星と君に願いを
「このペテン師が」
フレアは、笑いながら、俺に目線を向ける。
「なにが、朱の寮、蒼の寮、黄の寮の実力は拮抗しているだ。
兵の質も量もこちらが上で、黄の寮が落ちるのは時間の問題だった。地の上で蠢く人の分際で、空を飛ぶ龍をおちょくるなよ」
「ヒーくんのお口と頭の緩さ、どうにかならないの? 出会った時から、凶兆の塊みたいな子なんだから……私、心配しちゃう」
「きみ、最初から、吾たちを黄の本拠地までおびき寄せるつもりだったんだろう?」
朱色の髪を掻き上げ、フレアはささやく。
「勝ち目はそれしかない……そう考えていたんじゃないのか?」
「まったく」
フーリィは、集まりつつあるカメラを見遣ってささやく。
「私たちの立場を質に入れて、勝利を引き出そうとするなんて。
ヒーくんったら、欲張りどころか、傲慢で面の皮の厚い悪魔みたいね」
口は開かず、俺は、苦笑を浮かべる。
フレア・ビィ・ルルフレイム、フーリィ・フロマ・フリギエンス。
この両者には、ひとつの共通点がある。
ルルフレイム家とフリギエンス家という名家の肩書きを背負い、その家格に見合った勝利を求められていることだ。
それは即ち、世間の目を意識する必要があるということだ。
出来損ないとまで呼ばれた少女に勝つことは当たり前、そこに付加価値を加えろと言われている。
ルルフレイム家とフリギエンス家の権威を見せつけ、世間が満足するような演出を盛り込み、悪者扱いされないように気をつけながら黄の寮を打倒しなければならない……そのように高度な要求事項を一挙に叶えられるのは、俺が提案した一騎討ちという名の寸劇だった。
ただし、それは、嘘臭くなってはならない。
例えば、最初期に俺がこの一騎討ちを持ちかけたとしても、フレアもフーリィも、誘いにノッてはこなかっただろう。
聴衆だってバカではない。繰糸が視える人形劇など興ざめだ。
朱の寮、蒼の寮、黄の寮、三寮が激戦を交わし、苦戦を感じ、接戦を見せなければ、世間はこの一騎討ちを『三名家によって仕組まれた演出』として糾弾するだろう。
だからこそ、この可能性を引き寄せるために、ミュールは戦わなければならなかった。
この圧倒的に不利な条件下で、二名の傑物の背に追いつき、追いすがり、追い越せると思わせなければならなかった。
アイズベルト家による不正が追い風となり、一か八かのこの策は成功し、勝利の風を呼び込みつつある。
ミュール・エッセ・アイズベルトは、役なしの状態で博打の机に着き、ありとあらゆる難事を前にして、勝利への道程を貫き続けた。
フレアとフーリィは、まるで、俺の手柄のように語っているが。
誰よりも、その責を負っていたのは、ミュール・エッセ・アイズベルトだった。
手が震え、涙が滲み、心が『逃げろ』とがなり立てる。
三年間の学園生活の中で、彼女はずっとフレアとフーリィと言う名の傑物と比べられ、努力を踏みにじられ、母親には『なにもするな』とまで言われてきた。
彼女は、矜持を捨てた。
彼女は、寄辺を捨てた。
彼女は、家名を捨てた。
この世界で、誰もが持っている魔力を持たずに生まれてきた彼女は、数少ない所有物すら放棄してみせた。
そんな状況下でも。
震えながら、泣きながら、弱さを見せながらでも。
ミュール・エッセ・アイズベルトは、最後まで、勝負の席から立つことはなかった。
――わたしは、諦めない
あの子は、護った。
俺に誓った言葉を、己の不甲斐ない姿を見せてでも護り続けた。
ミュール・エッセ・アイズベルトは強くなった。
それでも、フレアも、フーリィも。
その眼差しを俺に注いで、目の前の彼女から目を逸らしている。己の勝利を確信しているからこそ、勝負の場へとやって来た。
ミュールのことを認めつつも、ふたりの寮長は、自分が敗けるとは露ほどにも思ってはいない。
朱の寮も蒼の寮も、そして、黄の寮の一部の生徒も。
ミュールには、勝ち目がないと思っている。
それは、冷静な分析で、当然のことだと言えるのかもしれない。
でも、可能性は0ではない。
その可能性に縋り付き、敗ければ誹りを免れない状況下で、勝負に挑もうとする彼女を……罵る権利を持つ者はいない。
だから、認めさせるしかないのだ。
ミュール・エッセ・アイズベルトは――己の力を見せつけるしかない。
「寮長」
俺は、微笑んで、ミュールの小さな肩に手を置く。
「俺は知ってます。俺だけじゃなくて他の連中も。最後まで、貴女を信じて戦い続けたヤツらは全員知ってる」
ちっちゃな寮長に、俺は言葉を投げかける。
