ニセモノのお家
山中に設置された各寮の拠点。
1km間隔で設置された黒柱と占拠地、その巨大な敷設型特殊魔導触媒器に、大量のメディア関係者が群がっている。
鬱蒼と生い茂る樹木の間を飛び回る、小型のドローン。
そのカメラ付き魔導触媒器は、三寮戦の邪魔にはならないように羽音と存在を消しており、時たま、姿を現しては関係者の調整を受けていた。
「皆様、今年も、三寮戦の季節がやってまいりました。
本年度は、現界と龍人の間柄を取り持ち、現異条約の成立にも大きく貢献したとされているルルフレイム家の最有力後継候補『フレア・ビィ・ルルフレイム』さんの参加だけではなく、弱冠18歳で『至高』の位にまで上り詰め、既にフリギエンス・グループの実権を握っているとも言われている『フーリィ・フロマ・フリギエンス』さんの参戦が確定しており、このふたりのどちらが勝つかと、インターネットを中心に大いに盛り上がっております」
笑顔で語るレポーターの横を通り過ぎ、月檻は露骨に舌打ちする。
「おい、月檻」
「別に。投げキッスだから」
「そんな憎悪が籠もった投げキッス、受け取ったほうが腰抜かすだろ」
笑いながら、月檻は、俺に投げキッスを送ってくる。
「腰、抜かした?」
「…………」
「あ、顔、赤くなってる。かわいい」
「寮長、寮長!! 月檻が俺を虐める!! 俺を虐めるよぉ!!」
「こら、月檻! あんまり、ヒイロをいじめるな!」
「はいはい」
ミュールの後ろに隠れて、やーいやーいと煽ると、大人な月檻さんは苦笑して「散歩」と姿を消した。
しかし。
こうも露骨だと、月檻が苛立ってくるのもわかる。取材陣にどんな事前情報が入ってくるかは知らないが、こうも綺麗にミュールだけが無視されているのは、奇妙を通り越して異常だった。
フレアとフーリィは、カメラと取材者に囲まれ、三寮戦前のインタビューを受けていたが、ミュールのところには一社足りとも来ていない。
仮にも、ミュールは、アイズベルト家の人間だ。
最低限、一社くらいは興味を持って寄ってくるのが道理だが、その気配すらないのは作為的なものを感じさせた。
「三条燈色」
声が聞こえて。
取材陣を掻き分けてきたフレアは、俺たちの元にやって来る。
媚びへつらうカメラを引き連れ、戦装束を着込み、燃えるような赤色の髪を掻き上げる姿には王者の貫禄が備わっていた。
「そして、ミュール・エッセ・アイズベルト」
彼女は、微笑みを浮かべてささやく。
「言い訳がましいのは苦手でなぁ。吾は吾の判断基準、モノサシで、劉悠然を自陣に招いた。ミュール、きみとの確執はなんとなく理解していたが、その上で劉と言う名の人財を掌中に置いた。
吾ときみは敵同士で、仲良しこよしをするつもりもないし、吾は吾の選択が間違っているとは思っていない。
だから、赦せとは言わんよ」
「わたしは」
ミュールは、笑顔で、彼女に手を差し出した。
「わたしを認めてくれたのがお前で……嬉しいぞ。もし、妙な手心を加えられたら、このパーの代わりにグーを出してやったところだ」
フレアは、その小さくて、傷だらけの手を見つめる。
「良く磨かれた……良い手だ。
見違えたな、ミュール・エッセ・アイズベルト」
嬉しそうに、彼女は笑って――
「吾の目に狂いはなかったよ」
その手を握った。
「全力で来い、人間」
「敗けても鳴くなよ、龍人」
ふたりの手は離れて、フレアは、取材陣を取り残し歩き去る。慌てて、カメラたちはその背を追いかけていき、俺はその背中に呼びかけた。
「フレア寮長!」
朱色の龍は、ぴたりと、足を止める。
「感謝します、貴女の献身に」
「忘れるなよ、三条燈色」
笑いながら、彼女は首を後ろに向ける。
「敗ければ、きみは吾の財だ」
