夏休みの予定は、百合で埋まってる(願望)
緑と灰を一望出来る4階のテラス席。
街路樹とビルの狭間に眼をやりながら、俺は、ストローからバナナオレを吸う。
「早速、例のブツ……恋バナについて聞こうか」
「ウエノ動物園のジャイアントパンダが、双子の赤ちゃんを産んだみたいですよ」
「詐欺だッ!!」
俺は、テーブルを殴って涙を流す。
「立派な詐称行為だッ!!」
「申し訳ございませんが、恋と愛については変に関わることはないので……後ほど、情報収集して、恋バナの件は真摯に対応させて頂きます」
「お役所仕事だッ!!」
「それで、相談についてですが」
背筋を伸ばした委員長は、ミルクを入れた紅茶を口に運ぶ。
「夏休み期間中、数日で良いので、生徒会の手伝いをして頂けませんか?」
バナナオレを啜りながら、伝票に手を伸ばすと、委員長はそつなく伝票を胸ポケットに仕舞う。
「詳細も聞かずに頷く手合いを俺は『間抜け』と呼んでる」
「大圖書館の銀白の天球が、どのようにして動いているのかご存知ですか?」
「敷設型特殊魔導触媒器なんだから、魔力なんじゃないの?」
「では、その魔力の源は?」
「…………」
「魔導書、というものがあります」
音を立てずに、委員長はカップを受け皿に置く。
「鳳嬢魔法学園の大圖書館の蔵書数は約2500万点、そのうち魔導書は1320万点……日本国内では最大級の魔導書の蔵書数を誇っており、そのうちの一冊には魔人が封じられている」
彼女は、そっと、水面にささやく。
「万鏡の七椿」
脚を組んだ俺は、ストローを咥えたままその先端を上下に揺らす。
「生命を持たない事物が魔力線も持たないことはご存知でしょうが、世の中には魔力線を独自に併せ持つ『生きている事物や事象』が存在している。
そのひとつが魔導書……それらは人間のように意思を持ち、魔力線を繋ぐことで、コミュニケーションを取ることすら出来る」
「要するに、魔人の成り損ないみたいな存在?」
「さすが、間抜けではないだけありますね」
ニコリともせずにささやき、委員長はカップに二杯目の紅茶を注ぐ。
「銀白の天球は、構造体上に刻まれた導線を用いて1320万冊の魔導書と接続し、そのひとつひとつを神経細胞のように活用し自立学習と自己処理を行う敷設型特殊魔導触媒器です。
そして、その導線は、すべて」
委員長は、人差し指で地を指した。
「下に伸びている」
「地下天蓋の書庫か」
頷いて、委員長は、ミルクピッチャーから白いミルクを注ぐ。
「現在から107年前、リーデヴェルトの間抜けな蒐集家が、地下天蓋の書庫から魔導書を盗み出し、各地のダンジョン内で魔導書の養殖を始めました」
「マグロやウナギみたいに? 本を?」
「えぇ。
彼女の目的は魔導書同士の交合による魔導書の量産であり、混沌時代の魔法世界を救うにはその方法しかないと盲信していた……当時、この世界の魔力はいずれ失くなるものだと信じられており、魔力の源たる異界を手中に収めるべきだという主戦派が台頭していた時期でした」
委員長は、店員を呼び止めて注文し、二杯目のバナナオレが俺の前に置かれる。
「要は、自立して魔力を生み出す魔導書を用いて、未来の魔力枯渇問題を解決しようと思ったってことね」
頷いて、彼女は、テーブル上の受け皿の位置を調整する。
「お題目は如何にも立派ですが、彼女はリーデヴェルト家では腫れ物扱いされており、己の自己顕示欲を満たすために仕出かした人災という見方が大きいですね。
ただ、彼女には扇動者としての才能はあったのか、魔導書の養殖計画は徐々に広がっていって団体組織化し、似たような絵空事をもって後援者と資金をかき集め行動を起こす組織が各地で発生しました。
過去には『秘密結社』と呼称され、営利組織としての側面が大きくなった現在では『魔法結社』と呼ばれているものです」
「根源はわかった。
で、現在を生きる委員長は、大昔にバカなことを仕出かしたご先祖様の尻ぬぐいに奔走してダンジョンに潜ってるってこと? 過去に各地のダンジョンにばら撒かれた魔導書の回収が目的?」
「適当な面をして聞いているのに、驚くくらいの理解力を発揮するのは恐ろしいですね……仰られる通りです」
まぁ、理解力もなにも、このイベントのことは全部知ってるからな。
委員長は、微笑したまま己の胸の中心を指す。
「ご存知の通り、私自身には戦闘能力が一切ありません。そのため、三条さんとラピスさんを利用して、ダンジョンに潜らせて頂きました。
私も人間の一種ではあるので胸を痛めてはいましたが、この度は、その痛む胸の内を曝け出した次第です」
「で、そのカウンセリングを担当するのは俺だけってことね。看護師は、要らなかったの?」
「三条さんは、ミュール・エッセ・アイズベルト嬢と共に黄の寮を優勝に導きましたよね?
