破壊することに長けた男
衣装室のカーテンを開く。
その途端、月檻のニヤニヤはMAXに至り、クリスは感嘆の息を吐いた。
「……いや、意味がわからんが」
金色のウィッグにお清楚な花柄ワンピースを着させられた俺は、ロングスカートの端を掴んで頬を染める。
クリス御用達の服屋に連れて行かれた俺は、月檻の『女装すれば良くない?』という正気とは思えない提案に丸め込まれ、予想外の女装男子デビューを果たしてしまった。
「あっはっはっはっ!! さ、さすが、ヒーロくんだ!! その格好で、百合を護ると言い張るのか!! あっはっはっはっ!!」
死ね(直球)。
腹を抱えて大笑いをするアルスハリヤはご満悦で、辱められた俺は、ひくひくと頬を歪ませる。
「だから、月檻さぁん……大事故なんすよ、コレぇ……? なんで、男の俺が婚約者役で、わざわざ女装する必要があるんですかぁ……? 俺の足りない頭では、ひっとつもわかんないんすけどぉ……?」
「パンツ、履き替えた?(スカートめくり)」
「ちょっとぉ!!」
月檻にスカートを引っ張られ、俺は慌てて、スカートを押さえつける。
「…………」
「クリスさん、なんで、頬染めてそっぽ向くの? やめて? 俺たち、なんか、いかがわしいことしてるみたいじゃん?」
「いや、でも、ココまで素材が良いと似合うね」
月檻は、爽やかに微笑む。
「うん、イケる」
「イケねぇよ。お前、俺から尊厳まで奪うつもりか。ミュールに『俺が護る』とか言っておきながら、女装して婚約報告しに行く俺の気持ちにもなってみろ。見た目はお清楚バレれば変態、守護りたいのは百合の花ってか。やかましいわ」
俺は、大きくため息を吐く。
「わざわざ、こんなアホみたいなリスクを負ってどうすんだ。運良く女装がバレなかったとしても、スコアで即バレするだろ」
「そこに関しては問題ない」
腕を組んで、壁に背を預け、なぜか俺から顔を背けているクリスがささやく。
「少なくとも、私の個人的な付き合いのある相手に対して、邸宅内でスコアチェックをするような真似はしない。お母様も、違和感を覚えなければ、額面通りに私の語る幻の姿を信じ込むだろう。
それに、偽の関係性と言っても、私にも矜持というものがある」
クリスは、静かに目を閉じる。
「そこの俗物を婚約者として紹介するのははばかられる」
「いや、単に、ヒイロくんを婚約者として紹介したいだけでしょ」
「…………」
「視て、あの乙女、顔赤くして聞こえなかったフリしてる。カワイイね」
「や、やめろ、お前、殺されるぞ……!」
クリスの恐ろしさを知らない月檻の口を塞ぎ、ぺこぺこと俺は謝罪を繰り返すが、彼女は不自然なくらいに俺と目を合わせようとしなかった。
結局、クリスは『月檻を婚約者として紹介する』という案を頑として受け入れず、仕方なく、俺は女装してアイズベルト家の首魁と対面することになる。
「こんなの絶対おかしいよ……!!」
「パンツ、履き替えた?(スカートめくり)」
「ラーメン屋の暖簾みたいな感覚でめくるのやめてくんない!?」
どう考えても声でバレると必死に抵抗したところ、クリスは概念構造から導体を調達してきて、リアルタイム・ボイスチェンジャーを完成させてしまった。
喉に咽喉マイクを取り付け、ソレをチョーカー型の魔導触媒器で隠す。腰に着けたベルト型とチョーカー型を同期させ、導線と導体の組み合わせによって女声を実現させる。
サンプリングされた声優の音声を基に、ピッチ(声の高さ)とメルケプストラム(声道のパラメータ)を抽出し、クリスが持ってきた概念構造製の導体でパラメータ変換を加えることで……それは、実現してしまった。
「よし、良いぞ」
月檻を婚約者にすれば秒で済む事態を、ココまで複雑化させた張本人は、やりきった顔で頷く。
「ヒイロ、魔力を通してから、なにか喋ってみろ」
魔力線をチョーカーに通し、俺は口を開いた。
「あ」
圧倒的な透明感。
その場に響き渡り、心に染み渡るような美声が出る。その声音には、少女の面影を残した愛らしさもあり、見事なまでの萌ボイスが俺の喉から出てくる。
「「…………」」
「な、なにその反応、やめてよ。ちょっと」
無言で頷いた月檻とクリスは、俺に近づいてきて顔面を鷲掴みにしてくる。
「え、ちょっと、な、なに……?」
「化粧だ」
「うん、そうだね。肌、綺麗だし、イケるね」
「え、ちょっ、ま、もう、これ以上は必要な――」
有無を言わさず、俺は化粧品コーナーにまで連れ込まれ、右から左からナチュラルメイクを施される。その後、花柄ワンピースから純白ワンピースに着替えさせられ、頭の先からつま先までお嬢様のような出で立ちに変えられる。
一時間後。
