諸行無常の後始末
純白の衣。
縫い目ひとつない死装束を身に纏った俺は、座敷に腰かけ、青い空を見上げて微笑んだ。
「白百合や」
涙を流しながら、俺は、辞世の句を詠み上げる。
「咲く節にこそ 生まれてしがな 我が眼に映る 口吻の 尊きことに憂いなし」
ぐいっと、前を開き、腹を曝して。
俺は、腹に短刀の刃先を向ける。
思い切り、それを突き立――
「だから、無駄だと言ってるだろ」
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああちくしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ぷるぷると震える手が、俺の意思に刃向かい、その刃を止めていた。
長きに渡る三寮戦は、終結を迎えた。
恐らく、誰も予想していなかったミュール・エッセ・アイズベルト率いる黄の寮の勝利で幕を下ろした三寮戦は、鳳嬢魔法学園の土台を揺るがせ、魔力を持たない『似非の魔法士』はその名を轟かせた。
それは、鳳嬢魔法学園、創始以来の大激震だった。
なにせ、魔法学園で、魔法を用い得ない者が勝利を掴んだのだ……それは、学園側も予期し得ない『魔法学園とはなにを学ぶ場なのか?』という命題を生み、学園内の各種派閥で怒涛の大議論を巻き起こした。
一時期、ミュール・エッセ・アイズベルトを退学処分にするべきだと、一部の魔法士から強い圧力があったのはお笑い種で、一部の教師からも『なにかの間違いである』として三寮戦のやり直しの要求があった。
特に、その再戦要求と異議申し立てにお熱を上げていたのは、面目を潰されたどころか顔面に蹴りを喰らったルルフレイム家とフリギエンス家の面々で、顔を真っ赤にした老婆が毎日のように鳳嬢に押しかけていた。
曰く、観客を人質にとった戦法は、卑怯千万であり不正である。
曰く、一騎討ちの前に、残機を減らした不意打ちは不正である。
曰く、ミュール・エッセ・アイズベルトは魔法を使えないので、そもそも三寮戦への参加を認めるべきではなかった。つまり、彼女の参戦自体が不正である。
鳳嬢魔法学園の教師陣は、日々、対応に追われ、真面目にクレームを受け付ける者もいれば、面談中に酒をかっ喰らってソファーで眠りこける者もいた。
教師は教師で十人十色、ミュールの敵と味方も様々な色を持っている。
いちゃもんを付ける人間もいれば、逆に、ミュールの味方に付く人間もいる。
その主だった味方とは、当事者であるフレア・ビィ・ルルフレイムとフーリィ・フロマ・フリギエンスだった。
「ひゃっはっは……黙れ、ルルフレイム家の面汚し。
敗北を喫した後に、財宝を抱えて躯を晒し、首だけで文句を垂れる龍がいるものかよ。そんなくだらんことに時を費やすくらいなら、その薄汚い余生に幕を閉ざす棺桶の準備でもしておけ」
こういった事態を想定し、数多の後援者を取り入れたフレアは、そう言って笑い飛ばし――
「うるさいわねぇ、死に遅れの婆さんたちは……貴女たちが足を引っ張るせいで敗けたんだから、冥府の底から縋り付いてくるのはやめてくれないかしら。
どうせ、あと数年もすれば、全部、私のものになるんだから、黙ってご機嫌取られながら黙祷されてなさいよ」
フーリィは意にも介さず、悪態をついていた。
当事者たちが三寮戦の再戦という名の恥の上塗りを拒否し、一部のルルフレイム家とフリギエンス家の面々も、それが逆にマイナスイメージに繋がることを理解して彼女らの後援に回った。
当然、フレアもフーリィも、この敗北で痛手を負った。
彼女らの未来にとって、この三寮戦の勝利は欠かせないものであり、軌道修正を余儀なくされたのは間違いなかったが……稀代の傑物たる所以か、彼女らは、その傷を己の糧に変じようとしていた。
こうして、三寮戦の再戦騒ぎは、一部の人間の欲と業を呑み込んで収束した。
フレア・ビィ・ルルフレイムとフーリィ・フロマ・フリギエンスという二大巨星は、人の手で地に導かれ、その小さな手に収まった。
各種メディアは、競って、その巨人殺しを取り立て、付随して生来の魔力不全という病状も取り上げられ、各地にいる魔法を使えない人間から、涙ながらのビデオメッセージがミュールの元に届いた。
