兄妹対決
点。
一点を狙った突きは、俺の頬を掠めながら背後の空間を穿いた。
「…………ッ!?」
速ぇ。
踏み込んだレイは、手元で槍を離してから――蹴り上げる。
「うおっ!?」
急速に上がった槍先が、俺の前髪を切り落とし、数本の髪の毛が宙空に散らばった。
俺は後方へと下がって、引き――詰めてきたレイの掌底が鳩尾に入って息が止まる。
漆黒の長髪が、ぶわっと、俺の前で広がる。
水面蹴り。
跳躍して躱す、と同時に、レイは落ちてきた槍の突端部を指先で押した。
「ちょっ、おい、お待ちくださっ!! だらァ!!」
思い切り仰け反って、その一撃を避けた俺は、間髪入れずに槍を引き寄せたレイを見つめる。
「なに、その、息もつかせぬ連撃は……俺の知ってるカワイイ妹は、もうちょっと、綺麗な型と兄を思い遣る優しさを併せ持ってた筈なんだけど……その喧嘩殺法の親戚みたいな槍術はどこのどいつに習ったの……?」
「独学です。
桜さんに『お座敷槍術』と言われたのが、少々、頭に来たので、手段と型を選ばずに強さを追い求めたらこうなりました。ちなみに、お兄様のカワイイ妹も、生来から磨き上げられた自己流です。
優しさは、今回の戦いには付いてこれないので置いてきました」
「置き去りにしないで……?」
「や、です」
笑いながら、レイは猛烈な勢いで『陽炎』を回転させる。
「では、参ります」
殺気。
感じ取った瞬間に、俺は飛んできた槍先を手のひらで叩いてレイの眼前にまで飛ぶ。
見開かれた両眼。
ほんの数瞬、俺たちは見つめ合って、なぜかレイは頬を染める。
「ヒーロくん、耳元でささやけッ!!」
意味がわからなかったが、俺は、交戦中の勢いのまま魔人のアドバイスに従う。
すれ違いざま、彼女の耳朶にささやき声を吹き込む。
「スベスベマンジュウガニ……(ねっとり)」
「ひゃっ……!」
急激に力が抜けたレイを押しのけ、一気に拠点地へと突っ込む。
引き金、十二の生成、不可視の矢……生成された水の矢、人差し指と中指の間に溜めた矢印の先端を、入り口を固めていた朱の寮生に向ける。
「お邪魔――」
笑いながら、俺は、ぶっ放す。
「しまぁす!!」
吹き飛んだ阻塞と寮生たち、飛来してきた矢と弾丸の嵐を駆け抜け、俺は朱の寮生の肩を踏みつけ人塊を抜ける。
「な、なにしてるの!? 早く撃ちなさいよ!? 相手はたったひとりでしょ!?」
「は、速くて、狙いが!? 接近戦に切り替え……うわぁ!! 来たぁ!!」
「落ちこぼれの黄の寮、しかも、男相手になにしてんのよ!?」
大混乱に陥った第三戦線Mid、追ってきたレイは必死で指示を出すものの、個人から集団と化した彼女らの耳には届かない。
パニックに次ぐパニック。
空いた一室に滑り込んだ俺は、導体を素早く付け替えて光学迷彩を発動させる。
百合、百合、百合……ヤンキーと委員長、ギャルと真面目っ子、トラウマ持ちと天使みたいに優しい子……百合の間に挟まる男は死ね……百合の間に挟まる女の子は生きろ……恋愛に興味がなかった女の子が染められちゃうの良いよね……。
脳内で詠唱を完成させた俺は、すっと、壁と同化する。
朱の寮生は、俺がいる部屋を覗き込み「クリアッ!!」と叫んでから消えていった。
「…………」
光学迷彩の維持には、恐ろしいくらいの集中力が必要とされる。
少しでも意識が、壁や床や天井、観葉植物になって百合を見守りたいという願いからズレれば維持出来なくなる……黄の寮からの増援が到着するまでの間、どうにかして、百合に対する意識を高めなければ……。
俺は、懐の布教空間から『私の百合はお○事です! 9』を取り出し、その百合力に縋ろうとして――
「誰か来てぇえええ!! なんか、空中に漫画が浮いてるんだけどぉおお!!」
「しまったぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
めちゃくちゃに撃たれながら、窓から外へと抜け出し、強化投影を発動し魔力線を両足に集中させる。
一気に外壁を駆け上がり、二階の窓から中へと飛び込む。
出入り口に殺到してきた朱の寮生に乱射し、近くの棚を蹴飛ばして出入り口を塞ぎ、息を荒げながら画面を呼び出す。