三寮戦の実力を踏まえて、本件にお力添え頂ければと思った次第です」
だから、月檻じゃなくて、俺のところでイベントが起きてるのね……。
二杯目のバナナオレを手に取った俺は、ぐるぐると中身をストローでかき混ぜる。
「それに、スコア0の俺であれば、外にこの情報が漏れたとしても隠蔽可能で都合が良いってわけだ」
「…………」
「そんな顔しなくていい。
敵対するつもりはないし、俺は、この世界で百合の花を咲かせようと努力する女の子を心から応援している。だから、委員長が、女の子との恋バナを持ちかけた時、罠を疑いながらも喜んで付いてきたわけだ。
で」
俺は、微笑んで、そっと両手を組む。
「生徒会の活動っていうのは、魔導書が眠る地下天蓋の書庫を巡る楽しい徒歩ツアーってところかな?」
「三条家で、相手の腹の探り方でも習ってきたんですか?」
「疑問に疑問で返すってことは、都合が悪いか肯定かのどちらかってことで、現在までの話の流れからすれば後者ってことだ」
俺は、追加の伝票を取ろうとした委員長よりも速く――伝票を二本指で掴み、微笑したまま、ひらひらと振った。
「引き受ける」
「理由をお聞きしても?」
「ひとつ、魔人が関わっている。ふたつ、委員長が困った顔をしている。みっつ、この店のバナナオレが美味かった。
他になにか質問は?」
「……いえ、特に」
「なら、俺からも質問していい?」
首肯した委員長に、俺はニコリと笑いかける。
「万鏡の七椿の封印は、もう解けてるんじゃないの?」
一瞬。
委員長の目元が動いて、俺は立ち上がる。
「そろそろ、行こうぜ。
それとも、これから、ウエノ動物園にジャイアントパンダの双子でも見に行く?」
「それは、デートのお誘いですか?」
「俺は、デートをするより視る方が好きな男の子なんでね。パンダ同士がじゃれ合う姿よりも、女の子同士が恥ずかしそうに手を繋ぐ艶姿に、恍惚とした喜悦を覚えるタイプ。
だから、パンダを視ながらするのは、カウンセリングの続きだよ」
「……いえ」
苦笑した委員長は首を振る。
「やめておきましょう」
「なら、次の通院のご予約は?」
「もう少し……貴方のことを信じられるようになったら、でしょうか」
「了解」
九鬼正宗を腰に差した俺は、歩き出し、ひらひらと二枚の伝票を振る。
はっと、委員長は、自分の胸ポケットを弄り……そこになにもないのを確認し、ゆっくりと手を下ろした。
「一応、二枚分、会計で回収してもらうよ」
俺は、笑いながら、会計へと向かう。
「徒歩ツアーのチケット代だ」
「三条さん、ココ、スコア払いしか出来ませんよ?」
硬直した俺の手から、伝票を奪い取り、その二枚で口元を隠した委員長は微笑む。
「嘘です」
「…………」
「チケット代はこちらでお支払いしますので、貴方は着の身着のまま、健全な精神と健全な肉体を持ってきてください。
この案件」
彼女は、そっと、ささやく。
「きっと、リーデヴェルト家の問題だけでは収まりませんよ」
「良いね」
両手をポケットに突っ込み、俺は、ニヤリと笑う。
「ジャイアントパンダを視るよりかは楽しそうだ」
俺は、そう応えて――視線。
振り返ると、ひとりの少女が目に入る。
こちらを窺っていた彼女は、無言で席を立ち階下へと消えた。
「楽しい」
大きなため息を抑えて、俺は、負け惜しみみたいにつぶやいた。
「夏休みになりそうだ……」