先達に学ぼう!
サングラスとマスクを着けたミュールが、こっそりと顔を出した。
その背後で、純白の仮面を着けた俺が、拳銃を構えて壁に身体を押し付けながら様子を窺い――走り出す。
「Follow me!!」
「いや、ちょっと待て」
軽快に走り出した俺は、服裾を掴まれて盛大にずっこける。
「ちょっとぉ!! 『Follow me!!』は『付いてこい!!』って意味ですからね!? なんですか、日本語で欲しかったんですか!? 欲張りだなぁ!?」
「そんなどうでも良いことで、いちいち引き止めたりするか!
他寮の寮長から、寮長としての姿勢を学ぶべきという話はわかるが、そもそも」
サングラスとマスクを外したミュールは、眼前に広がる朱の寮を指差す。
赤色の獅子。
朱の寮の象徴たる獅子は、無機質な眼差しを訪問者へと向けている。
ルルフレイム家の支配下に置かれている朱の寮には、映像投影用の敷設型魔導触媒器が設置されており、敷地内に入ると自動的に魔力が伝達されて、ドラゴンの巨影が空間投影されお出迎えしてくれる。
その巨大な寮は、あたかも、光り輝く宝物庫のようで。
そこに潜む龍の存在を如実に感じさせ……栄耀栄華のコンセプトの基、その外観も内観も、豪華絢爛で塗り固められていた。
「なんで、変装する必要があるんだ?」
「えっ……」
俺は、仮面を外して、銃のプラモデルを懐に仕舞う。
「そっちの方が……ワクワクしません……?」
「殴るぞ、グーで」
『まじめにやれーっ!!』というお言葉を頂戴しながら、ミュールにぽかぽか殴られていると、見覚えのある姿が視界に入ってくる。
「あ、黒砂さん」
「…………」
頭からつま先まで、純黒で身を包んだ黒砂哀は、長い髪で顔の大半を隠し、陰鬱さを引き連れ歩いていた。
恐らく、大圖書館に向かうのだろう。
寮門に向かってきた彼女に向かって、ミュールは「おい、黒砂哀」と声をかける。その可愛らしい声は、耳に届かなかったのか、敢えて無視しているのか、本を抱えた彼女は脇を通り抜けていく。
「おい、こらーっ!! 無視するなーっ!! おまえーっ!!」
「寮長、どうどう。きっと、急いでるんですって。
黒砂さん、この間、怪我の手当てしてくれてありがとね」
立ち止まるとは思わなかったが。
ぴたりと静止した黒砂は、髪の隙間から赤い瞳でこちらを見つめる。
「……誰?」
「ミュール・エッセ・アイズベルトだ!! 黄の寮の寮長で、お前の敵だぞっ!! 眼中に入れろっ!!」
「…………」
考え込むように止まっていた黒砂は、俺の顔を見つめたまま、合点がいったかのように頷いた。
「……あのまま、死ねば良かったのに」
「言葉と行動が裏腹では?」
「……もう治った?」
「お陰様で」
「…………」
寮長には一瞥もくれず、俯いた黒砂は、しずしずと去っていった。
相手にすらされず、怒気を冷まされた寮長は、ぽかんとしたままその背中を見守る。
「か、変わったヤツだな……絶対、友達いないだろ……」
「でも、良い子じゃないですか。俺に好意の欠片も持ってないですし、好き嫌いとは別に人命救助して、わざわざ、傷の具合まで確かめるなんて大したものですよ」
じとっと、ミュールは俺を見上げる。
「胸か」
「は?」
「お前は、胸の大きさで差別するのか。わたしを差し置いて、あの女ばかり褒めるとはどういうことだ。胸部か。胸部のボリュームで、お前の好感度ゲージは伸び縮みするのか。物事の本質を腹から上、首から下の範囲で判定してるのかお前は」
「なんで、急に、人のことを卑猥の総本山みたいな取り扱いし始めたんですか……淫祠邪教の教主に祀り上げられそうな特殊判定方法ですよソレは……」
「でも、お前、黒砂の頭の先からつま先まで視線でなぞったら、絶対に胸のところで視線が引っかかるだろ!? わたしの場合、引っかからずに、ストーンっといくだろうがっ!!」
「…………」
「黙るな、お前、黙るなーっ!! 『一理、あるな』みたいな顔で黙るなーっ!!」
哀しき男の性に思いを馳せていると、待ち合わせていた黎が、笑顔でこちらに駆けてくる。
「お兄――」
「どうせ、あの胸の大きい妹よりも更に胸が大きい黒砂のことが、一番、好きなんだろうがーっ!!」
