百合の定義を語る時、人は獣になる
「わたしたち、従姉妹同士なの。
互いに傷がないか確認し合っていただけよ」
エイデルガルトの嘘八百を信じたわけではないだろうが、お嬢はソレ以上の詮索を行おうとはしなかった。
きっと、彼女は、婚約者であるヒロ様に嫌われたくないのだろう……しかし、気にかかるのは、お嬢の婚約者が三条燈色だということだ。
俺の裡に、三条燈色の記憶は存在していない。
そのため、三条燈色が過去にお嬢と接触しており、彼女を厚遇していたという可能性も十分に有り得る。だが、俺の知る限り、オフィーリア・フォン・マージラインと三条燈色が婚約者同士なんていうクソ設定は存在していない。
オフィーリア・フォン・マージラインは人気キャラクターだ。
『Everything for the Score』という百合ゲーのサブヒロインに対して、わざわざ、嫌われ者のクズ男が婚約者であるなんて設定を付けたりするだろうか……それに、『耽溺のオフィーリア』が婚約者からの贈り物だというお嬢の談も、プレイヤーに開示されていなかった情報だ。
もちろん、この闇鍋百合ゲーのことだから、とんでもない裏設定を開発者がもっていたという可能性も十分あるが……どうにも気にかかる。
「……エイデルガルト、少し探ってくれないか」
「なにを?」
「オフィーリア・フォン・マージラインとその婚約者のこと」
「どうやら、燈色さんは誤解しているようね」
俺とエイデルガルトに与えられた和室の中で、お嬢を上手く騙くらかした美少女忍者はささやいた。
「わたしは、三条華扇に雇われた忍よ。三条燈色派であることは間違いないけれど、わたしの任務は貴方の動向を探ることであり、女装が異常な程に似合う少年の小間使いになることではないわ」
「いや、でも、俺の後をこそこそ尾けてるよりも、お嬢の隠された情報を暴いた方が忍者っぽくない?」
「確かにそうね、引き受けるわ」
「…………」
もう、なんも言えねぇ。
こうして、エイデルガルトは堂々とお嬢の後を尾けることになり、お嬢の誤解と俺の呪いを解くのに一役買ってくれるようだった。
しかし、コレ、俺がお嬢に呪いを移したことになるんだろうか……罪悪感を覚えずにはいられないが、お嬢としても、俺の周りをエイデルガルトが彷徨くよりかはマシだろう。
画面を呼び出した俺は、協力者を呼び出し、和室の襖を開けて彼女がやって来る。
「……意味がわかんない」
俺から事情を聞いた主人公はため息を吐き、お嬢を監視するために出て行ったエイデルガルトの行く先に親指を向けた。
「あんなに堂々としてるストーカー、初めて視たけど?」
「珍しいだろ、目に視える呪いだぜ?」
俺は、ウィッグを外し、地毛を掻き回しながらあぐらをかく。無言で、月檻は、俺のスカートの乱れを直してくれた。
「で、ヒイロくんは、一体、何人の婚約者がいるの?」
「それね、俺が神に投げかけたい質問第二位」
「第一位は?」
「『最期に言い遺すことはあるか?』」
俺の髪を撫で付けながら、月檻は「うーん」と唸る。
「それで、急遽、トーキョーに引き返したことにして欲しいって? この夏休み、その姿のまま、海に行ったり花火したりひと夏の恋したりするの?」
「さすがに、頻繁に男装と女装を切り替えるのはボロが出るしな……幼少期以来に、ようやく最愛の婚約者と再会出来たお嬢の気持ちを考えてみると……せめて、この夏休みくらいは、この姿の三条燈色と過ごさせてやりたい。
だから、万が一にも正体が露見しないように、俺の女装姿を一度視てる月檻以外には俺の正体を隠しておきたいんだよ」
