大圖書館《アーカイブ》の守り人
鳳嬢魔法学園、大圖書館。
天井に投影された波打つ白海、宙空を滑るように本棚が行き来し、梯子に足をかけた司書や図書委員が本や魔導書の整理を行い、中央の銀白の天球は蒼白い燐光に包まれていた。
呼び出しの時間まで余裕があるので、下見に来た俺は大圖書館を歩き回り、本の貸し出しカウンターで見覚えのある姿を見かける。
黒砂哀。
痩身の彼女は純黒のワンピースを着込み、ふわふわの黒髪を自然に任せ、真っ赤な瞳を片方だけ覗かせている。
真っ黒な首輪とは対照的に真っ白な首筋は、透き通るようで、彼女の眼差しは文面に注がれていた。
男でスコア0の俺にとって、まともに口を利いてくれる可能性があるのは黒砂くらいで……三条燈色に声をかけられる黒砂哀という構図が嫌なので、話しかけるか迷ったが、情報入手を優先して彼女に近寄る。
「黒砂さん、久しぶり」
「…………」
どうやら、読書に夢中らしい。なら、しょうがない。よし、帰ろう。
笑顔で、くるりと反転すると――
「……なに」
相変わらず、眼で文字を追っている彼女から返事が返ってきてしまう。
「いや、まぁ、うん、あのお久しぶりです。
憶えてるかな、三条燈色ですけども」
「……なに」
用件をとっとと話せという圧を感じ、俺は、本題を切り出すことにした。
「地下天蓋の書庫に保管されてる魔導書の一覧があれば視たいんだけど」
「……無理」
「あ、はい、帰ります」
「……なに」
いや、帰るって言ってるでしょうが。
既に反転していた俺は、再度、くるりと彼女の方を振り返る。
「夏休み期間中に、生徒会役員が地下天蓋の書庫に潜るって聞いたんだけど……目的は、魔導書の整理と確認かな? それとも、なにか、書庫内で問題が起こって解決する必要があるのかな?」
ぺらりと、彼女は、ページをめくる。
「……整理」
嘘は言ってないな。少なくとも、図書委員にはそう伝えられているらしい。
「俺が思うに、地下天蓋の書庫を進むには、案内役として図書委員か司書の協力が必須だよね? もしかして、黒砂さんも、生徒会役員と一緒に地下書庫に行くつもりなのかな?」
「……うん」
「同行するのは、やめてくれないかな?」
静かに。
黒砂は、片眼を上げて、俺のことを見つめる。
「……なぜ」
ココで『危ないから』なんて言ったら、下心と偽善を感じて好感度が下がるのか、それとも素直に受け入れて好感度が上がってしまうのか……話しかけてしまった以上、なるべく、好感度が下がる方向の返答をしたいが……どっちだ?
悩んだ挙げ句、俺は、笑顔で彼女に答える。
「危ないからだよ。
特に、黒砂さんみたいなカワイイ女の子にとっては、ね(ウィンク)」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
死にてぇ(素)。
「……なに」
俺が聞きてぇ、死にてぇ(素)。
「いや、あの、ともかく、出来れば参加して欲しくないかな。
地下天蓋の書庫の案内人が必要なのはわかるけど、わざわざ、黒砂さんが同行しなくても――」
「地下天蓋の書庫に収められている魔導書の数は1190万3132冊、安全性が立証されている地上の魔導書とは違って、その一冊一冊には致命的な危険性が備わっており人間の精神を喰う可能性すらある。その一冊一冊に対して、適切かつ適正な処置を行い、魔導書を傷つけずに管理保全し、野蛮な生徒会役員どもの手から護れるのは、1190万3132冊の情報をこの脳に収め、魔力線の同期を行った私以外には存在しない。そのため、私が地下天蓋の書庫に下りて、生徒会に同行するのは当然と言えるし、その行為を私自身が望んでいるのだから、参加しないという選択をするのは有り得ない。以上」
「…………」
原作通り、本に関することなら、めっちゃ喋るのね、この子。
俺は、降参するように両手を挙げる。
「わかりました、ごめんなさい、口出しは致しません」
「…………」
「一応、俺、その生徒会の活動に参加するつもりだから。お願いだから、俺の前で、魔導書を護るために無茶なことしないでね」
「…………」
無視かい!! 最高や、この子!!
