目を覚まして……目を覚まして、百合殺し……!
カルイザワ 千ヶ滝西区別荘地。
浅間山を一望出来るその地には優美な森林が備わり、リゾート地としても名高く、1913(大正2)年に異界との懇親を図った宥和派によって、異界の住人を招くための緩衝地帯として総合開発が行われた。
同時期は、異界を手中に収めようとした主戦派が台頭しており、魔法士たちは『秘密結社』なる組織を作って各地でテロ行為を行っていた。
当然、宥和派が利用したこの地も狙われ、それなりの数の逸話と痕跡がそこら中に残されている。
カルイザワは、次元扉の数が多い。
次元扉は、異界と現界の事細やかで繊細な繋がりによって成り立っており、異界と現界が繋がる特定の座標でしか機能しない。ということはつまり、このカルイザワは、異界と現界の結びつきが強い地というわけだ。
当然の摂理として、行き来のしやすい場所は栄える。
このリゾート地は、異界の民を招くために開発されたもので、ルルフレイム家率いる龍人が主導したと言われる『現異条約』が成立し、宥和派も主戦派もいなくなった現在となっては、現界の住人のためではなく異界の住人のためのリゾート地と化していた。
そういうわけで、この地には、純粋な人間よりも半人半魔の方が多い。
エルフ、龍人、精霊種、半妖……彼女らは、観光客として、もしくはココに別荘を構える金持ちとして、悠々自適に石畳を闊歩しており、涼し気な森林道を散歩していた。
現異条約は、異界と現界の住人を平等に扱うために作られたもので、それは即ち、政府によって決定されるスコアが個人価値を定めることを意味している。
アオモリとかフクシマとかの田舎では、ほぼほぼ、このスコアは機能していないが、トーキョーでは、スコア0は自販機からドクター○ッパーしか買えない始末で、トーキョー 湾区ミナトではコンビニにすら入れない。
では、このカルイザワ 千ヶ滝西区別荘地はと言えば、宥和派の活動が功を奏したのか、スコア0の異界人も現界人も、まともに各種設備を楽しめないくらいに徹底している。
そもそも、スコア0と言えば貧乏人の無能確定のため、高級別荘地のカルイザワに足を踏み入れること自体が異常なわけで……低スコアが明らかである男の姿で、大通りを歩けば、犯罪者扱いされて通報されてもおかしくないレベルだ。
だから、ある意味で、俺が女装してココにやって来たことは間違いではない。
間違いではないが……間違いだった。
「…………」
目が覚める。
ぼやける視界には白い天井が映っており、目測から判明した距離から天井の高さが金持ちの家のソレだとわかった。
「…………」
だだっ広い畳敷きの和室。
その居室には、手触りで高級品だとわかるアイダーダウンの羽毛布団が敷かれており、そこに寝そべる俺はなよ竹のかぐや姫かと言わんばかりに、大量の医療用魔導触媒器で保護されていた。
「……アルスハリヤ」
どうやら、ウィッグは外されていなかったらしい。
いつの間に着替えさせられていたのか、からみ織りの着物を着せられている俺は、痛む頭を押さえて呼びかける。
「なにがどうなってこうなった?」
「かくかくしかじか」
「お前、巫山戯た真似してると、その憎たらしい顔をパンチでパンみたいにこねくりまわすよ? 俺の拳で、顔面、発酵させてやろうか?」
「おいおい、そんなこと、こんな可愛らしいお子様に聞くなよ」
ムカつくことに、俺に合わせているのか。
紫陽花柄の薄物を着たミニ・アルスハリヤは、団扇を片手にぱたぱたしながら微笑む。
「生憎、僕に出来るのはお子様ランチの品評を述べるか、玩具をねだって床の上でぐるぐる回るかだ」
俺の肩に肘を置いて、空中で両足を揺らした魔人は人差し指を立てる。
「ヒイロくん、僕はね、匠なんだよ。試合のために過酷なトレーニングを耐え抜くアスリートのように、君の酷たらしい顔を視るために、君が視ていないモノを視ないようにしているんだ。最高の悲鳴をこの耳で鑑賞し、最高の醜態をこの眼で観覧し、最高の愉悦をこの舌で味わうためにね。
最高の感情移入を実現するために、口を閉ざすべき場面では沈黙を愛し、煽らなければらない場面では饒舌家を気取り、手を叩いて称賛を浴びせなければならない場面のために状態を整えているわけだよ。
要は、僕は君の知ることしか知らないようにしている」
「現在まで聞いてきた中でも、ワーストワンの長台詞をありがとう。殺す」
「まぁまぁ、待て待て待ち給え。人の顔をうどんみたいに打ち付けて、発酵の準備を整えるのはやめたまえ」
アルスハリヤの片足を掴み、その顔を床に叩きつけていると命乞いが聞こえてくる。
「状況を整理してみようじゃないか。然らば、我々の立ち位置は自ずと明確になる。
所謂、推理パートってヤツだ。僕がワトソンを引き受けるから、君はホームズになって薬を腕に射ち給え」
