楽しいピクニック(死)
「…………」
「いい加減、拗ねてないで起きたらどうですか。遅れますよ」
俺の服を畳みながら、スノウはぽんぽんと横腹を叩いてくる。
寝そべっていた俺は身じろぎして、スノウから距離を取ると、よつん這いでにじり寄ってきた彼女にまた叩かれる。
本日、晴天なり。
絶好のピクニック日和に追い込まれた俺は、お洒落な出で立ちの劉に優しく揺さぶられる。
「燈色、そろそろ起きなさい」
モカの透かしカーディガンに白のトップス、ゆったりとしたロングスカートを着こなしている姉(偽)は、ゆるく髪を編んで後ろに流しており、この間まで俺を殺そうとしていた彼女とは別人のようだった。
「お姉ちゃんが、おんぶして連れて行ってあげましょうか?」
「……行きたくない」
俺は、泣きながら叫ぶ。
「俺、行きたくない!! 生きたいッ!!」
「なに言ってんですか、貴方は。一文に矛盾が混じり合って、えげつない意味不を醸し出してますよ」
「あれ」
薄手のパーカーにオーバーサイズのスウェットを重ね着し、ショートパンツと合わせた月檻は俺の前にしゃがみ込んで微笑む。
「なにしてんの? ピクニック、行くんでしょ?」
「誰が行くか!! 人間の尊厳を踏みにじった貴様らのことを!! 俺は断じて!! 許したりはしない!!」
「ふ~ん」
微笑しながら、髪を掻き上げた月檻は、ゆっくりと顔を近づけてくる。
「ひっ!!」
「はい、起立」
思わず、立ち上がると、袖から出した指先で腰をぽんぽんと叩かれる。
「まぁ、そんなに気にしないで良いんじゃない? ラピスもレイも大喜びしてたし、たぶん、アレ、キス写真、待受けにしてると思うけど」
「…………(絶望)」
「冗談だよ。
たぶん」
真顔になった俺は、劉と月檻に両脇を挟まれ、抱えられたまま連行されていく。
「行ってらっしゃいませ。
お土産は、『ただいまのキス』で良いですよ」
「黙れ? 唇ではなく死をもって、お前の口を塞ぐぞ?」
にこやかに手を振るメイドに、行ってきますの中指を立て、俺は黄の寮の外にまで引きずられる。
誘われてはいたものの『飽くまでも私は部外者ですので』と固辞した白髪キス魔は、メイドの鑑と称えるべき点はあるものの、主人の唇を生贄に捧げるようなド外道戦略を用いる恥ずべき存在だった。
リリィさんも来るんだから変な遠慮してないでお前も来い、と言ったら『キスしたばっかりなのに恥ずかしいじゃないですか』と宣った咎人である。許したくねぇし許さねぇ。
「ヒイロ!」
黄の寮の外に出ると。
お姫様みたいなポンチョコートにワンピース、可愛らしいキャスケットをかぶったミュールが俺に突撃してくる。
「どごーん!!」
「うっ」
腹に頭突きを喰らい、そのまま投げ飛ばすと劉が片手で受け流し、ミュールは綺麗に着地した。
「劉! ヒイロがわたしのこと投げた!! 叱って!!」
「よしよし、上手く投げられて偉いですね」
「誰だコイツ!?」
愕然とするミュールに「私は、燈色の姉になりました」と、真顔で劉は報告する。
ミュールは、あらぬ方向に目を向けて「そっかぁ……」と思考を放棄していた。
「三条様」
本日は、従者としての立ち位置を崩すつもりはないのか、何時ものメイド服を着こなしているリリィさんは俺に頭を下げる。
「三寮戦では……本当にありがとうございました」
「そうそう、こういうのこういうの!! 俺が望んでるのはこういうの!! 一線を超えたりしない感謝の気持ち!! よく視とけや、テメェら!! 健全なる礼節は健全なる精神に宿り、相手の心に寄り添ってくれるんだよなァ!!」
「お礼代わりに、今度、お食事でもどうですか?」
「…………」
「冗談、です」
絶句した俺の前で、リリィさんはくすくすと笑った。
早くも脳を破壊されつつある俺は、ぽかんと口を開けて、さめざめと涙を垂れ流し――
「オーホッホッホッ!!」
聞き覚えのある笑い声に、勢いよく顔を上げる。
「そ、その声は!?」
ミュールは、驚愕で後退りしながら叫ぶ。
「だ、誰だッ!?」
「オフィーリアでしょ(正論月檻)」
「姿を見せなさい!! 何奴ですか!?」
「り、劉さん……?」
日光に照らされた人影は、羽付きの扇を広げる。
真っ青なワンピースドレスを翻しながら、仁王立ちしている彼女は叫んだ。
「オーホッホッホッ!! このわたくし、陽気に誘われ、永き眠りから解き放たれましたわぁ!! 本日、まさにピクニック日和!! 誰だと言われれば、答えてあげるが社会のマナー!! 皆様、わたくしが誰か知っておりまして!?」
「「「お・じょ・う!! お・じょ・う!!」」」
「劉さん……劉さん……?」
「そう、わたくし!!」
風が吹いて。
スカートをはためかせたお嬢は、両腕を組んで高らかに叫ぶ。
「オフィーリア・フォン・マージラインですわぁ!!」
「「「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」
