人望なさすぎ問題
ミュール・ルートでは、前途多難の道が示される。
四人のヒロインと四つのメインルート、そのどれもが辛く険しい道が示されているが……条件的に最も厳しいのは、ミュール・ルートであると言われている。
原作ゲーム観点で言えば、ミュールは戦闘ユニットとしてはほぼ役に立たない。委員長のようなサブキャラクターみたいに、アイテムなどを用いて、戦闘中に補助を行うような役柄しかこなせない。
ミュールの強化イベントは存在するが、イベント発生条件は異様に厳しく、その上、成功率は非常に低い。だからこそ、大半のプレイヤーは、ミュールに寮長としての成長を促し、三寮戦の勝利を目指すパターンに陥る。
そうした場合、まず、三寮戦には勝てない。
三寮戦の勝敗に関わらずミュール・ルートは続き、主人公と結ばれさえすれば、問題なくハッピーエンドを迎えることが出来る。
だが、それは、飽くまでもノーマルエンドだ。
スタッフロールが流れ終わった後、ノーマルエンドでは、たった一行のミュールのセリフが表示される。
『サクラがいれば、わたしはもう大丈夫だな!』
大半のプレイヤーは、このセリフを読んで『ふたりは、強い信頼関係で結ばれたんだな』と解釈するらしいが……俺は、コレは、バッドエンドへの入り口だと感じた。
その後の月檻桜とミュール・エッセ・アイズベルトの未来は、一プレイヤーである俺には想像することしか出来ない。
ノーマルエンドを視た俺は、ひとつの嫌な未来を想像してしまった。
己の弱さを受け入れられず他者にその強さを求めた彼女では、いずれ不幸な結末に辿り着いてしまうのではないか?
だからこそ、俺は、ノーマルエンドではなくトゥルーエンドを目指す。
ノーマルエンドもハッピーエンド扱いなので、それは俺の考え過ぎであり、ミュールと月檻は幸福な余生を過ごしたのかもしれないが。
俺は、このゲームのヒロインたちには、最高のハッピーエンドを迎えて欲しい。
それは百合を愛する者の義務であり、果たすべき責務だ。
三寮戦の勝利を目指せば、ミュール・ルートの難易度は跳ね上がるが、三寮戦に勝てなければノーマルエンドが確定する。
そして、三寮戦に勝つには……劉悠然を抑える必要がある。
当然のことながら、幾ら主人公とは言っても、現在の段階の月檻桜では彼女を相手にすれば死ぬ確率の方が高い。そして、月檻桜と劉悠然が対決する道を進めば、劉悠然が救われることはない。
ならば、俺は、その道を選ばない。
シリア・エッセ・アイズベルトと劉悠然の間には、俺の想像も及ばないような美しい絆があった筈で……ソレを壊すような真似を、この俺がするわけもない。
なら、道はひとつだ。
俺が、劉悠然と戦う。
その覚悟は出来ているものの、無事に劉との決戦を迎えるためには、ミュール・ルートの険しい道のりを辿る必要があるわけで。
「ふざ……ふざ……ふざぁ……っ!!」
予定調和の試練は、原作通りに訪れていた。
黄の寮の寮長室で、気まずそうに立ち尽くすリリィさんは、机の上にぶち撒けられた用紙を見つめる。
わなわなと怒りで震えるミュールは、その用紙をぐしゃぐしゃに握りつぶす。
「ふざけるなぁあああああああああああああっ!!」
ソレをボール状にして、壁に投げつけ――
「いたあっ!!」
跳ね返ってきた紙の球が額にぶつかり、涙目になっていた。
俺は、床に散らばった用紙の一枚を手に取り、そこに書かれている『三寮戦辞退届』という文字列を捉える。
「いやぁ、こりゃあ」
俺は、床を埋め尽くす同様の書類を見つめて笑う。
「床に敷き詰めれば、一面の白景色になっちゃいそうですね」
「お気楽なこと言ってる場合かー!! こ、コレ、全部、辞退届だぞっ!? コレも!! コレも、コレも、コレもーっ!! 参加するメンバーよりも、辞退するメンバーの方が多いんじゃないのか!?」
ミュールが机をバンバンと叩いたせいで、積み上げられた辞退届が雪崩を起こし「あわーっ!!」と叫び声を上げながら彼女は埋まる。
「…………っ!!」
「なんか、中で言ってません?」
「昔から、閉じこもるのが好きな子なので」
リリィさんはため息を吐き、主を紙の中から引っ張り上げる。
「う、うぅ……」
メソメソと泣きながら、リリィさんに抱きついたミュールは、ちっちゃな手で俺のことを指差した。
「ヒイロ、なんとかしろぉ……!! りょ、寮長命令だぞぉ……!!」
「そういう無茶振りばっかしてるから、こうやって辞退届が溢れる羽目になるんですよ。