「はぁー!? なんだそれー!? ふ、ふざけるな、ヒイロはわたしのだーっ!! とっとと、あっちいけーっ!! ヒイロ、塩まけ塩!! あのナメクジドラゴンを除霊してやれーっ!!」
「ひゃっはっは!」
愉しそうに笑いながら。
わざわざ、敵の憂いを払いに来た龍人は、自陣営へと下がっていった。
じっと、こちらを見つめていたフーリィは、俺と視線がかち合うと嫌そうに顔をしかめる。
「やめてよね、ヒーくん。私にまで、そういう少年漫画的なノリは求めないで。私、ドライでアイスな淑女だから。
まぁ、とりあえず」
フーリィは、口端を曲げる。
「その子を慰める準備でもしておきなさい……泣いたら、可哀想だから」
「フーリィ!!」
ミュールは、ずびしと、彼女を指差す。
「お前は!! 泣かす!! ハンカチ、大量に発注しとけ!! 可愛い刺繍が入ったヤツをな!!」
「お言葉、そのまま返すわよ、可愛いお姫様」
取り巻きの生徒たちを引き連れ、フーリィは去っていった。
三寮長のやり取りを眺めながら、微笑んだ俺は、その気配に気づいて……ミュールの肩を叩いて、その場を離れる。
「すいません、トイレ」
「立ちションか!?」
思わず、俺は振り返る。
「どこで、そんなおぞましい言葉を憶えてきたんですか……この世界で、そんな単語、大概の女の子は知らない筈でしょ……?」
「スノウが、国立国会図書館で調べてきたって言ってた!!」
主人を理解しようとする仕事熱心さには敬意を表するが、それはそれとしてあのメイドは泣かす。
ミュールをその場に残して、俺は山中へと入っていき――その姿を見つける。
大樹に背を預けて、酒を飲んでいたソフィアは、持っていた杯を掲げる。
ソフィアに付いているふたりの護衛は、黒いスーツに身を包み、油断なく魔導触媒器に手をやった。
「来たわよ、娘の泣き顔を視に」
「おいおい、視れないものを視に来ただなんて、こんな真っ昼間から酔ってんのか?」
黒服のひとりが、無言で踏み出し、ソフィアは片手を振ってそれを制する。
「やってくれたわね、三条燈色」
「なにを?」
「知ってることを聞くんじゃないわよ、クソ男。うざったいわね。余計な問答が続いて、無駄に喉が乾くじゃない」
気だるそうに、ソフィアは、クリーム色のケープコートを払う。
「全部よ、全部。
ミュールを強くしたことも、クリスを黄の寮に引き入れたことも、劉をこの三寮戦に引きずり込んだことも……そして、この私すらもコントロールして、この場におびき寄せたことも」
微笑する俺の前で、彼女は微笑む。
「あんたが、スコア0? ふざけんじゃないわよ、どんな偽装工作してるの? アイズベルト家でも、その裏側が調べられないなんて……三条家は、政府機関の中枢にまでテコ入れしてるってわけ?」
「さて、どうかな」
敢えて濁した俺の前で、ソフィアは、考え込むように目を伏せる。
「生まれた時から、スコア0の人間はいない……それは、男でも女でも関係がなく……大抵の男は、徐々にスコアが下がっていき0になるか、生まれつきの値のままで停滞し……スコア0から脱却する程の功績を収めた人間はいない……」
真っ直ぐに、彼女は、俺を睨めつけた。
「三条家の御曹司であれば、高スコアで生まれて来る筈。
そこから、スコア0に堕ちたままなんて……私には、到底、信じられない」
「でも、真実、俺は0のままだ」
「あんたは、なんなの?」
「三条燈色」
俺は、答える。
「それ以上でもそれ以下でもない」
「まぁ、そんなことはどうでも良い……あんたが何者であろうとも、異分子で……私の描いていた道は変わりつつある……」
ソフィアは、ゆっくりと、ワイングラスをひっくり返す。
どろどろと。
あたかも、血のように粘ついたワインは、地面に染み込み樹木に吸われる。濡れた地面を見下ろし、ソフィアは、そっとささやいた。
「台無しにしてくれたわね、全部」
