100と7の道
マージライン家の別荘に戻ると、玄関ホールでお嬢がひとり立ち尽くしていた。
彼女の視線を辿る。
視線の先には、歴代のマージライン家を治めてきた淑女の顔が並んでいる。黄金の額縁で彩られている彼女らは、穏やかな微笑を浮かべており、確かなマージライン家の矜持が備わっていた。
「…………」
「…………」
無言で隣に並んで、同様に視線を注ぐ。
苦笑したお嬢は、横目で俺を捉えた。
「戻ってらしたのね」
「悪いね、ヒロ様とやらとすれ違いになっちゃったみたいで」
「別に専属奴隷のせいというわけでもあるまいし……あら? 貴方、なにかしらこの臭い……煙の臭い……花火……?」
くんくんと鼻を動かし、顔をしかめたお嬢に俺は苦笑いを返す。
「いや、近場でお祭りがあるらしくてさ。少し興味があったから、関係者の人に頼み込んで、花火の準備現場を見せてもらったんだよね」
「ふんっ、これだから庶民は。
わたくしのような高貴な令嬢と口を利くつもりであれば、多少、身支度を整えてくるのは最低限の礼儀というものですわ」
「仰られる通りで……で、なに視てたの?」
「わたくしの象徴ですわ」
誇らしそうに、彼女はご先祖様を見上げる。
「この御方たちが、今日までのマージライン家を形作ってきた……その感謝と敬意を忘れてはなりません。ですから、わたくし、こうして御祖母様や曽御祖母様たちを視て身を引き締めていますの」
「素晴らしい心がけで、大変感嘆いたしました」
「オーホッホッ、見習ってもよろしくてよぉ!!」
俺もお嬢に習って、端から端まで、彼女らを眺めていって――なぜか――ひとりの老婆のところで目が止まる。
優しい笑顔。
首元を首飾りで飾り付け、その眼差しは俺を捉えていた。
「…………」
「ロザリー・フォン・マージライン。
わたくしが、最も尊敬している女性ですわ。幼少の頃から『長生きは出来ない』と医師から宣告を受け、魔力欠乏症に苛まれながらも、奇跡的に欠乏症ではなく老衰でお亡くなりになられた御方ですわ」
「…………」
「ロザリー様がいなければ、今日のマージライン家はなかったと、母と父からようく聞いております。彼女はお亡くなりになられるまでの間、マージラインの家名を高めるための活動を続けましたわ。かのカルイザワ決戦で亡くなった霊を慰めるための催し、『調和祭』もロザリー様の発案だと言われておりますことよ。
ただ、残念なことに、ロザリー様はお子を残しませんでしたわ。『心に決めた人がいる』と、ご結婚はなさらなかったようで……当時の従者たちは、遊び人の男に引っ掛かったと言明しておりますの。
だから、わたくし、この世で男がいっちばん大嫌いなのですわ!!」
「…………」
「幸いなことに、わたくしとシャルは問題ありませんでしたが、お姉様には魔力欠乏症の症状が出ております。けれども、あの程度の症状で済んでいるのは、ロザリー様が治療法の確立に全身全霊を注いでくださったから。
本来であれば、マージライン家は欠乏症で滅んでいてもおかしくはなかった……文字通り、ロザリー様はマージライン家の救世主なのですわ」
「…………」
「貴方、さっきから話を聞い――」
お嬢は、ぎょっと目を剥いた。
ただ、その場に立ち尽くし、涙を流し続ける俺は一枚の写真を見つめる。
――ヒロさん
喉から漏れる嗚咽を押さえつけるため、片手で口元を覆って、意味不明の感情に動かされている己を押さえつける。
「幸せだったのか……?」
震えながら。
勝手に、俺の口はそう言った。
「あの子は……幸せだったのか……?」
「え、えぇ、御自身でお子を残しませんでしたが、姪やその子には親しまれ最期まで家族に囲まれて笑顔で逝ったと……聞いておりますわ……」
「そうか……」
俺は、涙を流しながら彼女を見上げる。
皺だらけになった彼女の目を見つめ、陽光に照らされた俺はそっとつぶやく。
「そうか……そうか……」
「あ、貴方、どうしましたの……お、おかしいですわよ……?」
急に我に返って。
涙を拭った俺は、呆然とお嬢のことを見つめた。
「いや、なんで、俺は泣いてんの……?」
「わ、わたくしが聞きたいですわ。人様のご先祖様を視て、急に泣き出されたわたくしの身にもなりなさいな。
ほ、ほら、何時までも泣いてないでお拭きなさい」
お嬢に差し出されたハンカチで、俺は、目元を拭った。
なんだ、今の……俺の感情なのか……酷く満たされた気分だ……ますます、わけがわからなくなってきた……なにが起こってる……魔人、リーデヴェルト家、マージライン家、三条家……カルイザワ決戦でなにが起きた……?