「弟の趣味に全力で付き合う優しいお姉ちゃんだ……」
俺たちは、日の光の下でサイリウムを振り、お立ち台から恐る恐る下りたお嬢は、颯爽と縦ロールを掻き上げながらやって来る。
「本日は、お招き頂きまして感謝いたしますわ、ミュール・エッセ・アイズベルト様。
わたくし、視ての通り、超越至極の多忙の身。スケジュールはミリ秒単位でミチミチに詰まっておりますが、慈悲と慈愛の心をもって、どうにかこうにか馳せ参じた次第。
おほほ、どうか、お気になさらないで」
「ヒイロ! お前、ちゃんと、礼を言っとけ!」
「あざーっす!! ざっす!! 超感謝っす!! そんな口利きながらも、楽しみにしてて前日に眠れなかったのが、目に浮かぶみたいっす!! あざっす!!」
「な、なに言ってますの!? さ、昨晩は、めちゃくちゃグースカピーでしたわ!! 永眠半ばでしたわ!!」
ぎゃーぎゃーわーわー、黄の寮の前で騒いでいると。
一台のリムジンがやって来て、ゆっくりと窓が開いていく。サングラスをかけたソフィアが顔を見せ、ニコニコとしながら手招きをした。
「そんなところで騒いでないで、とっとと乗りなさいあんたたち。
お待ちかねのピクニックまで、法定速度ギリギリ違反でぶっ飛ばしていくわよ」
「お母様、ギリギリセーフみたいな口調で犯罪予告しないでください」
月檻、ミュール、お嬢、劉と、続々と車内に乗り込んでいき、ふと、俺はココに居ないひとりに気付いた。
「クリスは?」
辺りを見回した瞬間、画面にチャットが飛んでくる。
噂をすれば影。
件のクリス・エッセ・アイズベルトからで、メッセージは『来て』という単純で短いものだった。
「あ?」
視線をゆっくりと一回りさせると、大樹の陰から、にゅっと手が突き出ているのを発見する。
その怪奇染みた手は、こいこいと、こちらに手招きをした。
俺は、導かれるまま、その手のところにまで行き……顔を真っ赤にして、スカートの端を両手で掴むクリスを見つける。
「なにしてんの?」
ミュールとお揃いのイヤリングに、レザーシャツとハイウエストのプリーツミニスカート、明らかに履き慣れていないブーツとミニバッグ。
恥ずかしそうに、もじもじとしているクリスは、助けを求めるかのように俺の袖をそっと握った。
「す、スカートが短すぎて……か、風、吹いたら視えちゃいそうだから……だから、その……あっちまで行けない……」
「まぁ、ハイウエストでミニだし……お前、それ、普通は中に見せても良いヤツ履くんじゃないの?」
「そ、そうなのか?」
「たぶん」
ちょこちょこと、俺の後ろに回ったクリスは、摘むようにして俺のシャツを掴んだ。
「か、隠れさせてくれ」
「それより、一回、着替えてきたら? 事情くらい話しといてやるからさ」
「こういうの」
クリスは、そっと、俺を見上げる。
「好きじゃなかった……?」
「好き嫌いの話ではなくてですね……まぁ、いいや、行こうぜ」
歩きづらそうにしているクリスは、俺の背中に額をこつこつ当てながら、どことなく嬉しそうに前へと進んでいく。
ふたりでリムジンに乗り込むと、ミュールは、俺とクリスのことを指差した。
「コイツ!! 遅れて来た彼女を迎えに行った彼氏みたいなことした!!」
「…………」
「遅れて来た彼女を迎えに行った彼氏みたいなことした!! 遅れて来た彼女を迎えに行った彼氏みたいなことし――」
「クリームパンでも食ってろ!! オラァ!!」
凄まじい勢いで、俺は、ミュールの口にクリームパンを突っ込む。
もがもが言いながら、ミュールはクリームパンを食べ始め、ソフィアの指示を受けてリムジンが動き始める。
ピクニックは、時速10kmの徐行から始まって。
早くも、俺の全身は、ガタガタと震え始めていた。
ついに、俺は止められなかった。
野外食事地獄は幕を開け、さっきから、頬を染めたクリスは何度も俺をチラ見している。夢の中の光景が蘇り、脳がちりちりと焼かれ始め、己の手で姉妹百合を破壊したという事実が浮かび上がる。
喉が、異様に渇く。
さっきから、お嬢が得意気に弁舌を振るっているが、その内容がひとつも頭に入ってこない。
なぜ、自分はクリスとミュールの間に座り、彼女らは当然のように寄り添ってくるのか。
その柔らかな体躯に、絶望感を覚える。
本来であれば、このふたりが、俺の前で仲良く戯れている筈だったのに。
失われたモノの大きさに、俺の口から嗚咽が漏れ始め、己を律するように口を押さえつける。
もっと……もっと、上手くやれた筈なのに……俺が護るべき百合はどこにある……せめて……せめて、これ以上、三条燈色という名の害悪汚物との関係性が進まないように取り計らうしかない……せめて……せめて、麗しき姉妹愛を見せて欲しい……。
俺は、震える手でグラスを持ち、中身を一気に煽り――
「で、三条燈色。
あんた、何時、うちに婿に来るの?」
勢いよく吹き出した。