お嬢案内
吹き抜けから、差し込む陽光。
白色を基調としたロビーは、天井が高いこともあって開放感があり、取り揃えられている調度品は自然色と合わせられていた。敷地が広いこともあって、他者の視線を気にせずに済むのか、ガラス張りの出入り口からは豊かな緑が視える。
ロビーに勢揃いしている従者たち……その大半は半人半魔であり、忠誠を誓うかのようにお辞儀している。
「こちらがロビーですわ。
屋敷内は部屋ごとに設置されている敷設型特殊魔導触媒器で同期されており、皆様の魔導触媒器を登録しておけば、各部屋と従者たちに直接命を下すことが出来ますの」
そう言って、お嬢は制御用の小導体が付いた耽溺のオフィーリアに魔力を流し、照明を付けたり消したりして見せた後で、ひとりでに開いた天窓から光を浴びてにっこりと笑った。
口を開いていないにも関わらず、寄ってきたメイドが、彼女に紅茶を差し出す。お嬢は、優雅に小指を一本立ててソレを啜り、顔をしかめた後に砂糖をドボドボと入れてから飲み干した。
「このように、自由自在ですわ。客人の皆様にも、登録認証済みの小導体をお配りしますので御活用頂いて結構。おほほ、オフィーリア家のおもてなしの心、存分に味わって頂いてよろしくてよ?
も、もももももちろん、ヒロ様は家族同然ですので!? お、おもてなしどころか、あの、アレですわ!? わ、我が!! 我が家のようにお寛ぎ頂ければ嬉しいですわぁ!!」
「ありがとう、オフィーリア」
俺は、微笑んで、彼女の手をそっと握る。
「あなたの気持ち、とっても嬉しい」
「め、めめめめめめめめ滅相!! 滅相ですわ!!」
お嬢、そこは『滅相もない』だ。滅相だけだと消滅するみたいな意味になるぞ。急に自爆するのはやめろ。
俺が喋るようになってから、まともに目も合わせられなくなったお嬢は、両腕を組んで顔を真っ赤にしていた。
「ドゥエ!! ドゥエでは!! チュギィニィ!! つぎに、外をアナァイ!! アンナァイしますわぁ!!」
言語すら危うくなってきたな……。
心配になるくらいに震えているお嬢は、勢いよく自分の手を俺の両手から引き抜き、物凄い速さで歩き始める。
ニコニコとしながら、俺も歩き出すと月檻が寄ってくる。
「……女誑し」
「……俺が好きでやってると思うか」
従者の身分で家主直々の案内を受けるわけにはいかないと、お嬢の屋敷案内を固辞したスノウを除き、俺、月檻、ラピス、レイの四人は、お嬢の後を付いて広大な別荘地内を歩く。
「……で、これからどうするの?」
月檻の吐息がかかり、俺は耳を擦りながら離れる。
彼女は、微笑み、適切な距離を取ってから同じ質問を繰り返した。
「……お嬢の夏休みを完遂させる」
「……オフィーリアと結婚するってこと?」
「……バカ、あの子は、昔の俺のことを女の子だと思ってたんだよ。結婚なんてしちまったら、直ぐに男だとバレることになるだろ」
「……良い思い出で終わらせるわけだ」
そっと、月檻は離れてから、こちらを窺っているラピスとレイを瞥見する。
「それじゃあ、これからよろしく」
「えぇ、よろしく」
月檻と交代するような形で、ラピスとレイがこちらにやって来る。
「あの、こんにちは。さっきはごめんね、急にヒイロには婚約者がいるなんて言い出したりして。
わたし、ラピス・クルエ・ラ・ルーメット」
「三条黎です」
にっこりと笑ったレイは、オリエンテーション合宿中に撮ったと思われる俺と自分が同じベッドで寝ている画像を見せてくる。
「兄です」
「レ、レイ、そういうのやめなさいって! この子は、ヒイロとはなんの関係もないんだから!」
「いえ、なにか、どことなく」
笑みを浮かべたまま、レイは剣呑な気配を漂わせる。
「この方から、お兄様の気配を感じます」
「あ、あはは、気のせいじゃないでしょうか? ヒイロという名前には、聞き覚えすらありませんから」
わ、我が妹ながら危険だ……三条の血が知らせているのか、既に俺の正体に一歩迫ってやがる……!!
