鏡面世界のおひいさま
「リーデヴェルト家の小娘が」
生徒会員に手綱を握られている眷属は、ぼそりとつぶやく。
「ルミナティ・レーン・リーデヴェルトの子孫か……ふふっ、ご苦労なことで……ご先祖様が阿呆だと可哀想ねぇ……?」
しずしずと、歩く委員長は、口を開いた彼女をちらりと視た。
「その綺麗な顔で男を釣って、ご先祖様の再現をしようってわけ? まったく、リーデヴェルトの女は世渡り上手だこと」
「…………」
「ルミナティのお陰もあって、リーデヴェルト家の家名は堕ちるところまで堕ちた。魔導書によるダンジョンの汚染を行ったテロリスト、魔人に味方した悪逆無道の魔法士、地位名声に縋るしかなかった哀れな女。
最期には、晒し首になって河原で干されたって可哀想よねぇ。七椿様のご寵愛を受けられなかった無能の末路っていうのは」
「…………」
「今更、リーデヴェルトの家名のために、誠心誠意を尽くすってのも阿呆がやることじゃないの? あんたの家になんの価値があるのよ?」
眷属を黙らせようと、フレアは一歩前に出て――
「……リーデヴェルト家なんて」
委員長の声を聞いて足を止めた。
「リーデヴェルト家なんてどうでもいい」
「……は?」
無表情。
能面のように表情を失った彼女は、ゆっくりとささやく。
「私には、私の重んじる正義があります。幼き頃から培われたソレは、私を中心として正義と悪の境界を生み出し、私という明確な基準をもって区分を行ってきました。他者から視れば不明確なその区分分けは、非科学的な命題をつけるならば『勘』と呼ばれるものでしょう。
以上、踏まえて、私の正義が言っている」
クロエ・レーン・リーデヴェルトは、黒髪をなびかせて言った。
「ルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、己のために魔導書を生み出したのではない」
「な、なにを言っ――」
「その実証実験のために、10年ほど費やしているのですが……このようなことを口にしても、出資者が現れるわけもないので、家名のため健気に自助努力を続ける真面目な少女を気取っていたりします」
愕然とする眷属の前で、目を細めた委員長は、自身の唇の前に人差し指を立てた。
「どうぞ、内密に」
「…………」
「残念」
苦笑して、俺は、眷属の肩を叩いた。
「口喧嘩売る相手を間違えたな」
「ば、バカじゃないの……勘で10年もダンジョンに潜り続けて……ルミナティ・レーン・リーデヴェルトが世間の評価通りの極悪人だったらどうするのよ……?」
「手紙があります」
スカートの前で、綺麗に両手を合わせた委員長はささやく。
「ルミナティ・レーン・リーデヴェルトの遺書です。死の運命を垣間見ていた彼女は、最期に字句を手向けたわけですが……そこに、己自身のことは一行足りとも書かれていなかった」
真っ直ぐに。
彼女は、ルミナティを貶めた眷属を見つめた。
「私、委員長なので」
髪を耳にかけて、堂々と、彼女は言った。
「規律正しく、法則をもって、判決を下さないと気がすまないんです」
絶句している眷属の前で、鉄仮面をかぶり続けている彼女は、横目で俺の姿を捉える。
「それと、こちらの殿方は、顔ではなく裸体で釣りました」
「なんで、急に味方殴りつけた?」
「さいてー」
「変態」
「ゴミ」
「ホワイトリリィ・キス・マーク(笑)」
罵声を浴びせてきた眷属たちに魔導書を差し向け、散々に悲鳴を上げさせてから捕虜としての身分を教え込んでやる。
ようやく、己の立ち位置を理解したのか。
煽ることをやめた七椿派の彼女らは、ぶつぶつと文句を垂らしながらも歩き続け、ついにフレア・ビィ・ルルフレイムと愉快な仲間たちは最深部に辿り着いた。
大仰で豪奢な扉を前に、フレアは、黒砂に目線をやった。
「配置についてから、七椿の封印を解き始めろ。火力を集中させて終わらせる」
黒砂は、こくりと頷き、フレアは片手で大扉を吹き飛ばし――
「……おい」
理外の異次元を視て、汗を流した。
「なんだ、コレは?」
眼前に、『世界』が横たわっている。
歪曲している空間そのものが、円形の窓として開いて、その先に朱色の寝殿造の屋敷が寝そべっていた。
東と西と北には従者が潜む対屋が建てられ、中央の巨大な寝殿と渡殿で結ばれており、顔の視えない家人がしずしずと歩いている。
鏡。
気づけば、背後にも、同様の寝殿造の屋敷が現れている。
直衣を着た家人たちは、きらきらと輝く両眼を覗かせており、笏を片手に優美さを醸し出していた。
きら、きら、きらっと。
光が瞬く度に、円形の窓が開いて、平安時代の建造物が覗いた。
上下左右に現れた寝殿造。
四方の渡殿にぎっしりと並んだ家人たちは、しゃなりしゃなりと、袖口から出した鈴を鳴らし始めた。
しゃん、しゃん、しゃんっ。
連続的に鈴の音が響き渡り、なにかを必死に叫んでいるフレアの声は聞こえず、いつの間にか足元は水で満ちていた。
ぴちゃんと、音がした。
水面?
