青空の下、サンドイッチを食べながら、苦悶の表情で死ぬ未来を持つ男
「今日から」
笑顔で、劉悠然は言った。
「私は、貴方のことを」
俺にとっての死神はそう言った。
「自分の弟だと思うようにする」
時は、三寮戦終了直後まで遡る。
「今日から、劉と一緒に暮らしなさい」
「……なに言ってんだ、お前?」
死に体で、三寮戦を乗り越えた俺は、どうにか外面の修復を終えた状態でつぶやいた。
慌ただしく、メイドたちが駆け回るアイズベルト家の本邸。
夜逃げ同然に家財道具の一式を積み込ませているソフィア・エッセ・アイズベルトは、髪を掻き上げてため息を吐く。
「あたしたちは、堂々と真正面から、アイズベルト家に喧嘩を売った第一級の叛逆者よ。ミュールとクリスはアイズベルト家も掴んでない場末の病院にブチ込んであるけど、劉は各方面から恨みを買いすぎてて、どこに入院させても殺される可能性がある。
なら、目が覚めるまで、あんたに護ってもらうしかない」
「あぁ、そういう意味ね……なら、ソフィアさんはどうすんの?」
微笑んで、ソフィアは、俺の頬に手を当てる。
「こんな時にまで、人の心配してないで自分の心配してなさい。
適当に身を隠すから。大丈夫よ」
え……なに、その息子に向けるかのような優しい眼差し? なんで、俺の頬を撫でる必要があるんですか?
受信音が聞こえて、俺の魔導触媒器に地図が送られてくる。どうやら、トーキョー郊外の隠れ家らしく、数週間分の食べ物が蓄えられており、簡単な索敵システムも備わっているとのことだった。
「さ、行きなさい」
背伸びをしたソフィアは、俺の額に優しく口付ける。
「一週間で、安全を確保して学園に戻れるようにする。ここから先は、大人の仕事だから、あんたは劉とちょっとした休暇を楽しんでなさい」
「……なんで、キスしたの?」
後ろ手を振りながら、ソフィアは車に乗り込み、俺は呆然とその背にささやいた。
「なんで、キスしたの?」
こうして、俺と劉の同居が始まった。
ソフィアの腹心の運転で、トーキョー郊外にまで連れられた俺は、従者が出入りするのは見つかるリスクを高めるということで、家事全般は自分でしてくれと言い付けられて車から下ろされる。
海外用プリペイドのSIMカードが入った飛ばし携帯を預けられ、使うのは緊急時のみで隠れ家の周辺では電源も入れるなと厳命され、魔導触媒器を使っての連絡は絶対にするなとのことだった。
なんか、スパイ映画みたいになってきたな……とか思いつつ、俺は、田舎風景の中に聳え立つ古民家に眼を向けた。
トーキョーにも、こんなところあるんだと驚きつつも、十分な手入れが為された家屋内を一通り見て回る。
板張りの広間には、囲炉裏が備えられていた。魚の飾りが付いた自在鉤がぶら下がっており、その先端には鉄鍋が吊られている。
庭には釣瓶井戸があって、畳敷きの座敷の戸を引くと、その光景が目に入ってくる。
とは言っても、それは、飽くまでも見た目だけの話のようで。
水道もガスも電気も通っており、トイレに至ってはウォシュレット付きなので、外面だけは古民家を装った現代家屋だった。
俺は、傷による熱で呻いている劉を布団に寝かせ、全身を拭いてから着替えさせ水を飲ませてやった。
「……この女、意外と胸がデカイな」
「黙ってろ、このクソ悪魔がァ!! 悪・霊・退・散!! 色・即・是・空!! 百・合・最・高!!」
医師による処置は済んでいるものの、暫くは安静第一ということで、俺は万が一に備えて気を張り詰める。
既に時刻は夜半を回っているが、警戒を緩めるわけにもいかない。
