その手の先に
――あんたは勝ちたいんじゃないのか
言葉が、響く。
――勝つためになにをすれば良いのか、考えなきゃいけないんじゃないのか
ぼやけていた視界が像を結ぶ。
「…………」
呼吸を整えて、赤く染まった前髪の隙間から敵を見据える。
外音が消えていた。
ミュール・エッセ・アイズベルトの頭にあるのはたったひとつ、たったひとつの問いかけ――どうすれば勝てる。
王の残機は2、ミュールの残機は1。
圧倒的な実力差は変わらず、フレア・ビィ・ルルフレイムとフーリィ・フロマ・フリギエンスは己の手が届かない場所にいる。
かつて、羨望の眼差しを向けた遙か高みにいる。
冷静に。
冷静に、ミュールは、頭を巡らせる。
自分には、魔法は使えず、ゆえにこのまま距離を保たれれば、一方的に攻撃を受け続けてジリ貧で敗れる……たったひとつの勝利への仕掛けは備わっているが……ソレを起動する暇もなく敗北を喫するだろう。
アイツなら。
アイツなら、どうする。
――ミュール・エッセ・アイズベルトは必ず勝つ
きっと、アイツなら――ミュールは顔を上げる――こうする。
ミュールは、黄の寮の観客席に向かって紐を飛ばし、最も魔力量が多い魔術師の少女の足首に巻きつけ、何事もなかったかのように蒼の寮生たちが集う観客席へと寄っていく。
「おい」
散々、ミュールを罵っていた彼女らは、急に借りてきた猫のように大人しくなって眼を背けた。
「よくも、散々、人のことをバカにしてくれたな! わたしは、お前たちを糾弾する!! なぜ、お前たちのような人間が蒼の寮生として、我が物顔で三寮戦を見物出来るんだ!!」
二寮長から背を向けたミュールを視て、もう諦めたと思ったのか。
苦笑と共に、蒼の寮生は口を開こうとし――ミュール目掛けて、炎弾と氷弾が飛来し――彼女は笑った。
足首に巻いていた紐を通して、黄の寮生と魔力線を繋いだミュールは、観客を護る黒柱に拳を叩きつける。
蒼白い閃光を放ちながら、黒柱は機能を失って対魔防壁が掻き消え、横に跳んだミュールの前にいた蒼の寮生たちへと――
「えっ?」
炎弾と氷弾が直撃する。
戦装束を着ていた彼女らは、致命傷を受けなかったものの、ものの見事に吹き飛んで予想外の攻撃に甲高い悲鳴を上げる。
続いて、ミュールは、朱の寮生の元へと行き――同様に、ミュールに罵声を浴びせていた彼女らは宙を舞った。
思いもしなかった攻撃を受けた女生徒たちは、顔を真っ赤にして「こ、コイツ、黒柱を壊して観客に攻撃を誘導したわよ!!」と金切り声を上げる。
「なにを言ってる」
きょとんとして、ミュールは首を傾げる。
「わたしは、魔法を使えない出来損ないだぞ? どうやって、黒柱を壊すと言うんだ?」
「る、ルール違反よ!! 三寮長による一騎討ちなのに!! コイツは!! 私たちを攻撃した!! 黒柱も破壊して一騎討ちの約束を破ったじゃない!!」
「お前を攻撃したのは、お前の寮の寮長だ。わたしは、なにもしていない。
それに、わたしは一騎討ちを望んで受け入れたが、この場に勝手に誘致された観客の安全を保証するなんて一言も言っていない」
愕然として、顔面蒼白になった女生徒は叫ぶ。
「ひ、卑怯者!!」
ミュールは、その言葉を受けて微笑んだ。