否、コレは、水面ではない――俺は、地面に映る己を見つめる。
水鏡だ。
眼が、覗いている。
渡殿に並び立ち、鈴を鳴らし続ける家人たちの眼が、幾重にも重なってトロコイド曲線を描いた。
きらきらと。
生み出されるは耀き華やか幾何学模様、幾何なしに繚乱映しき万華鏡、万華咲き乱れ多面に刻んだ鏡面上の万面鏡像。
俺が回転しているのか、世界が回転しているのか。
くるくると回る度に、その構造は様相を変え、スピログラフの玩具に酔いしれる。
鈴、鈴、鈴。
鈴の音が、どこからか、聞こえてくる。
顔を塗り潰された俺の鏡像が、すっと、手を伸ばしてきて――その手は、何度も何度も、近寄ったり遠ざかったりを繰り返し――掌に吸い込まれる。
布。
唐衣、裳、表衣、打衣、袿、長袴、単衣――五衣唐衣裳は、俺の頬を掠めていき、速度を上げた俺は寝殿へと吸い込まれる。
勢いよく。
眼前を塞いでいる屏風が、開いていき、くるくると回転しながら俺は奥へ奥へと招かれる。
開いて、開いて、開いて。
ぼんやりと、行灯が灯った塗籠に着地する。
光と影の只中に浮かぶ円圏素文鏡が、仔細のわからない俺の顔を映していた。
部屋の中央には、御帳台がある。
帳を下ろしたその寝所の奥で、蠢いている影がひとつあった。
静かに。
膝を立てた俺は、抜刀と同時に、その帳を斬り飛ば――鏡――飛び散った鏡片を見つめ、目を見開いた俺は、背後に立ち尽くしている彼女を視た。
宙を舞う万鏡。
秒を経るごとに、数を増していく鏡片、そのすべてにひとりの女性が映っていた。
地面に着く程にまで伸びた、射干玉色の長髪。
五衣唐衣裳を纏った妖女は、袖口で口元を覆い隠し、万華鏡と化した両眼をくるくると回していた。
その眼。
鏡面上の万面鏡像が、俺を見下ろしている。
白魚のように美しい五本の指が、眼前へと伸ばされ、鏡の割れる音と共に空間が開いた。
無音。
刀を振り切った形で、静止した俺は額から汗を流した。
どくん、どくんと。
心臓が鳴って、呼吸が止まり、耳の中で血液が流れる音がして――振り向きざまに、俺は、下段から斬りつけ――血飛沫が、吹き上がる。
赭色。
右肩から腹辺りまで引き裂かれた俺の血を浴びながら、嘲笑った彼女はささやいた。
「三条緋路」
万華鏡が――俺を捉える。
「あの魔導書はどこじゃ」
「これから死ぬヤツに」
俺は、魔力を解放し、己の絶命を間近に感じながら九鬼正宗を構える。
「教えてやっても無駄だろうがッ!!」
眼前、立ちはだかりし魔人が持つ名はひとつ。
第四柱、万鏡の七椿。




