魔人にかける願い事
「ヒイロッ!!」
再会したミュールは、満面の笑みで俺に抱き着いてくる。
「寮長ッ!!」
俺はそれを背負投げで躱し、壁に叩きつけてから歩き始めた。
「意味がわからんがっ!? 感動の再会が台無しだがっ!?」
「す、すみません、身体が勝手に……だって、お姉ちゃんが……ち、違う、俺に姉はいない……お、落ち着け、大丈夫だ、もう終わったんだ……うぅ、こわいよぉ……百合が壊れてくよぉ……!!」
朝から晩まで、姉力を叩き込まれた俺は、劉悠然という姉なしでは生きていけない身体に改造されかけていた。
なにせ、毎朝、劉は俺が起きる時間を把握し起床を促し、その時間を徐々にズラしていくことで俺を『朝、自分なしでは起きれない弟』に魔改造しようとしていた。
すんでのところで、その事実に気付いた俺が指摘すると彼女は照れくさそうにこう言った。
『でも、燈色は、もう少し遅く起きても良いんですよ。無理はしなくて良い。私が護りますから、朝の修行に精を出す必要もない』
こ、コイツ、俺をダメ人間にしようとしている……!
折角の機会だからと拳術を習っていたが、師匠は師匠でその指導方法には欠点があったが(例:修行中に走馬灯が過る)、劉は劉で恐ろしい欠点があった。
事あるごとに、俺を甘やかすのだ。
なにをしようとも、劉は俺を褒め称え、めちゃくちゃ美味いおやつで休憩を誘い、少しでも怪我しようものなら異常なくらいに狼狽える。
考えてみて欲しい。
絶世の美女で、絶対的な実力者が、際限なく甘やかしてくれるのだ。
毒だ。いや、猛毒だ。
気づけば、俺は、少量の毒を長期間かけてじっくりと盛られたかのように、劉の甘やかしを受け入れており、同居生活の後半は、彼女の『一緒にお風呂に入りましょうか』という誘いに『姉弟だからなんの問題もないな!』と笑顔で受け入れようとしていた。
現在、考えてもぞっとする。
あのまま、続けていれば、俺は劉悠然のことを姉として受け入れていたに違いない。正直、現在でも、もしかしたら俺たちは生き別れになった姉弟なんじゃないかと思う。
いや、本当にそうかもしれない。その可能性もあるよね(洗脳済み)。
「ひ、ヒイロ……?」
「だ、大丈夫ですよ、寮長。安心してください」
俺は、笑顔で、ミュールの肩に手を置いた。
「俺は正常です。姉って良いですよね。ふふ、俺って、弟属性だったんだなぁ。
で、寮長」
俺の腕に縋り付いているミュールを視て、俺は、震えながら微笑む。
「その行為、宣戦布告と見做すがよろしいか? 何の真似だ?」
「白昼堂々、甘えてる!!」
「そっかぁ……オラァ!!」
思い切り、腕を振り回すと、俺の魔力を奪い取ったミュールは、とてとてと壁を駆けて反対側に着地する。
彼女は、右腕の代わりに、左腕を抱き込んで笑った。
「どーだぁ! コレが、ミュール・エッセ・アイズベルト流、甘えん坊左右反転超絶腕GET術だ! 恐れ入ったか!!」
「そのクソみてぇなネーミングセンスには恐れ入ったよ」
「ヒイロ、視て視て!!」
寮長は、髪を掻き上げて、耳につけたイヤリングを見せてくる。
「ヒイロのためにオシャレしてきた!!」
彼女は、笑いながら、くるくると回ってスカートを翻す。
「…………」
「カワイイか!! カワイイだろ!! カワイイって言って!!」
「か、カワイイっすね……」
「えへへ」
耳を赤くして、照れくさそうに、彼女は俺の腕を振る。
太陽のように温かな好意で、俺の息を詰まらせた彼女にニコォと笑みを向け、俺は用事を済ませるために眼前を見据える。
『学園長室』。
一目で権力者が居座る場所だとわからせるためなのか、豪奢で分厚い扉が備わっており、純金にしか視えない引き手が俺たちを誘っていた。
「んじゃあ、そろそろ、用事済ませちゃいますか?」
「そうだな、ピクニックの準備もしないといけないしな!」
「あはぁ、ふぅん、ふぅ……!!(ピクニックの単語で息苦しくなる男)」
俺と寮長は、扉を開けて――空っぽの居室を前にした。
視界に飛び込んできたのは、三寮の象徴を模した円形の紋章……即ち、朱色の獅子に蒼色の一角獣に黄色の鷲、それらは後方の壁に飾られており、その中心には鳳凰の紋章が羽を広げて君臨していた。
革張りのソファーが一対、これは来客を迎えるためのものだろう。
学園長の席に備わるワインレッドのレザーチェアは、物言わぬ重厚感を漂わせており、アンティークの机には魔導触媒器らしき水晶が埋め込まれ、時折、反応するかのように薄く光り輝いていた。
無言で。
ミュールは、学園長の席に向かって行き、革張りの椅子に座って偉そうに腕を組んだ。
「学園長です」
