黄金の鷲
三寮戦の舞台となる戦場――黄の寮の本陣。
武家屋敷風の陣地には、物見櫓に蔵と納屋、屋敷の横には畑があり作物まで育っていた。
メディア受けを想定した細工の数々だったが、少なくとも、黄の寮の本陣には取材陣が待機していなかった。不可視のドローンも、姿が視えないとは言え、飛び回っているとは思えない。
ただ、要所には大型カメラが設置されており、ミュール・エッセ・アイズベルトが敗北する瞬間と、フレア・ビィ・ルルフレイム、もしくはフーリィ・フロマ・フリギエンスが勝利する場面を捉えようとしていた。
旗が翻る。
本陣の周囲に翻った黄色の鷲の象徴……それこそが、黄の寮の陣地であることを示していた。
あたかも、それは、自由を得た鷲が大空を羽ばたいているようで。
土間を通して、表座敷からその姿を見守っていたミュールは微笑み、俺は彼女の横で畳敷きの座敷に腰を下ろす。
「ヒイロ、鷲の象徴の意味を知ってるか?」
「……いや」
「勇気、だ」
彼女は、笑う。
「ようやく、あの象徴に見合う格好が整った気がする」
戦装束を着込んだミュールは、わざわざ、フレアが特注してくれたズボンタイプの戦装束を着た俺を見つめる。
「ありがとうな、ヒイロ」
「まだ、始まってもないのに礼を言うのは早すぎますよ」
俺は、ミュールと俺にしか視えない大画面を広げ、戦場全体を俯瞰する鳥瞰図を呼び出し、クローズアップして黒柱と占拠地を見せる。
「ルールは、頭に入ってますか?」
「もちろんだ」
ミュールは、大画面に手を触れる。
「本年度の三寮戦は、大規模駒戯戦。王、軍師、射手、魔術師、兵士、死神の駒を用いて、占拠地を占拠して敵の本拠地まで戦線を伸ばし敵寮長を討ち取れば勝利。
王、軍師、死神は1名のみの指名となるが、射手、魔術師、兵士には人数制限が存在していない。各駒にはHPと特殊能力が備わっており、特色を活かしながらの運用が必要とされる」
頷いた俺に、ミュールは笑いかける。
「りっちゃんに叩き込まれたんだ、忘れるものか。
エナジードリンクの刺激に舌が慣れ、台パンに手慣れ、幾度とない絶望に沈み慣れた」
トラウマで、ミュールはガタガタと震える。
「わ、忘れたら、り、りっちゃんが来る……りっちゃんが……う、うぅ、りっちゃん、もうやめてくれ……笑顔がこわいよぉ……人間は、72時間も起きてられないよぉ……エナジードリンクに、1日を24時間以上に拡張する効能はないよぉ……!!」
「…………(無言でドン引きする男)」
ミュールのフラッシュバックが収まったところで、俺たちは奥座敷へと進んでいく。
途中で炊事場を覗くと、スノウとリリィさんを中心としたメイド部隊が、せっせと148名分の昼食を用意していた。三寮戦は長丁場にも陥ることがあるので、食事の準備等については、各寮長の従者がそのサポートを認められている。
「ヒイロ様、ミュール様!!」
かつて、アイズベルト家に仕えていたものの、ソフィアたちの手で追い出され、リリィさんとミュールが運営する『めいどかふぇ(本物)』に勤めていたメイドたちは、俺とミュールの姿を視るなり歓声と共に駆け寄ってくる。
新入生歓迎会での活躍もあり、現在は、黄の寮のご令嬢の屋敷で従者として働いている彼女らは、目に涙を溜めて、あまりにも近い距離で俺を見上げてくる。
「ヒイロ様、すべて、リリィさんから聞きました。
大恩があるにも関わらず、ろくなお礼も申し上げられず……ほんとうに……ほんとうに、ありがとうございました……貴方のお陰で……今でも、メイドとして働けます……ほんとうに……ありがとう……」
嗚咽を上げながら、顔しか知らない彼女は、俺に縋り付いてくる。
他の美しいメイドたちも、泣きながら俺に抱きついてきて、意味不明の地獄に俺の顔は青ざめていく。
「えっ……お、俺、知りませんが……なんの話……?」
「わたしたちの勤め先を斡旋してくれたのは、ヒイロ様だと知らされて……少しでも手助けになればと思い、三寮戦に従者として参加させて頂きました」
「あっはっはっは!!」