「わたしたちは」
月檻は、顔を赤らめてささやいた。
「とんでもないものを生み出したかもしれない」
「……こ、ココまでとは」
鑑に映る三条燈色は、元のなんとなくムカつく面立ちを残していたが、絶世の美少女と言っても過言ではない姿に生まれ変わっていた。
あのアルスハリヤですら笑うのをやめて真顔になっていたので、その変化ぶりは尋常ではなかった。
「な、なんだよ」
俺は、縮こまって、月檻とクリスにささやく。
「な、なんか言えよ……お前ら、なんか、こわいぞ……」
殺気。
いや、なにかを狙う眼光。
道行く女性たちが、俺に熱視線を向けており、どことなくいやらしい視線を感じて月檻の陰に隠れる。
「つ、月檻、なんだあの女性たち……さっきから、ぐるぐる同じところ回ってるし……店員さんもずっと視てくるぞ……俺のスコア、視えてるんだよな、あの女性たち……おい、月檻……?」
月檻の制服の袖を引くと。
バッと、腕を払われて、赤面した月檻が「……あ」と短い声を発した。
「ご、ごめん、ヒイロくん。慣れるまで、気軽に触らないで」
「えっ」
俺は、クリスを振り返る。
その瞬間、彼女は、両腕をクロスさせて自分の顔を覆う。
「クリスさん……?」
「…………」
「クリスさん……?」
「そ、その声で、話しかけるな。ヒイロの面影を残すな」
「ヒーロくん」
絶句していたアルスハリヤは、そっとささやく。
「君は、百合を護る気があるのか……?」
「今回、なんか、俺が悪いところあった!? ありました!? ねぇ!?」
数十分かけて。
ようやく、俺の女装姿に慣れた月檻とクリスは、妙にぎこちない動作で歩き出し、なぜか隣に並ばないふたりに俺は付いていく。
「…………」
「…………」
「えっ、な、なんでしゃべんないの……? 今のうちに、人物設定とか決めておこうよ」
「ヒイロくん」
振り向いた月檻は、真顔でつぶやく。
「しゃべんないでくれる?」
「人を美少女に仕立て上げといて、真正面から理不尽でぶん殴ってくるのやめてくれる?」
制服からメイド服に着替えていた月檻は、それはそれは可愛らしい姿だったが、俺の女装のインパクトに敗けたのか誰もその姿に言及することはなかった。
「ヒイロ、とりあえず、喉のマイクを切れ。耳の毒だ」
「なんで、なんか、俺が悪いみたいな雰囲気出してんの」
「俺、じゃなくて、私ね」
「唐突に、話言葉の監修を始めるな」
道中、真剣に話し合った結果、俺は『三条黎』を名乗ることになり、月檻はその付添いの『スノウ』として振る舞うことになった。
本人たちに許可を取るため『これから、ミュールを護るために、女装してアイズベルト家に婚約報告に行く』と正直に説明したところ、妹からは『自分の尊厳は護らなくて良いんですか』、白髪メイドからは『スカート履いたまま死ね』とのコメントを頂いた。
俺はレイのことをよく知っているつもりなので、それなりのエミュレートが出来る自信がある。
アイズベルト家の奥様は、三条家のことは知っているしレイのことも既知らしいが、互いに会ったことはないので騙せるだろうとのことだった。
こうして、俺たちは準備を完了させ、ついにアイズベルト家本邸へと辿り着く。
左右対称、レンガ造りの西洋屋敷……金持ち特有の広い敷地には、魔導触媒器らしき首輪を着けたジャーマンシェパードが放たれており、俺たちの気配を察知して顔を上げる。
敷地内には円柱型の敷設型魔導触媒器が設置されており、突端部をくるくると回頭させながら周辺魔力を読み取り、逐次、その情報をセキュリティに送っていた。
大門の横に備わったセキュリティゲート、守衛所の警備員はクリスを視るなり、緊張と共に直立して門を開けた。
俺たちは、ジャーマンシェパードの視線を浴びながら庭を横断する。
「大丈夫だ。私の魔力と匂いを憶えている」
その言葉通り、忠実なワンちゃんたちは、じっとこちらを見つめるだけで手出しをしてこなかった。
俺たちは、権威と見栄が隠れ見える豪奢な広間に通され、恭しく、賓客として出迎えられる。
王侯貴族か何かの屋敷かと勘違いするくらいに、隅々まで磨き込まれた応接室には、俺には理解出来ない芸術品が数多く並び、クリスに値段を聞いてみたら目玉が飛び出るくらいの額面を教えてくれた。
居心地の悪さを感じて、縮こまっていたら……ノックの音が聞こえてくる。
「来たな」
ついに、アイズベルト家の黒幕のご登場か。
俺は、居住まいを正して、扉を開けた彼女を出迎――覗いた昏い眼光、真っ黒なスーツとその手袋、引き締まった体躯とその身のこなし――咄嗟に、月檻はソファーの裏に隠れ、俺とクリスは驚愕で目を見開いた。
「…………」
劉悠然は、ゆっくりと、後ろ手で扉を閉めた。