カルイザワ直通アーカイブ
「…………」
「すいませんね、服まで貸してもらっちゃって」
図書委員の中では力を持っているらしい黒砂に連れられ、司書室に招かれた俺はシャツとジーンズを着て礼を言う。
鏡中での出来事はなかったかのように、傷ひとつなく、代わりに全裸状態だった俺はようやく服を着て落ち着きを取り戻した。
服のシワを伸ばしながら、改めて、周囲を見回す。
四方を埋める本棚。
文芸、実用書、経済・経営書、絵本、児童書、学習参考書、専門書、図鑑、詩集、歴史書、哲学書、美術書、雑誌……日本十進分類法で分類されている本は、そのずっしりとした重さから叡智が伝わってくる。
仕事机には私物らしきノートと薄い本が置かれており、無造作に放置された羽ペンの横には、絡み合う蔦の装飾が施されたインク壺が置かれていた。
インク壺の中には、蒼白い燐光を纏ったインクが収められており、魔導具の類だと判断して触れるのをやめる。
銀白の天球と同期しているらしい天球儀サイズの敷設型特殊魔導触媒器が、天井から吊り下げられており、ゆっくりと自転を繰り返していた。
「司書室ってこんな感じなんだな。入室する機会なんてなかったし、なんだか興味深いよ。本、いっぱいあるし、居るだけで頭良くなりそう」
椅子の上で膝を抱えている黒砂は、既に俺から興味を失っており、人を殺せそうな厚みを持った哲学書を読んでいる。
「黒砂さん、ちょっと聞いても良いかな?」
ちらりと、彼女は、前髪で隠れていない片眼を上げる。
「なんで、大圖書館に次元扉があるの? しかも、あんな本棚の裏に……地下天蓋の書庫となにか関係があったりするのかな?」
「……近い」
「失礼」
少し、踏み込みすぎていた俺は、両手を上げて後ろに下がる。
初対面時と比べれば、多少は警戒心も薄れてきたようだが、さすがは鉄壁を誇るサブヒロインだけあって心を許してはくれないようだった(控えめに言って最高)。
「……部外者」
「俺が部外者だから教えられないってこと?」
「残念ながら、黒砂、そこの女誑しは関係者だ」
振り返る。
ワインレッドのシフォンボレロを着たフレア・ビィ・ルルフレイムは、開いた引き戸を片足と背で押さえつけ、さらりと真っ赤な髪の毛を払った。
「ひゃっはっは、久しいなぁ、三条燈色。三寮戦以来だ。
生徒会室に遊びに来いと幾度も言ったのに、低能な人間らしく遠慮なんぞして……吾のように美しい龍からの誘いはあまりに甘すぎたか?」
「甘党じゃない正直者なんでね。
どうした、生徒会長、可愛いボレロスーツなんて着て。どこぞのご令嬢みたいだぜ? これから、トカゲのお姫様でもナンパしに行くのか?」
「愛い愛い。
この吾相手にその口の利き方、ますます、魅力を増したなクソ男。たまには、敬意を払って頭を垂れてみろ」
「うい~うい~、さ~せぇ~ん」
ダブルピースして舌を突き出すと、当然のように腹を殴られ、蹲った俺の背にフレアは腰掛ける。
「黒砂、進展はあったか?」
ふるふると、黒砂は首を振る。
偉そうにマニキュアなんぞを塗っているフレアに、指先でうなじをなぞられ、俺は渾身の力で立ち上がる。
「なんだ、美人の尻に敷かれるのは苦手か?」
「亭主関白なんでね。
で、生徒会長さんよ、委員長……クロエから話は聞いてるんだろ? 生徒会主導の地下天蓋の書庫の徒歩ツアー、三食危険付き、喜んで俺も参加させてもらうぜ?」
「くっくっく、聞いてる聞いてる。だから、吾は愉しみにしていた。ルルフレイム家の面倒な周遊を放り捨てて、男の元に走るとは、なかなか吾も乙女らしいところがあるなと感心していたところだよ。
参加するのは、きみだけか? ミュール・エッセ・アイズベルトは?」
「学友引き連れて家族旅行だよ。
俺やあんたみたいに、本を相手に興奮するような癖はねーとよ」
「ひゃっはっは、確かに、幼子には早すぎる遊戯だな」
黒砂は、既に読書に戻っており、俺たちの会話には興味がないのかぺらぺらとページをめくっている。
その様子を見つめたフレアは、ぼそりとつぶやいた。
「鳳皇羣苑は許可を出したか?」
静かに、黒砂は頷いた。
鳳皇羣苑……鳳嬢魔法学園の学園長は、生徒会による地下天蓋の書庫への侵入を公に認めているらしい。
「鳳皇衆如きに横槍を入れられても面倒だからな……コレで、打てる策は打った。後は、天の配剤に任せるか。
で」
足を組んで、椅子に座ったフレアは、ふんぞり返りながら指を俺に向ける。
「きみは、カルイザワで女誑しの真っ最中じゃなかったか?」
「誑せる女がいなくて帰ってきたんだよ」
俺が机に放置していたウィッグを手に取り、人差し指でくるくると回しながら、フレアはニヤリと笑う。
「どうやら、複雑な事情をお持ちのようで」
「こっちの気持ちを汲み取るつもりがあるなら、慮って俺に傅き、靴の裏でも舐めながら茶のひとつでも入れろや」
「残念ながら、そこまで特殊な曲芸を学んだ覚えはない。
