再会
関越自動車道を通って、フジオカジャンクションまで向かう最中。
「いや、だから、私は言ってやったんだよ!」
ミニバンの助手席に乗った俺は、運転手がかけているガールズロックバンドの曲を聞きながら冷や汗を垂れ流していた。
「酒は飲んでも飲んだ気になるな! そうすりゃ、アルコールゼロだって!!」
俺の隣で髑髏の飾り付けが施されたハンドルを握っているのは、シック・ハイネス・ライドヴァン。鳳嬢魔法学園Cクラスの担任であり、ダンジョン探索入門の教鞭をとっているアル中教師である。
ダンジョン探索入門を取っている俺は、当然、彼女とは顔見知りなのだが……彼女は、まるで、初対面の他人のように振る舞っていた。
それは、当然とも言えよう。
なにせ、現在の俺は金髪ロングのウィッグをかぶり、純白のサマードレスを着て麦わら帽子までかぶっている。バックミラーに映る自分の姿は、あたかも、深窓のご令嬢そのものだった。
そう、俺が思いついたカルイザワに最短で向かう方法とは、女装してヒッチハイクを行うことだった。
エイデルガルトは言わずもがな、俺の女装に人を誑し込む魔力があることは、アイズベルト家に潜入した際に実証済みだった。
事前に情報を掴んでいたソフィア・エッセ・アイズベルトでもなければ、女装の裏にある俺の素顔を看破することは出来なかったであろうと自負している。
というわけで、女装してヒッチハイクしてみたところ、思いの外上手くいった……上手くいったが……なんで、よりによって、三条燈色のことを知っている顔見知りを引っ掛けることになってしまったのか……。
「なんで、私が運転が嫌いかっていうと酒が飲めないからだね。恐ろしいことに、この四つのタイヤが付いている玩具に乗り込んだ途端、禁酒という名の呪縛を施されることになるんだよ」
「…………」
だらだらと冷や汗を流しながら、俺は、必死で笑顔を作る。
嫌だ。さすがに、女装が趣味の人間だと顔見知りに思われるのは嫌だ。なにが嫌かって、男の癖に女装して女性を釣ろうとしていると思われるのが嫌だ。それは百合を護る者としての沽券と名誉に関わる。
なにがなんでも、正体がバレるわけにはいかない……!
「いやしかし、きみは随分とカワイイよね。
いくつ? アルコール飲める?」
シック先生は、首からぶら下げたシルバーアクセサリを弄りながら問いかけてくる。
ま、まずい。
俺は、笑ったまま硬直する。
アイズベルト家の潜入の時に使ったリアルタイム・ボイスチェンジャーは持ち歩いていないので、このまま喋れば、見事な男声が喉から出てくる。
さすがに、声を聞かれたらバレる……ど、どうする……?
「ごめんなさい、彼女、喉が腫れてて声が出せないの」
エイデルガルトが後部座席から身を乗り出し、こちらに向かって綺麗なウィンクを投げかけてくる。
「あぁ、だから、さっきからだんまりなのね。
酒焼け?」
なんで、あんた、すべてに酒を絡ませてくるんだよ……そして、なぜ、ダッシュボードにストロング○ロのぬいぐるみが入ってるんだよ……チューハイ缶を手製のぬいぐるみにして愛でてるヤツなんて初めて視たよ……。
俺は、ダッシュボードからはみ出ているストロング○ロをぐいぐいと押し込み、安堵の息を吐いた。
珍しく忍者が忍者せずに優秀なので、着くまでの間、彼女にフォローしてもらうことにしよう。怪しまれない程度にであれば、忍ばない忍者でもどうにか話を運べる筈だ。
「彼女、オペラ歌手なの」
おいおい、無駄に壮大な設定にするなよ……今後、この姿でシック先生と会うこともないだろうから別に良いけど……。
俺は、シック先生に買ってもらった飲み物を口に運び――
「良かったら、一曲、歌いましょうか?」
思い切り、ジュースを吹き出した。
唖然として、後方を振り返った俺に対して、エイデルガルトは綺麗なウィンクを送ってくる。
「いや、でも、酒焼けなんでしょ……?」
いや、なんで、酒焼けが公式設定になってんの……?
