三寮戦前夜
死神の会見発表が終了し、俺たちは、寮長室で顔を合わせる。
「お姉様っ!!」
ひっしと、ミュールはクリスを抱き締める。
妹を受け止めたクリスは、戸惑いながらも、恐る恐る頭を撫でた。それから、背に手を回して抱き返す。
「ミュール。
話は、ヒイロから聞いていた」
優しく、クリスは、妹に微笑みかける。
「よくやった。
それでこそ……私の妹だ」
「はい……」
顔を歪めたミュールは、ボロボロと涙を流しながら笑う。
「はい……ありがとうございます……ありがとう……ございます……」
「…………」
「こら、写真、撮るんじゃないの」
一眼レフカメラで、撮影会を行っていた俺は月檻に頭を叩かれ、姉妹の感動の場面に水を差さないうちに撤収する。
「クリス」
俺は、彼女に微笑みかける。
「ありがとな。
正直、引き受けてくれるとは思わなかった」
「お前の頼みだし、ミュールのこともある。断るわけがないだろ。今更、なにを言ってる」
クリスは、俺に微笑みを返してささやく。
「でも、本当に大丈夫か。コレで、お前は、ソフィア・エッセ・アイズベルトと……アイズベルト家と敵対することになった」
アイズベルト家の邸宅で、ソフィアに怯えていたクリスを思い出し、俺は懸念を口にする。
予想とは裏腹に、微笑を浮かべたクリスは首を振る。
「怖くないよ、もう。お前が居てくれるなら、私は何度でも変われるから。
だって、お前は」
綺麗な笑みを浮かべたクリスは、俺を見つめる。
「私を信じてくれるんだろ?」
「……あぁ」
俺は、頷いて――
「はーい、どっこいしょー」
白髪メイドが、寮長室の扉を蹴り開け、ズカズカと俺とクリスの間に突入してくる。
スノウは、大量のおにぎりと味噌汁が入った保温食缶を載せたキッチンワゴンを運び、俺とクリスの間に駐車する。
「失礼。邪なラブコメの波動を感じましたゆえ、このスノウ、主思いの忠義者として務めを果たしに来ました。このメイドの眼が黒いうちは、らぶちゅっちゅさせる気はありませんのでご安心ください。このド腐れが、何人、女増やせば気が済むんじゃボケが。
ついでに、コレ、差し入れです」
「今日は、大変だったでしょうし、積もる話はお夜食を食べながらでも」
ティーセットを持ってきたリリィさんとメイドたちは、あっという間に場を整え、俺たちは円テーブルに腰掛ける。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………スノウさん」
俺は、自分の膝の上に載って、両手におにぎりを握り、食いしん坊始めたメイドの背中にささやく。
「なんすか」
「『なんすか』じゃなくて、前も何も視えねぇんだわ。先行き不安だわ。お前の綺麗な白髪しか視えんわ。絶景かな、この背中とうなじ。とか、一句、綴りたくなっちまうんだわ。とっとと、離れて欲しいんだわ」
「それが、人に頼み事をする態度ですか」
「その乱暴狼藉は、どこのユースチームで培ってきたんだお前? 根っからの暴れん坊ストライカーか?」
「おい」
頬を引く付かせながら、足を組んだクリスはささやく。
「従者風情が、主人の膝に乗るとは何事だ。他家のこととは言え、この私の前で、はしたない真似は許さんぞ小鼠。
離れろ。二度は言わない。離れろ」
「お姉様……もう、二回、言っちゃってます……」
「離れろ」
「三回目です(律儀なカウント)」
「代わって欲しいなら代わりますが」
スノウは立ち上がり、解放された俺は苦笑する。
「スノウ、お前、この女性を誰だと思ってんの。あのクリス・エッセ・アイズベルトだぞ。
男の膝に乗るわけがな――って、乗るんかーい!!」
そわそわしながら、俺の膝の上に乗ったクリスは、体重をかけないようにこっそりつま先立ちをしていた。
彼女は、俺の反応を窺いながら、しきりに髪を掻き上げる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………クリスさん」
顔を真っ赤にしたクリスは、バッと、勢いよく立ち上がる。
「お、重い!?」
「いや、別に、重くはないけど……」
「そ、そうか(着席)」
「着席しろとは言ってないんだわ。
いい加減、おフザケはやめにして、三寮戦の話を始め――月檻ぃ!! 並ぶなァ!! 興味なさそうな顔して並ぶなァ!! 列整理を始めて、人の膝をアミューズメントパークに様変わりさせるなメイドォ!!」
結局、俺の膝の上には、月檻、ミュール、リリィさん、スノウ(二巡目)の順番で腰掛けた。
膝の純潔を代わる代わる奪われた俺は、泣きながらおにぎりを頬張り、リリィさんが取り分けてくれた味噌汁を啜る。