黒砂、茶」
ゆっくりと、立ち上がった黒砂は、起立したままフリーズし……苦笑したフレアは、彼女の肩を叩いて座らせ、隣接している給湯室から三人分のお茶を淹れて戻ってくる。
「財には財の向き不向きがある。
黒砂の両手は、茶を淹れるようには出来ていないからな」
「随分とお優しくなられたようで……ルルフレイム家のお嬢様は良いのかよ?」
「吾に出来ないことはない。
三条燈色、あの次元扉にはもう立ち入るなよ」
思わず、俺は硬直する。
フレアは、二本指で持った湯呑みから茶を啜り、湯気を通して俺を見つめた。
「アレは、七椿派の移動経路だ。
きみの臭いがついて、使われなくなっても困る」
「……おいおい、天下の生徒会長の口から漏れて良い言葉じゃねーぞ?」
「複雑な事情を持つのはお互い様というヤツだ。龍の頭の中を人如きが十全と理解出来てたまるか」
平然としている生徒会長の前で、俺はニヤニヤと笑う。
「困ったな、意図せず弱みを握ってしまった。鳳嬢魔法学園に出入りする魔神教を正義の生徒会が放置してると知ったらどうなっちまうのかな」
「答えを教えてやろう、どうにもならない。
賢いきみのことだから、大体の全体像は掴めてるんじゃないのか? 少なくとも、今回の地下天蓋の書庫へのピクニックの意義くらいはわかるだろ?」
思考を巡らせてから、俺は、ぼそりとつぶやいた。
「……お前ら、七椿がどこに居るのかわかってないのか?」
「おいおい」
フレアは、足を組み替えてニヤついた。
「そこまで、賢いとは聞いてないぞ」
「生憎ながら、褒め殺しは俺に通用しねーよ。この俺に、褒め殺し、ハニトラ、賄賂の類は通じないと思え」
「ココに、生徒会室で撮った生徒同士のキス写真がある」
「どうやら、この俺に賄賂は通じるようだな……なんでも言ってください」
「冗談だ」
「俺は冗談じゃない、懐に仕舞うな。死にたいのか」
無料で写真をもらった俺は、歓声を上げながら跳ね回り、興奮を収めてからゆっくりと席に座った。
「で、なんでわかった?」
「状況と情報を整理すれば、誰でもわかるだろ。
生徒会が掴んでいる情報を学園側が掴んでいないわけがない。そうなると、鳳嬢魔法学園は、七椿派が学園に出入りしていることを知りつつも黙認していたことになる。そんな状況下で、万鏡の七椿が封印されている地下天蓋の書庫に下りることが決まっていて、学園長はその行為を承認し、生徒会は手柄の横取りを恐れるかのように鳳皇衆を警戒している。
要は、ハイリスクハイリターン。鳳嬢魔法学園は万鏡の七椿をどうにかしたいが、その居所を掴めておらず、彼女が潜む場所まで七椿派に案内してもらおうと思っている。だから、七椿派を放置して泳がせている」
「黒砂」
「……ぴんぽーん」
生徒会長の指示は素直に受けるのか、可愛らしい声で正解音を鳴らした彼女は、文字を眼で追いかける作業に戻る。
「うちの生徒が、万鏡の七椿を討伐すれば学園側にも大きなメリットがある。特に、ルルフレイム家のお嬢様とか、そこらへんのビッグネームの手で討伐が成功すれば、この間の負債をまるっと回収どころか上乗せして取り戻せるわけだ。
悪いね、うちの寮長が、あんたのことをぶちのめしちゃって」
「気にするな、今まで散々、無意識にぶちのめしてきた報いだからな。
ところで、三条燈色、きみは知らないかもしれないが、うちの生徒で既に魔人の討伐に成功している英雄がいるらしいぞ……だが、なぜだろうな、まるでなかったことのようにその偉業は一部の人間にしか知られていない」
「実に興味深いね。
だが、ティータイムに相応しい話題じゃない」
俺は、椅子を引いて立ち上がる。
「三条燈色、今回の件、カルイザワとなんの関係がある?」
「俺が知りてーわ。
なんで、カルイザワと鳳嬢魔法学園の大圖書館が繋がってんだよ。地下天蓋の書庫と七椿のことを考えてみれば偶然とも思えねーし……謎が謎を呼んでるのに、名探偵が不在で謎解きが行われずに困ってる最中だ」
「人員は?」
「要らん。こっちでどうにかする。
うちには、宝くじの一等が当たる確率で有能になる忍者とチートがいるんでね」
「つまり、それ、無能だろ」
「黒砂さん、この服、ありがとね。後で洗って返すから」
「……要らない」
フレアの手からウィッグを奪い取り、俺は笑う生徒会長を残して歩き去ろうとし――
「カルイザワに帰るなら、34番の次元扉を使え。かなり古臭い代物だが、それゆえに七椿派も用いていない。
今後、移動も増えるだろうから活用しろ」
声をかけられ、俺は、歩きながら後ろ手を挙げた。
「三日後だ」
フレアは、そっと、俺の背にささやく。
「三日後に、地下天蓋の書庫に潜る。
おやつは500円まで、しっかりと」
俺は、振り向かず――飛んできた500円玉を受け取った。
「準備しておけ」
「了解、生徒会長」
俺は、指で500円玉を弾きながらその場を後にした。