黄の寮に
こちらを見つめる眼差し。
黄の寮の本陣で、呆けていたミュールは、とてとてと走り寄ってきてぎゅっと俺を抱き締める。
「すいません、道に迷いました」
「もう……会えないかと思った……お前、なんだか、急にいなくなりそうな気がするから……いつも、無茶するし……良かった……」
俺の腹の辺りに顔を埋めたミュールは、くぐもった声を発する。
小さな双肩は震えており、俺はぽんぽんとその肩を叩いた。
「状況は?」
ミュールは、微笑みながら、ふるふると顔を振る。
ぐるりと、俺は、黄の寮の本拠地を見回す。
疲労が顔に滲み出ていたクリスは、俺を見つけるなり顔を輝かせたが、一瞬にして表情を曇らせる。
遠くで。
スノウは、じっと、俺を見つめていた。
本陣に集った黄の寮生たちは、地面に座り込み、力なく項垂れている。傷と泥で塗れた戦装束は、激戦を潜り抜けてきた証で、誰も彼もが疲労困憊で気力を失っていた。
本陣は静まり返り、まるで、墓場をひっくり返した後みたいだった。
「朱の寮も、蒼の寮も、第一戦線まで迫ってきている。どう足掻いても兵の数が足りない。いずれ、第一戦線も取られるだろう。
だから」
ミュールは、笑った。
「ココまでだ」
「…………」
「なんだ、そんな顔して。最初からわかってたことじゃないか。わたしには、アイズベルト家しかなかった。お母様の言う通りだ。わたしは、あの家に縋り付いて、自分の限界を弁えていくしかないんだ」
笑いながら、ミュールは、俺の腕をバンバンと叩いた。
「そんな顔するな、お前の善戦は皆が認めてる! まぁ、よく、わたしのために戦ってくれた! 男の癖に大したものだ! お前は、見込みがあるから、アイズベルト家で雇ってやっても良いぞ!」
「…………」
「皆も! よく頑張ってくれた! わたしなんかのためにご苦労だったな! 悪かったな、こんな茶番に付き合わせて! もう、帰って良いぞ! 後は、適当に、わたしが敗けておくから!」
誰もが。
寮長のことを見上げて、彼女の言葉に耳を傾ける。
その視線を浴びながら、ミュールは、満面の笑みを浮かべて大声を張り上げる。
「さぁ、立て立て! なにしてる! 邪魔だ邪魔だ! とっとと消えろ! お前らは、わたしの口車に乗せられた愚か者だ! 可哀想に! 本来の実力を発揮できずに、三寮戦を終えることになるとはな!」
「…………」
視線が集中し、徐々に、ミュールの顔が強張る。
「なにしてる……はやく……たて……」
「…………」
ミュールは、必死の形相で、座り込んだ寮生の腕を引っ張る。
「早く!! 早く立て!! なにしてる!! 立て!! 立て立て立て!! お前らは!! 巻き込まれたんだ!! わ、わたしのせいで、敗けることになるんだぞ!? バカなヤツらだな!! 騙されたんだぞ、お前らは!! お、お前らは被害者なんだ!!」
「…………」
駆け寄ってきたミュールは、俺を突き飛ばす。
「お前もだ!! 早く消えろ!! なに視てる!! お前なんて用済みだ!! ば、バカなヤツだな!! 最初から、わたしは、お前を利用してたんだ!! は、ははっ!! ば、バカだから、騙されるんだ!! 弱いから!! 弱いから利用されるんだ!!」
「お嬢様」
「お前も、お前も、お前も!! わたしなんぞに付いてきたの間違いだったんだ!! バカなヤツらだ!! わたしに脅されて、無理矢理、参加させられたんだ!! 騙されて!! 騙されて参加させられたんだ!!」
「ミュール」
「わたしが、ひとりでやった!! わたしが!! わたしが、ひとりでやって、お前たちを巻き込んだんだ!! ざまーみろ!! 悔しいなら恨め!! 恨め恨め恨め!! お、お前らなんて!! お前らなんて!! 嫌いだ嫌いだ嫌いだっ!!」
「ミュールッ!!」
膝をついたリリィさんは、泣きながら、ミュールの服を掴んだ。
「もう……良いから……もう良いの……カメラには映ってない……どこにも中継されてない……だから……悪者ぶる必要はないの……誰も……誰も、庇う必要はないの……誰も……貴女が悪いなんて……思ってない……だから……」
リリィさんは、地面に蹲る。
「もう……やめて……」
ゆっくりと、ミュールは周りを見回した。
誰一人、立ち去ることなく、自分を見つめていることを確認し――顔を歪めた。
「な、なに言ってる……わ、わたしは、コレが本心で……嫌われ者で……わ、わたしには……リリィしか……リリィしかいないんだ……皆、わたしが嫌いで……出来損ないだって……魔力不全の落ちこぼれだって……バカに……バカにしてただろ……なんで……どうして……」
ミュールは、拳を握り締める。
「見捨てない……」
「ミュール」
弾かれたように。
俺の声に反応したミュールは、勢いよく振り向いて足が絡まり、その場にどしゃりと顔から倒れる。
「…………」
泥と土で塗れて、ミュールは地面に突っ伏す。
「ちく……しょう……」
ゆっくりと、傷だらけの拳が上がる。
「ちくしょう……ちくしょう……ちくしょぉ……!!」
