次の死神
目が覚める。
「おは――」
眼の前にあった魔人の笑顔に拳をブチ込む。
「ココは……三寮戦は、どうなった……?」
「まず、僕の顔からその拳を退けろ」
添い寝していたアルスハリヤを足で退けてから、勢いよく身体を起こす。
周囲を見回して、自分が黄の寮の本拠地、屋敷の奥広間に寝かせられていることを確認する。
鈍い痛みがあった。
右腕……師匠の治療を受けたとは言っても、それは応急処置に過ぎない。見た目は取り繕っているものの、中身はボロボロなのだろう。
恐らく、俺の額にキスした瞬間に、鎮痛剤と抗生剤の投与、創傷被覆材と人工表皮を貼り付ける程度の処置を施したに違いない。
医師レベルの細かい治療が出来なくても、幾度となく戦闘を経験した師匠にとって、それくらいの応急処置はお手の物の筈だ。
有り難いことに、師匠は俺の意思を読み取ってくれた。
深手を負っても、三寮戦を続けたいという意思を。
「人が添い寝してやっていたというのに、礼を顔面パンチで返すとは何事だ。アレだけ、息の合ったコンビネーションの後に、相棒のキュートな顔に拳を当ててくる奴がいるかよ」
「だって……気色悪いんだもん……」
「おい」
アルスハリヤは、ニッコリ笑顔で俺の頬を引っ張る。
「この顔を視ろ。この顔を。この美しい顔を視ろ。魔神が創り上げた最高傑作だぞ。傾国の美女とも謳われ、数多の百合を破壊してきたこの僕の顔が、気色悪いとはどういう了見だ。ぁあ? この僕が、わざわざ、添い寝してやったんだから礼を言え」
「感謝ァ!!(グーパン)」
「死ね(顔で受ける)」
コイツ、何かと、顔とか腹にパンチしたくなるんだよな……殴り心地が良いっていうか……気持ちがスッキリするというか……コレが、傾国の美女の魅力ってヤツか……やるじゃん……。
傾国の美女(笑)に頬を引っ張られながら、グーパンを繰り返していると――
「なに、また、変な動きしてやがるんですか」
銀盆を持ったスノウがやって来る。
透明なコップに注いだ冷水を俺に差し出してから、彼女は俺の右腕を掴んで、矯めつ眇めつ鑑定する。
鑑定結果として、彼女はため息を吐いた。
「このバカ……」
「え? わかんの?」
「咄嗟に隠したでしょ。なにかあるとわかって当然ですよ」
「それより、三寮戦はどうなっ――」
「それより?」
本気で怒っているらしく、低い声でささやかれ、俺は愛想笑いを浮かべる。
じっと、俺を睨んだスノウは、また大きなため息を吐いた。
「御主人様が目覚めるまでの20分間……何度か交戦がありましたが、黄の寮に関しては戦況は変わりありませんよ。
ミュール様が、上手く、しのいでくれました」
「そっか、良かった」
安堵の息を吐いて、立ち上がろうとすると左腕を掴まれる。
「…………」
その場に正座したまま、俺の左腕を引いたスノウは、目を伏せたまま微動だにしない。
無言の抵抗に対して、俺は、右の手で彼女の手を引き剥がした。
「俺は大丈夫だ」
引き剥がした手が、また俺の手を握り、そのまま引っ張り込まれる。
姿勢を崩された俺の頭は、スノウの膝の上へと導かれて、柔らかい感触が後頭部に伝わってくる。
俺のことを見下ろしたスノウは、両手で俺の頬を包み込み、今にも泣きそうな顔でこちらを見据えていた。
「大丈夫なわけ……ないでしょ……」
「お、おい、スノウ」
「動くな」
俺の前髪を掻き分けて、綺麗な指先が俺の額を撫で付ける。
「私だけは……なにがあっても、味方でいてやるから……少しは、弱いところもみせろ……このバカ……ボロボロの状態で、私を置き去りにして……勝手に進むな……私は……誰の従者ですか……」
「…………」
静かに。
彼女は、俺の額に口付ける。
そして、いたずらっぽく、はにかんだ。
「上書き」
無言で見つめ合い、俺は、自分の額をゴシゴシと手で拭いた。
「え……なんの話……? なんか、付いてた……?」
バチィン!!
