意思と意思
第一戦線から、黄の寮の兵は退いた。
朱の寮と蒼の寮は、黄の寮の本拠地にまで一気に押し寄せてくるだろう。
こうなることは、ある程度、事前に見越していた。
策はある……というか、コレしかない……そのためには、黄の寮は、この窮地を耐え抜くしかない……ミュールは……彼女は実力を示す他ないだろう……それしか……勝つ方法はない……。
ミュールは、自分が、まだなにも為せていないことを悔いた。
軍師とは違って、王は本拠地以外に存在することが出来ない。ルール上、ミュールがなにも出来ないのは当然だ。当の本人が幾ら悔しがっていても、それがルールである以上、嘆きの声を上げるしかない。
フレア・ビィ・ルルフレイムは、圧倒的なカリスマで寮生を統率し、電磁投射砲を主軸とした前半戦から優位を維持し続けた。
フーリィ・フロマ・フリギエンスは、3km先に氷河で道を作り、その驚異的な実力と的確な指示で朱の寮相手に力を示し続けている。
では、ミュール・エッセ・アイズベルトはどうだと問われれば。
きっと、彼女本人は『なにも出来ていない』と答えるだろう。
だが、それは、間違えている。
俺が気を失っていた1時間12分、彼女は敵が黄の寮の本拠地に侵入することを許さなかった。少数の兵で第一戦線を維持し続け、アイズベルト家の工作が入っている中で、フレアとフーリィという名の傑物相手に諦めることなく戦い続けた。
そして、最後には、自分自身で責任を取ろうとした。
コレらの対応は、かつてのミュールでは、考えられないようなことだ。幾ら、泣き言を口にしようとも、彼女はひとりでも戦おうとした。
ミュールの闘志は消えていない。
ならば、勝率は、決して0になることはない。
「ミュール」
だから、俺は、たったひとつの策を選んだ。
「やれるか?」
俺の問いに、ミュールは、笑って答える。
「当然!」
すべての人間が、完璧ではいられない。
ミュール・エッセ・アイズベルトを糾弾する人間は幾らでもいるだろう。朱の寮と蒼の寮の寮生たちは、現在の彼女を視て、泣くことしか出来ない無能と揶揄するのかもしれない。
だが、彼女は、進むことを決断し、黄の寮はそれに付いていくことを決めた。
後は、彼女自身の問題だ。
誰に好かれようが誰に嫌われようが、彼女は己の意思を示さなければならない。
周りがどれだけごちゃごちゃ抜かそうとも、誰も、本人の裡側にまで踏み入ることは出来ない。
物思いに耽っていた俺は、日光を受けて我に返る。
朱の寮と蒼の寮が、第一戦線を奪取している間、やるべきことはすべてやった俺とミュールは、電磁投射砲の被害から免れた屋敷の屋根の上に座っていた。
「なぁ、ヒイロ」
「ん?」
縁に腰掛けた彼女は、ぶらぶらと両足を揺らす。
「お母様は、視てくれてるかな?」
「……気になる?」
「まぁな」
照れくさそうに、彼女ははにかむ。
「シリアお姉様がいなくなってから、お母様はわたしに『前に出るな』とか『諦めろ』とか、そういうことを言い続けていたから……現在のわたしを視たら、どういう風に反応するのか気になる」
「脳の血管、ブチ切れてんじゃないすか?」
ミュールは、声を上げて笑う。
それから、ふっと、表情を消して青空を見上げる。
「空が……青いな……良い天気だ……」
眩しそうに手ひさしを作って、彼女は、指の切れ間から射し込む日の光に目を細めた。
「三寮戦が終わったら、お母様とお姉様と一緒にピクニックに行きたい……劉とリリィを連れて……野原でピクニックシートでも広げて、家族でサンドイッチを食べたい……そこらへんに転がってるような話をして『今日は、良い天気だ』なんて言えれば……それで良い……それが……」
ミュールは、空に手を伸ばし、そこには視えない星を掴んだ。
「わたしの……願いだ……」
掴んだ手を解いて。
ミュールは、満面の笑みで俺を見つめる。
「もちろん、お前も一緒だぞ!」
「……まぁ、勝てたら」
俺は、苦笑する。
「一回だけ、付き合いますよ」
「言ったな、言ったな! 言質だ言質! お前、嘘吐くなよ! 逃げるなよ! わたしは、ぜーったい勝つぞ! わたしの力で! わたし自身の力で勝つからな! お前だけは、ちゃんと!」
声量を絞って、彼女は微笑む。
「視ててくれ」
俺は、拳を持ち上げる。
捧げられた握り拳、ミュールは、困惑気味に俺を窺う。
「寮長」
俺は、笑う。
「やるか」
彼女も、笑い、小さな握り拳を作って――
「あぁ!」
コツンと、俺の拳にぶつけた。
その拳を通じて、人知れず、俺は覚悟を決める。