「いえ、5年前、テロに巻き込まれて喉に矢を受けてしまったの。それ以来、彼女の美しい高音は失われてしまい、天使の歌声とまで称された国宝は、二度と手が届かない天界へと誘われてしまったのよ。
でも、今宵、その歌声は堕天して復活するわ」
「…………(理外の怪物を視る目)」
「よっ、待ってました!! 酒が入ってないのに、酔っ払ってるみたいな話が聞けるなんて盛り上がってきたよ!! よっ、社長!! 太っ腹!! 税金逃れ上手!!」
「それでは、聞いてください」
エイデルガルトは、そっとささやく。
「津軽海峡・○景色」
俺はエイデルガルトに掴みかかり、車内は一時騒然となったものの、どうにかこうにか誤魔化せたのか……最後まで、俺の正体は言及されないまま、無事にカルイザワまで辿り着いた。
「はい、じゃあ、おさらば漫才コンビ。あんまり痴話喧嘩はせずに、楽しい休暇をお過ごしくださいね。
お礼は、今度、上手い飲み屋あったら教えてくれりゃあいいや」
売れないバンドマンみたいな格好をした教師は、ノンアルコールビールを呑み干してから手を振り、俺たちをカルイザワに残して走り去っていった。
エイデルガルトは、嘆息を吐いて、ふわりと髪の毛を搔き上げる。
「まさか、ヒッチハイクをした相手が学園教師だとは思わなかったわ……急に燈色さんが発情した時はどうなることかと思ったけれど、無事にやり過ごせたのも、わたしの実力があってのことかしら」
「お前、俺のあの憤怒を発情と勘違いしてたの? 頭の先から爪先まで、津軽海峡に沈めてやろうか?」
「確かに、アレはわたしのミスね。
まさか、日本人なのに、燈色さんが津軽海峡・○景色を歌えないなんて……ありとあらゆる可能性を突き詰めるべきだったわ」
「困ったな。ありとあらゆる可能性を突き詰めても、現在の最善手が、お前の頭をコンクリに叩きつける以外に思いつかない」
朝焼け。
しょぼつく目を擦りながら、俺はエイデルガルトの先導に従い、事前に聞いていたお嬢の別荘を目指した。
「どうやら、無事に追っ手は撒いたようね。霧雨派も華扇派も、プロであるわたし以外は、燈色さんがどこにいるかも掴めていない筈よ」
「そいつは重畳……ふぁあ……!」
欠伸をすると、エイデルガルトは苦笑する。
「燈色さんは、やっぱり素人ね。忍者は生理現象すらコントロールするから、わたしのように高いレベルの忍になれば、この数年は欠伸をしてなふぁあ……!」
「もう、ひとり漫才はいいからさ……エイデルガルトさんは、何時まで、俺のことを見張るつもりなの? そろそろ、呪いの装備を解呪して、教会でお祈りを捧げたいところなんですが?」
「無論、死ぬまで」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……胸、揉む?」
「……いや、いいっす」
静かに泣いていた俺は、三条家のゴタゴタを片付けるという解呪方法以外は存在しないことに気づき、その方法を実行するには時間がかかることを知っているので、喉から嗚咽が漏れた。
「燈色さん」
ぽんっと、俺の肩を叩いたエイデルガルトは、陽光を受けてきらめいた笑みを浮かべる。
「嬉し泣きね?」
「…………(無音の泣き声)」
あまりにも、精神的苦痛が強すぎる。
黙々と、俺たちは歩く。
別荘地らしく、樹々に左右を囲まれている石畳を歩きながら、俺とエイデルガルトは緑溢れる景色を堪能する。常時、呪いによるスリップダメージを受けていなければ、この美しい風景ももっと楽しめたことだろう。
「燈色さん」
急に肩に手をかけられ、俺は、ポンコツ忍者に振り返る。
「ぁあん?」
「来るわ」
彼女の言葉の通り、足音が聞こえてきて、それは徐々に近づいてくる。
音もなく。
エイデルガルトは、手の内に魔導触媒器を出し、袖の内側にソレを隠しながら周辺地形を把握して戦闘態勢を整える。
俺は、彼女に預けていた九鬼正宗を受け取ろうとし――真っ白な毛の塊が、こちらに突っ込んでくるのを視て動きを止めた。
「お待ちなさい! お待ちなさい、オフィリーヌ!!」
モップのようなアイボリーの毛をもった大型犬は、俺に飛びかかってきて、ぺろぺろと頬を舐めてくる。
その先に。
犬の首から外れたリードを持って、立ち尽くしているオフィーリア・フォン・マージラインがいた。
つばの広い帽子をかぶり、マリンブルーのワンピースを着た彼女は、首から『耽溺のオフィーリア』をぶら下げている。
数メートル先で立ち尽くしたまま、彼女は、両眼をゆっくりと見開いた。
「え……」
ぽとりと、彼女はリードを落とし、突風が帽子を奪い去った。
そのつば広帽子は、俺の足元へと落ちて……大事な首飾りを握り締めた彼女は、わなわなと震える唇から音の葉を漏らした。
「ひろ……さま……?」
俺と彼女は見詰め合い、風が吹いて――青空に、帽子が舞い上がった。