「あぁ、そうだ、わたしは卑怯者だ。魔法も使えず弱く、似非と呼ばれ、アイズベルト家の威を借り虚勢を張って生きてきた。そこに己の意思はなく、ただ唯々諾々と、言われた通りに出来損ないの道を歩んできた。
だが、現在は違う。わたしは、勝つために手段は選ばない。こうでもしなければ、あのふたりには届かないのであれば」
彼女は、感情を舌に乗せる。
「たとえ、卑怯者と呼ばれようとも……この手を伸ばすだけだ」
ゆっくりと。
ミュール・エッセ・アイズベルトは、攻撃を止めた二寮長を見上げて、真っ赤に染まった前髪の隙間から両眼を覗かせる。
「ようやく、こっちを視たな」
空中で止まったフレアとフーリィを眺め、ミュールは微笑む。
「どうした、もう攻撃して来ないのか。
人様の悪口で、大忙しの非・模範的生徒への躾はお終いか」
腕を組んだミュールは、意図を汲んだ黄の寮生によって阻まれ、観客席から逃げられなくなった人質を背に笑みを浮かべる。
「下りてこい。
お空の上の玉座から、人の這いずる地の上にまで。その似合ってない王冠は置いて、ふたりで雁首そろえて並んでみせろ」
フレアもフーリィも理解する。
遠距離から攻撃をすれば、その威力の大きさから自寮の人間を巻き込む。
かと言って、威力を弱めて放てば、ミュール・エッセ・アイズベルトに決定打を与えられず、弱い者いじめのような構図が長引くことになる。
明らかに、フレアとフーリィはカメラを意識しており、蒼の寮生と朱の寮生の罵詈雑言によるマイナスイメージを厭い、このまま一方的な攻撃を続ければ世間の評価が下がることを知っていた。
そして、フレアもフーリィも絶対的な自信を持っている。
既に残機を1削ったミュールに対し、自分たちの残機は2であり、その上で黄の寮の王は虫の息……例え、正面から正々堂々戦ったとしても、自分たちが敗けるわけもない。
だからこそ。
慢心を抱えた一対の王様は、なにも持たない裸の王様の下へと、己から堕ちていくことを選んだ。
彼女らは知らない。
ミュールに悪口をぶつけていた朱の寮生と蒼の寮生の中には、アイズベルト家の従者が身に着けていた偽の戦装束を纏って、紛れ込んだ黄の寮生が居たことを。
ミュール・エッセ・アイズベルトは、戦う前から己の立ち位置を理解し、遠距離攻撃による対策を盤面外で講じていた。
フレア・ビィ・ルルフレイムとフーリィ・フロマ・フリギエンスを地に堕とすための秘策――それは即ち、己の『似非』という蔑称を利用し、露骨な扇動者を紛れ込ませるという盤外戦術だった
だがしかし、すべてが、ミュールの思惑通りに運んだわけではない。
フレアとフーリィの攻撃に当たってやるつもりはなかったし、扇動者がいなくとも、多かれ少なかれミュールへの非難は起こっていただろう。
ソフィアという予想外の人物の登場がなければ、あのまま終わっていたのかもしれないと自覚している。
現在、ミュールの意識は揺らいでいる。
何時、意識が途絶えても、おかしくはないと感じていた。
それでも、激痛に耐えながら歯を食いしばったミュールは、自らの手で己を証明するために立っている。
この機会を失えば、もう、勝ち目はないことを知っている。
だからこそ、ミュール・エッセ・アイズベルトは、全身全霊を振り絞り、己の信念を軸にして立ち続ける。
――アイツが信じたミュール・エッセ・アイズベルトだッ!!
