分かたれた道
劉悠然。
複雑な背景を持ったキャラクターであり、ミュール・ルートでも一際異彩を放つ女性である。
かつて、魔法士の最上位にいた彼女は、後天性の魔力不全で魔力を失い、絶頂から一転、ドン底にまで追いやられる。非公式の開発者ブログによれば、それは死を考える程の絶望で、栄光の最中にあった関係性は悉く破壊された。
親族、親類、親友。
劉を褒め称えていた人間は、すべて消え去り、スコアは急速に0へと近づいていった。
当時の雇い主であるソフィア・エッセ・アイズベルトも例外ではなく……プロモーション契約を結んでいた企業から違約金を取られ、一文無しどころか借金まみれになった劉を切り捨て、唯一の資金源たる家庭教師の座を下りるように迫った。
当然と言えば当然だ。
優秀な魔法士を雇って、娘の教師役につけていたのだから、その能力を失えば職を追われるのは当たり前のことで。
冷徹にも思えるが、合理的に判断してみれば、一介の家庭教師に過ぎない劉を手元に置いておく理由はひとつもない。
すべてを奪われようとしていた劉に、救いの手を伸ばしたのは、たったひとりの女の子。
そう、たったひとり。
アイズベルト家の長女……シリア・エッセ・アイズベルト。
原作ゲームの中では、劉とシリアの間に、どのようなやり取りがあったのかは描かれていない。
ただ、シリアの手引きにより、劉は家庭教師の職を失わずに済み、彼女は飢えと失意の只中で死なずに済んだと語られる。ふたりの間にどのような交流があったかは、二次創作の中でしか描かれていない。
居場所を手に入れた劉は、己の価値のために腕を磨いた。
それは誰のためであったのかはわからないが……彼女は、血が滲むような努力とその特殊な体質、圧倒的な才覚によって、唯一無二とも言える対魔法士特化の拳術を身に付け、『魔法士殺し』とまで呼ばれるようになる。
そんな折、劉は、シリアの紹介によりミュールと出逢っている。
先天性の魔力不全……それは、同類とも言える『似非の魔法士』との出逢いであり、劉は、同じ天の下に現れた同属に己のすべてを授けようと画策する。
だが、それは上手くいかず。
時期を同じくして、劉悠然には二度目の絶望が訪れ、彼女はアイズベルト家から姿を消した。
劉悠然との再会、それこそが、ミュール・ルートにとっての要となる。
劉悠然の出現タイミングは、完全にランダムである。
劉をミュールと会わせるか会わせないか……主人公は決断を迫られ、ふたりを巡り合わせた場合、ミュールはゲーム内から姿を消して彼女のルートは消滅する。
ふたりの遭遇を邪魔すれば、強制的に劉との戦闘となる。それは負けイベントでどうやっても勝ちようがないが、パーティー内に三条燈色がいた場合、彼は100%の確率で最初に死ぬ(執拗にヒイロを狙うので、ファンからはホーミング燈殺拳と呼ばわれている)。
劉悠然は、プレイヤーからは『死神(ミュールが彼女をそう呼んだことから)』と呼ばれ、三条燈色だけではなく多数のキャラクターにとっての死亡フラグにもなることから『死亡フラグの塊』とも言われている。
劉悠然とソフィア・エッセ・アイズベルト。
この両者をどうにか出来なければ、ミュール・ルートは、おぞましいバッドエンドを迎えることになる。
この難事を、月檻ひとりに背負わせるわけにはいかない。
それに、なによりも……俺は、ミュールを救いたい。俺自身がミュールを救いたいと願い、その未来を視たいと思う。
そう想ったなら。
俺は、すべてを懸けて彼女を救う。
「…………」
劉に招かれた俺は、部屋と言うよりは獣が棲み着くような洞穴のような一室で、月の灯りを頼りに一枚の写真を眺めていた。
写真立てに飾られている『かつて』。
優しい笑みを浮かべる劉は、クリスとミュールによく似た少女の肩を抱いていた。白金髪を持った美しい少女は、劉の横で満面の笑みを浮かべている。
ぱたんと。
音を立てて写真立てが伏せられ、劉は俺にマグカップを差し出す。
「……飲みなさい」
まともな家具ひとつない癖に、広くて虚無感が漂う部屋の中で。
マグカップの中から立ち昇った白煙が、目と鼻の先をくすぐって、どこかへと消えてゆく。
俺は、満月が映り込んだお茶を飲み、勧められた椅子に座る。
「……痛みは?」
