夏だ! 海だ! 太陽だ! に至るまでには、移動時間というワンクッションが必要
ついに、夏休みがやって来てしまった。
夏休み前までに、オフィーリア・フォン・マージラインの好感度を一定値以上に上げておくと発生する『マージライン家の夏休み』は、エスコ・ファンに愛されてきたイベントのひとつである。
人気キャラクターである『噛ませお嬢』ことオフィーリア・フォン・マージラインをメインに据え、我らがお嬢の勇姿をたっぷりと堪能出来るイベントだ。
ただし、貴重な夏休み期間をすべて費やすことになるので、他イベントを見逃したり、主人公の育成に時間を割けなくなったり、選択次第ではオフィーリア・ルートを確定させてしまったりするといったデメリットが存在する。
まぁ、そんなデメリットは、『お嬢』という存在に掻き消されるわけだが……やっぱ、すげぇよ、お嬢は……。
物思いに耽っていた俺は、とんとんと肩を叩かれる。
「準備」
麦わら帽子をかぶって、白ワンピースを身に着けたスノウは、旅行かばんを両手で持って小首を傾げる。
「出来ました?」
「……あ、あぁ」
微笑んだスノウは、スカートの端を摘んでくるりと回る。
「御主人様のために、また可愛くなっちゃいました」
「…………」
「嘘ですよ。なに、見惚れてるんですか。どうしても、御主人様が私に付いてきて欲しいと言うから、良い子ちゃんに留守番してるつもりだったのにキャトルミューティレーションされてやるって言ってるんですからね」
「主人を宇宙人呼ばわりして、己を家畜呼ばわりするな。
お前のこと、黄の寮に置いていけるわけねぇだろ。俺の側についてるお前のことを、三条家が何時まで見逃してくれるかわからねぇんだから。短期ならともかく、長期に渡って放置出来るかよ」
「つまり、絶世の美少女である私が心配で心配で気も休まらず、メンタルクリニックに通っても症状が改善されなかったため、ソレは不治の恋の病によるものだとようやく自覚したわけですか。その胸ポケットの中に仕舞ってある婚約指輪で、己の身分も弁えず私にプロポーズするつもりということでしょうね。
なるほどなるほど……ふっ、哀れな恋の盲者め。とっとと、その貧相な貯金と甲斐性で買い叩いてきた指輪を寄越してどうぞ?」
俺は、胸ポケットを漁ってから跪き、出てきた糸くずを彼女の左の薬指に巻きつけて微笑む。
「死ね……」
「先制攻撃(強ビンタ)」
張り倒された俺は、メイドに飛びかかり、ふたりで掴み合いの喧嘩になる。
「……新幹線に乗らずに、従者に乗ってどうするんだ?」
出迎えに来てくれた寮長は、扉の前で呆れ返っており、後ろのリリィさんはくすくすと笑っていた。
「寮長、やらしい言い方は辞めてください。大手法律事務所の最優秀弁護士を雇って、己の人生を懸けて最高裁まで戦いますよ?」
「やっ……御主人様、そんな……いけません……んっ……!!」
「触れてすらないのに、たったひとりで孤独に盛り上がるのやめて? 無観客ソロライブ開催するのやめろ?」
胸元をはだけさせていたスノウは舌打ちをし、居住まいを正してから美しい所作で頭を下げる。
「ミュール様、リリィ様、それでは行って参ります」
「うむ、気をつけてな! お土産は食べ物で頼むぞ! なんか、よくわからん熊の置物とか! 三角ペナントとか! ご当地限定ハロー○ティのキーホルダーとか要らんからな!!」
「もう、ミュールったら。貰う前からお土産に文句をつける人なんていませんよ。
ヒイロ様、スノウさん、道中はお気をつけて。おふたりとも、夏休み明けにまた元気なお顔を見せてくださいね」
「まるで、担任の先生みたいだぁ……!」
「ヒイロ様の担任教師とは格が違いますね」
