぐ。
「なるほど……おぬし……過去も未来も、鏡像が視えんと思うたら……」
七椿は咲って、俺を見つめ返した。
「理の外におるな?」
不意を突いて。
最期の力を振り絞った俺は、七椿の腹に手刀を叩き込み、指先が彼女の背中から突き出た。
「魔人」
俺は、口端から血を垂らしながら笑う。
「花火は好きか?」
「……火薬の臭い」
ハッと、顔を上げた七椿は、俺から離れようとして……苦笑を浮かべ、ふわりと、五衣唐衣裳を揺らした。
「調和祭のために用意された1.5トンの火薬が、俺の布教空間に仕舞ってある……既に点火済みだ……夏の風物詩を楽しみながら、綺麗な花火と一緒に弾け散ろうぜ……聞こえるか、アルスハリヤ……リベンジマッチだ……」
血塗られた前髪の隙間から、俺は、笑顔を零れ落とした。
「あの世で決着を着けようぜ」
「死ぬるならッ!!」
七椿は叫び、眼下の水鏡に『異なる時空』が開き――
「独りで死ねッ!!」
揺らいでいるその鏡面世界に呑み込まれた俺は、笑いながら中指を立て、後ろ向きに倒れ込んだ。
「かかったな、バーカ」
「……なに?」
ぽかんとしている七椿に向かって、俺は、胸元を開いた。
「魔人見習いの俺が、布教空間から1.5トンもの火薬を出し入れ出来るわけねーだろ」
ひゅー、ひゅー、ひゅーっ!!
俺の胸元から打ち上げ花火が上がって、ぱぁんぱぁんと音を立てながら、七椿の周りで綺麗な火花を散らした。
「活用させてもらうぜ、テメェの権能。
コレが、ロザリー、ルミナティ、名無しが描いた未来への活路だ」
落下しながら、俺は、こちらを見下ろした七椿へと中指を振った。
「じゃあな、ババア。
テメェがくたばる未来で待ってろ」
「三条……」
顔面を歪めた七椿は、咆哮を上げる。
「ヒイロォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「ハッ」
俺は、鼻で笑って、鏡の国へと取り込まれる。
「憶えられたじゃねぇか」
廻転。
回転、廻天、改転。
くるくる、くるくる、万華鏡の中に入り込んだ異物のように、トロコイド曲線を描きながら俺はありとあらゆる時空を眼にしていく。
それは、かつての歴史。
人類が紡いできた鏡像の世界……俺を殺すため、人間が生存出来ない時間軸に落とそうとしている七椿の権能がアルスハリヤの干渉で歪められ……眼前が純白に染まって、急激に回転数を増していった。
白滅。
ちかっ、ちかっ、ちかっと、視界が白飛びして。
意識が――飛ぶ。
すべて、ゆっくりと、視えなくなって。
「…………っ、ぅ」
感覚が戻ってくる。
ぱちぱちと、瞬きをして、なにかが目に入って痛みを感じる。
泥だ。
跳ね跳んだ泥が、目に入った。
泥を跳ね飛ばしているのは……雨……雨だ……雨が降っている……冷たい……全身が濡れている……土砂降りだ……雨粒が全身にあたって……寒い……目に泥が入る……俺は倒れてるのか……策は成功したのか……俺は、現在、どこに……。
力が入らない。
倒れ伏したまま、体力が回復するのを待って、俺はよろけながら立ち上がり――自分が、屍体の山の上に立っていることに気付いた。
水溜まり。
血で濁った水溜まりに顔を突っ込んだ屍体が、礼賛するかのように俺の周りを取り囲み、一種の芸術めいた死者の葬列を形作っている。
死、死、死。
どこまでも広がる屍体の群れを眺め、その天辺で、雨に濡れている俺はささやいた。
「ココは……」
周囲を見回し、俺は、違和感に気付いた。
視界が高い……声が変だ……なんだ、コレ……。
己の掌を見下ろして、妙な感覚に戸惑った。着物に袴、二重廻しのマントを着ている自分に疑問を覚える。
手を、胸元へと持っていく。
べったりと真っ赤な血がついて、土砂降りであっという間に流れ落ちる。
水鏡。
水溜まりに映った俺の顔は、幾度となく雨粒に叩かれ、ぼやけてしまって視認出来そうもなかった。
一際。
強い風が吹いて、濡れた新聞紙が咄嗟に顔をかばった俺の腕に纏わりついた。
その紙面、日付の箇所が破れて、俺の掌に張り付いて――愕然とする。
右から左へと。
その文字は、書かれていた。
「なにが……どうなってんだよ……?」
日十二月六年二正大
この話にて、第十一章は終了となります。
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