ただ、己の言葉を信じるために。
――がんばれ、ミュール
ただ、母の言葉に報いるために。
――ミュール・エッセ・アイズベルトは必ず勝つ
ただ、彼の言葉を護るために。
ミュール・エッセ・アイズベルトは――前を向く。
ただ、彼女は、構えを取る。
一度だけ、アイズベルト家の家族が揃って、当時のミュールが習っていた拳法の構えにアドバイスをしたことがあった。
シリア・エッセ・アイズベルトは、己の眼によって殺される前に『右足を半歩前に出して』とささやいた。
だから、ミュールは、右足を半歩前に出す。
クリス・エッセ・アイズベルトは、ミュールのことを『出来損ない』と呼び始める前に『上体が下がっている』と言った。
だから、ミュールは、上体を上げる。
劉悠然は、真っ黒な喪服を纏う前に『肘はもう少し引いて』とミュールの肘を叩いた。
だから、ミュールは、肘を少しだけ引いた。
ソフィア・エッセ・アイズベルトは、ミュールに『もう、貴女は、なにもしなくていいわよ』と言う前に『がんばれ』と声援を送った。
だから、ミュールは、がんばった。
過去を思い返しているうちに、いつの間にか、呼吸は落ち着いている。
楽しそうに、笑いながら、ミュールが拳を打つ姿を眺めている家族の姿が視えて、リリィは微笑みながらお茶を淹れてくれた。
静かに、ゆっくりと。
過去の幻想は消え失せ、現在の現実が姿を現す。
歓声が――聞こえる。
己に声援を送る黄の寮生が視えて、涙を流しながら母が声を上げ、リリィは必死で叫んでいる。
――無能
現在まで、聞こえていた声が消えていく。
――出来損ない
耳元で反響していたささやきが失せてゆく。
――似非
そして、その言葉を誰が口にしていたのかわかった。
呆然と。
自分にだけ視えるみすぼらしい少女が、こちらを見つめていた。
綺麗な白金髪を持つ彼女は、虚勢を張って綺麗な衣服を身に纏い、怯えながら杖状の魔導触媒器を振り上げている。
微笑んで。
血と泥で塗れたミュール・エッセ・アイズベルトは、自分が歩んできた過去に向かってささやく。
「消えろ」
風が吹いて、赤黒く染まったミュールの髪の毛が流れる。
溢れた涙が、空中で煌めいて、消えてゆく。
「そこに」
ようやく、得た答えを、彼女はそっとささやく。
「わたしの道はない」
時が動き出し――ミュールは、亡霊を払い除けて――フレアとフーリィが放った炎と氷を避ける。
紐。
二撃目を繰り出そうとしていたフレアの右手首が捻られ、彼女の炎塊はフーリィへと向かい、円弧を描くようにして生成された氷道を滑り上がった蒼の寮の王の頭から氷樹の冠が落ちる。
拳が、その冠を突き破って、氷片が飛んだ。
呻き声を上げながら、フーリィは腕でその氷片を受け止め、攻撃を繰り出そうとして――その背後に、蒼の寮生とカメラが在るのを視て躊躇し――着地点には紐が置かれていた。
フレアとフーリィは繋がり、彼女らはなにも気づかずに魔力を流し込み――呪衝――ふたりは、同時に蹲る。
フーリィ・フロマ・フリギエンスが顔を上げた時には、もう、既にミュール・エッセ・アイズベルトは接敵していた。
フーリィの眼が、ミュールを捉え、彼女は微笑を浮かべる。
「視えるか、フーリィ・フロマ・フリギエンス。
コレが」
拳が――
「わたしの答えだ」
入る。
吹き飛んだフーリィ・フロマ・フリギエンスは、フレア・ビィ・ルルフレイムにブチ当たる。
舌打ちをしたフレアは、彼女を退かそうとして――その全身が硬直していることに気づいた。
フレアは、驚愕で表情を強張らせる。
なぜ、フーリィが敗退しているのだと、その顔が物語っていた。
「言ったろ」
フレアの元へと疾走したミュールは、自分の掌を見せつける。
「二度と、この感触を忘れられなくなる」
フレア・ビィ・ルルフレイムの抱える疑問が、表情と共に氷塊してゆく。
「あの時か!! あの時、握手を交わした時に!! きみは!!」