なにも為せなかった少女が、その手で己の正道を為した。
最後まで諦めなかった彼女の姿は、見栄えが良く物語的で、メディアにとっては垂涎モノのネタだった。
それは、当然、視聴者にとっても同じで。
どんどんどんどん、ミュール・エッセ・アイズベルトへと注目が集まり、その一身に帯びている情報を吸い上げようとした。
こうして、クリス・エッセ・アイズベルトが踊る姿が何度もお茶の間を賑わせ、当本人は身悶えしながら「ころしてくれ……」と羞恥の海に溺れ、アイズベルト家は一体なにをやったんだと注目が集まった。
長年に渡り、ミュールを保護するために、アイズベルト家に巣食う悪辣な化物を相手取ってきたソフィア・エッセ・アイズベルトが、その絶好の機会を見逃すわけもなく、手練手管を尽くし彼女はアイズベルト家の闇をぶち撒けた。
それは、ひとつの爆弾だった。
シリア・エッセ・アイズベルトが遺した映像記録は、魔眼の強制開眼による実験の数々を語るもので、自身が試験管ベビーであることを告白し、証拠の数々も白日の下に晒された。
青白い肌を持ち、死相を帯びた美しい少女は、最後にメッセージを遺していた。
「ねぇ、劉」
綺麗に笑いながら、陽だまりの中で、彼女はささやいた。
「正義は、必ず勝つよ」
ふたりの妹を護り通して、己の命を捧げた彼女の言葉は伝搬していく。
アイズベルト家という名の巨大な魔物は、ありとあらゆる方向から世論の剣に貫かれ、アイズベルト・グループに入った捜査のメスはそのドス黒い腹の中を晒し、降り積もるマイナスはその巨体を押し潰していった。
アイズベルト家に虐げられた人々の声は、時間の積み重ねと比例して増えていき、それはもう取り返しがつかない線を超えていた。
盛者必衰、生者必滅。
揺らぐことはないと思われたアイズベルト家の神話は、崩壊していき、ミュール・エッセ・アイズベルトは巨人どころか神すらも殺そうとしていた。
きっと、アイズベルト家の誰も思わなかっただろう。
自分たちが出来損ないと罵り、その存在を秘匿し、虐げてきた存在の手で滅びの運命に導かれるとは。
「3~5年」
自身も、アイズベルト家の一員として、その責を負ったソフィアは、日々の対応に追われながら言った。
「アイズベルト家が、私の手で潰されるまでの時間よ。
奴らの首はヒュドラーのように九つあり、奴らの全身はアキレウスのようにステュクスの水に沈んだ……その踵を射抜くまでには、それくらいの時が必要になる」
当主の名は離しても、権力は己の手の内に。
そういった老獪さを併せ持つ人間は、アイズベルト家に相当数巣食っており、しぶとく息を潜めながら機を窺っていた。
ただ、そういった連中は、今後の余生をじわじわと真綿で首を締められるかのように追い詰められ……逆にその延命措置は、水面にストローを突き出して呼吸を続けるかのような、儚い命を無様に繋ぐ地獄絵図の様相を描いていた。
なにはともあれ、事態は良い方向に進んでいる。
既に烙禮のフェアレディは、俺とクリスの手で消滅させており、三寮戦を契機に発生する筈だったアイズベルト家同士の殺し合いが発生することはない。
こうして、俺は、トゥルーエンドを掴んだ。
俺が求める百合が咲き誇る世界を、この一身を捧げて掴んだのだ。
掴んだ筈なのに――
「燈色」
丹念に梳かされた黒髪。
黒色のセーターとワインレッドのマキシ丈のロングスカートを着た彼女は、別人のように美しい姿へと変貌し、原作ゲームでシリアに向けた美しい笑顔を、俺に向かって見せていた。
「さぁ、食べなさい」
花開くように笑いながら、劉悠然は、己の手で作った手料理を前に両手を広げる。
片手で顔を拭った俺の膝が、ガクガクと震え始めて、息を荒げながら垂れ落ちる冷や汗を必死で拭い取る。
拭っても拭っても、涙と汗で前が視えない。
静かに、ゆっくりと。
死にたくても死ねない俺は、小刻みに震える両手を組んだ――神に祈るために。
視界が狭まってきて、心臓を押さえつけた俺は、必死で呼吸を整えながらだらだらと汗を流す。
そんな様子を見つめながら、劉は微笑んだ。
「冷めないうちに、よく噛んで食べなさい。
今週末には、みんなで――」
俺は。
「ピクニックに行くんですから」
ピクニックに行ったら――死ぬ。