部屋着姿の寮長は、声を上げて笑い、俺の視線に気付いて口を開く。
「わたしたちの出発日は、明日だからな! 久方ぶりに飛行機に乗るから緊張してるが、昨晩から神に祈祷を捧げてるから問題ない!」
「緊張の仕方がスピリチュアル。
アイズベルト家は、イタリアのミラノでしたっけ? クリスと姉さん……じゃなくて劉がいるから大丈夫だと思いますが……用心してくださいよ?」
「無問題!! 最近、仲良くなった黄の寮の同級生も連れて行くつもりだからな!! いざという時は、信頼を使って盾にする!!」
「こら」
リリィさんに優しく窘められ、寮長は「冗談だ冗談」と笑う。
ふたりに見送られた俺たちは、黄の寮を後にし、トーキョー駅にまで足を運ぶ。
事前受付しておいた新幹線きっぷ(魔導触媒器に登録)で改札を通って待合室にまで行き、画面上で出発時刻を確認しておく。
大勢の人で賑わう待合室で、二人分の椅子を確保し、俺とスノウは隣同士で腰掛けた。
「こーひー」
気が利くメイドは、自動販売機でサイダーを買ってきて、俺にコーヒーと偽って渡してくる。
「お前、飲み物は?」
「いえ、特に」
じっと、スノウの顔を見つめて。
立ち上がった俺は、売店からオレンジジュースを買ってきて、彼女に無理矢理受け取らせてから座る。
「……どうも」
「俺とお前は、主従関係というより相方同士ってヤツな。次、余計な気を使ったら、俺が凄く悲しくなる。泣いちゃうかも」
「口説いてます?」
「ある意味な」
「なら、私」
俺の飲みかけのサイダーを奪って、彼女はオレンジジュースを渡してくる。
「サイダーの方が好きなので」
「あ、おい」
止める間もなく、サイダーを口にした彼女は、微笑んでから己の唇に触れる。
「直接キスの次に間接キス……順番、あべこべになっちゃいましたね」
「……やっぱり、余計な気、使ってもらってもいい?」
「ヒイロ!」
ごろごろとスーツケースを転がしてきたラピス、月檻、レイは、新調してきた夏服に身を包んでいた。ラピスに至っては、髪先にパーマをかけて髪型まで変えており、夏の陽気に浮かれきっていた。
彼女らは、俺に好意的な目線を向け――ぎょっと、立ち止まる。
「服、ダサっ!!」
俺は、『笑顔のフランケンシュタインが、ハンドスピナーで遊んでいる場面』を描いたシャツを引張り、ドン引きしている女性陣に見せつける。
「え……コレ、ダサい……?」
「ダサい(断言)」
「ヒイロくん、それはヤバい。生物として、根源的な不快感を覚える」
「お兄様が、自分の意思でソレを着ていると聞くよりも、外部から精神攻撃を受けた結果だと言われた方が納得できます」
俺は、隣のメイドに目線を向ける。
「え、スノウ、コレダサい?」
「いえ、よくお似合いですよ。さすが、私の婚約者」
そう言って、満面の笑みを浮かべたスノウは、俺の腕をぎゅっと抱き込む。
「私、海よりも深い慈愛と山よりも高い寛容さを併せ持つ女神の一種なので、そういう瑣末事にはこだわらず人の本質を愛せちゃうんですよね」
スノウがそう言った瞬間、三人の空気が一変する。
「あ、あー、そうだね、よく視たらすごい似合ってる。あ、アレだよね、フランケンシュタインのスマイルが0円でお得な気分になるよね」
「ヒイロくんの正気の沙汰とは思えない異常行動を正当化させる理由と化してて、視れば視るほど、着用者の異常性を表してて凄く良いと思う」
「フランケンシュタインが登場する『Frankenstein: or The Modern Prometheus』からして、その時代にハンドスピナーが登場するのはおかしいのでは? という当然の疑問を社会に提起してくれるとても良い教育資料だと思います」