魔人と化した俺は、周辺魔力を吸い込みながら内部の修復に勤しみ、眠気を我慢しながらささやく。
「アルスハリヤ先生、なんで、俺は魔人なのに眠いんすか?」
「答えてやろう、初心者。
僕たちと君とでは、微妙に存在性が異なる。君には元の人間という型があり、元の型の要素に在り方が引っ張られているわけだ。だから、君は見た目的には人間そのもので、生理的欲求は人間と変わらず、その有り様は人間の延長線上として扱われる。
だから、ヒーロくん」
爽やかな笑顔で、アルスハリヤは俺の肩に手を置いた。
「そこの無防備に寝転がってる女を手篭めにすれば、幸せな家庭が簡単に築けるぞ?」
「先生、次、調子こいたらその笑顔を苦悶に変えちゃいますからね?」
「でも、さっき、脱がすところまではいっ――」
俺は、アルスハリヤの腹の上に跨り、グラウンドパンチを放つ。
「酷い……傍から視れば幼児虐待だ……児童相談所と日本総合格闘技協会に総合格闘技的虐待を受けていると電話相談してやる……」
「要は、先生、俺は普通に過ごしていれば魔人だとバレないわけですね?」
俺の愛の拳を十分に受けた魔人は、さめざめと泣きながら、拳の形にめり込んだ顔を修復していく。
「まぁ、そうだろうな。
とは言っても、勘の良い魔法士は見抜くだろうし、各魔人の眷属たちも魔人の匂いを嗅ぎ分ける。魔人化の影響は各種方面で出てくるであろうし、魔法士たちは君を敵だと認識して襲いかかってくるだろう。
要するにだね」
魔人は、ニヤリと笑う。
「君は、人類の敵だ」
「FOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!! IINEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!」
俺の膝に座る魔人の頭をパシパシ叩きながら、歓声を上げると、彼女は呆れたように真上を向いた。
「まぁ、君のその百合色の脳みそでは、そういった反応しか出来ないんだろうがね」
「さ、最高だ……俺は、この世界の……人類の敵……その通りじゃないか……三条燈色は、この世の敵として見定められた……俺に好意を持つ人間は、今後、現れることはないというわけだ……!!」
「…………(バカを視る眼)」
「まぁ、それはそれとして」
俺は、笑いながら、九鬼正宗を構える。
「劉が元気になったら、俺、死ぬけどね。お前のせいで、俺の百合人生計画はめちゃくちゃだよ。どうしてくれんだ、カスが。クリスにアレだけのことしておいて、知らん顔出来るわけねぇだろうがよ」
「娶れば良いだろ。
もう完全に惚れてるんだから、喜んで、結婚式場の用意をして幸せな家庭を築いてく――」
俺は、九鬼正宗の刃を己に突き刺そうとして――その手が止まった。
「無駄ァ……!」
アルスハリヤは「チッチッチッ」と指を振りながら笑う。
「君が魔人化したことで、僕との同化が更に深まった。自害なんぞつまらん結末は絶対に迎えさせないし、これからも僕の愉悦に付き合ってもらう」
「こ、殺す……!!」
「あっはっはっ!! 良いぞ良いぞ、その顔だ!! 情けないなぁ悔しいなぁ泣きそうだなぁ!? どうしたどうした三条燈色、笑顔が苦悶に変わったぞぉ!? 現在も、クリスは、お前を想って胸を焦がしているぞぉ!?」
こ、殺す……この魔人だけは、生かしておいてはいけない……コイツは、邪悪な存在だ……百合にとって良くないものだ……殺す……なにがあろうとも、コイツだけは、この俺の手で滅っしてやる……!!
