スクールスイミング自由型
「……なにを言ってるの?」
「だって、クリスとキスしたんでしょ」
お嬢は、含んでいた飲み物を吹き出す。
「あ、貴方……き、キスって……男と女が接吻するなんて、わ、わたくしの知っている世界ではありませんわ……し、しかも、アイズベルト家のご息女と……なんで、普通に、生きてるんですの……?」
「俺だって死にてぇわ!! 死ねねぇんだよ!!」
「お母様!」
ミュールは、びしっと手を挙げる。
「わたしもヒイロと結婚したい!」
「良いわよ」
「良くねぇわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! テメェ、俺の人生を蔑ろにするなぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
ソフィアに掴みかかると、襟首を掴まれた彼女はケラケラと笑う。
「別に、冗談で言ってるわけじゃないわよ。あんた、アレだけ頭が回るんだから、あたしの補佐について経営を学びなさいな。その間に、うちの子たちと子供作って、あたしに孫を抱かせてくれれば良いじゃない。
面白いわよぉ、アイズベルトの化物みたいな婆さん相手取って、殺すか殺されるかの勝負を繰り広げるの」
「ま、孫……」
血の気が引いた俺は、どさりと腰を下ろし、震えながら両手で顔を拭った。
「あ、有り得ない妄想だな……ふふっ……知ってるか、この世界では、男女で魔法しても子供は出来ない……女性同士での清き正しい魔法でしか子供は出来ないんだよ……耄碌したなぁ、ソフィア・エッセ・アイズベルトぉ……?」
「いや、あんたが、クリスとミュールを抱けばできるわよ」
「泣かすぞ、ババァ!!」
泣きながら飛びかかった俺を、劉とリリィさんが止める。
「お母様」
そんな俺を視て、苦笑したクリスが面を上げる。
「私は、彼と婚姻を結ぶつもりはありません。ヒイロにはヒイロの人生があり、彼には為すべきことがあるからです。ヒイロは優しいから、責任を取ると決めたら学園を辞めかねませんし、そうしたら彼にとって良くないことが起きる気がするんです。
だから、私は」
胸に手を当てた彼女は、俺を見つめて微笑む。
「彼がすべてを終えるまで待ちます。何年でも」
「なら、他の女が寄り付かないように婚約だけでも結んでおいたら?」
「私とヒイロは、長きに渡り信頼関係を培ってきました。そういった契約関係に固執しなくとも問題ありません。
ご配慮、感謝いたします」
「ヒイロくん、アレ、下手に婚約関係を結ぶよりもヤバい発言だからね? そこらへん、ちゃんと理解出来てる? 胸、撫で下ろしてる場合じゃないよ?」
月檻の忠告に身震いしながらも、一旦の落ち着きを見せた場に安堵の息を吐き、俺は流れゆく景色に己の身を任せる。
トーキョーからウラヤスまで。
目的地に向けて、黒塗りのリムジンは静かにタイヤを転がした。
1時間程度で目的地に到着し、UN○でボロクソに敗けたお嬢は、涙目で「このくらいにしておいてさしあげますわ!」と逃げるように車を下りてゆく。
「三条様」
リムジンから下りると、自然な動作で、リリィさんは俺の後ろ髪を撫で付けた。
「少々、御髪が跳ねておりました」
「あ、あぁ……どうも……」
「いえ」
海浜公園に着いた途端、猛ダッシュしたミュールに釣られて、彼女を追いかける一行を見送り、リリィさんは風で流れる髪を押さえつける。
「……リリィさん」
「はい、なんでしょうか?」
「救いを求めたいのですが」
俺は、意を決して、顔を上げる。
「現在でも……ミュールと一緒に寝ることはありますか……?」
彼女は、苦笑する。
「えぇ、まぁ、あの子も甘えたがりですから」
「はい、やりました勝ちました至りました。俺は、百合を護りました。否応無しの勝利。ざまーみろ、クソ魔人が。この俺がお前の望む通りの末路に至ると思ったか。尊きことこの上なしであるがゆえに、お前は、今直ぐにでも消滅しろ」
「…………」
唐突に。
リリィさんは、俺の髪の毛を優しく撫で付ける。
「え? あれ? また、跳ねてました?」
「いえ、なにも」
「……え?」
微笑んでから、リリィさんはスタスタと歩き出し、取り残された俺は呆気にとられる。
「…………」
「ヒーロくん」
肩を叩かれて振り向くと、真顔のアルスハリヤが立っていた。
謎の野球帽をかぶった魔人は、腕を動かしながらぽんぽんと叩き、俺に対して『押し倒せ』のサインを送ってくる。
頭を掴んで、コンクリに叩きつけ、消滅したのを確認してから歩き出した。
小高い丘。