読書の邪魔をするのも申し訳ないので、彼女の前から立ち去ろうとすると、カウンターテーブルに本が置かれる。
『大圖書館 魔導書目録』……地下天蓋の書庫に収められている魔導書は記載されていないようだが、地上に出ている魔導書の一覧があり、納本の日付やその内容の簡易記載もあるようだった。
「あ、コレ、借りても良いのかな?」
「…………」
「えっと、アレだね、ココで視ていった方が良い? 本を外に持ち出したことがないから、貸し出し申請はどうすれば良いのかわからなくてさ……アレかな、返却期限は一週間とか二週間とか、期限が最初から決まってるのかな?」
「……個人所有物」
「あ、コレ、黒砂さんの?」
かすかに、彼女は頷く。
「ありがとう、凄く助かるよ。一週間以内に読み終えて返すから」
「……貴方」
黒砂は、ページをめくりながらささやく。
「……視られてる」
「うん、はい、知ってます。ありがとう」
本棚の隙間を縫うようにして、人影が早足で歩き去ろうとして、勢いよくその影はすっ転んだ。
「「…………」」
俺と黒砂の前で、その人影はすっと立ち上がり、優雅に髪の毛を掻き上げてから消える。
ゆっくりと、黒砂は目線を下ろした。
「……帰って」
「あ、はい、すいません帰ります」
黒砂は本の世界へと旅立ってしまったようなので、俺はもう一度だけ礼を言ってから大圖書館を後にする。
黒砂と話していたら、待ち合わせ時間を過ぎてしまっており、慌てて指定場所へと向かうと――厚手のコートを着てサングラスとマスクで顔を隠し、特徴的な金髪縦ロールをぶら下げた少女が俺を指差す。
「遅いですわよ!! わたくしの正体がバレたらどうしますの!?」
「溢れ出すお嬢が大噴火状態だから、もろバレなんじゃないかなって……特に、頭の両脇から、くるくるくるくる、金色のお嬢が巻かれ漏れてるから。本当に正体を隠す気があるなら、せめて、髪型くらいはお嬢を止めないと」
「わたくしのアイデンティティーを消せと仰るの!?」
「国語辞書貸すから、『変装』で引いて調べてきてもらってもいい?」
「貴方、どうやら、わかっていないようですわね」
珍しく、俺に寄ってきたお嬢は、ひそひそとささやいてくる。
「緊急事態ですのよ……貴方も、変装してからいらっしゃいと言った筈……なのに、どうして、そんな変態みたいな格好なんですの……?」
半裸にシャツを羽織った俺は、鍛え上げた胸筋と腹筋を見せつけつつ、勢いよく襟のよれを直した。腕に巻いたシルバーをじゃらじゃら鳴らしながら、かけた鼻メガネをくいっと上に上げる。
「いや、まさか、あのスコア0の三条燈色が、アルコールで脳が破壊されたホストみたいな格好をしているとは思わないかなって……本日のコーディネートのテーマは『三次会帰りに泥酔して公園で寝てたら、身ぐるみを剥がされたホスト』。
この腕に巻いているシルバーについては、俺に取り憑いている悪霊が『僕からすれば、まだ地味すぎるね。もっと腕にシルバー巻くとかさ!』とアドバイスしてきたので、ワンポイントとして取り入れてみました」
「その人を小馬鹿にした鼻メガネは?」
「滲み出る賢さを表してみました(メガネくいっ)」
「人間の愚かさしか表せてませんわ」
くすくすという笑い声が聞こえてきて、注目を浴びているのに気づいたのか、お嬢は慌てて俺の腕を引っ張る。
「ともかく、いらっしゃい! 要らぬ衆目を集めておりますから、迅速かつ冷静に移動しますわよ! 緊急事態なのですわ、緊急事態なのですわ! わたくしたちの命運に関わるのですから、お早くいらっしゃい!!」
「いや、その緊急事態って一体……それに、どこに移動するの?」
「わたくしの部屋ですわ!!」
「えっ」
驚愕で硬直した俺を引きずり、お嬢は、鈍足かつ興奮しながら移動していった。