「わたしはヒロ。ただのヒロです。好きに呼んでくださいね」
「……ヒロ」
俺を睨みつけたレイは、冷徹さすら感じさせる眼差しで俺を見分し、冷たい微笑を浮かべる。
「仲良くするつもりはありませんので」
黒い長髪をなびかせて、ツカツカと歩き出した彼女は、ラピスの制止も聞かず月檻の隣に並んだ。
「ご、ごめんね、あの子、人見知りだから。わたしたちとも仲良くなるまで、それなりに時間がかかったし、たぶん、ヒイロがいなかったら喋りもしなかったと思う」
「随分とヒイロさんという御人は慕われてるんですね? どのような御方なんですか?」
頬を染めたラピスは、俺を上目遣いで見つめる。
彼女は小さな画面を開き、ピースをしている自分と眠そうに歩いている俺の姿が映った写真を見せてくる。
インカメラで撮ったモノで、所謂、自撮りというものだろうが……学園を歩いている俺は、カメラに気づいている素振りを見せていないし、そもそも撮られた記憶がないので隠し撮りなのだろう。
「こ、この人……」
「あ、あの、なんか遠いですし、その、指で顔を隠されては視えないんですが……?」
さっと、画面を消したラピスは、小さな声でささやく。
「か、格好いいよ……」
「え?」
髪を掻き上げたラピスは、そっぽを向き、真っ赤になった耳を露出させる。
「す、すごく格好いい……だから、見せたくない……」
こひゅっ、と、俺の喉から空気が漏れる。
俺の愛する百合ゲーのヒロインが、クソ男を『格好いい』と形容したことに対し、致命傷を負った心が痛み始めた。
言及しないのもおかしいと思って、聞いてみただけなのに……なんで、無用な重傷を負っているんだ俺は……好敵手だから褒めてるだけなんだよな、ラピス……そうだろ、そう言ってくれよなラピス……?
「そ、そうでしょうか? 一瞬だけ御尊顔が視えましたが、ぬぼーっとした間抜け面で、キモオタフェイス丸出しの下劣クソ野郎のように思えましたが?」
「はぁ!?」
今にも掴みかからんばかりの勢いで、ラピスは画面を呼び出し、俺の顔面を思い切り拡大して見せつけてくる。
「格好いいでしょ!? ちゃんと視た!? ちゃんと視てよ、ほら!? 確かに、眠そうな時は、浜に打ち上がってる腐った魚みたいな目してるけど!? 顔、綺麗だし、わたしが結婚すると思い込んで止めに来た時なんて、まるで王子様みた――」
唖然と彼女を見つめていると、カーッと、ラピスは首筋まで真っ赤にする。
「…………っ!!」
左手で顔を隠したラピスは、右手で俺の肩を撫でるように殴りつける。
「あ、あの?」
「………………よ、よろしく」
俯いた彼女は、早歩きになって徐々に速度を上げ、ひとりだけ別方向へと走り去っていった。
「……悪魔に魂を売ってでも好感度を下げたい」
「力が欲し――」
自動でポップアップした広告の悪魔を拳で消した俺は、こめかみを押さえながら、庭というよりは森林となっている別荘地を進む。
別荘地内には渓流まで存在しており、追いついた時には、月檻とレイが素足を川に入れて遊んでいた。後から合流したラピスも加わり、きゃっきゃうふふと遊ぶ三人を視て、俺は思わずニチャァと笑う。
数分、経ってから、ようやく俺は違和感に気づいた。
「あの、オフィーリアは?」
「『ヒロ様には、最高級の夕食を味わって頂かなくてはーっ!! シェフをお呼びなさいーっ!!』とか叫びながら、急に走り去って行った。
直ぐに戻るから、ココで遊んでてだって」
「あぁ、そうですか」
まぁ、お嬢らしいと言えばお嬢らしい。久方ぶりに、俺も、百合成分を口と眼と肌で存分に味わわせて頂こうか。
良い画角を探そうと岩場を登っていった俺は、唐突に後ろから引っ張られる。振り向くと、オフィリーヌが俺の袖を咥えていた。
俺は、微笑みながら、犬の頭を優しく撫で付け――その眼を視て察した。
駆け出した大型犬を追いかけ、樹木の間を疾走した俺は、スカートをはためかせながら壁を蹴り上げ登り上がる。
玄関門の外。
買い出しに行くらしい従者たちに、腰に手を当て指示を出すお嬢を窺っているふたつの人影……姿勢を低くして別荘地を囲む壁上を駆け抜けた俺は、音もなく着地し、彼女らの背後に忍び寄る。
「ごきげんよう」
声をかけた瞬間、ふたりの魔法士はびくりと身動ぎし――魔導触媒器を引き抜いて――敵意があることを確認した俺は、スカートの両端を持ち上げてお辞儀をした。
「貴女たちが誰なのかは、後で教えてもらうこととして……ちょうど良かった」
スカートの中から、濃霧が吹き出し、姿を消した俺は笑みを浮かべる。
「夏休みの絵日記の題材に困ってたとこだよ」
頬を掠めていった石礫を見送り、俺は、ゆっくりと獲物に歩み寄っていった。