――きっと、リーデヴェルト家の問題だけでは収まりませんよ
委員長、あんたの言った通りだったよ。
最早、リーデヴェルト家の問題どころじゃない。ありとあらゆる人を巻き込んで事態は広がっていき、107年前に起こったカルイザワ決戦を起点に、多種多様な人間と意思が渦を巻いて未来に繋がろうとしている。
その未来のために、ひとつ、俺は確認しなければならないことがある。
「お嬢」
「ハンカチは、返さなくて結構ですわ。差し上げます」
「首飾りを……『耽溺のオフィーリア』を見せてくれないか」
ぎゅっと。
『耽溺のオフィーリア』を抱き締めたお嬢は、いやいやと首を振った。
「お断りいたします」
「頼む」
「…………」
「俺は」
真っ直ぐに、俺は、彼女を見つめる。
「君を護りたい」
無言で。
ぶっきらぼうに、お嬢は、俺に『耽溺のオフィーリア』を差し出した。
「ありがとう」
受け取った俺は、首飾りに付いている唯一の導体を外して魔力線を繋ぎ――ぱっと、光が点いた。
「…………」
俺は懐から『大圖書館 魔導書目録』を呼び出し、その目録を目で追いかけていって――見つけた。
驚愕で、顔を上げる。
俺の視線の先には、お嬢の父がいて、その巨大なカツラの下にある目で俺を見つめる。
「…………」
彼女は、ゆっくりと、人差し指を口にもっていく。
「くっくっく……」
俺は、思わず、笑い声を漏らす。
「あっはっは!! そういうことかよ!! よくもまぁ!! よくもまぁ、こんなこと考えつきやがる!! あっはっは!! さすがの七椿でも、コレは気づかねぇわ!! やりやがったな!! あっはっは!! 封印は成功してたのか!! ロザリー・フォン・マージライン、ルミナティ・レーン・リーデヴェルト、三条名無し!!」
大笑いしながら、俺は叫ぶ。
「あんたたちの勝ちだ!! 後は任せろ!! 俺が道を辿る!! 107年かけた魔人討伐戦!! この俺が!!」
俺は、107年前の彼女たちに誓う。
「引き受けるッ!!」
「ちょ、ちょっと、本当にどうしましたの……?」
「ありがとう、お嬢」
俺は、微笑んで、彼女の首に首飾りをかけた。
「本当に、ソレは、素敵な首飾りだよ」
「え、えぇ、知ってますわ」
推測は推測だ。
なにもかもが当たっているとは限らないし、きっと、俺の予想を超えた事態が起こる筈だ。107年を賭した『カルイザワ決戦』は未だに続いており、この現代で決着を着ける必要がある。
そして、その決着の契機は――恐らく、明日の『調和祭』。
「お嬢」
俺は、歩き出し、お嬢へと後ろ手を振った。
「ヒロ様、お祭り、楽しみにしてるってよ」
「……貴方、どこへ行くの?」
「107年後の決着へ」
ニヤリと笑って、俺は、彼女を振り返った。
「数秒前の誓いを果たしに」
改めて歩み始めた俺は、ゆっくりと、107年かけて描いた道を辿り始めた。