フレアは、笑いながら、己に向かってくる好敵手へと炎弾を連射する。
「吾とフーリィの残機を減らしていたッ!!」
偽線。
己の魔力線を持たない出来損ない、ミュール・エッセ・アイズベルトだからこそ可能だった芸当。
自分自身の魔力線を持たない彼女は自分の魔力線を持たず、それゆえに他者の魔力線を好き勝手に構築し繋ぎ変えることが出来る。
だからこそ、あの握手の時に。
接触と同時に接続し、フレアとフーリィの魔力線を繋ぎ変え、その出口を『自身』へと変えて――思い切り逆流させた。
事前に黄の寮生を練習台にしていた甲斐もあってか、その衝撃と痛みは、絶妙に調整され戦装束に吸われていた。
戦装束のHIT音を誤魔化すために、ミュールは大声を張り上げ、宣戦布告を二重の意味で突き付けていた。
残機は、まだ二機もある。
その慢心と共に家名を背負ったフレアとフーリィは、内心で侮っていた似非の少女を己の元へと手繰り寄せていた。
家名を背負う少女と家名を捨てた少女。
家名を捨てた少女は、乱射される炎弾を掻い潜り、切れた頬から迸る血潮を撒き散らしながら、家名を背負って地に堕ちた少女の元へと――駆ける。
「「ォ、ォ、ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」
乱射、乱射、乱射ッ!!
蒼白い閃光を乱反射させながら、両者は絶叫し、残留した魔力を用いた魔拳と強烈な魔弾はかち合って弾け合った。
熱い。
線と化した世界を駆け抜けながら、ミュールは、己の掌で炎を掻き分ける。
熱い、熱い、熱い。
閉じそうになる眼、それでもミュールは耐えて耐えて、たったひとつの勝利を目指して手を伸ばした。
触れる。
指先が、フレアの頬に触れて、彼女は驚愕で眼を見開く。
繋がる。
かつて、遠くて遠くて、届きようもなかった存在へと――手が届く。
「ミュール」
声が、聞こえた。
血まみれで、何時ものように笑っている彼がささやいた。
「行け」
星が、視えた。
母に『届くわけがないでしょ』と言われ、手を伸ばすことを諦めた星が。
――無駄なんですよ
直ぐ傍にあった。
「ぁ、ぁ、ぁ、ぁぁあっ!!」
彼女は、必死で、手を伸ばして――
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
掴み取る。
その握り込んだ拳は、フレア・ビィ・ルルフレイムへと突き刺さり――蒼白の魔力が、周囲一面を包み込み――すべてが、静寂に包まれる。
「…………」
立っているのは、ミュールだけだった。
彼女は、ゆっくりと、己の両手を見下ろす。
そこには、傷だらけの手があって、無駄だと言われ続けてきた努力の証があった。
ぽたぽたと、手のひらに涙が零れて、こびり付いた血と泥が剥がれ落ちていく。
長い間、彼女を包み込んでいた分厚い殻が――音を立てて弾け飛んだ。
「ぁ、ぁ、ぁあ……!!」
その手で、己の顔を覆って、ゆっくりと彼女は膝をついた。
「ぁあ……ぁあ……ぁああ……!!」
喉から漏れた嗚咽が、己の中に響き渡ってゆく。
「無駄じゃなかった……無駄じゃ……無駄じゃ……」
彼女は、泣きながら、自分の手のひらを見つめる。
「ぜんぶ……ぜんぶぜんぶぜんぶ……してきたことには意味があった……出来損ないじゃないって、似非じゃないって、無駄なんかじゃないって……言いたかった……先生と遊びたかった……虐めてなんて欲しくなかった……みんなに尊敬される寮長に……なりたかった……わたしは……ずっと……ずっと……」
つぶやき声が、空へと舞い上がる。
「星に触れたかった……」
大歓声が巻き起こり――ミュールは、あっという間に、黄の寮生に包まれていった。
この話にて、第九章及び第三部は終了となります。
ココまで読んで頂きまして、本当にありがとうございました。
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