「なぁ、ヒイロ」
エプロンドレスを身に着け、ナイフとフォークでたくあんを食べていたミュールは、両足をぶらぶらさせながら口を開く。
「結局、今日の会見は、どういうことだったんだ? 最初に、黄の寮の死神は、劉だって発表されたよな?」
「敵と味方を区別しておきたかったんですよ」
スノウから、俺は、味噌汁のおかわりを受け取る。
「正直、劉は、その線引の見極めが難しかった……だから、一度、あの女性を黄の寮の死神として勧誘しに行ったんです。
そうしたら、劉は俺の罠に掛かった」
「罠?」
「『死神』ですよ」
ナイフとフォークを握ったミュールは、首を傾げる。
「俺は、劉との会話の中で『死神として力を貸してくれると、ミュールに報告する』と言いました。
死神は、寮長が劉を呼ぶ時の呼び名のひとつに過ぎない。にも関わらず、劉は『三寮戦で共に戦えて嬉しい』と返してきた。あの段階では、三寮戦の詳細は一般公開されておらず鳳嬢生しか知らない筈なのに。
それに」
俺は、リリィさんに目を向ける。
「リリィさんが、袖を握って教えてくれた」
「劉さんの笑顔が……シリア様に向けたモノとは違って……怖かったので……」
「だから、ヒイロくんは、劉が既に朱の寮とコンタクトを取っていたことを察知した」
「そういうこと。
劉が既に朱の寮の死神として契約を結んでいたのは、明白だったから、俺はクリスに助力を請うことにした」
俺は、苦笑する。
「甘いかもしれませんが、俺は、劉が土壇場になって思い直し、黄の寮の……ミュールの味方に付いてくれることを望んでました。
だから、俺は、死神の欄を劉悠然と記載したまま提出した」
もし、劉が、黄の寮の味方に付いてくれれば……ミュールが、かつての恩師を相手取ることもなかったんだが。
いや、違うか。
――私と貴方の道は交わらない
彼女の言う通り、コレが、運命の歯車が噛み合った結果なのかもしれない。
だが、どちらにせよ……定められた三寮戦で、どう足掻いても、俺と彼女の道は交錯する。
覚悟は出来ている。
ミュールの幸福のためであれば、俺は、敗けるわけにはいかない。彼女の努力を証明するために、なにがあろうとも、俺が倒れるわけにはいかない。
俺は、ゆっくりと顔を上げる。
――シリア様に報いる
勝負だ、劉悠然……俺とお前の意思、どちらが勝つか……報いるのは、どちらか……。
決着を着けよう。
夜食を食べ終えた俺たちは、解散し、誰もの顔には笑顔が浮かんでいた。
三寮戦に対して、黄の寮の参加辞退率は17%……辞退率を2%以内に抑えている蒼の寮や朱の寮と比べて、圧倒的に不利な状況下にある。
その上、相手の死神は、最高位の魔法士『祖』の証を持つ『アステミル・クルエ・ラ・キルリシア』、かつて『祖』の魔法士であり『魔法士殺し』の異名を持つ『劉悠然』。
蒼の寮の寮長は、フーリィ・フロマ・フリギエンス。
朱の寮の寮長は、フレア・ビィ・ルルフレイム。
突出した才能を持つふたりの寮長に対し、『出来損ない』と呼ばれ続けてきたミュール・エッセ・アイズベルトは証明しなければならない。
己の実力を。
己の存在を。
己の異名を。
『似非』ではなく『本物』として。
ミュール・エッセ・アイズベルトこそが、黄の寮の寮長であると、鳳嬢学園に……アイズベルト家に……そして、自分に突き付けなければならない。
それは、きっと、泣きたくなるくらい恐ろしいことで。
どんな人間でも、不安で、怯えてしまいたくなるようなことだった。
それでも。
「視て、ヒイロ!」
ミュールは、笑った。
寮長室のバルコニーから見上げた満点の星空には、純白に輝いた大きな星々があり、彼女はその光の下でくるくると回る。
黄の寮の正装。
その美しいパーティードレスは、きらきらと白い光を反射し、彼女の白金に感応するかのようにきらめいた。
笑いながら、回っていたミュールは、背伸びをして星に手を伸ばす。
「わたし、小さい頃は、星に手が届くと思ってた」
ミュールは、そっと、ささやく。
「でも、お母様が『届くわけないでしょ』って……だから、わたし、星には手が届かないって諦めてたけど……」
彼女は、満面の笑みを浮かべる。
「現在なら、手が届く気がする」
ミュールの指先に導かれて、俺は彼女の隣で星を見上げる。
一際、光り輝く星が、俺の視界に入った。
その儚い瞬きは、あたかも祝福のように思えて……ポケットに両手を突っ込み、微笑を浮かべた俺は頷いた。
「あぁ」
ふたりで。
俺たちは、星を見上げる。
「きっと、届くよ」
同じ星を見上げて、俺たちは、明くる日に想いを馳せる。
その祈りが、星々に届くのかは……誰も知らず、それでも、俺たちは笑っていた。