「ミュール・エッセ・アイズベルトは必ず勝つ」
「……ヒイロ」
顔を伏せた彼女は、ささやく。
「信じてくれてありがとう」
「えぇ」
「味方でいてくれてありがとう」
「えぇ」
「傍にいてくれて」
下唇を噛み込んだミュールは、瞳を潤ませて笑みを浮かべる。
「ありがとう」
「……えぇ」
俺は、微笑する。
「もう、ひとりで大丈夫ですか?」
応えて。
彼女は、満面の笑みを浮かべた。
「誰に物を言ってる」
その笑顔に、誰かの面影が重なる。
「わたしは、ミュール・エッセ・アイズベルトだぞ」
無言で、俺は、ミュールが差し出した手を握った。
握手を交わした後、彼女から離れ、人垣を掻き分けて森の奥深くへと入る。
「……やってくれたわね」
大樹に背を預け、腕を組んでいるソフィアは形相を歪ませていた。
リリィさんを通して、俺を呼びつけた彼女は、不倶戴天の敵を見据える。
「あんたのせいで……もう、おしまいよ。アイズベルト家は、世間からのバッシングを避けられない。その程度で揺らぐ家名ではないけれど、その責任の追求を受けて、あたしの立場は一気に悪くなる」
「あんた、アイズベルト家が今まで行ってきたえげつない悪事の証拠を持ってるんじゃないのか?」
ゆっくりと。
ソフィアは、腰を浮かせた。
「……なにが言いたいの?」
「背水の陣だよ」
俺は、ニヤリと笑う。
「あんたが潰れるか、アイズベルト家が潰れるか……二者択一じゃねーの?」
「ガキが……あんた、神を気取って、あたしの後ろに川を引いてみた気にでもなってるんじゃないでしょうね……?」
「黄の寮は、あんたが仕組んだ絡繰の塊、ミュールを護るための城塞だろ?
あの寮を視る限り、あんたの手腕は、ルルフレイム家にもフリギエンス家にも比肩する。アイズベルト家が行ってきた所業の数々を手札に勝負すれば、あんたは、アイズベルト家すら潰せる筈だ」
「クソガキが」
震えながら、ソフィアは叫声を上げる。
「アイズベルト家を潰したら、その後ろにいるあたしたちがどうなると思ってるのよ!? あんた、ミュールのスコアを知ってるの!? あのスコアは、全部全部全部、アイズベルト家の威信があるからこそ保たれてるハリボテなのよっ!! アイズベルト家がなくなれば、あの子は路頭に迷うことになる!! 魔力不全の人間が、どういう扱いを受けることになるのか知ってるの!?」
「だったら、似非を本物に変えれば良い」
呆然とするソフィアに、俺は微笑を向ける。
「俺は、この命をミュールの勝利に賭けてしてきた。
恐らく、ミュールの勝利に賭けているのは、俺と数人の大穴狙いの博打狂いくらいで、鳳嬢のお嬢様たちが気慰みに賭けたスコアの殆どを獲得出来る。アイズベルト家の権威に及ぶことはなくとも、相当な量のスコアになるだろうし、三寮戦を勝利に導いたあの子を冷遇しようにも冷遇出来ない筈だ」
愕然として、ソフィアは顔色を変える。
「ば、バカじゃないの……正気……? 男のあんたは……ミュールが敗けたら、タダじゃ済まないわよ……?」
「大丈夫だ」
俺は、笑う。
「ミュールは勝つ」
「……勝てないわよ」
「勝つ」
「勝てないわよッ!!」
髪を振り乱しながら、ソフィアは腕を振り払った。
「あたしは!! あたしは、あの子が、赤ん坊の時から知ってる!! この腕に抱いたのよ!! ミルクだって与えた!! 初めて、あの子が『ママ』と呼んだ時のことを憶えてる!! 野菜を食べるのを嫌がるから、微塵切りにして好物に混ぜたり、あの子の世話を乳母に任せたりしなかった!! 何度も何度も何度も!! あの子が努力して、頑張って、自分のハンディキャップを克服しようとする姿も視てきた!! それでも!! それでもっ!!」
大量の涙を両目から流しながら、彼女は膝をつき、両手で顔を覆った。
「ダメだったのよ……あんたに……あんたに、なにがわかるのよ……あの子の背が伸びないから発育不全を疑われて、アイズベルト家の噂を聞きつけた連中から『悪魔の子』だって言われた……魔力を持たないって理由だけで……保育園でも幼稚園でも、あの子は、ひとりでお絵描きをしてた……小等部に上がる頃には、魔法をぶつけられて怪我をして帰ってくることが多かった……あのまま……あのまま、なにもしなかったら……あの子は、殺されるって……シリアみたいになるって思った……あ、あたしは、普通の……普通の女の子として……幸せになって欲しかっただけなのに……あたしみたいには……ならないようにして欲しかったのに……」
四つん這いで寄ってきた彼女は、ぼろぼろと涙を零しながら、懇願するように俺の服裾を引っ張る。
