マージライン家へようこそ!
34番の次元扉。
その34という数字は、大圖書館内に存在している個室番号を示していた。
34番の個室の前に足を運ぶと、ドアプレートが変形し、一匹の龍の相貌を形作ったかと思うと鍵が開いた。
どうやら、この扉自体が次元扉になっているらしい。
俺は、それとない様子で34番に入り、蜘蛛の巣とホコリだらけの通路を抜け、カルイザワの通りに出た。
「随分と便利な世の中になったものだな。そのうち、次元扉を通り抜けて、ロス市警が全裸の君を捕縛しに来るぞ」
「なんで、俺の恒常状態が全裸になってんだよ。身内の裸族は、露出癖のあるポンコツ忍者くらいだっつうの」
ヒロ様ではなく三条燈色の姿で、マージライン家の別荘にまで戻ると、事前に俺から連絡を受けていたレイたちが駆け寄ってくる。
「お兄様!」
満面の笑みで寄ってきたレイは、途中ではしたないと思ったのか、走るのをやめてとことこと近寄ってくる。
彼女はにっこりと笑って、俺の左腕を抱き寄せた。
「お仕事、お疲れ様でした。
腕、持ちます」
「いや、『鞄、持ちます』みたいなニュアンスで、腕を持って頂かなくても結構だからね。常に俺の左腕は、地球の重力と戦う働き者だからね。彼から仕事を奪うようなマネはやめて欲しいね」
「ヒイロ、ホントに鳳嬢魔法学園に居たんだね。クロエさんが嘘をつくとは思わないけど、あんまりにも急だったから少し疑っちゃった……お疲れ様」
「は、はは、ど、どうもね」
微笑むラピスの労いに、罪悪感を刺激された俺は笑みを引く付かせる。
綺麗な姿勢でこちらにやって来たスノウは、下からじとりと俺を睨みつけ、なにかを探るかのようにじーっとこちらを見つめてくる。
「本当に、トーキョーにいましたか?」
「あ、当たり前だろ。なにを言ってんだ、主人のことを疑うかこのメイドめ。お前、俺のような生来の正直者を捕まえて疑いの言葉を投げかける暇があったら、優しく微笑んで『おかえりなさい』とか言ってみ――」
「おかえりなさい」
柔らかく微笑んで、俺を見つめたメイドを前にして俺は硬直する。
「…………」
「雑魚が、二度と私に挑みかかるなよ」
ぼこ、ぼこ、俺の腹にグーパンをふたつ送ってきたメイドは、気が済んだのか、上機嫌で立ち去っていく。
その代わりに、家主のお嬢が、意気消沈した様子でとぼとぼと現れた。
「…………よく来やがりましたわね」
「やさぐれお嬢!?」
「…………歓迎いたしませんわ」
「無歓迎お嬢!?」
大きなため息を吐いて、心なしか縦ロールもぐったりとしているお嬢は、オフィリーヌの背に乗せられて別荘内へと戻っていく。
「な、なに、どうしたのアレ? 縦ロールが濡れて力が出ないの?」
「ラブラブの婚約者さんを誘惑したら、恥ずかしがっちゃって、カルイザワのホテルに一時帰宅しちゃったんだって。
もー、さっきまで大変だったの。オフィーリアさんの顔、ムンクの叫びみたいになってて、その物凄い形相で別荘内をうろうろするもんだから、映画館の絶叫上映みたいになってたんだよ」
我ながら、秀逸な言い訳を思いついたと思っていたが、想像以上にお嬢にダメージを与えてしまったらしい……次の入れ替わりのタイミングでは、ヒロ様の状態でフォローしてやらないとマズいな。
「お兄様、オフィーリアさんがご家族を紹介してくださるようですよ。
足元がふらついているご様子なので、私がご案内しますね」
「いや、別にふらついてな――」
「ふらついてますね」
有無を言わせない端正な笑みで、ずいっと、レイは俺に迫ってくる。
「ふらついてますね」
「ふ、ふらついてますね……」
「はい」
ニコニコとしているレイに腕を引っ張られ、俺はマージライン家へと入っていき……その道中、待っていたらしい月檻とエイデルガルトはこちらに視線を向けた。
月檻は頷きを返し、エイデルガルトは完璧なウィンクを送ってくる。
俺相手に弱みを見せたくはないのか、どうにか気力を持ち直したお嬢は、二階の最奥にある部屋の前に俺たちを呼び寄せた。
「オーホッホッホ!! 我がマージライン家にようこそおいでくださいましたわぁ!! 貴方のような低層に住む人間では、到底、足を踏み入れられない至高の領域を堪能し、究極の思い出のひとつとして走馬灯のプレイリストに載せてもよろしくてよ!!」
「ありがてぇ……やっぱ、お嬢はこうじゃねぇとな……涙がでらぁ……」
「ヒイロくん、オフィーリア相手にだけ涙腺バグってない?」
「まずは、我が愛しのお姉様から紹介いたしますわ!! くれぐれも!! くっれぐれぇも!! 粗相がないようにお願いいたしますわぁ!!」
「粗相するとしたら、マージライン家の方じゃない?」
「しっ!! お黙りなさい、月檻!! 失礼でしょ!!」
堂々たる姿で、お嬢はゆっくりと扉を開いていく。
開け放たれた窓と揺れるカーテン。