彼女は、首を振りながら顔を伏せる。
「ミュールは……あの子は、私と同じなのよ……クリスだって……アイズベルト家に媚びて生きていくしかない……そういう存在なのに……どうして、邪魔をするの……私が、あの子たちを躾けるのに、どれほどの代償を払ったと思っ――」
「代償を払ったのはお前だけか」
緩慢に。
ソフィアは、顔を上げて俺を見つめた。
「自分の意思を介さない代償を支払わされたのは……誰だ。
苦しんだのは誰だ。裏切られたのは誰だ。泣いていたのは誰だ。諦めたお前の代償の糧として、支払われてきた幸福は誰のモノだった」
「…………」
「答えろ」
「…………」
「答えろ、ソフィア・エッセ・アイズベルトッ!! テメェの語る代償は、誰が支払ってきたッ!? あの子が!! あの子たちが!! どれだけの代償を払ってきたのか、お前は知ってるのか!?」
「知らないわよ、あんな子たちのことなんて」
嘲笑い、ソフィアは、ワイングラスを地面に放り捨てる。
割れ落ちた破片をブーツで踏みにじり、嘲笑を浮かべた彼女は、つま先を地面にねじ込む。
「あの子たちは、私の血と優秀な種で創られた模造品だもの。アイズベルト家の人工子宮で創られた模造人形。だから、アイズベルト家は女系を保てていて、どいつもこいつも優秀なのよ。
私、とても、三人も子供を産んだようには視えないでしょ」
ソフィアは、くるりと一回転して、美しく保たれた全身を見せつける。
「だって、産んでないもの」
彼女は、くすくすと笑う。
「私は三人、お相手は二人、世間一般では産んでることになってるけどね。実際のところは、全部、人工子宮製よ。
皮肉よねぇ」
腹を抱えながら、ソフィアは、真っ黒な瞳を俺に向けた。
「アイズベルト家の人間は、全員、似非なのに……唯一の失敗作、ミュールだけが、似非なんて呼ばれるなんて。
所詮、この世界なんてそんなものよ。成功者だけが評価され続け、失敗者は二度と評価されることはない。道から外れた人間は、どれだけ足掻こうとも、元の道に戻れたりはしない。
あんたみたいにね、スコア0」
「…………」
「無駄なのよ、全部、全部、ぜんぶ……なにもかもが……幾ら、努力しても……どれだけ頑張っても……贋作は贋作で、本物にはなれない……すべては、生まれた時に決まっていて……だから、私は……シリアを……」
黒服からワイングラスを受け取り、ソフィアは震える手で中身を飲み干す。歪んでいた顔が、落ち着きを取り戻し、彼女は俺に微笑みを向ける。
「絶対に、ミュールは勝てないわよ。あの子に才能はないもの。
出来損ない同士が馴れ合って、お似合いだとは思うけど、悲しい結末しか待ち受けてないって現実を知らないのね」
俺の肩を叩き、ソフィアは、その横を通り過ぎる。
「参加辞退率を17%にまで抑えたのは評価する。ココまでの流れを引き寄せたのも驚嘆した。でも、ココまでよ。
あんたたちには、万の一つの勝機もない」
せせら笑いながら、彼女は、歩き去っていく。
「私は、あの子の泣き顔を視に来た」
歩調を緩めず、ソフィアは、遠ざかっていき――
「……るよ」
足を止めた。
「なんて?」
「お望み通り、見せてやるよ。あの子の泣き顔を」
ゆっくりと、俺は、彼女へと振り返る。
「諦めたお前の代わりに、あの子は、自分の手で幸福を掴む。あの子が歩んできた道を、その努力を、その代償を、俺は、絶対に無駄にはさせない。
あの子が望む未来を、幸福を、笑顔を、本物に至る瞬間を……すべてを懸けて、お前に見せてやる」
俺は、彼女にささやきかける。
「歓喜の嬉し涙だ。
覚悟しとけ、ソフィア・エッセ・アイズベルト」
「見せられるものなら」
震えながら。
彼女の手の内で、ワイングラスが握り潰される。
「見せてみろ、クソガキが」
俺は、笑顔で、彼女にピースサインを送った。