表と裏の信頼性
「兵を下げろッ!!」
寮長は叫び、オペレーターは通信を始める。
間髪入れず、画面を呼び出した俺は月檻に連絡を入れる。
「月檻、今直ぐ、第一戦線まで下がれ!! 蒼と朱の死神が解放された!! 黄の寮に突っ込んでくる可能性がある!!」
『第二戦線、放棄するの?』
「放棄するしかない!! 劉なら、15秒で黄の寮の大半の兵を葬り去れる!! 第二戦線くらいくれてやれ!!
直ぐに下が――」
『死神の解放時間が延長されました』
愕然として硬直、その時間たったの1秒、その間にも事態は続いている。
「どこだ!?」
「か、蒼の寮第二戦線Top!! 朱の寮が、蒼の寮のTopを取りました!!」
「ヒイロ、戦場だッ!!」
瞬時にMAPを開くと、大量の赤い点が蠢いていた。黄の寮の第二戦線BotとTopに、夥しい数の朱の寮の生徒が群がる。
「まずい……月檻ッ!!」
『ごめん、私はともかく、他の兵は引き始めちゃった。間に合わないかも』
呆然として、俺は立ち尽くす。
やられた……朱の寮は、死神の解放を契機に黄の寮が第二戦線から撤退することを見越していた……そのタイミングで、伏兵を各拠点地にまで差し向けやがった……。
「ヒイロ……」
ミュールは、俺の袖を握ってささやく。
「私なら……このタイミングで、死神を蒼の寮ではなく……黄の寮に差し向ける……」
我を取り戻した俺は、画面にがなり立てる。
「月檻、下がれッ!! 月檻ッ!! 死神に構うな!! 第一戦線まで引いて立て直せ!!」
『そんなことしたら終わりでしょ』
何時もと同じテンションで、彼女はささやく。
『BotとTopが取られたら、また死神が解放されて第一戦線にまで突っ込まれる。そのタイミングで、蒼の寮側の占拠地を朱の寮が放棄すれば、蒼の寮がそこを占拠して死神の解放時間が伸びる。
そうなったら、総崩れだよ』
月檻桜は言った。
『私が劉を止める』
「ダメだ、やめろッ!! アレは、ひとりで止められるものじゃない!!」
『後退してた兵を第二戦線BotとTopに戻すから。Midの劉は、私が止めるから問題ないでしょ?』
「聞け!! やめろ!! アイツは、なにをするかわからない!! お前が戦う必要なんてない!! そういうのは俺の役目だ!!」
「月檻!!」
俺を押し退けるようにして、ミュールは画面の向こう側へと叫ぶ。
「戻ってこい!! お前は、ただ、巻き込まれただけだ!! 十分に役目を果たしてくれた!! だから、戻ってこい!!」
『あのさ』
月檻桜は、つぶやく。
『私、コレでも、ムカついてるんだけど』
俺とミュールは押し黙り、彼女は、画面の向こうで微笑む。
『劉に敗けて借りを返せてないことも……ソフィア・エッセ・アイズベルトの仕打ちも……努力を認められない人間がいることも……黄の寮がバカにされていることも……泣きながら助けを求める子がいることも……そして、なによりも』
月檻桜は、顔を上げる。
『私自身が、寮長をバカにしていたことを許せない』
「月……檻……」
『私は……間違ってた……寮長のことをなにも出来ない能無しだと思ってたけど……いや、私は、弱い人間と強い人間の境目がわからなかった……力がなくても……強い人間はいる……心が……意思が……伴っていれば……』
彼女の美しい瞳が、ミュールを貫く。
『尊敬に値する』
「ぐっ……」
歯を食いしばったミュールは、拳を握り込み、ぽろぽろと涙が零れる。
「ぐぅ……うっ……ぐっうぅ…………っ!!」
常に感じていたであろう格の差。
訓練場で指一本すら触れられなかった月檻に認められたことが、彼女の感情を揺さぶって――ミュール・エッセ・アイズベルトは、嗚咽を漏らし始めた口を押さえた。
「月檻、俺も行――」
『あのさ、ヒイロくん』
笑いながら、月檻桜は、俺に人差し指を突きつける。
『舐めんな』
食い下がろうとした俺を指先で押し留めた彼女は、第二戦線へと駆け戻りながら俺にささやく。
『ヒイロくんは、反撃をお願い。私が第二戦線Midで劉を止めてる間に、第三戦線Midを取っちゃって』
反撃。
確かに、その機会はある。
月檻の言う通り、コレは、ピンチでありながらもチャンスだ。
劉を止めることさえ出来れば、第二戦線BotとTopに兵を戻して戦線を維持出来る上に、反撃で第三戦線Midを取れば、一気に朱の寮の本陣にまで攻め上がれる。
だが、月檻ひとりで、劉と戦わせるのは――
『ね、ヒイロくん』
悩み込んだ俺の前で、疾走りながら彼女は笑った。
『私の背中、ずっと前から、誰かさんに預けてるんだけど?』
「…………」
『表は私、裏は君でしょ』
彼女は、俺を見つめる。
『来てよ、私が来て欲しい時に。
私を信じてくれるなら――』
その瞬間、俺は、覚悟を決める。
『キミを信じる』
「き、来ます……」
オペレーターは絶叫する。
「朱の寮の死神が――狙いは第二戦線Midッ!!」
「あと何秒で着く!?」
ミュールの叫び声に、オペレーターは驚愕と共に口を開く。
「3、2……は、速い……現着!!」
『ヒイロくん!!』
俺は、呼びかけに応じて、魔術師の肩を叩いた。
『来てッ!!』
視界が掻き消えて――轟音と共に拳が飛び――その一撃は、一筋の剣閃によって弾かれた。
俺の前に割り込んだ月檻、その栗色の髪の隙間から死神が視えた。
「三条……」
劉悠然は、獣のように吠え猛る。
「燈色ッ!!」
滑るようにして接近してきた劉は、幾重にもフェイントを織り交ぜながら、俺の懐へと飛び込んでくる。
その動きを察知したかのように、月檻は間に入り、ほんの一瞬だけ躊躇った俺は背後を振り向き――
「行け」
主人公の微笑みを視た。
「行け、ヒイロッ!!」
その言葉を受けた瞬間――押されて――一気に、俺はスタートを切って、第三戦線Midにまで駆け上がる。
驚きの声と共に、武器を振り回した朱の寮生たちを押しのけ、斬り伏せ、蹴散らして、蒼白い閃光と化して前へと突っ込む。
視界が線となって掻き消え、樹々の間を全身が流れていき、最高速度で第三戦線Midを目指す。頭の先から指先まで、痺れるような感覚が走って、それでも脳は前へ進めと号令をがなり立てる。
そして、待ち兼ねていたかのように。
第三戦線Midの前で、朱色の槍を構えた美しい少女が起立していた。
息を荒げながら、柄に手をやった俺は、笑みを浮かべて汗をぬぐう。ぬかるんだ指先が、握り手を掴んで、ゆっくりと抜刀の動作を完了させる。
「……お兄ちゃんに勝利を譲るつもりは?」
「古往今来、親類、一門、兄妹、関わらず、勝利とは譲るものではなく――」
微笑みながら、三条黎は槍先を俺に向ける。
「勝ち取るものですので」
「同意見だ」
俺は、笑って、刀を構える。
「やっぱり、俺たち兄妹だな」
「遠縁の」
静かに、ゆっくりと、俺たちは間合いを詰めて――同時に踏み出した。