普通、お風呂イベントってご褒美じゃないんですか?
「ヒロちゃんは」
背後から語りかけてくるラピスは、衣擦れの音を響かせる。
「どこの出身なの? トーキョー?」
「…………」
「トーキョーらしいよ。湾区ミナト出身だって」
「あ~、アオヤマか。あそこらへん、お嬢様でいっぱいだもんね。
鳳嬢生じゃないよね? どこの学園?」
「ラピス、質問攻めしてないで、早く脱いで入ったら? 身体、冷めるよ?」
「あ、うん」
下着姿のラピスが脱衣を再開し、俺は、慌てて目線を戻した。
目の届く範囲で服を脱ぎ始めたレイと眼が合うと、ぷいっと顔を逸らされる。
「燈色さん」
そっと、エイデルガルトは俺に耳打ちをする。
「脱ぐわよ」
「わ、わかった……」
「ヒイロくん、こっち視ないでね。
上はまぁ良いけど、下はさすがに恥ずかしいからダメ」
布と肌が擦れる音が右後ろと左後ろから聞こえ始め、俺は震える手で自分が着ているワンピースに手をかけた。
脱衣所に用意されている草籠に、エイデルガルトと月檻が脱いだ衣服が投入される。視界の端に引っ掛かっているレイが肌色に染まったのを確認し、眼を見開いた俺は背中側のファスナーに手をやった。
「……エイデルガルトさんって、着痩せするタイプ?」
「あら、急に人のことを豚扱いするのね」
「い、いや、着痩せってそこじゃなくて……む、胸……服、着てる時はシュッとしてるのに……」
パチン、と音がして、俺用の草籠に白色のブラジャーが投げ入れられる。続いて、下に身に着ける方もぱさりと置かれる。
「……お、おい」
「仕事柄、運動時に邪魔にならないように押さえつけているわ。忍者として見栄えも気にするから、日本のランジェリーショップで可愛いモノを選ぶようにしてるけれど」
「も、もしかしてレイより大きい?」
タオルで前を隠したレイは、髪を後ろで結びながら俺の背後に立ち、じーっとエイデルガルトの胸元を睨みつける。
「…………」
こくんと頷いてから、浴場へと続く扉を開き、一番乗りで去っていく。
「ヒロ」
月檻は、自分の草籠に一揃いの下着を置いた。
「寒いから、早く、脱いでくれる?」
「…………」
右と左から視線を感じながら、ワンピースのファスナーを下ろし、タオルで身を隠しながら全裸になる。
「「…………」」
「い、行きましょうか」
耳を赤くした月檻は、微かに頷き、ラピスは「わぁ」と感嘆の声を上げる。
「ヒロちゃん、肌、綺麗だね」
「あ、ありがとう……」
「行こ。
さっき、ちらっと視たけど、大浴場すごかったよ」
ラピスは、俺の手を握って歩き出し、俺はそのまま引っ張られ――ぱさりと、タオルが足元に落ちた。
「「「…………ッ!?」」」
「あ、タオル、落ちちゃっ――」
凄まじい速さで、エイデルガルトは真正面から俺を抱き締め、タオルを拾い上げた月檻が背後から俺を包み込む。
「えっ……な、なにしてるの……?」
「「「友情のハグ」」」
「は、裸で?」
「「「肌を通した交誼」」」
こちらを見つめるラピスは、笑みを引く付かせてから「さ、先に行くね……」とささやき浴場へと消えていった。
「危なかったわね」
「げ、現在進行系で緊急速報鳴り響いてるから離れてもらっていい……?」
エイデルガルトは俺から離れ、月檻は、さっと俺の身体にタオルを巻きつける。
サウナに入ったわけでもないのに、大量の汗を垂れ流した俺は、壁に両手を当ててハァハァと息を荒らげる。
「ヒーロくん、消しとくか? リムーブしとくか? 最悪のパターンで、男バレする前に必殺技使っとくか?」