凄まじい音が額で炸裂し、膝をズラされた俺は、思い切り後頭部を地面に打ち付ける。
「ぐぉお……俺の百合IQがァ……!!」
「死ね、このボケカスッ!! 知るか、このアホッ!! 師弟愛こじらせてゴールインしてろッ!!」
「い、いや、あの師匠のキスは、ただの目眩ましで……敵側に立ってるのに、俺の腕を大々的に治すわけにはいかないから……え、なに、上書きってそういうこと……お前、俺のこと好きじゃないって言ってたよね……?」
「だまれ。
蹴りでマントルまで埋めてやるから覚悟しろ」
「脚力すげぇ!!」
ゲシゲシと、メイドに死体蹴りされていると、ミュールとクリスがやって来る。
猛烈な勢いでやって来る姉妹を視認するや否や、スノウは彼女らの前に仁王立ちしてストップをかける。
「お待ち下さい、我が主人は疲れておりますので面会謝絶です。
ガードガード。鉄壁のメイドガード。シールド3千枚くらい張ってるので、これ以上、貴女たちは小指一本たりとも進めません」
「はい、面会謝絶解除」
俺は、スノウを優しく押しのけて前に出る。
「寮長、すいません、ちょこっとスリープ状態に入ってました。
現在状況を教えて下さい。必要なら、何時でも行けます」
「ヒイロ……だって、お前……怪我は良いのか……心配したんだぞ、本当に……」
俺は、笑いながら、その場で一回転する。
「ご覧の通り、なにも問題ございません。綺麗なもんでしょ。このままパリに行って、ファッションショーに出れますよ」
「ヒイロ」
俺の腕をそっと引いて、クリスはこちらを見つめる。
「無理するな、本当に。
アステミル・クルエ・ラ・キルリシアを相手取って無事で済むわけがない」
「フッ、ところがどっこい、この男は無傷でありましてね。
そもそも、戦装束があるんだから手傷を負うわけないだろ」
「それは……そうだが……」
「で、状況は?」
無理矢理、俺を座らせたミュールは、隣に寄り添って画面を開く。
「ヒイロ、お前が気を失ってから状況は動いてない。
お姉様の返事が効いたのか、朱の寮側は混乱に陥っているらしく部隊の再編を行ってるみたいだ。この20分間、電磁投射砲は飛んできていないし、第二戦線TopとBotは中立状態、Midは月檻が抑えたままだ」
画面上の各拠点地を確認し、確かに、なんの進展もなく推移してきていることがわかった。
俺が意識を失っている間に、第二戦線TopとBotを取りに行けば、反撃で死神が解放されることもあって慎重を期したのだろう。
「蒼の寮側は?」
「第二戦線MidとTopを取られたままで、Botも中立状態のままだ。でも、師匠は大きく弱体化した。
ヒイロ、お前があの刀を折ったことでな……武器の切り替えは認められているが、師匠は断りを入れているらしく『折られた刃を替えたら、代わりに矜持が折れる』と言っている。それに、あの人は宝弓も使えない」
「……威力が強すぎた?」
俺の問いかけに、クリスは首肯する。
「戦装束が耐えられない。だから、フレア・ビィ・ルルフレイムは、三寮戦での宝弓の使用を禁じ、蒼の寮とアステミルはソレを受け入れている」
「でも、ヒイロ……師匠って、素手もめちゃくちゃ強いよな……?」
腕を組んだ俺は、重苦しく頷く。
「じゅ、十五秒であれば、まぁ、月檻かクリスであれば抑えられるかと……俺は……師匠のテンションが上がってしまうので、あまり、前に出ない方が良いかなと思います……あと、次は、普通に殺されそう……」
「とりあえず、今は、小休憩中だ!
朱の寮が、蒼の寮に攻め込んでいることもあって、暫くは動きがなさそうだから順番に休息を取らせている!」
俺は、安堵の息を吐く。
ぐーすか寝てるうちに、三寮戦が終わってたら悔やんでも悔やみきれないからな……とりあえず、良かった。
「じゃあ、様子を視ながら、俺は月檻と代わりますよ。一度、軍略も練り直しましょう。色々と手を付けられやすくなりましたから」
「いや、ヒイロ、お前は休め! 月檻の代わりは別に出す!」
「え? でも――」
「いーいから!!」
俺の膝に座り込んだミュールは、ぐいぐいと肩を押してくる。
「ココで座ってろ!! わたしは、退かないからな!! 絶対に退かない!! なにがあろうとも、お前の膝の上をキープする!!」
「…………(右手押し)」
「うぎゃぁ!!」
寮長はころりと後ろに転がって、俺は、立ち上がろうとし――苦笑してから、敷かれた布団へと舞い戻る。
「じゃあ、休ませてもらいますよ。なにかあったら起こしてください」
「えぇ、お願いします。
それでは」
潜り込んできたスノウを蹴散らし、俺は、ゆっくりと目を閉じ――
『死神が開放されました』
聞こえてきた告知に、勢いよく飛び起きる。
「どこだ!?」
「違う、ヒイロ!! 黄の寮じゃない!! 朱の寮が、蒼の寮に攻め入っている!!」
俺と寮長が見つめる画面の中で、蒼の寮側第二戦線BotとMidが朱の寮の色に染まる。
「解放されるのは、蒼の寮と朱の寮の死神!!
つまり」
「アステミル・クルエ・ラ・キルリシアと――」
俺たちは、息を呑む。
「劉悠然」