「なに言ってんだ、かの高名な名探偵が暇潰しで7%のコカイン溶液を皮下注射するわけないだろ。
それはともかく、お前の案には全面的に賛成しよう」
俺は、ぐるりと周囲を見回し、魔力を測定しているらしい医療用魔導触媒器を指差した。
「コレ、俺が魔人だってバレない?」
「気にするな、抜かりない。
常人よりも魔力量が多いと思うくらいで、君の肉体自体が魔力で作られているとは思いもしない筈だ。肉体構築の方に魔力を回せば、人間の擬態なんぞ、我々にとっては児戯に等しい」
俺は、自分が寝ている布団と和服の手触りを確認する。
「高級品だ……どうやら、俺は、何者かによって保護されたらしいが……その何者かは、金持ちらしい……」
「うん、そうだな」
俺は、真顔で腹に手を当てる。
「腹が……減ってる……この減り具合、昼の少し前か……?」
「正解。現在時刻、11時33分」
勝手に、俺の魔力で画面を開いて時刻を確認し、アルスハリヤはそう報告してくる。
「そして、この医療器具の多さ……保護した何者かは、俺のことを救おうとした善人らしいな……一体、誰なんだ……そして、ココはどこなんだ……?」
「…………」
「わ、わからない!! ココはどこなんだ!?」
「オフィーリア・フォン・マージラインの別荘だ――」
「助手が口を挟むんじゃねぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!! テメェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ 殺すぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
俺は、泣きながら、両手で顔を覆った。
「ちくしょう、夢じゃなかった!! 夢じゃなかった夢じゃなかった夢じゃなかった!! 悪夢だ!! 悪夢だ、悪夢だ、悪夢だ!! 覚めろ覚めろ覚めろッ!! ココは、俺が存在して良い場所じゃあない!! 失敗した失敗した失敗したッ!! ぢぐじょう!! 誰か教えてくれよ!! こんな時、俺は、どういう顔をすれば良い!?」
「笑えばいいと思――ガァアアアアアアアアア!!」
両手でアルスハリヤの頭を押し潰していると、なにか柔らかくて温かいものが、俺の腰辺りに触れる。
「…………」
もぞもぞと、布団の中で、なにかが蠢いていた。
闇。
呼吸が苦しくなって、胸を押さえつけた俺は、そっと布団の奥の暗がりを覗き込む。
なにか、肌色の塊が、俺の腰に抱き着いている。
「はっ……はっ、はっ、はっ……!!」
額から汗が流れて、拭っても拭っても、溢れ出てくる。
「お、オフィリーヌ……?」
俺は、一縷の望みを懸けて、その肌色に呼びかける。
「オフィリーヌだろ……出ておいで……悪い犬だな……ほら、顔を見せてご覧……おやつをあげようね……」
頼む、当たりで……当たりであってくれ……頼む……もう、俺を裏切らないでくれ……!!
俺は、神に願いをかけて――勢いよく、布団が持ち上がる。
その全身が露わになり、全裸のエイデルガルトは大きな欠伸をして、悩ましい声を上げながら伸びをした。
「さっきからうるさいわよ、燈色さん」
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! ハズレ通り越して大ハズレだぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
俺は、エイデルガルトの頭をべちべちと殴り、よつん這いになって壁際にまで逃げる。
「なんで、全裸なの!?」
「わたし、忍者だから裸でないと寝れないの。
ほら、ウィザード○ィの忍者も、装備を付けてない裸状態の方が強いでしょ?」
「『ほら』の意味がわからねぇし、よくわからない方向性の忍者知識を披露してくるところに苛立つ……!!」
布団から脱いだ服と下着を手に取ったエイデルガルトは、欠伸をしながら、それらを身に纏おうとして……ぱさりと、それらを落とした。
「……わたしの手裏剣がないわ」
「え?」
ふわりと。
髪を掻き上げたエイデルガルトは、こちらに這ってきて俺の和服に両手をかける。
「燈色さん、持ってない?」
「いやいやいや、持ってるわけねぇだろ!! なにをどう考えたら、俺が持ってることになるんだよ!? まずは、服着ろや、この全裸忍者!!」
物理だけは異常に強いこともあり、病み上がりのせいか力が入らず、力負けした俺は床に組み敷かれて帯を解かれる。
「燈色さん、捜索に集中したいから黙ってもらっていていいかしら?」
「むーっ!! むー、むー、むーっ!!」
エイデルガルトに口を押さえつけられた俺は、ぶんぶんと首を振り続け――ゆっくりと、襖が開いた。
「ヒロ様、お加減はいかがで――」
全裸のエイデルガルトと衣服がはだけた俺を見つめたお嬢は、水と薬を載せていた盆を取り落した。