「こ、この俺が、百合のことをそういう眼で捉えるわけねぇだろうが……よ、余裕だ余裕……は、肌を削れば、あの感触を消せたりしないかな……眼……眼を潰しておけば難易度がEXTREMEからVERY EASYまで下がる気がする……」
そもそも、俺が彼女たちをそういう眼で視れば、この入浴が『お嬢のため』ではなく『俺の醜い欲望のため』になってしまう……お嬢を始めとしたあの子たちを欺き、三条燈色如きの汚らしい欲望を彼女らに向けるのは許しがたい背信行為だ。死んでも償いきれない。
「限界を迎えたら、声に出して『リアルタイム・ペ○ス・リムーブ』と叫べ。
そうすれば、僕の力を貸してやろう」
「誰が叫ぶか。俺を舐めるな」
深呼吸した俺は、顔を上げて、月檻とエイデルガルトのタオルが床に落ちる。
「リアルタイム・ペ○ス・リムゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウブッ!!」
咄嗟に叫びながら反転したお陰か、どうにか致命傷は免れて、俺はタオルを巻きつけ直す月檻たちを直視せずに済んだ。
「ごめん、コレ、意外と巻くの難しいよ」
「今、燈色さん、『リアルタイム・ペ○ス・リムーブ』とか叫ばなかった?」
「そんな意味がわからんこと叫んでたまるか、気のせいだろ……もう、早く、風呂に入っちまおうぜ……とっとと、露天風呂に直行しておさらばするわ……」
既に疲れ切っている俺は、月檻とエイデルガルトを引き連れ、扉を開いて大浴場へと足を踏み入れる。
中央の大木を模した大柱……そこから八本に分かれた柱は、放射状に広がり、天窓を支えていた。天井が丸ごと天窓になっている浴場では、ぞんぶんに陽光が取り入れられ、宝石のように輝く蒼色のタイルが湯船の中でゆらめいていた。
10人は余裕で入れるであろう中風呂は、異界から温泉を引いているのか、小規模の次元扉が口内にある犬(獅子?)の像から、こんこんと湯が湧き出ているようだった。
八角形の大浴場は、一部の壁が窓となっており、その先は豊かな緑に繋がっていた。金持ちの別荘だけあって眺めは抜群であり、階段を上って二階部分に位置する露天風呂からは森林内の渓流が視えるようだった。
「……露天風呂は濁り湯か」
俺、濁り湯大好きッ!!
と言うわけで、俺は露天風呂に足を運ぶことにした。十分に風呂に入ったという証拠は見せたし、草籠に入れた俺の服は月檻とエイデルガルトに回収してもらって、俺は露天風呂からとっとと脱出することにする。
「あの」
しようとして、後ろから肩を掴まれる。
振り向くと、ポニーテール姿のレイが、じっと俺を見つめていた。
「タオルをとって、裸身を見せて頂けませんか?」
「えっ……」
真剣な顔で、彼女は、俺の腰元を見つめる。
「確かめたいことがあります……前に一緒に温泉に入った時に視た兄の身体と……共通点が多すぎるような……いえ、あの、タオルをとってもよろしいですか……?」
「あ、ご、ごめんなさい、あの、恥ずかしいから」
「なら、私も見せます」
止める間もなく、レイは、自分を覆っていたタオルを取り去る。
「よろしいですか?」
「よ、よろしくないです……」
ぐいぐいと、レイは俺のタオルの端を引っ張り始める。
月檻とエイデルガルトに助けを求めようとするものの、既に俺が露天風呂へ向かったと思っている彼女らは視界から消えており、死角になっているこの場所に助けに来てくれるわけもなかった。
「私の考えが正しければ、お兄様にはお兄様の証がある筈です! 遠縁なので、もし、貴女がお兄様であっても! 特に問題になりません!!」
「全部!! 全部、見えちゃうからタオル巻いてくれませんかぁ!? まず、裸を恥ずかしがるところから始めませんか!?」