「うわぁ、ずりぃずりぃ!! 俺もやりてぇやりてぇ!!」
「この学園で一番偉い人です」
「代わって代わって!! 次、俺の番、俺の番!!」
ぎゃはぎゃは笑いながら、俺とミュールは交代する。
学園長の椅子に座った俺は、両肘を机に置いて両手を組み、その上に顎を乗せる。
「何用かな……ミュール・エッセ・アイズベルトくん」
「あっはっはっ!! 格好良い格好良い!! 威厳、漂ってる!! もっとやってもっとやって!! 学園長っぽいことして!!」
「これから、保護者の献金で一杯やってきます」
「ぎゃははははははははははっ!!」
ぎぃ、と音がして。
いつの間にか、扉は全開になっており、学園長の秘書さんが笑顔でこちらを見つめていた。
「「…………」」
「…………」
「「…………」」
「…………」
「「…………」」
「…………」
俺とミュールは、顔を伏せて、お互いのことを指差す。
「「うちのバカがすみません」」
「…………」
俺とミュールは、顔を伏せたまま、互いに違う方向を指差す。
「「ココの空気感が、俺たちにあんなことをやらせました。
ココの空気がすみません」」
「学園長が、そろそろ参られますので」
微笑みながら、彼女はささやく。
「そこに座っておくのは、やめておいた方がよろしいかと」
「ヒイロ、言質とった!! 暗に、視なかったことにしてくれるって言ってる!! 言質!! 言質とったぞ、お咎めなしだ!!」
「おっしゃァ!! 録音、頂きましたァ!! 裏切ったら許しませんからねぇ!! コレで俺たち三人、一蓮托生、しまっていこうぜぇ!!」
俺たちの圧を全く意に介さず、秘書の女性は微笑を浮かべており――複数人の足音が、慌ただしく、近寄ってくる。
「だーから、あの案件は、もう終わったの。フィーニッシュ。ゲームオーバー。終わりよ終わり、おーしーまーい! また、同じこと言ったら、貴女の家にピンポンダッシュを嗜むクソガキを数千体送り込むからね? オーケー、わかった? わかったら、返事は?
あー、貴女たち、座って座って」
派手。
第一印象で、その二文字の印象を抱かせた美女は、ブランド品らしき白シャツにタイトスカートを着こなし、肩に上着をかけて、如何にも高そうな腕時計に眼をやりながら、大量に開いた画面にがなり立てる。
俺たちに手を振りながら、座らせ、ボールペンで手帳に何かを書き留めながら、耳と肩で挟んでいた携帯電話を落とし空いている手で受け止める。
大量の箱を積み重ね、両手でもって。
学園長の両脇に従っていた女性たちは、手慣れた手付きで部屋に箱を並べていった。その表面に浮かび上がっているのは、誰もが知るブランドのロゴで、そのひとつひとつを査定して額を数えていったら目を回すことになるだろう。
ウェーブがかかったブロンドヘアー。
目力だけで人を殺せそうな彼女こそが、この鳳嬢魔法学園を支配する学園長、かの鳳皇家を取りまとめている現当主、その他諸々の高名を併せ持ち呑み干している権力の中心――鳳皇羣苑。
凄まじい手捌きで、画面を閉じていった学園長は、秘書になにか指示を出してから俺たちの真向かいに座る。
「よっ、学生諸君! この度は、三寮戦の優勝おめでとう! いやー、今年も盛り上がったねー! 良いよ良いよ、若さってもんを感じるよ! わたしなんてねぇ、最近は、ほら肩は凝るわ腰は曲がるわ三段重ねのアイスの三段目を落とすわで、人生ストップ安でやんなっちゃうわよ。
あー、ほらほら、アレ出してあげてアレ。ちょっと前に、三条家の婆さんたちからもらったアレあるでしょアレ」
「先週、頂いた清酒のことであれば、彼女らは未成年ですのでお出し出来ません」
「あー、はいはい、そうねそうね。知ってた知ってた。それは、ちょこっち、まずいわよね、この子たち未成年だもんね。あははははは」
まさにマシンガントーク。
原作内で『おしゃべり暴走機関車』と呼ばれるだけあって、彼女は、物凄い早口で一気に捲し立てる。
呆気に取られるミュールの前で、羣苑はケラケラと笑う。
「しかし、大変だったねー、ミュールちゃんねー。わたしなんて、ほら、人情家で知られてることもあって、ちょっとねぇ、今回のアレは涙腺にくるものもあったじゃない。昔から、わたし、ヒューマンドラマとか好きだからさぁ。なんだか感情移入して、涙ぽろぽろ零れて、化粧落ちるわで困っちゃうわよ。
ともかく、アレねアレ、おめでとうおめでとう」
「は、はぁ……」
困惑したまま、寮長は、学園長の握手を受ける。
「で、そっちが」
学園長は、笑みを俺に向ける。
「三条燈色くん、だ」
「……どうも」