部屋の外で待っている月檻とクリスが、丁寧に巻いてくれた頭の包帯に触れ、苦笑しながら首を横に振った。
「まぁ、いつも通りだよ」
「…………」
膝の上に肘。
何時ものように、前傾姿勢で両手を組んだ劉は、椅子に浅く腰掛けたまま指をゆっくりと動かす。
「あんなことは……もう、やめなさい」
「あんなことって?」
言葉少なに、ぼそぼそと、劉はしゃべる。
「アイズベルト家に……ソフィア様に歯向かわずに……平穏に暮らしなさい……貴方は、まだ子供で……悪人でもない……未来がある……」
「まるで、自分には未来がないみたいな言いぶりじゃん」
「…………」
劉は、空っぽの両手を眺めてささやく。
「ソフィア様は、貴方を赦さない」
「あのドレス、直してあげても?」
「よれたドレスは直っても、よれた人間関係が直ることはない。
永遠に、それはよれたままで……互いが見て見ぬ振りをするしかない」
劉は、優しく、俺の腕を掴む。
そして、目線で立つように促した。
「立ちなさい。
まずは、日本から離れます」
「いやいや」
俺は、マグカップを口元に運ぶ。
「まだ、お茶も飲んでないよ……これからでしょ」
「三寮戦で、黄の寮が勝つことは絶対にない」
「座りなよ。
せめて、お茶を飲んでしゃべり終わってからでも良いでしょ?」
ゆっくりと、劉は、その長身を折りたたむようにして座った。
「ミュール様には……才能がない」
彼女は、ささやく。
「三寮戦において、寮長の立ち位置は絶対的で……ミュール様が寮長を務める限り、黄の寮に勝ち目はない。あの子を視てきたからわかる。世の中には、どうやっても、育つことがない芽は存在する。
人間は、生来の……生まれついた才能には……運命には逆らえない」
「確かに、あんたは、ミュールのことを視てきたのかもしれないが」
俺は、手に持った水面へとささやく。
「ミュールの未来を視たことはない」
「…………」
「誰にわかる。あの子の運命が。その未来が。あんたは、足掻いて足掻いて、それで諦めたのかもしれないが、俺は、そのまま足掻いて死ぬことを選ぶ。それをどこかの誰かがバカだと笑っても」
俺は、真正面から劉を見据える。
「俺は、俺のことをバカだとは思わない……あの子のことを信じる己自身が……間違いだったなんて感じない……」
劉は、静かに。
俺の腕から、手を離した。
「繰り返す」
劉は、ささやく。
「もう、やめなさい……貴方の献身が報われることはない……ソフィア様は、人事を尽くして天命を待つ者ではない……三寮戦は……ミュール様の未来は叩き潰される……そして、私は……」
俺と彼女は、見つめ合う。
「貴方を殺すことになる」
「言ったろ」
俺は、彼女の視線に己の視線を縫い付ける。
「俺は、そのまま足掻いて死ぬことを選ぶ」
「……貴方は」
俯いた劉は、ささやく。
「ミュール様のために……なぜ、そこまで……己を懸けられる……勝ち目はないとわかっているのに……なぜ……」
「簡単だろ」
俺は、笑う。
「あの子の未来が視たいからだ」
ゆっくりと、俺は立ち上がり、伏せられた写真立てを立て直す。そこに映る笑顔を見つめ、振り返り、笑ったまま劉に語りかける。
「俺が望むのは、こういう未来だ。
だから、俺は、愚か者のままでその未来に向かうよ」
「…………」
「あんたにも、譲れないものがあるなら」
俺は、ニヤリと笑う。
「全力で来いよ。
互いの理想を懸けて、楽しい戦闘しようぜ」
音もなく。
立ち上がった劉は、人差し指で、優しく写真立てを倒した。
「……この顔は」
陰っていた月が、運命染みて顔を出し――劉悠然を照らした。
「この子には、視られたくない」
半と半。
影と光。
陰と陽。
顔の半分で分かたれた月と陰、月光と暗闇の狭間で、劉悠然の様相は、人外の魔境に踏み入れた人ならざる者へと変じ……異様に輝く両眼は、昏い執念に燃えていた。
「三条燈色」
墓場の底から響き渡るような。
冷たく、凍てつき、底冷えするような声音で――彼女は言った。
「お前に未来はない」
「どうかな」
俺は笑って、写真立てを立て直す。
「案外、俺とあんたのツーショットが、この横に並ぶかもしれないぜ?」
劉悠然は答えず。
俺は、彼女の横を通り抜け、扉の向こう側へと進んでいった。