俺の頭にウィッグを被せた月檻は、丹念に位置を調節しながら口を開く。
「いや、それは無理があるかな。
現在でさえ、あの三人は大暴走状態でトーキョーに戻る宣言してるのに。何らかの理由付けがないと、納得出来ないんじゃない?」
「……いや、理由付けなら出来る」
俺の顔を下から覗き込んだ月檻は、髪を耳にかけてから微笑む。
「わかった、ヒイロくんの味方してあげる」
「月檻!! やっぱり、月檻!! 月檻、月檻!! 月檻、わっしょい、月檻!!」
よしよしと、感極まった俺の頭を撫でながら、彼女は小首を傾げる。
「でも、声はどうするの? このまま、通訳ありきでいくつもり?」
「いや、手はある。
ちょっと、外に出ててくれないか?」
素直に月檻は立ち上がり、襖を開けて外に出る。
部屋にひとりになった俺は、九鬼正宗の引き金を引いた。
魔導触媒器と大圖書館を同期していれば、鳳嬢魔法学園生は一部の電子書籍を自由に閲覧出来る。
画面に医学書と音の性質をまとめた専門書を投影させた俺は、深呼吸を繰り返しながら喉に意識を集中させ、外部魔力を取り込みながら徐々に変化させていく。
声帯を作り変えながら振動数を調節していき高音域へ、声道の長さを14cm程度に調節し、画面上で購入したソフトウェアを基に共鳴周波数やらピッチやらメルケプストラムやらのパラメーターを調整する。
「あーあーあー」
「そんなものだな。良い感じだ」
第三者に発声を聞かせて最終調整を行う。
イヤホンマイクを使ってのパラメーター調節だったので、前回と比べればかなり質が悪くなっているとは思うが……少なくとも、女声にはなっている筈だ。
「君は、なんとも器用な男だな。花丸をくれてやろう」
「劉にやられた傷を完治させるのに、何回、試行錯誤したと思ってんだ……一時期、俺の右腕、左腕よりもかなり長くなってたりしたからな?」
就寝前の実験と題して、肉体の各種部分を弄っていた時、興味本位で喉を変えたりもしてたからな……魔人の肉体変化は便利ではあるものの、基の肉体に戻れなくなる危険性もあるため、別人に変わるレベルの肉体構造変化を行ったことはないが。
「月檻、入っても良いぞ」
「……なにそれ、どうやったの?」
目を丸くしている月檻の前で、俺は肩を竦める。
「魔法だよ、前回と同じだ。
概念構造の新技術が使われてるから、企業秘密ってやつで詳細は話せないけどな」
「さすが、新技術……前よりも、声が可愛い……」
「…………」
「君は、何時も何時も、自分の願ってないところで奇跡ばかり起こすな」
ニヤニヤと嗤っている魔人に、こっそりと中指を立てる。続けて画面を呼び出し、チャット相手に了承をもらってから頷いた。
「月檻、ラピスたちを呼んできてくれないか」
「可愛い……」
「う、うん、わかったから……呼んできて……?」
どことなくそわつきながら退室した月檻は、憤懣遣る方無いといった様子のラピス、レイ、スノウを連れてくる。
「だから!!
ヒイロは、絶対になにかトラブルに巻き込まれ――」
そして、ぴたりと、その憤怒が収まった。
綺麗に正座した俺は、顔を上げ、彼女らに微笑みかける。
「こんにちは」
「「「…………」」」
無言で、襖が閉まる。
なにやら、話し合う声が聞こえてきて、また襖が開いた。
「落ち着いて聞いて欲しいんだけど、ヒイロにはもう婚約者がいるの」
「残念だとは思いますが、ただならぬ関係の遠縁の……妹(小声)……もいるので、諦めた方がよろしいかと」
「どうも、婚約者です。世界で一番可愛いメイドです。三条の燈色とは、この間、熱烈な接吻を交わし合った仲です」
お前ら、俺をなんだと思ってんの……?