第二戦線Midは、黄の寮の色に染まったままだ。
既に、死神の開放時間は終了している……つまり、コレは、月檻桜がたったひとりで劉悠然を止めきったことを示していた。
「月檻……お前……」
俺は、微笑む。
「すげぇよ、やっぱ……主人公なんだな、お前は……」
ギシギシと音を立てて、阻塞が今にも弾け飛びそうだった。
隙間から朱と黒の戦装束が視えて、大量の魔導触媒器が蒼白い光を発している。
さて、もう一度、逃げるか。
俺は、窓へと向かおうとして――そこには、レイが立っていた。
「お兄様」
ひゅんっ。
風切り音を鳴らしながら、彼女は宙空に朱色の円を描いた。
「お覚悟を」
「レイ、知ってるか」
追い詰められた俺の目が、諦観に染まっていないことを理解し、彼女はゆっくりと柄に指先を滑らせる。
「奥の手ってのは」
降参するかのように。
俺は、両手を挙げて目を閉じた。
突き。
それは、同じタイミングで、同じ場所に突っ込んでくる。
生真面目な俺の妹は、目を閉じた相手に奇襲じみた攻撃を出来ない。だからこそ、磨き上げた喧嘩殺法は鳴りを潜め、お座敷槍術が前面に出てきて、俺が思い描いた通りの点を襲うと思っていた。
その期待通り、槍先は俺の脇腹を掠めて――俺の袖口から、ころころと、球が転がり出て――驚愕で硬直したレイに、俺は目を閉じたまま笑いかける。
「最後の最後、相手がカードを切れなくなってから切るんだぜ?」
どこか嬉しそうな声が、そっと、場に響き渡る。
「光玉……」
炸裂。
と同時に、俺は目を見開いて、純白に染まった世界を――薙いだ。
「…………」
「…………」
沈黙。
胴を薙ぎ払った形のままで、俺は、上方を向いた刃を瞬時に下へと戻した。
「知ってました」
三条黎は、満面の笑みを浮かべて、俺のことを様々な感情が宿った目で見つめた。
「忘れるわけ……ないから……」
敗退音。
軍師が敗退したことを知った朱の寮生たちは、どよめきと共に勢いを失って、怒涛の如く押し寄せてきた黄の寮の一団を視てパニックを起こした。
悲鳴と怒号が沸き起こる中、戦装束に拘束されて、立ち尽くしているレイは俺に向かって両手を広げる。
「お、お兄様……私、動けないので……」
彼女は、顔を真っ赤にして小首を傾げる。
「抱っこ……してください……」
俺は、レイに近づいて、彼女の額に何度もチョップを喰らわせる。
「いたいいたいいたい! ひどい! お兄様のいじわる!! 妹への愛を感じられません!」
「兄妹愛チョップ!! 兄妹愛チョップ!! 喰らえ、オラッ!! おまけのただの暴力ッ!!」
敗北してしまった妹への暴力を終えた俺は、第三戦線BotとTopから押し寄せてくる増援に対処するため、やって来た黄の寮生に指示を出して、護りを固めてから拠点地を出る。
「え……軍師、どちらへ……?」
「ちょっと、相手本陣に」
俺が見つめている中で、画面上の第三戦線Midが黄色に染まる。
占拠が完了した瞬間、俺は駆け出した。
走って、走って、走って……スピードがノらないうちに転ける。
立ち上がろうとして。
ガクガクと震える膝が言うことを聞かず、視界が歪んで脳が軋み、右腕が激痛を訴えてくる。
「あ……なんだこれ……?」
急に。
身体の言うことが利かなくなり、ようやくそこで、俺は自分が限界を超えていることに気づいた。
痙攣している両腕を使い、立ち上がろうとして失敗する。
ぼやける。
目に映るすべてが、ぼやけていって、血液の流れる音だけが聞こえてくる。
やべぇ、こんなところで……せ、せめて、も、物陰に……物陰に隠れてから……う、動け……こ、こんなところ、カメラに映されたら……ミュールは、絶対に、俺を棄権させる……そうしたら終わりだ……あ、あの子、ひとりに、全部、背負わせるわけにはいかない……俺は……ココで、終わるわけには……。
影。
人影が差して、倒れ伏した俺は、気力を振り絞って上を見上げる。
「…………」
真っ黒なスーツを着た死神が、こちらを見下ろしていた。
現れた劉悠然は、手袋を嵌め直してから俺を抱え上げ、人気のないところへと……撮影用ドローンが侵入出来ない森の奥へと、ゆっくりと、俺を運んでいった。