散々、俺を煽ったアルスハリヤは笑いながら消えて、取り残された俺は九鬼正宗を抱いて柱に背を預ける。
「…………」
俺が魔人と化したことで、また、様変わりしそうな生活。
この百合ゲー世界に来てから、俺の望む百合ライフは送れていないが、何時かこの努力を天が認めてくれる日がきっと来る筈だ。
その時、俺はこの舞台から姿を消して……幸せになれる……頼む……幸せにしてくれ……神よ……。
そんなことを考えつつ、俺は、闇を睨み続ける。
深夜。
気配を感じて、俺が眼を開くと、劉悠然がこちらを視ていた。
「……よぉ」
彼女は、じっと、暗闇の中から俺を見つめる。
「……なぜ、助けた?」
「助けない理由がないから」
「……殺せ」
「断る」
劉は、眼を閉じて、眼尻から涙が流れる。
「……ごめんなさい、シリア」
「…………」
夜が明けて。
意識を取り戻した劉は、まだ身体を動かせないようなので、俺は本棚にあった料理本を片手にお粥を作る。
眠っている劉の口元にお粥を運ぶと、拒否するように彼女は顔を背けた。
「……殺せ」
「そんな虜囚の女騎士みたいなこと言うなよ。
ほら、食えって。めっちゃマズいから」
顔を背けたままの彼女に、無理矢理、お粥を食わせると――彼女は、猛烈な勢いで咽て涙目になる。
「ま、マズい……!!」
「まぁ、でも、生きてる実感はあるだろ。美味い不味いがわかるんだから」
「…………」
「シリアの正義は」
片膝を立てた俺は、彼女に笑いかける。
「あんたが伝えていけよ」
「…………」
その後、黙々と、劉は俺の作ったクソマズイお粥を食べていた。
次の日の早朝。
自分が寝入っていたことに気づき、もぬけの殻になっている目の前の布団を見つけ、俺は勢いよく立ち上がる。
その時、自分にかけられていたタオルケットが落ちた。
包丁の立てる音。
恐る恐る、台所にまで行ってみると、髪を梳かしてエプロンを着けた美人が、こちらを振り向いて微笑んだ。
「座ってなさい。もうすぐ、出来るから」
アレだけの重傷が、いつの間に治ったというのか。
完治しているようにしか視えない劉は、健康そのもので、腕にぐるぐると巻いた包帯以外は健全そのものだった。
数分後。
俺の前に出されたご飯と味噌汁、根野菜の煮しめ、綺麗に焼かれたシャケと卵焼きは、艶めいていて光を放っており、慄く程の美味を舌に伝えてくる。
久々のまともな食事にがっついていると、微笑を浮かべてこちらを見つめる劉はささやいた。
「美味しい?」
「え……まぁ、うん。
た、食べれば?」
「えぇ」
肯定の返事を返しながらも、劉は、ずっと俺が食事を続ける光景を見守っており、その謎に愛情が籠もった視線に首を傾げる。
「昨夜」
食後。
改まったかのように、俺の前で正座した彼女はささやいた。
「よく考えた……貴方は、シリアが遺した正義を実践し……諦めていた私の心を救ってくれた……命を懸けて、ミュール様を救い、貴方を殺そうとした私すらも救おうとしてくれた……」
劉は、静かに、胸元からシリアと自分が映る写真を取り出す。
「この写真を視て、貴方は『案外、俺とあんたのツーショットが、この横に並ぶかもしれないぜ?』と言いましたね?」
なぜか。
急に、俺の胸がざわつき始める。
「貴方が、あの時、なぜそんなことを言ったのかずっと考えていた……そして、ようやくわかった……貴方は……」
彼女は、涙を流しながらささやく。
「天涯孤独を定められた私の家族になってくれると……そう言ってくれていた……」
思いも寄らない答えに、俺は、思わず間抜けな声を漏らす。
「…………はぁ?」
「私とシリアは、姉妹同然でした。私の孤独は、彼女のお陰で埋まっていた。
だから、貴方は、その代わりを努めるとそう言ってくれたんですね」
「言ってないね」
「だから、私は、貴方を受け入れることにした」
彼女は、綺麗な笑みを浮かべる。