ある意味、当然の結果ですね」
「うわぁあああああああああああああ!! お、お前なんて嫌いだぁあああああああああああああああああああ!! どっかいけぇえええええええええええええええええええええええええええ!!」
「はいはい」
素直に出ていこうとすると、泣きながらミュールが追いかけてくる。ものの見事に転んで、顔を打ったので、思わず俺は引き返してしまった。
「み、見捨てるなぁ……!!」
「すいませんすいません、冗談ですから。
あーあ、もう、ちょっと鼻血出てるし、顔だけは勘弁してくださいよ」
ひっしと、俺に抱きついたミュールを抱き抱える。
コアラみたいになった寮長を抱えたまま、俺は、申し訳無さそうなリリィさんに向き直る。
「申し訳ありません、甘えん坊な子で」
「まぁ、たまには、誰かに甘えるのも良いと思いますよ……たまになら」
俺は、ミュールをあやしながら辞退届を見つめる。
各寮の寮生に対して、三寮戦の参加は強制されていない。こうして、辞退届を寮長に提出すれば参加辞退も認められる。
参加するメリットの方が大きいので、普通、辞退する生徒は殆どいないと思うのだが……負け戦に参戦して、無駄な手傷を負ったり恥をかいたりで、自分の評価や点数が下がることを危惧した生徒たちが辞退し始めたのだろう。
なんの対処もしなければ、三寮戦が近づくにつれ、辞退する生徒の数は増え続けるに違いない。
三寮戦に向けて、辞退者の数を減らすのも寮長の努力義務だ。
三寮戦まで約一ヶ月、この時点で、寮長としての求心力が求められている……三寮戦に限らず、戦いというものは、その備えが最も重要視される。
「リリィさん、参考までに、各寮の辞退率を教えてもらっても良いですか?」
「現時点では、朱の寮が0.5%、蒼の寮が1.1%、黄の寮は……」
そっと、リリィさんは顔を上げる。
「52.5%」
「なんだ」
俺は、笑う。
「思ったより少ないですね」
「おまえ、なに言ってるんだおまえーっ!! ど、どう考えても、めちゃくちゃ多いだろうがーっ!! 52パーセントだぞ、52パーセント!! 半数以上、参加辞退してるって、勝てるわけないだろーっ!!」
「いや、逆でしょ」
俺の胸元に顔を埋めて、泣き続けるミュールにささやく。
「約半数が、三寮戦で黄の寮が勝つって……寮長なら勝てるって思ってくれてるってことですよ? それって、すごくないですか?」
ぐすぐす言いながら、ミュールは顔を上げる。
「で、でも、どうせ敗ける……」
「いや、勝つ」
「どうやって……は、半分も参加してくれないのに……」
「それは、現在の段階の話でしょ。寮内に寮長の悪評が広まりすぎてて、最悪のスタートダッシュ決めちゃってるだけですから。勝負は始まったばかりですし、これから、幾らでも逆転する機会はありますよ」
俺は、小さな寮長を見つめる。
「寮長」
「な、なに……?」
「コレは、貴女のための戦いだ。だから、貴女は、ミュール・エッセ・アイズベルトとして行動しないといけない。俺とリリィさん、月檻、他にも信頼出来るヤツが出来たら幾らでも甘えて良い。
でも、貴女は貴女として、黄の寮を勝利に導かないといけない。
わかりますか?」
「…………う、うん」
俺は、寮長を下ろし、ニコリと微笑みかける。
「なら、次に、どうすれば良いかわかりますね?」
ミュールは、満面の笑みを浮かべて頷く。
「辞退届を出した連中をぶっ殺――」
スパァンと、俺は、ミュールの頭を平手で引っ叩く。
「いだぁっ!?
お、おまえ、なにするんだ、このバカーっ!!」
「驚きましたよ、今の綺麗な流れから、そこまで薄汚い答えに辿り着くとは……なんなんですか、その殺意。光り輝く蛇口を捻ったら、とんでもなくきたねぇドブ水が出てきたくらいの衝撃ですよ。
次、フザけたこと抜かしたら、首から下を辞退届とクレーム用紙で埋めますからね……?」
鼻を啜りながら、恨めしそうに、ミュールは俺を睨みつける。
「お、お前の言いたいことくらいはわかってる……寮長として、寮生に模範的な態度を示せって言うんだろう……?」
「わかってるじゃないですか」
「そんなことが出来るなら、最初からしてる……そんな簡単じゃないんだ、模範的な寮長になるというのは……わたしだって……努力してる……もん……」
「なら」
俺は、ニヤリと笑う。
「学びましょうよ、先達から」
赤い目で、ちらりと、ミュールは俺のことを見上げた。