「いや、だから、この子はオフィーリアの婚約者だって」
「で、でも、こういう急に出てくる美少女って……ねぇ……?」
「は、はい、お兄様関係じゃないんですか……?」
月檻のフォローが入った直後、頬を染めたラピスとレイは、俺の方をちらちらと視ながら耳打ちし合う。
「それで、常に美少女を傍に侍らせている浮気オリンピック金メダリストはどこに?」
『三条さんなら、表彰台ではなく鳳嬢魔法学園ですよ』
浮気オリンピック金メダリスト=三条燈色と訳した委員長ことクロエ・レーン・リーデヴェルトは、画面上でそうささやいた。
「浮――」
『浮気ではありません。三条さんと私は、ふしだらな関係性にありません。今後、一切、そういった間柄に成り得ることもありません』
「不――」
『不倫でもありません。貴女と三条さんは婚姻を結んではおらず、配偶者の不貞と見做されることはありません。そもそも、私と三条さんの間に、肉体的接触を行った事実はありません』
冷静に切り返した委員長は、咳払いをしてから続ける。
『皆様の大事な三条さんをお借りしている現況ではありますが、鳳嬢魔法学園の一大事、火急の案件であり重要事ゆえに御納得を。本件は極秘裏に行われている要件であり、情報開示請求を認可された人物にしか詳細はお話できません』
レイとスノウの視線を受け、ラピスはふるふると首を振った。
「クロエさんに、こんな嘘をつくメリットがあるとは思えない。ヒイロから頼まれても、余程の理由がなければ引き受けないんじゃないかな」
悪いな、ラピス、その余程な理由があるんだ。
『夏の間の長期任務となりますので、そちらの別荘地と学園を行き来することになるとは思いますが、トーキョーに滞在し続けるわけではありません。ご安心ください。
なにぶん、急な話だったので、連絡が遅れてしまい申し訳ございません。三条さんからも、後で連絡を入れるように話しておきます』
「そうですか、良かった……お兄様は無事なんですね……」
ホッと、レイは安堵の息を吐いた。
コレで、三条燈色とヒロ様が、同時に存在していない理由付けが出来た……同一人物だと疑われないように、上手く切り替えながら事を運ぶしかない。
当然、ヒロ様側にもこの理由付けが必要だが、ヒロ様は謎のヴェールに包まれた人物のため、それらしい嘘をつくのはそう難しくはないだろう。
お嬢の裡には、理想のヒロ様がいるわけで、それが淡い幻だったとしても……彼女が納得する夏の思い出とその別れを演出してやらなければあまりにも酷だ。
俺が立てた百合休み(夏)計画は、女性同士の関係性を一歩推し進めるためのイベントが盛りだくさんで、お嬢を主役に見据えていたこともあり、細部を調節すればこの事態にも上手く対応出来る筈だ。
俺は、自分が女の子に転生していたとしても、陰から百合を見守ることを願っていた。
俺は、百合が視たいのだ。自分自身が加わって、ゆりゆりしたいわけじゃない。
この俺にとって、百合とは――己の感覚器官を通した絶景である。
我が原初に宿るは、遠望彼方の百合百景。
心の芯に根付いたこの源を、俺は否定することは出来ない。
だからこそ、俺は、自分が百合に加わることを百合と定義することは出来ない。
だが、オフィーリア・フォン・マージラインにとって、ヒロ様はたったひとりの最愛の女性なのだ。
彼女にとって、コレは百合なのだ。
あの子が大事に抱いてきた恋心をあっさりと壊すことは出来ない。そんなことをすれば、きっと、あの子の心には二度と消えない傷が残る。
例え、事実が嘘偽りだとしても、彼女が信じ続けてくれさえすれば虚偽は真実へと至る。
ならば、俺の道理を覆してでも、俺は彼女の道理を護り続ける。
俺は、百合を護る者だ。
ならば、選ぶ道はたったのひとつ――彼女が信じた百合を護る。
俺は、覚悟を決めて顔を上げる。
この心が砕け散ろうとも、俺は――美少女を貫き通す。