誓約書(死)
「何様よ、あんたっ!!」
「寮長様だ!!」
騒ぎになっている中心部。
ふたりの生徒とつかみ合いになっている見慣れた姿があった。
白金髪を持つ小柄な身体が目に入り、俺は、遠巻きに見つめている女生徒たちの脇をすり抜ける。
「はいはい、そこまでそこまで」
襟を掴まれているミュールから、女生徒の腕を剥がし、掴みかかろうとする彼女を羽交い締めにする。
「さいてー!! なにが、寮長よ!! 黄の寮なんてこっちから願い下げよ!!」
「わたしだって、お前なんぞ願い下げだー!! ばーか!! ばーか、ばーか、ばーか!! 二度と、わたしにその面を見せるなぁ!!」
なおも襲いかかろうとするミュールの身体を抱え、バタバタと両手足を振る我らが寮長を虚空と戦わせる。
「やめなさいっつーの。
すいませんね、うちの寮長が……なにしました、この子?」
「はぁ!? あんた、なによ!?」
「失礼、前方保護者面でやってまいりました三条燈色です。
最近、好んでいるカップリングは、図書委員とヤンキー少女。かなり口が悪いヤンキー少女が、図書委員の前では借りてきた猫のように大人しくなるヤツが大の好きです。
以降、お見知りおきを」
「は、はぁ……?」
アドレナリン全開の寮生は、鼻息荒く、俺にも突っかかってきたので適当に流す。
比較的、落ち着いているもうひとりは、顔を歪めてミュールを指した。
「ふたりで三寮戦の話をしてたら、その子が突っかかってきて……」
「お、お前たちが黄の寮は敗けるとか言うからだ! 戦う前から諦めるヤツがいるか!! お前らみたいなヤツが戦意を下げ、引いては全体の士気を下――」
「大変申し訳ございませんでした」
ミュールの口を押さえて、俺は、深々と頭を下げる。
横から割り込んできた男が素直に謝ったのは意外だったのか、出鼻を挫かれたふたりの寮生はもごもごと口を動かす。
「べ、べつに、私たちは謝って欲しいわけじゃ……ただ、急に絡んできたから……寮から出て行けとか言われてカッときて……ねぇ……?」
「う、うん……」
「いやいや、そりゃあ、そうですよねぇ。それくらいのことで、寮から出て行け云々言われたらたまったもんじゃない」
「ヒイロ、おまえぇ……どっちの味方だぁ……!!」
涙目のミュールが、俺の両腕の中で、ぐすぐす言いながら見上げてくる。
「もちろん、寮長ですよ。そうじゃなかったら、こんな揉め事の中に、意気揚々と割り込んで仲介役買って出たりしないでしょ」
笑顔を形作った俺は、制服の導体収納袋から導体を取り出し、おふたりにひとつずつ手渡した。
「申し訳ないんですけど、今回は、コレで手打ちにしてもらえません?」
それなりにレア度の高い導体を渡され、ふたりの表情が少しだけ輝き、彼女らは笑顔すら浮かべてみせる。
「な、なんか、逆に申し訳ないわね。
あんた、男にしては気が回るし、話もわかるじゃない」
「え、一年生? 本当に男の子? 男って、ほら、なんかパッとしないのしかいないし、寮内で君のこと視たことないけ――」
「用が終わったなら消えろ、このバカー!! ヒイロに興味をもつなー!! お前らなんぞ願い下げだ、失せろ失せろーっ!!」
ミュールに追い払われ、迷惑そうなふたりは廊下の奥へと消えていく。
寮長を床に下ろした途端、半分怒りながら半分泣いている彼女は、恨めしそうにじっと俺を見つめる。
「……お前が言いたいことはわかってる」
「さいですか」
「最初から……黄の寮が勝てると思ってるヤツはいない……どいつもこいつも、わたしのことをバカにしてる……似非の魔法士だって……魔法も勉強もかけっこも……なにもかも、わたしは上手くいかない……ただ、お母様が信じるミュール・エッセ・アイズベルトを演じ続けてきただけだ……」
疲れ切った表情のミュールは、自分の子供っぽさを制御しようと努力しているようだった。だが、取り繕った擬装は、ところどころでボロが出ており、そのいじけたような口ぶりは歳相応どころか幼児のようにすら視えた。
「ヒイロ」
何時からかは知らないが。
母親に迷惑をかけないように、大人を演じようとしている少女は、その無茶を滲ませながらささやいた。
「他の寮に転寮しろ。
この時期の転寮は、寮長と当本人同士が認めれば問題ない」
「いや、無理ですよ」
俺は、さらりと言う。
「俺、さっき、スコアの代わりに自分を黄の寮に賭けちゃいましたもん」
「はぁ!?」
互いに食べさせ合いっこをしている少女ふたりが横を歩いていき、俺は、ニヤニヤしながらその様子を見送る。
「な、なんで、そんなことしたんだ……バカか……?」
「なんすか、そのセリフ。まるで、黄の寮が敗けるみたいな。つい数分前に、我らが寮長が不届き者に送った『戦う前から諦めるヤツがいるか』という名言をお教えいたしますが」
「ふ、黄の寮が敗けたら……お前はどうなる……?」
俺は、自分の両手で自分の首を軽く締めて笑う。
「奴隷」
「お、お前、わかってるのか……鳳嬢生は、権力者の集まりだぞ……男ひとりの人権を蔑ろにするくらい簡単に出来る……死ぬより酷い目に遭わされるかもしれないんだぞ……?」
「いや、別に、勝てば良くないですか?」