ぴしりと、笑顔が真顔に変じて。
両目を見開いた三条家のお嬢様は、無表情で小首を傾げる。
「……お兄様は、胸の大きさで差別するんですか?」
「うわぁ~ん!! コイツ、授業に使うノートの最後のページに、女子のバストサイズランキング作ってるぅ~!!」
「なんだ、その、破滅願望持ち以外に作れない癖は。
破滅願望筆記帳か?」
その後、上手いこと好感度が下がらないかなと、即興で破滅願望筆記帳を作成したものの、笑顔のレイにビリビリに破られるだけで終わった。
「私が一番上になれるランキング以外は認めません」
「三条妹が一位になれるランキングってなんだ? 嫉妬深さか?」
「殴りますよ、チョキで」
「チョキで!?」
寮門の前で騒いでいた俺たちは、既にフレアの知るところになっていたのか、申請が受理され敷地内に入ることを許される。
赤と金を基調とした調度品で飾られている寮内は、三寮戦が迫っているということもあってか賑わいに満ちていた。
カフェや談話室では、学生たちが活発に意見を通わせており、画面上で戦術シミュレーションを行っている。訓練場から帰ってきたらしい寮生たちは、シャワールームに向かいながら、コンビネーションについて語り合っていた。
寮長室に向かうため、俺たちは、談話室の脇を通り過ぎる。
胸元の所属章が視えたのか、ソファーに腰掛けている寮生が鼻で笑った。
「あら、雑魚寮がなんの用かしら」
「あはは、アレ、似非じゃない。もしかして、朱の寮を偵察に来たのかな。無駄だっての」
三寮戦前ということもあり、敵愾心を燃やしているのだろうか。
これ見よがしで攻撃的な挑発に対し、立ち止まったミュールは、憤怒を口から漏らす。
「な、なんだとぉ……!!」
肩を怒らせたミュールが、一歩踏み出した時には、黒色の髪が視界内で踊っていた。
「失礼ながら、先輩方」
あの三条家の次期後継者であり特別指名者、三条黎に声をかけられた朱の寮の寮生たちはびくりと反応を示す。
「我が寮の品位を下げるような真似はおよしください。あの方々はお客様で、申請を受理したのは寮長です。
朱の寮の象徴は獅子……気高き獅子が、侮りを口にして、己を誇示する必要があるのですか?」
そそくさと。
談話室から、彼女らは消えていき、綺麗に背を伸ばしたレイが戻ってくる。
「悪いな、レイ。助かったよ」
「当然のことです」
嬉しそうに、レイは俺に微笑みかける。
「私は、お兄様の妹ですから」
「う、うぅ……」
不満気に唸っていたミュールは、俺の袖を引っ張る。
「な、なんで、アイツらを懲らしめないんだ。ヒイロもレイも強いだろ。わたしの代わりに、アイツらをボコボコにしてやれば良いんだ」
「そういう風に」
俺は、ミュールの頭を撫でながら笑いかける。
「母親に教えられましたか?」
「…………」
「ソフィア・エッセ・アイズベルトは……貴女の母親は、自分の手ではなく、劉を使って人を殴ってましたね」
「と、当然だ、劉は、うちの従者だからな」
「でもね、寮長、人を殴れば、殴った拳は痛いんですよ。そして、その拳の痛みは、殴った当本人以外にはわからないんです。
誰かを殴る時には、誰かに殴らせたらいけないんです……それをしたら、いずれ、拳の痛みを忘れて……殴れないものがなくなってしまう……その時には、もう、取り返しがつかなくなっちゃいますよ」
俺を見上げていたミュールは、俺の目線から逃れるように目を逸らした。
「だから、私にあの銀髪エルフを紹介したのか?」
「さて、どうでしょう。
そろそろ、行きましょうか。ココに棲み着いてるトカゲタイプの寮長を待たせるのも失礼で――」
ガラスが鳴る。
天蓋からローター音が響き渡り、振動でガタガタとガラスが震え、窓を開けた寮生たちは空を見上げていた。
朱の寮の敷地内に作られたヘリポートに下りてくる機体、回転翼が鈍い音を鳴らしながら回り、その猛風に煽られた葉と花が宙空を舞い飛ぶ。
着陸した航空機から、気高き龍人が下りてくる。
「下りてこい、三条燈色と愉快な仲間たち」
フレア・ビィ・ルルフレイムは、赤色の髪をなびかせて笑う。
「良いものを見せてやる」
唖然とするミュールの横で、俺は苦笑を浮かべた。