緩慢な動きで、彼女は、何度も地面を殴りつける。
「ちくしょう……ちくしょぉ……ちくしょぉお……な、なんで、わたしの身体は……こんななんだ……どうして……弱い……み、皆、傷ついてるのに……わ、わたしのために戦ってるのに……な、なんで……」
思い切り、拳が地面を殴りつけ、皮が破れて血が滲む。
「なにも……なにもできないんだよぉ……ちくしょうちくしょうちくしょう……なんでなんでなんでぇ……ちくしょぉお……ぉお……ぉおお……!!」
また、拳が持ち上がり――俺は、その腕を掴んだ。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ミュールは俺を見上げる。
目が合って、俺は、彼女に笑いかけた。
「地面と喧嘩してどうするんですか」
「わ、わたしは……もう……」
彼女は、顔を歪めて、ぽろぽろと涙を零す。
「お前が傷つくのを視たくない……ひいろ、もぉ、げんかいだもん……もぉ……もぉ、いいよぉ……わ、わたし、もぉ、いい……もぉ、いいよぉ……もぉ、いい……もぉ……もぉ、いい……よぉ……!!」
俺は、笑みを消し、彼女にささやきかける。
「諦めるのか」
ミュールは、泣きながら首を振る。
「なら、どうする」
「ひとりで……ひとりでたたかう……わたしひとりで……」
「お前ひとりでなにが出来る」
嗚咽を上げながら、ミュールは下唇を噛み締める。
「わ、わたし……出来損ないじゃないもん……」
「そんなことは知ってる。
コレは三寮戦で、あんたの敵は山程いるんだ。なのにひとりで戦ってどうする。勝ち目のない戦いを仕掛けて、自己犠牲の悦に浸って終わるつもりか。あんたは勝ちたいんじゃないのか。勝つためになにをすれば良いのか、考えなきゃいけないんじゃないのか」
「そんなの……そんなの……わかんなぃ……」
「わかるだろ」
いつの間にか。
立ち上がった黄の寮生たちは、俺の背後に立ち、微笑みをたたえてミュールを見下ろしていた。
クリスもスノウも、リリィさんも、元・アイズベルト家のメイドたちも。
全員が全員、傷だらけの状態で、ミュールを囲んで笑う。
「言えよ、ミュール・エッセ・アイズベルト」
俺は、笑って、問いかける。
「あんたの本物を――口にしろ」
呆然と。
ヘタレ込んだミュールは、涙を流しながら、ぽつりとつぶやいた。
「勝ちたい……」
俺は、頷く。
「み、みんなで……この寮のみんなで……」
ミュール・エッセ・アイズベルトは、長い時を経て本物を口にする。
「勝ちたい……」
「だってよ、どうする?」
振り返った俺の言葉に、黄の寮生たちは、各々の武器を彼女に掲げることで応えた。
誰かが持ってきた旗が振られて、黄金の鷲が大空に舞い上がる。
前線にまで連れて行かれたその鷲は、破れて泥だらけで見た目は最悪で、他の奴らはバカにするかもしれなかったが――気高さを抱きながら、晴天を支配し、世界の中心で己の矜持を掲げていた。
俺は、苦笑して、九鬼正宗を抜刀し――彼女に捧げる。
「寮長」
促されて。
ミュールは、自分の力で立ち上がり、捻じくれ曲がった杖を捧げ上げた。
その杖に――同じ形をした杖が重なる。
彼女は振り返り、微笑む姉と眼が合った。
震えながら、ミュールは、ゆっくりと言葉を吐いた。
「背水の陣だ……第一戦線は捨てる。
わたしたちは、本陣で勝負する。最終決戦だ。ココで臆せば、引けば、諦めれば、黄の寮は、わたしたちは敗けることになる。だから、覚悟が要る。誰かひとりでも、逃げ出せば、なにもかもが終わりだ。
逃げるなら現在だ、わたしはそれを薦める」
張り詰めた空気の中で、小さな彼女は言葉を紡ぐ。
「この戦いに意義はない、意味はない、お前たちにとって一銭の価値もない。ボロ負けして、恥をかくだけかもしれない。家名を損なったとして、後々の世代にまで嘲笑されるかもしれない。ミュール・エッセ・アイズベルトという名の稀代の詐欺師にノセられた愚か者として終わるかもしれない。
それでも、あなたたちが付いてきてくれるなら」
ミュール・エッセ・アイズベルトは、己の意思を口にする。
「わたしは、わたしのすべてを捧げる」
ミュールは、杖を天高く掲げ上げる。
その杖に集うようにして、各々の得物がぶつけられ、甲高い金属音を鳴らし――彼女は叫んだ。
「黄の寮にぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
爆発的な咆哮が、天へと突き上がり、地面が揺れ動いた。
誰も彼もが、耳を劈くような大声を張り上げ、自分の曲がらない意思を示すかのように涙すらも流した。一斉に鳥群が飛び上がり、強風に煽られた樹々が揺れ、一点の曇りもない空へと叫声が突き抜ける。
その只中で、俺は、己の震える右手を握り締める。
「悪いな、劉」
笑いながら、俺は、向こう側を見つめる。
「敗ける気がしねぇよ」
時が迫る。
黄の寮にとって、最後の決戦が――始まろうとしていた。