「今日から、私は、貴方のことを」
「言ってないねぇ!?」
「自分の弟だと思うようにする」
「言ってないねぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
腹を抱えて大笑いするアルスハリヤの笑声が響き渡り、俺は、泣きながら「違う!! 違う違う違うッ!!」と否定したが、それは善意に拠るものだと思われたのか、劉は涙を流しながら「ありがとう」と俺を抱き締めた。
その日から、劉は変わった。
いや、変わってしまった。
「近場の美容院と服屋に行ってきました。あまり、貴方の姉として、みすぼらしい格好も出来ないので……特に、バレるような場所ではないと思いますし、足はつかないようにしましたから」
「……………」
日に日に、彼女は、美しさに磨きをかけていき。
「燈色、一緒に勉強しましょうか。学園に戻るまでの間、私が勉強を視てあげるから、学力を落とさないようにしましょうね。
燈色なら、出来ますね? 良いお返事が出来て偉いですね、さすが、燈色ですね」
実の姉のように、俺を甘やかすようになり。
「今日から、お姉ちゃんと一緒に寝ましょうね。いざという時に、私が貴方を護れるようにしてあげるから」
現在まで、抱え続けたことで溢れきっていた感情が、俺に向けられるようになり。
「よしよし、良い子良い子……」
力づくで、布団の中に引っ張り込まれた俺は、劉の柔らかい胸の中で充血した眼を柔肌に向ける。
劉が姉化してから、俺は、一睡も出来ていない。
何度、寝床を涙で濡らしても、号泣しながら過ちを正そうとしても、劉の暴走した愛情は留まることを知らず行き着くところまで行ってしまいそうだった。
自分を命懸けで打倒し、シリアの正義を実践した愛おしい子として、天涯孤独の彼女は俺に家族かそれ以上の感情を抱き始めていた。
俺は、ただ、劉とシリアの美しい百合を護りたかった。
ただ、それだけだったのに……劉に抱き締められた俺は、柔らかい女体に包まれながら、嗚咽を漏らし、絶対に手を出してはいけないという状況下で唇を噛み切りながら必死に耐え続ける。
「ぐ……ぐぉ……ぐぉお……!!」
毎晩毎晩、魔人の笑い声を聞きながら、俺は、己の死を明白に感じていた。
つい先日まで、自分に向けられていた殺意は倍増して愛情に変わり、バケモノにしか視えていなかった彼女は、かつて、美貌と実力を兼ね揃えた祖の魔法士の時代に遡ったかのように美しくなっていく。
そして、彼女は、自分の魅力に無頓着だった。
自分と同じようにして、この男の子は、己のことを姉として視ていると思い込んでいた。
その癖、俺が迫れば、簡単に受け入れてしまいそうな危うさがある。
そんな状況下で、あと何日……あと何日、俺は、この地獄に耐えれば良い……どれだけ我慢出来るかなんてわからない……己の自制がどこまで続くのか……俺には……わ、わからない……。
彼女に手を出せば、俺という存在は終わる。
彼女とシリアの関係性すら破壊して、本当の意味での百合殺しへと至る。
ならば、耐えるしかない。
耐えるしかないのだが――
「眠れないの……大丈夫、怖いことなんてないから……眼を閉じて……もっと傍に来なさい……」
一思いに殺してくれ。
こうして、俺は、日に日にやつれていき、ようやくソフィアが連絡を寄越した頃には涙も枯れていた。
『ピクニックに行きましょう』
「…………」
『ようやく、あんたたちの安全も確保出来たし、ミュールとクリスの怪我も完治したからね。ミュールとクリスも、あんたと久々に逢えるってそわそわしてるし、リリィも是非お礼を言いたいって』
「…………」
『皆、楽しみにしてるわよ。
あぁ、でも、念の為に、あと数日はそこで様子をみて。よろしく』
電話が切れて、俺は、空を仰いだ。
死の足音は、直ぐそこにまで迫っていた。