「無理に褒めようとして、貶しに至ってるけど大丈夫?」
「魔除けの効果は絶大ですね」
スノウは、ニヤリと笑い、俺は思わず笑顔になる。
「すごいよ、スノえもん!! なんだかんだ言って、俺のニーズに答えてくるそのメイドスタイル!! ちゃんと俺のことを想って、こんな人間の業を煮詰めたようなクソダサTシャツを買ってきてくれてたんだね!!」
「……ま、まぁ、そういうことですよね」
スノウの真意はともかく、このTシャツは百合天使の加護を受けているらしく、見事に美少女避けと化していた。こんなものに加護を与えた百合天使は、天界式MRI検査を受けるべきだと思うが、それはそれとして、この強力な効果は活用していきたい。
うんうんと頷く俺に対し、ラピスは、人差し指を立てて迫ってくる。
「ひ、ヒイロ! 一回! 一回、正常な人間が着るような服を着てみて! 一回で良いから! 別に私だって服にこだわりないけど、一回、ちゃんとした私服も視てみたい!」
「そんなこと言われても、持ってきた服は、全部こんな感じなんだが。たぶん、一番、まともなのは『セイウチで跳び箱をするマリリンモ○ロー』かな……?」
「どういう人生を歩んできたら、そんなTシャツを作って人間界に流通させようと思えるの? 一種のテロ行為でしょ」
「お兄様用の服であれば、私が用意しておりますので問題ありません」
そう言って、レイは、自分のスーツケースから男物の衣服を取り出し、ワンセットで俺に差し出してくる。
「男性用の衣服を売っている店に、堂々と入るわけにもいかないので特注です。スノウに測らせましたのでサイズは合っていますよ。
なんの問題もありません」
「スノウに採寸させた記憶が、俺にないのが問題だね」
「メイドとして断言しますが問題ありません。
確かに無許可ではありましたが、寝ている人間には許可を取れませんので」
「そのサイコパス的な思考は、問題通り越して社会問題だね」
「良いから! ヒイロ、着てきてよ! 早く早く!!」
「従者の立場からすると、あまりオススメしませんが……」
ラピスに押されるようにして、俺は服を持ってトイレに行き、そこらにありそうなサマージャケットとセミワイドパンツを着てから戻ってくる。
「着たけど」
「「「…………」」」
なぜか、ラピスとレイは頬を染めて目を背け、月檻ですらも落ち着かなさそうにそわそわとしていた。
「え、なに?」
「い、いや、ちょ、ちょっと!」
ラピスに少し近寄ると、彼女はあわあわと両腕を振りながら後ろに逃げる。
「え?」
レイの方に顔を向けると、彼女はもじもじとしながらスノウの後ろに隠れる。
「月檻さん?」
無言で。
俯いた月檻はどこかへと歩き出し、そのまま消えてしまった。
「ひ、ヒイロ……」
俺から距離を取ったラピスは、今にも掻き消えそうな声でささやく。
「き、着替えてきて……」
「えぇ……?」
元の『笑顔のフランケンシュタインが、ハンドスピナーで遊んでいる場面』のTシャツを着て戻ってくると、三人は安堵の息を吐いてから微笑む。
「「「最高」」」
「お前ら、目と脳がおかしいよ?」
そんなことをしているうちに、時刻表と同期している魔導触媒器に新幹線の到着案内が届き、空間投影された三次元像の矢印が眼前に表示され、新幹線乗り場までの案内が開始される。
「ところで、お兄様」
乗り場に向かう途中で、レイ、ラピス、月檻は一斉に口を開く。
「「「尾行されてる(ます)よ」」」
「うん……知ってる……」
新聞紙に大きく空けた穴を通して、こちらをじっと見つめながら、後ろを付いてくる尾行者には気づかないフリをして俺は歩を進めていった。