火遁・焚火
夏休みとは言っても、遊んでばかりではいられない。
なにせ、エスコの基本構造はヌルゲーだが、それは周回を前提にして主人公が月檻桜だった場合であり、ルート進行や目指すエンディングによっては凄まじいマゾゲーへと姿を変える。
そのため、三条燈色として生きている俺は、この夏休みを有意義なモノにするために3つの目標を立てた。
1.イベント『マージライン家の夏休み』を完遂する
2.地下天蓋の書庫で、万鏡の七椿を無力化する
3.魔人の力を使いこなせるようにする
万鏡の七椿を無力化するためにも、まずは、魔人の力を使いこなせるようにならなければならない。
現状、魔人による肉体復元は身に付けつつあるものの、あの力を使えば使う程に魔人化による精神汚染も受ける。基本的に、魔人は魔神の影響下にあり、ヤツの成り立ちによる影響を受けなければならない。
魔人たちがクズ揃いなのはそういうわけで、月檻桜が魔人化する『悪堕ちルート』では、魔神の影響を受けた彼女が人間から外れていく姿が描かれる。
そのため、目下、俺は魔神の精神汚染から抜け出しつつ、魔人の力の真価を引き出さなければならないわけで……この長期休暇を利用して『マージライン家の夏休み』を進めつつ、アルスハリヤ先生の指示の下、自己鍛錬を積む必要があるわけだ。
というわけで、俺は俺でこの夏休みは多忙を極める予定で、お嬢のために必死で用意した夏休みの計画も完遂させなければならない。
だと言うのに、なぜ、俺は橋の下で焚火をしているのか。
「燈色さん」
当然のように、俺の前で服を脱いで裸になったエイデルガルトは、同様に俺から服を剥ぎ取って毛布で包み込む。
モスグリーンの毛布で全身を包んだ彼女は、特に羞恥を感じてはいないのか、自分の下着と俺の下着の乾き具合を確認してから体育座りする。
ぱちぱちと焚火は音を立て、俺は、炎が作り出す陰影を眺めながらため息を吐いた。
「ココ、どこだっけ? ニューヨーク?」
「タカサキよ。
燈色さん、知らないのなら教えてあげるけど、ニューヨークは日本には存在しないの。後で日本地図を見せてあげるわ」
「……目的地のカルイザワまで、どれくらい離れてるんだっけ?」
「約50kmね」
俺は、再度、嘆息を吐く。
エイデルガルトから、チタンのマグカップを受け取り、火で温めたソレを啜ってから顔をしかめた。
「……なんで、お汁粉?」
「ぜんざいの方が良かったかしら?」
「いや、普通、こういう場合にお汁粉って出てくるか……? 餅までしっかり入ってて、箸なしの状態でどうやって食えと……?」
「気合い」
「殴るぞ、クソ忍者」
エイデルガルトは、チタンのマグカップを覗き込み、ふーふーしながら餅を引き出そうとしていたが諦めて微笑む。
「で、エイデルガルトさん、そろそろこうなった事情を教えてもらえないかな? 三条家が本格的に俺を殺しに来てる感じ?」
「いえ、残念だけど、どこの派閥も今は様子見ね」
「今、『残念だけど』って言ったか……?」
膝を抱え込んだエイデルガルトは、こちらの視線なんぞ気にしないのか、艶やかな太ももの大半を露出しながらささやく。
「ご存知かもしれないけれど、今、三条家は跡目争いの真っ最中よ。燈色さんが女として生まれてくれば、面倒な話はなかったのかもしれないけれど、嫡男である貴方の代わりに分家の皆様が正統後継者を名乗って三条家をモノにしようとしてる。
代表的な例で言えば、名義上は貴方の妹になってる三条黎ね」
「そこまではわかってる。
俺が三寮戦でアレだけアピールしたこともあって、三条家内で三条燈色派が起こり、俺を利用して三条家の財産と権力を掠め取ろうとしてるんじゃないのか?」
「そうね、そこまでのおさらいは合ってるわ」
薪を投げ入れながら、エイデルガルトはつぶやく。
「ただし、三条燈色派の中にも二通りいるの。
一方は燈色さんの言う通り、三条燈色に三条を後継させた後に傀儡にしようとしている三条霧雨率いる『霧雨派』、もう一方は燈色さんが払暁叙事を開眼していると信じ正統後継者として後を継がせようとしている三条華扇率いる『華扇派』。
わたしは、華扇派に属している忍者よ」
「えっ……お前、自分の雇い主とかその目論見とか……内情、全部、言っちゃっていいの……?」
「…………」
無言で。
エイデルガルトは立ち上がり、自分の濡れた下着を手に微笑みを浮かべる。
「内密にしてくれるなら、わたしの下着をあげてもいいわ」
「い、要らない……」
無表情で、俺の手をガッと掴んだエイデルガルトは、自分の胸へと引き寄せていく。
「ぁ、ァア……!! て、テメェ、ふざけんじゃねェ……!!」
「…………(無言引き金)」
毛布越しに、俺の片手に柔らかい感触が伝わり、エイデルガルトは勝ち誇ったように会心の笑みを浮かべた。