「いや、びっくりしちゃった、なに、なんでそんなに顔が綺麗なの。女装とか似合うんじゃないの。男の子がアレだけ活躍するのなんて、鳳嬢始まって以来のことだからさー、ミュールちゃんのことも合わせて、ほら、すんごい大変だったのよー。特に、ねぇ、三条家のおばあちゃんたちなんて、化粧のノリも悪けりゃ話のノリも悪くてさぁ、脅し文句みたいな山吹色のお菓子送ってきたわよ。おめー、越後屋かってー、あははははは。
で」
急に。
鳳皇羣苑は、俺の心臓を掴み上げる。
「なんで、スコア、ミュールちゃんに譲ったの?」
「えっ……」
目を丸くするミュールの横で、俺は、微笑みながらささやく。
「なんのことですかね?」
「あははははは、鳳皇衆の賭け屋使っておいて、そんな風にすっとぼけるなんてどんな胆力してんのよ、きみー。そりゃあ、あんだけモテるわけだわ。
月檻桜から始まって、神殿光都のお姫様、三条家の次期当主、アイズベルト家の次女に末女、アステミル・クルエ・ラ・キルリシアに劉悠然かー。ちょっと、数えたくらいでコレなのに、君が本気で事を起こそうとしたらどうなっちゃうのよー」
「それは」
俺は、微笑を浮かべながらつぶやく。
「脅しですか?」
「え、脅し? なんで? どこらへんが? どしたどした、顔がこわいぞー。折角の綺麗な顔がもったいないし、わたしは、この学園に通う学生全員を愛してるんだから、脅迫行為なんてするわけもないでしょーが」
あははははと、学園長は笑う。
本当に、心底から冗談を笑い飛ばしているようにしか視えず、わざわざ、『自分はお前のことを全て知っているぞ』と明白に情報開示してきたことをおくびにも出そうとしていなかった。
「ね、三条燈色くん。
君は、わたしの娘とは会ったかな?」
「いえ」
「きっと」
彼女は、微笑む。
「会わない方が良いだろうね」
「……でしょうね」
ニコリと笑って、彼女は、手を打った。
「では、宴もたけなわ、そろそろ本題に入ろうか。
例年、三寮戦の勝者には、学園長から直々に褒美を授けている。それは即ち、このランプの魔人を気取ったおばさんが、なんでも願いを叶えてあげるってことよ。ま、でも、ドケチなランプの魔人だからひとつだけだけどね~。
好きな望みを言いたまえ~、ちちんぷいぷいなんてね~、あははははは」
「…………」
「ミュール・エッセ・アイズベルト」
指を鳴らして、鳳皇羣苑はミュールを指した。
「貴女は、この魔人になにを望むのかな?」
「なんでも……良いんでしょうか……?」
「このわたしに叶えられることならね。
とは言っても、このわたし、鳳皇羣苑は、大抵のことは叶えて差し上げられるよ。なんせ、ほら、わたし、鳳嬢の学園長だからね。偉いからね凄いからねビッグネームだからね、腕を一振りすりゃあ海が割れるかもしれないからね。あははははは」
「……ヒイロの」
ミュールは、顔を上げる。
「ヒイロのスコアを上げてください。今後の生活が困らないくらいに。わたしのスコアを、全部、彼に渡しても構いません」
「えっ、ちょっ、おい!!」
慌てる俺の前で、学園長はささやいた。
「それは」
彼女の顔は、無表情で象られる。
「無理だ」
「え……?」
「その願いは叶えられない……恐らく、神に願ったとしても……いや、神だからこそ叶えてはくれない……その願いは受け付けられない」
「ど、どうしてっ!? たかが、一個人のスコアを上げるくらい!! そもそも、三寮戦でアレだけ活躍したのに、どうしてヒイロのスコアは0のままなん――」
「ミュール」
学園長の異様な気配を察し、俺は、立ち上がったミュールの腕を掴む。
「座れ」
「でも……」
「良いから座れ」
不承不承に、ミュールは腰を下ろした。
「で、願いは?」
学園長は、ぱっと笑顔を見せて、何事もなかったかのように問いかけてくる。
苦笑した俺は、真横のミュールに顔を向ける。
「寮長、この願いは、貴女のために使ってください」
俺は、微笑を浮かべて、ふるふると首を振るミュールに言った。
「三寮戦の勝者のご褒美は、その寮を勝利に導いた寮長の特権です。なにも遠慮することはない。そして、ソレを俺たちは望んでいる」
「……わかった」
ミュールは、ゆっくりと口を開く。
「わたしの願いは――」
彼女は、願いを口にして、ランプの魔人はこくりと頷いた。
学園長との面談もつつがなく終わって、俺とミュールは学園長室の前で別れる。
俺は真っ直ぐその足で黄の寮の屋根裏部屋にまで行ってから土下座する。
「たすけてくださぁい!!」
「頭が高い」
白髪のメイドの言葉に、俺は、頭を床に叩きつける。
「たすけてくださぁい!!」
「では、じっくりと」
スノウは、綺麗な笑顔を浮かべる。
「話を聞きましょうか、御主人様?」