汚い笑い声を上げながら、アルスハリヤは大笑いする。
「い、今頃になって、根回しした恩を返されている!! つ、鶴の恩返しならぬ、メイドの恩返しか!! しかも、その恩は、君にとっての仇とはな!! あっはっはっは!! き、君は、どこまで、僕を愉しませてくれるんだ!! ひぃ、ひぃ、ひぃっ!!」
「…………」
頬を赤らめて、熱っぽい視線を俺に浴びせるメイドたち。
それが、クソ野郎の三条燈色に向けられているモノだと理解し、顔を真っ青にした俺は女体に溺れながら震える。
「し、知らない!! 俺は知らない!! 全部!!」
俺は、ミュールを指差す。
「ミュールがやった!! 俺の知らぬこと!! ミュールがやった!! ミュールが!! ミュールが!!」
「ヒイロ様……」
微笑んだリリィさんは、俺に敬意の眼差しを注ぐ。
「良いんですよ、もう……私もミュールも、貴方のようには出来なかったんですから」
「違う違う違う!! そういう美談的な話じゃない!! 俺は知らない!! ミュールが!! ミュールがやったんだッ!!」
泣きながら、俺は、ミュールにすべてを擦り付ける。
「俺は、知らねェ!! ミュールがやったんだァ!!」
「ヒイロ様、わたしたちの為に……涙まで……」
「違うわァ!! 純度100%、哀れな自分に手向けた涙だわ!! 俺はなにもしてねェ!! 俺は!! 俺は百合を護りてェ!!」
四方八方からメイドに抱きつかれながら、俺は一緒に号泣し、笑いすぎたアルスハリヤは過呼吸を起こしていた。
「ミュール様」
ようやく、メイドの群れに解放されて。
泣きながら横たわっているところをスノウに足蹴にされていると、ミュールを前にした元・アイズベルト家の従者たちは彼女に微笑みを向けていた。
「ありがとうございました」
そして、そっと、小さな彼女を抱き締める。
「貴女のお陰で、わたしたちは、この未来を掴めました……だから、ありがとう……」
「わたしは、リリィの頼みを聞いただけだ! なにもしてない!」
「でも、貴女は」
メイドたちは、微笑む。
「わたしたちの作ったパンケーキを美味しそうに食べてくれた」
ゆっくりと、ミュールは両目を見開く。
「だから……ありがとう」
整列したメイドたちは、美しい所作で、かつての主人に頭を下げる。
「ご武運を、ミュール様」
そして、顔を上げ、彼女らは笑った。
「アイズベルト家なんて、ぶっ倒しちゃってください」
「……あぁ」
笑いながら、ミュールは、腕を組んで胸を張る。
「任せろ!!」
主人と従者は、見つめ合いながら、かつての遺恨を忘れて笑い合っていた。
炊事場を離れて、奥座敷へと。
「ヒイロ」
その道中で立ち止まって、ミュールは、ぼそりとつぶやく。
「お前は、スゴイな」
「はい?」
「アイズベルト家の支援は打ち切られて、どの従者も脅しをかけられていたから、わたしたちに力を貸してくれる者はいなかった。あの子たちが来てくれなかったら、炊事場はガラ空きで、まともに食事も提供出来なかったかもしれない。士気にも影響が出ていただろう。
でも、お前がいてくれたから」
まぶしそうに、目を細めたミュールは俺を見上げる。
「こうして、わたしたちは戦える」
「…………」
「ヒイロ」
ミュールは、笑顔で、俺に向かって両手を広げる。
「ぎゅってして」
躊躇った俺の前で。
その両手は震えていて……だから、俺は、彼女を抱き締めた。
「……コレは、もう、ただの三寮戦じゃない」
その声は震え、その全身は震えていた。
「アイズベルト家との戦いだ……お母様に歯向かったわたしとお姉様の戦争だ……敗ければ、きっと、タダでは済まないだろう……勝ったとしても、アイズベルト家との関係は元通りには戻らない……でも、わたしにとって、そんなの関係ない……ただ、わたし……」
ミュールの泣き顔が、俺の視界に広がる。
不安と恐怖と悔恨と、そのすべてが満面に広がって……俺を見つめていた。
「かちたい……かちたいよ、ひいろ……で、できそこないじゃないって……みんなにしょうめいしたい……わ、わたしは、アイズベルト家の人形じゃなくて……」