俺の願いと彼女の願いは共通している……ならば、すべきことはたったのひとつ……あまりにも頼りなく、細く、途切れそうなその可能性を……俺は、引き寄せることが出来るか……いや、出来るかじゃねぇ……。
引き寄せるんだよ。
――魔眼は、15回以上、強制開眼すれば宿主の脳を灼き殺す
例え、なにを犠牲にしても。
彼女が、星に願いをかけたのならば、俺が叶えてやらなければならない。
その願いを知っているのは――遠く離れた輝きと俺だけだ。
ならば、俺が。
願いをかけた星ごと、その可能性を引き寄せる。
「寮長、軍師」
階下から、オペレーターが声をかけてくる。
その神妙な表情を視て、俺たちは、来たるべき時が来たことを知った。
「来ます」
罠なのかどうか。
様子を窺っていた朱の寮は、黄の寮の第一戦線Midを占拠し、大量の赤い点が凄まじい勢いで迫っていた。
『死神が開放されました』
続いて、第一戦線Botが取られる。
『死神の解放時間が延長されました』
間髪入れず、第一戦線Topが取られる。
見計らったかのように、蒼の寮側の拠点地も奪われる。
『死神の解放時間が延長されました』
どんどんと。
『死神の解放時間が延長されました』
逆巻くように。
『死神の解放時間が延長されました』
時が――迫る。
誰よりも速く。
黒い死神は、俺の前に立ち、無言でこちらを睨んでいた。
「なぜ」
問う。
「なぜ、逃げなかった……なぜ……」
悔いるように、彼女は、今にも掻き消えそうな声で問う。
「諦めなかった……」
「自明の理だろ」
笑って、俺は、九鬼正宗を抜刀する。
「ハッピーエンドを迎えるための必須条件だからだよ」
黒い手袋を嵌め直しながら、ゆっくりと、彼女は空を仰いだ。
青空を。
陽の光を浴びながら、死神は、天に向かって言葉を吐いた。
「貴方は……黄の寮は……第一戦線を捨てるべきじゃなかった……死神の時間切れは狙えない……どうして、こんなに愚かなことをした……」
「テメェを倒すのに」
笑みを浮かべたまま、俺は、彼女に答えを授ける。
「15秒じゃ足りねぇからだ」
「…………愚者が」
天から地へと、そして俺に目を向けた彼女はささやく。
「この……愚者が……!!」
「バカはお前だろ」
俺を挟むようにして。
ミュールとクリスは、俺の左右に立つ。
そのド真ん中で、俺は、右肩に刀を背負って口を開いた。
「お前ひとりでなにが出来る」
劉は、大きく目を見開いていく。
「お前とミュールは似てる……似過ぎてる……たったひとりで背負おうとして、そのまま潰れようとする……ただ、無力を嘆いて……勝ち目もないのに、ひとりで進もうとして……自分にないものをねだろうとしている……無茶なんだよ、端から……ひとりじゃなくても良い……助けを求めても良いんだ……誰かに……誰かに救いを求めても良かった……あんたはあんたなんだ、劉悠然……自分を視ろ……視てみろ……現在、あんたの隣には……」
俺はささやき、劉は拳を握り締める。
「誰がいる?」
「……助けなんて」
彼女は、ぎゅうっと、黒い拳を握る。
「助けなんて……要らない……救いなんて……求めていない……私は……私は、救われるべきじゃない……何時も、独りだった……隣に居てくれたあの子は……もういない……なら……なら、もう、独りで良い……ずっと、独りで……そうやって……そうやって、私は生きてきた……貴方に……お前に……私の生き方を……」
真っ黒な瞳で、象られた人生が――俺を覗き込む。
「否定する権利などない」
「あぁ、そうだな、そんなもんはねぇよ。百も承知だ。お前が選んだ人生に文句をつけるつもりはねぇし、好き勝手に自滅しようがお前の勝手だ。テメェの生き方を称賛するつもりも蔑ろにするつもりもない。
でもなァ!!」
俺は、俺の人生で、彼女を見つめ返す。
「テメェのその生き方が、この子の道を塞ぐならッ!! 俺は、テメェの人生を否定するしかねぇんだよッ!! テメェの!! テメェのその生き方は、似非だって!! 認めさせるしかねぇんだよッ!!」
俺は、ミュールとクリス、ふたりと一緒に魔導触媒器を構える。
引き金に指をかけて。
俺は、俺自身の生き方を――刃に乗せて――死神に向けた。
「悪いが、俺は、死神の鎌を迎えてやるつもりはない。
いい加減、うんざりしてるだろ。その座から、俺が、引きずり下ろしてやるよ」
俺は、独りの彼女に、言葉を手向ける。
「だから、来いよ、似非の魔法士」
生者と死神は、互いに意思を剥き出す。
「本物を――見せてやる」
劉悠然は――一歩目を踏み込んだ。