「遠縁だから恥ずかしくありません!!」
「遠縁って言っておけば、なんでも許されると思ってるフシがありません!? 遠縁を特殊能力者みたいに捉えてません!? ねぇ!?」
顔を真っ赤にして、レイは俺のタオルを引っ張り続け、ついにタオルが下から捲れ上がり――太ももの付け根付近まで露わになる。
「あ、あれ……?」
しかし、そこには、レイが言っていたお兄様の証は存在しない。
顔を赤くしたレイは全身を隠し、深々と頭を下げてから懇切丁寧な謝罪をして、とぼとぼと歩き去っていった。
「リアルタイム・ペ○ス・リムーブ……」
俺の影から現れたアルスハリヤは、ニヤリと笑いながらささやいた。
「どうやら、上手くいったようだな」
「この場面で、成功させちゃうのかよ……話半分で聞いてたわ……」
「おいおい、この僕を舐めるなよ。コレくらいは自由自在、縦横無尽、融通無碍といった具合だよ。
試しに1から100まで数えて視給え」
「え? なにすんの?」
「奇数の時にち○ぽを外し、偶数の時にち○ぽを着ける」
「奇数の時に蘇生し、偶数の時に殺すよ?」
ニヤニヤと笑いながら、アルスハリヤは、指で俺のタオルの端をひらひらとさせる。
「ただね、ヒーロくん、慈愛あふれる魔人からのご忠告だが……細心の注意を払って、その短いスカートを死守するんだね。先程はほんの数瞬だったから問題にならなかったが、なにも着いていない状態をじっくりと視られたら、君の正体どころか魔人であることも白日の下に晒されるぞ?」
「へいへい、気をつけますよ」
疲れ果てた俺は、露天風呂に続く階段を上がって……少女の姿を捉える。
バラの花が浮かんだ濁り湯の中心で、金髪の美少女が、濡れた前髪越しにじっとこちらを見つめていた。
黄金の滝のように肩を流れ落ちる長髪は、艶やかで美しく、桃色に染まった肌は瑞々しさを表していた。伏せた両眼の睫毛に付いた水滴は、宝石のようにきらめいており、ぽろりと落ちたソレは肩から腕を伝って湯に落ちる。
両手ですくったお湯に浮かんだ赤い花びらを花束に見立て、微笑んだ彼女は、ゆっくりと俺に差し出す。
「お待ちしておりましたわ」
「……どなた?」
水音を立てながら、お嬢は、そっぽを向く。
「……貴女のオフィーリアです」
縦ロールじゃないからわからなかった……お嬢って、髪を下ろすと、そこらの美少女に堕ちるからな……。
「あの」
露天風呂の縁に身を預けたお嬢は、上目遣いで俺を窺う。
「我慢……なさらないで……」
「い、いや、あの……」
しどろもどろしていると、急に、お嬢は腕の間に顔を突っ込み動かなくなる。
「…………」
「あれ? オフィーリアさん?」
「…………」
「オフィーリアさん!? えっ、ちょっ、お嬢!? 月檻、月檻、月檻ッ!! お嬢、のぼせた!! バラ浮かべて調子こいてたら、待ち人来た瞬間にのぼせちゃった!!」
慌てて、俺は月檻を呼び、目を回しているお嬢は月檻たちに回収されていく。
その隙を視て、俺は露天風呂から脱出し、タオルを巻いたまま庭を疾走して着替えが隠してある岩場にまでやって来る。
「…………ないんだが」
だが、そこに着替えを隠している場所を示す目印がなかった。
いや、もしかしたら目印はあるのかもしれないが、ソレはエイデルガルトにしかわからないもので、俺には伝わらない類のものなのかもしれない。
どちらにせよ、俺は着替えを見つけられず、タオル一枚で大自然の中に取り残される。
「……全裸ダッシュか?」
覚悟を決めようとした瞬間、どこからか声が聞こえてくる。
「…………っ!」
なんとなく。
その声が気になった俺は、ゆっくりと、森林の奥へと進んでいった。