窓際に置かれている純白のベッドには、美しい少女が座っており、彼女の指先には一羽の小鳥が止まっていた。
室内に吹き込んだ風が、彼女の顔を撫で付ける。
室内でスタンバイしていたオーケストラが、ショパンのピアノ協奏曲第一番を奏で始め、どこからともなく入ってきた黒子がスポットライトの光度を調節した。
「やぁ、みなさん」
あたかも、王子様のように綺麗な金髪を持った彼女は、指先に止まっている小鳥型の玩具をそっとベッドに置いた。
「ボクは、レイディ・フォン・マージライン。
見ての通り」
軽やかに指先を伸ばした彼女は、うっとりとした表情で天井を見つめた。
「病弱で深窓でミステリアスな美少女さ……!」
「リタイアで」
逃げようとした月檻の肩をがっちりと掴み、俺はそっとその耳にささやく。
「マージライン家へようこそ……」
「勘弁して……」
辱めを受けた虜囚のように、死んだ眼でレイディを眺める月檻の前で、自称『病弱、深窓、ミステリアス』三点盛りでお得な彼女はささやく。
「コレはコレは、神話に出てくる女神のような女性が勢揃いだ……まるで、LouvreのMuséeに来たみたいだね。
おっと、失礼、口から少し齧ったFranceが飛び出てしまった。ふふ」
「老婆心ながら教えてあげるけど、ココは日本でフランスじゃないわ。後で日本地図を見せてあげるわね」
「エイデルガルト、収拾がつかなくなるから黙ってろ。マージライン家の紹介の間、お前は口を開かずルーヴルに飾られている『サモトラケのニケ』のように佇んでいるんだ。
わかったな、コレは、俺たちの脳を護るために必要なことなんだよ」
「忍者、承知したわ。
優秀さと美しさを併せ持つのも玉に瑕ね。監視対象の嫉妬を招いてしまうなんて……仕方ないから、そのいじらしい嫉妬心に報いてあげるわ」
「エイデルガルトちゃんは、お口も忍べないのかなぁ? うぅん?」
「おや?」
レイディは指を鳴らし、音楽が変じる。
微笑んだ彼女は、俺のことを真っ直ぐ見つめ、それから嬉しそうに口を開いた。
「来たんだね」
「……は?」
「いや、なんでもない。旧友との約束を思い出しただけだよ。ようやく、その時が来たというわけだね。ふふ。
失礼、ご令嬢。今度は、ミステリアスが零れ落ちてしまったようだ。やれやれ、病弱で深窓でミステリアスの三重苦を一身で引き受けるこのボクに、神はなにを為せと仰っているのかな」
「お姉様……おいたわしや……!!」
スポットライトを浴びたマージライン家の姉妹は、神話の再現のようにピタリと動作を止め、日光と人工光に包まれて真っ白になる。
光が強すぎてただの発光体と化したふたりを確認し、無言でサングラスを取り出したスノウはレイの両眼を保護する。
「オフィーリア、ぉお、オフィーリア!!」
「お姉様、ぁあ、お姉様!!」
「なんか、光が喋ってる……室内に湧いたホタルかな……?」
「お兄様、コレが前衛芸術というものでしょうか?」
「お前、蛍光灯に芸術性感じたことあんの?」
どんっと、物音が聞こえて。
振り返ると、1600~1700年代のフランス貴族のように、どデカいカツラをかぶった女性が、扉の隙間から充血した眼を覗かせていた。
装飾品だらけの髪の毛の塊は、最早、どちらが本体なのかわからないくらいで、年末くらいしか拝見できない怪物じみた豪奢さを誇っていた。その顔にはお嬢の面影があるものの、視線がすべて髪に吸収されるせいか、彼女の顔貌がどうなっているのかよくわからない。
「あぁ、お父様!」
「…………」
すっと。
お嬢の父は、音もなく姿を消し、ずるずるとドレスを引きずる音が遠ざかっていく。
怪物を目撃してしまったかのように、大量の汗をかいたラピスは、息を荒らげながら扉の外を確認していた。
「お母様は、海外を飛び回っておりますので……後は、妹だけですわね」
「おや、丁度、いたようだよ。
屋根の上を視てご覧」
嫌がる月檻たちを無理矢理、窓際にまで運んでいった俺は、窓から身を乗り出して屋根の上に立つ少女を見つめる。
小学生くらいの小さな女の子。
パーマをかけた金髪をもつ彼女は、背に陽光を受け、真剣な顔で真正面を見つめている。
ピンク色のフリル付きの衣装、胸元には風で揺れるリボン、ヴェールのように薄く透けている薄桃色のマント、花と翼が生えた靴を履いており、手には星と月を組み合わせたステッキが握られている。
その出で立ちは、まさしく、魔法少女そのものだった。
「…………」
ちらりと、こちらを瞥見した彼女は、ゆっくりと屋根の上から去っていく。
「「「「「…………」」」」」
絶句した面々は、無言で顔を見合わせる。
「というわけで」
そんな彼女らに、お嬢はにっこりと笑いかけた。
「見ての通り、なんの変哲もない家族ですわ」
「「「「「なにが?」」」」」
こうして、マージライン家との顔合わせも終わり、俺たちはそんな彼女らと夕食の席を同じくすることになった。