唖然としているミュールに、俺は、ニヤリと笑いかける。
「やる気、出てきた?」
「で、でも、勝てない……勝てるわけない……ヒイロ、わたしは……ま、魔法が使えないんだ……なにも出来ない……」
顔を歪めたミュールは、訴えるように俺の胸元を掴む。
「どうやったら……どうやったら勝てる……フーリィもフレアも……わたしとは格が違う……魔法すら使えないわたしになにが出来る……?」
「道は教えます」
そっと、俺は、寮長の手を取って引き剥がした。
「でも、そこから先に進むのは寮長次第だ。俺は、押したり引いたりはしない。別の道を教えてやったり、近道をささやいたりもしない。途中で転んだら声をかけるかもしれないが、立たせてやったりはしない。
それでも」
俺は、彼女にささやく。
「進みますか?」
逡巡があって。
その間に、彼女がなにを想ったのかは、俺にはわからなかったが……ミュール・エッセ・アイズベルトは、己の意思で頷いた。
「じゃあ、早速」
俺は、満面の笑みで、寮長の肩を両手で掴んだ。
逃さないように押さえつけたことがわかったのか、ミュールは恐怖の面持ちを浮かべ、逃げ場を求めるように目線を彷徨わせる。
その姿は、小さくか弱い草食動物のようで……獲物を見つけた俺は、舌なめずりしながら画面を呼び出した。
「もしもし」
俺は、笑いながらつぶやく。
「質の良いのが手に入りましたよ」
「キャンセルッ!!」
ついに泣き出したミュールは、大声で絶叫する。
「キャンセル、キャンセル、キャンセルだッ!! やっぱり、わたしはわたしで自分の道を見つける!! その方が良いと思う!! だって、ほら!! 何時までも、ヒイロに頼りっぱなしというのも良くな――」
「お嬢ちゃん」
ニコニコと笑いながら、顔を近づけた俺は、ミュールにささやきかける。
「おせぇんだ、もう……この電話は、地獄に繋がっちまった……視な……この手、震えてるだろ……? くっくっく……こえぇぞぉ、あの女性はぁ……あの世が簡単に見える……寮長、あんた、三途の川の色を知ってるか……?」
「うわぁああああああああああああああ嫌だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! コイツ、泣きながら笑ってる嫌だぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」
泣き喚く寮長を背負った俺は、全速力で、待ち合わせ場所へと彼女を拉致する。
見慣れた公園で。
スポーツウェアを纏って、銀色の長髪をひとつにまとめた師匠は、腕を組んで仁王立ち、満面の笑みを浮かべて叫んだ。
「こんにちは!! 今から、貴女を殺す気で育てます!!」
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! このエルフ目が笑ってなぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
「まずは、この誓約書にサインをお願いします!!」
「誰がサインするか、こんなものォ!! なんだ、この『ミュール・エッセ・アイズベルト(以下、甲という)に対して、アステミル・クルエ・ラ・キルリシア(以下、最高の最強という)は、鍛錬中の死亡/重傷/軽傷問わずに一切の責任を負わない』って!! 血印以外無効って、たちの悪い誓約魔法だろうがコレぇ!!」
「ヒイロ、彼女は文字が書けないようですよ」
「イエス・マイ・マスター」
俺は、ミュールに無理矢理ペンを握らせて実名を書かせる。
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! いとも簡単に犯罪行為に手を染めたぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「ちょっと、チクッとしますよぉ」
さくっと、指の先を針で空けて血印を済ませる。
逃げ道を塞いだ俺と師匠は、恐れで腰を抜かしたミュールの前で、げへげへげへと笑い声を上げた。
「うえへへへ、師匠、どう調理してやりましょうかねぇ、コイツはぁ?」
「ヒイロ、笑ってないで、貴方もコレにサインしなさい」
「なに言ってんだ、お前(真顔)」
引き金。
逃げ出そうとした俺は、転瞬した師匠に関節を極められ、地面に叩き伏せられる。身動きがとれない状態で、俺の上に乗った師匠はニコニコと笑った。
「はーい、楽しいサインの時間ですよぉ」
「嫌だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 『三条燈色(甲)は、三度まで死ねることとする』なんて書かれた誓約書にサインしたくねぇええええええええええええええええええええええええええええ!! 俺の残機を数え間違えてるぅううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!」
結局、俺もサインさせられて。
「…………」
「…………」
俺とミュールは、死んだ目で、笑顔の師匠の前に並んだ。