泣きながら、彼女は、俺の胸を拳で叩いた。
「ミュール・エッセ・アイズベルトだって……証明したい……!!」
「……勝つ」
俺は、ささやく。
「俺たちは、勝つ……だから……」
彼女を見つめて、俺は、笑みを浮かべる。
「行くぞ、ミュール」
彼女は頷いて、俺とミュールは奥座敷へと続く扉を開け放つ。
総勢148名。
巨大な奥座敷から、黄の寮の本拠地の敷地内にまで、集った148名の寮生たちは一斉にミュールを見つめる。その眼差しには、不安と期待が踊っており、それらを一身に浴びたミュールは中央へと歩いていく。
壁に背を預けたクリスは、妹のその姿を見つめて――微笑んだ。
深呼吸。
ゆっくりと、呼吸をしてから、ミュールは口を開いた。
「……わたしは」
その声は、奥座敷の奥の奥まで、寮生たちが詰め込まれた他の座敷にまで。
浸透するかのように、響き渡っていく。
「弱い人間だ。なにも出来ない。魔法も学業も、政治も経済も、お茶だって満足にひとりで淹れられない。ダメダメだ。出来ることなんてひとつもない。『出来損ない』って、『似非』だって、言われても仕方ないと思う」
寮生たちは、ただ、ミュールを見つめる。
「アイズベルト家の名にかこつけて、酷いことをたくさんした。自分の身勝手な感情で、たくさんの寮生を追い出した。直ぐに怒って、寮のことを顧みなかった。寮生たちに呆れられて、見捨てられた。ただ、わたしは、母に、姉に、アイズベルト家に褒めてもらいたくて、そのために大切なモノを切り捨てた。
わたしが……ミュール・エッセ・アイズベルトが……この世界に存在して良いと……誰かに……だれかに……言って欲しかった……」
誰もが。
ミュールの言葉に耳を傾けて、彼女に向き直る。
「寮の訓練場で、無様に叩きのめされた時に、わたしはようやく自分の弱さを自覚した。それは、魔法を使えないことじゃない。魔力不全で生まれついた己の哀れさについてでもない。アイズベルト家の名を冠する虚しさについてでもない。
わたしは」
涙を流しながら、彼女は震える声で言った。
「人間として弱い……」
静まり返った座敷に、涙が、ぽたりぽたりと落ちる。
「わたしが追い出した寮生は、笑顔でわたしをゆるした……こ、このわたしを……身勝手でズルくて卑怯なわたしを……一度は、三寮戦を辞退した寮生たちは、わたしを笑いながらゆるした……わたしみたいな嫌な人間を……責めずに……ただ、辞退を撤回し……わたしを認めてくれた……じ、自分のことばかり……自分のことばかり考えていたわたしを……ゆるしてくれた……」
ミュールは、嗚咽を上げながらささやく。
「わたしは……強くなりたい……あなたたちのように……そして、あなたたちに『寮長』と呼んでもらえるような人間になりたい……だから……だから……」
ミュールは、膝をついて頭を下げる。
それは、寮長として、すべきことではなかったのかもしれない。
フーリィやフレアであれば、決して選びはしない選択、トップに立つべき人間がすべきことではない愚行だったのかもしれない。
それでも、それは――
「わたしに……力を……かしてください……!!」
確かに、俺たちの心を震わせた。
ミュールが、己の本心を。
ミュール・エッセ・アイズベルトとしての心を曝け出した瞬間――真っ青な空に、赤と青と黄の花火が打ち上がった。
開け放たれた襖の間から、視える三色の火花。
それは、三寮戦開始の合図で――角笛の音が天高く響き渡り――俺は、すべきことをするために前に踏み出した。
「……勝つぞ」
そして、俺は――叫ぶ。
「勝つぞ、お前らァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
地を揺るがすような。
怒涛の咆哮が響き渡り、全寮生は、ひとりの寮長に勝利を約束した。
呆然とその声を受け止めたミュールは……顔を歪めて、その場に突っ伏す。
その叫声は、開戦の狼煙となって――高く高く、どこまでも、打ち上がっていった。