「おねがい……やめさせて……弱い子なのよ……可哀想な子なの……味方が……味方が誰もいないの……あたししか……あたししか守ってあげられないの……フレア・ビィ・ルルフレイムにも……フーリィ・フロマ・フリギエンスにも……あの子が、勝てるわけがない……また……また、傷つくことになる……馬鹿にされて罵倒されて魔法をぶつけられて……皆、あの子を虐めるようになる……」
頭を垂れて、彼女は、力なく俺の腕を引いた。
「あんた、強いんでしょ……あの子を……あの子を守って……あんたが代わりに戦ってよ……あの子の代わりに全部引き受けて……おねがい……お金なら……お金なら幾らでもあげるから……たすけて……たすけてよ……」
俺は、しゃがみ込んで、彼女の両肩に手を置いた。
「あの子は」
呆然と。
ソフィア・エッセ・アイズベルトは、赤くなった目で俺を見つめる。
「あの子は、もう子供じゃない。
あんたの腕の中で、泣きじゃくってた赤ん坊じゃないんだ」
「…………」
「母親のあんたに出来ることはたったのひとつ」
力なく両腕を下げた彼女に、俺は笑いかける。
「あの子に『がんばれ』って言ってやれ」
「…………」
「あんたの子供は……ミュール・エッセ・アイズベルトは」
俺は、立ち上がり、ソフィアに背を向ける。
「大きくなったよ」
背後から、くぐもった嗚咽が聞こえてくる。
その泣き声を聞いても、俺は振り向かずに進み続けて……待ち伏せしていたクリスが、微笑みながら片手を挙げる。
「……なんで、ココにいんの?」
「お前の考えていることは、大体、わかるようになったからな」
クリスによく視えるように、俺は、行く先とは正反対の方向を指差した。
「『やめとけ、死ぬぞ』、って言っていい?」
「私が同じセリフを口にしたとして、お前は引き返したりするのか?」
ため息を吐いて、俺は歩き出し、当然のようにクリスは肩を並べる。
ふと。
奇妙な感覚を覚えた俺は、彼女に問いかける。
「なぁ」
「うん?」
「俺たち、前にも、同じようなことしなかったか?」
クリスは、優しく微笑む。
「かもな」
「ははっ、意外と、俺たち気が合うんじゃねーのか? 前世で、肩を並べて、一緒に戦ってたりするかもよ?」
笑い合って、俺たちは、歩みを共にする。
既視感を覚えつつも、俺は歩を進め、待ち構えていた彼女は振り向いた。
「やはり来ましたか」
瓦礫に埋もれていた筈の劉悠然は、無感動の面持ちで俺たちを出迎える。
「こんなところにまで、足を運ぶ予定はなかったけどな……残念ながら、どこかの誰かさんが、瓦礫のベッドで快眠してくれなかったんでね。
ご足労して、寝かしつけに来てやったんだよ」
「アレは、敬意の表明だ」
彼女は、ゆっくりと、黒色の手袋を嵌め直す。
「死神と軍師ではなく」
戦装束を着ていない彼女は、同様に、制服と戦闘装束に身を包んだ俺たちを見遣った。
「劉悠然と三条燈色として決着を着けたかった」
「提案なんだけどさ」
へらへらと笑いながら、俺は、劉に問いかける。
「このまま、尻尾巻いて逃げ帰ってくれねーかな?」
「断る。
ソフィア様は、私に、あの一騎討ちを止めろと言った」
上着を投げ捨てて――劉は、拳を構える。
「ならば、我が身命を賭して遂行する」
「だってよ?」
「ならば、私も」
クリスは、静かに杖の引き金を引いた。
「妹の晴れ舞台を穢す外敵を駆除するだけだ」
苦笑して、俺は、ゆっくりと空を仰いだ。
「なぁ、劉、お前はどう考えてる? ミュールは勝てると思うか?」
「……勝てない」
彼女は、ささやく。
「私は、ロマンチストではない。ミュール様とあのふたりとの間には、大きな隔たりが存在している。この齢で、星に願いをかける少女を気取るつもりはない。
こちらからも問おう、三条燈色」
青空を眺める俺に、劉悠然は問いかける。
「なぜ、貴方は、ミュール様のために命を懸ける」
「俺は、ロマンチストだからな」
片手で顔を覆って、俺は、指の隙間から現在は視えない星々を観測する。
「ひとりの女の子が星にかけた願いくらい」
笑いながら――俺は、魔眼を開放する。
「叶えてやりたくなるんだよッ!!」
緋色の瞳が、敵を捉えた瞬間、誤魔化していた激痛が舞い戻る。隣に並んだクリスは、両目を開き、渦巻く視界に外敵を映した。
「来い、愚者」
「行くぜ、賢者」
九鬼正宗を抜刀し、俺は、笑いながら全身に魔力を流し込む。
「その賢い頭に――奇跡を叩き込んでやるよ」
構えた両者の間で、拳閃と剣閃が――同時に閃いた。