蒼穹の下に在る丘陵には、子供用の遊具があり、早速、お嬢とミュールは滑り台やらターザンロープを満喫しており、ピクニックシートを広げる大人たちを余所に楽しんでいた。
「燈色」
手伝おうと近寄っていくと、微笑んだ劉に止められる。
「ココはいいから、あっちで遊んできなさい。子供は遊ぶのが仕事なんですから」
「そして、ズルい大人は酒を飲むのよ」
キャンプチェアに座ったソフィアは、ビール缶を掲げて、少し飲んでから劉のことを手伝い始める。
潮の匂い。
陽光を浴びてきらめく海を眼前に、ぼーっと水平線を見つめていた月檻は、潮風を浴びるままに任せていた。
「あっちで遊ばねぇの?」
「子供と大人の中間を気取るので忙しいからね」
正面から柵にもたれかかった彼女は、俺が隣に並ぶと嬉しそうに微笑む。
「視て、アレ」
月檻が目で指した先では、耳元のイヤリングを弄りながら、気が気でなさそうにクリスがこちらを見つめていた。
「奈落みたいな恋に落ちるとああなるんだって、こわいね」
「本件は故意に起こした事故みたいなもので、クリスには一切の過失がなく、それゆえに俺の脳と心は破壊されてしまいそうです」
「連れてってあげよっか?」
柵にもたれて、自分の腕に口元を埋めた月檻は、こちらを向いてふにゃりと笑む。
「わたしと一緒に逃げちゃう?」
「確実に失敗して、さらなる悪化を招く気しかしないからやめとく」
「それは残念」
柵から離れて、そのまま歩き去ろうとした月檻は、くるりと反転してから俺の背中にぎゅっと抱き着いてくる。
「つ、月檻さん……?」
「ん? なに?」
「お触り厳禁なので、抱き着くのやめてもらっていい……? なんで……?」
あからさまに密着してきた月檻は、己の魅力を活かしながら俺のことを追い詰め微笑を浮かべる。
一瞬の隙を突いて。
俺は、九鬼正宗を抜刀し――薙いだ。
栗色の髪の毛が踊り、しゃがんだ月檻は、俺の首に両腕を回す。そのまま、顔を近づけてきたので、水面蹴りを放ちながら後方へと跳ぶ。
「俺はッ!!」
寄ってくる月檻に対し、俺は絶叫する。
「俺は!! 百合を護る者だッ!!
ココで、敗けるわけにはいか――」
「えい」
「あっ……」
こんなにも、悲しみに満ちた声を俺は出せたんだと。
そう思うくらいに非痛に満ちた声音が喉から漏れ、俺は柵を越えて海へと落ちていき、どぼーんっと音と波を立てる。
続けて、波音が立った。
俺を助けるために飛び込んだクリスとリリィさんは、軽やかな着衣水泳を見せつけ、両脇から俺の救出にかかる。
「うわぁ! なんか落ちてる!!」
「いけませんわ!! わたくしにお任せになって!!
現在、助けに行――わたくし、泳げませんでしたわ(落下)」
どぼーんっ、どぼーんっ!
救出劇が救出劇を招き、息も絶え絶えのお嬢は、月檻とミュールの手で海中から引きずり上げられる。
ずぶ濡れになった俺たちは、ソフィアと劉の前に並ぶ。
「……あんたたち、バカなの?」
結果として。
ピクニック開始直後に濡鼠となった俺たちは、周囲に人気がないのもあって、服が乾くまでの間はタオルをかぶっていなさいと命じられる。
ただ、その大きなバスタオルは、人数分は用意されていなかった。
「…………」
俺は、下着姿のミュールとクリスに挟まれ、パンツ一丁で青い空を見上げる。
ひとつのタオルをシェアしているせいか、肌と肌が密着しているわけで、彼女らの髪からぽたぽたと垂れる水滴が肩やら膝に落ちる。
誰かが身じろぎする度に、柔らかいどこかがぶつかってきて、俺は両眼を見開いたまま微動だにせずに硬直する。
コレは――現実なのか?
「ヒーロくん」
アルスハリヤは、偽の涙を流しながら俺にささやく。
「コレが……君が護りたかったものなんだな……?」
「おい、魔人」
俺は、ニヤリと笑う。
「この程度で、この俺が――百合を諦めると思うのか?」
「まさか……!」
「百合ってのはなァ!!」
勢いよく立ち上がった俺は、クリスとミュールをそっとタオルで包み込み、下着姿で陽だまりの中へと駆け出す。
「間に挟まる男が居なければ成立するんだよォ!!」
勢いよく海に飛び込んだ俺は、母なる海をバタフライで掻き分けて北太平洋を進み、単身アメリカ大陸を目指した。
それは、希望へと続く遥かなる航路だった。
この航海は、困難なものになるだろうとわかっていたが、俺は待ち受ける冒険とその先にある百合を想い胸を踊らせる。
その未来に百合があると信じて、俺は、笑いながら海を超えていく。
どうか、この未来により良い未来がありますようにと願いながら――追いかけてきた劉に捕まって、俺は、タオルの中へと戻される。
下着姿の劉も加わり、三人に包まれた俺は、嗚咽を上げながらサンドイッチを食べた。