「交渉成立ね。お互いに、有意義な論議が出来て良かったわ」
「ふぃ、物理交渉……!!」
満足そうな笑みを浮かべたエイデルガルトは、綺麗な顔でチタンコップを口元へと運ぶ。中身が出てこないので、怪訝そうな表情を浮かべた彼女は、コップを顔の前でひっくり返し――顔の中心で、熱々の餅を受け止める。
「ッ!? ッ、ッ、ッ!?」
「怖い怖い怖い!! 下手なホラー作品より怖い!! 本気でやってるのか手の込んだ冗談なのかわからなくて怖い!!」
その場に座り込んで、無言の悲鳴を上げていたエイデルガルトは、俺に連れられて川に顔を突っ込み九死に一生を得る。
顔を冷ましたエイデルガルトは、平然とした顔つきで戻ってきて口を開いた。
「先程、新幹線で襲ってきたのは霧雨派よ。当然、彼女らも燈色さん有りきの戦略を立てているから殺すつもりなんてなかったでしょうね。
たぶん、わたしが先に貴方と接触したから、慌てた現場担当者がパニックを起こしてしまっただけだと思うわ……ふっ、尾行対象者に気取られた挙げ句、混乱して捕縛しようとするなんてプロ失格ね」
「堂々と俺の隣に座ったお前は、プロどころかアマチュアとしても失格だよ」
「でも、わたし、土産屋で買った手裏剣を持ち歩いてるわ」
「うん……それで、霧雨派も華扇派も、先立って、俺をどうこうしようとしてるわけじゃないんだろ?」
エイデルガルトは、濡れた自身の前髪を撫で付けながら頷く。
「そうね、そこは安心して欲しい。どちらも、まだ、本格的に行動を起こすつもりはないと思うわ。
でも、燈色さんは監視下にあるし、言動には十分に気をつける必要がある」
大体、現状は把握出来た。
華扇派は気楽に利用出来る筆頭として、場合によっては霧雨派もコントロール出来るな……三条家を煽りまくったお陰もあって、徐々に俺の手駒も増えてきた……両派による見張りも俺の命を保証する目として使える……追尾型呪詛はともかく、コレは、俺とレイにとって大収穫だ。
三条家とやり合うのは、もう少し先になるだろうが……楽しみになってきたぜ。
「エイデルガルト」
「胸は、もう揉ませないわよ」
「金を貸してくれ。
財布は、新幹線の中でお留守番中なんでね」
彼女は、ゆっくりと、髪を搔き上げる。
「もしかして、カルイザワに行くつもりかしら?」
「ご推察の通りだ。俺には素晴らしい夏休みの計画があり、予想外の事態はあったものの、もう邪魔が入らないなら夏を満喫するだけだ」
「特に邪魔をするつもりはないわ。なにせ、わたしは美人で優秀な忍者であり、最高峰の忍として監視対象者のワガママを聞いてあげるくらいの器量はあるもの」
微笑んで、エイデルガルトは、そっと俺の掌に硬貨を置いた。
200円。
俺は、驚愕をもって、彼女の顔を見つめる。
「ジュースを飲みたいわけじゃないよ……?」
「わたしの全財産よ。受け取って」
俺は、ゆっくりと頭を抱える。
「……財布は?」
「飛び込んだ時に、どんぶらこどんぶらこと、流されちゃったみたいね。靴裏に隠しておいたお金は、貴方の変装用の衣装を買ったり、毛布やお汁粉を購入したりしていたらなくなっちゃったわ。
忍道にはありがちな犠牲よ」
すっと。
立ち上がったエイデルガルトは、俺の手から200円を取り、コーラを飲みながら戻ってきて俺の手に50円を置いた。
「ジュース、飲んでんじゃねぇよッ!!」
「大丈夫よ、ちゃんと、はんぶんこにするから」
「ちくしょう……50円じゃ電車も乗れねぇよ……絶望の輪っかがこっちを視てるじゃねぇか……!!」
俺は、画面を開いて時間を確認する。
気づけば、朝日が上る時間になりつつあって、俺の完璧な計画によればもうお嬢の別荘に着いていなければならない時間帯だった。
「スノウか誰かに連絡して、迎えに来てもらうしかねぇ……!!」
「ダメよ。九鬼正宗による通信は監視されてて、連絡すれば向かう先を特定されるから。折角の夏休みなのに、監視されながらなんて思い切り楽しめないじゃない。
忍者として、ココで、奴らを撒くのがベストだと判断するわ」
夏休みを楽しむ楽しまないはともかく、お嬢の別荘が三条家に特定されるのは、確かに面白くない……妙なことを考えつくヤツがいないとも言い切れないしな。
「50kmくらいなら歩いたらどうかしら?」
「8時間はかかるぞ……? その頃には、月檻たちが大暴走して、夏休みが台無しにも成りかねない」
黙り込んだエイデルガルトの横で、俺は考え込み、それから口を開いた。
「俺の変装用の衣装を買ってきたって言ってたよな?」
「えぇ。
視る?」
俺は、エイデルガルトが広げたビニール袋の中身を覗き込み、想像通りのソレを視て目元を押さえつける。
「……コレしかないか」
大きなため息を吐いて、俺は覚悟を決めた。