アイズベルト家カチコミ作戦
「で」
電車内。
隣り合わせで揺れる俺と月檻は、トーキョー、湾区ミナトへと向かっていた。
「どうするの?」
目的地は、元麻布に屋敷を構えるアイズベルト家……俺の脳内を読み取れるわけもない月檻が、その計画を問いただしてくるのは当然と言えて、画面を弄っていた俺は苦笑する。
「お茶を出してもらって、茶菓子を食べながら朗らかに話をつける。
俺は、根っからの平和主義者だからな」
「ヒイロくんの平和主義の概念が、わたしと同じなら良いけど」
暇なのか、目を細めた月檻は、俺の襟足を指先で弄ってくる。
その手を止めて、俺は、彼女を見つめる。
「月檻、大事な話がある」
「良いよ、結婚する?」
「しません。冗談でもそういうこと言うのやめてくんない、本気でぶっ殺しちゃうよ?
今後の俺たちの関係性についてだよ」
「つまんないの」
俺の肩に頭を預けてくる月檻の額にデコピンを与えると、彼女がいやいやと手を振って抵抗してくる。
「月檻、物は相談だが、俺がしたことをお前がしたことにして欲しい」
「やだ」
「まぁまぁ、待て待て。そう簡単に結論を出すものじゃない。コレは、必要な区分分けだ。つまり簡単な話で、例えば、今回のアイズベルト家へのカチコミが上手くいった場合はお前がしたことにして、上手くいかなかった時には俺のせいにして欲しい。
わかってるわかってる。別にコレはな、お前に、無理に特定の女の子に好かれて欲しいとかそういう話じゃない。ただ、俺は、お前に仲の良い女の子を作って欲しいんだ。せめて、そのための架け橋を作らせてくれないか」
「前々から思ってたんだけどさ」
月檻は、俺の首に腕を回して、至近距離から見つめてくる。
「ヒイロくんって、女の子が嫌いなの?」
「ぁあ?」
「わたし、結構、顔は良いと思うし……ラピスもレイも、多方面から声かけられてるけど……ヒイロくん、手、出さないよね? なんで?」
長いまつ毛と艷やかな肌に、桜色の唇。
さすがは主人公と言うべきか、カワイイとしか言いようのない彼女は小首を傾げる。
「なんで?」
俺は、お前とヒロインたちの百合を視たいからだよ!! 諦めきれねぇんだよ!! この覚めない夢がよォ!!
とは言えないので、俺は、にこぉと笑う。
「と、トラウマがあって……あの、アレなの……昔、女の子とあれこれあって……女の子がこわいの……ふふ……」
あまりにも、適当でその場しのぎの回答を口にしてしまい、思わず俺は自分で自分を笑ってしまった。
「ふぅん」
なにを思ったのか。
月檻は、俺の頭を抱えて、自分の胸に押し付ける。
「えいっ」
「うわぁ、おわぁあっ!?」
俺は、本気で月檻を引き剥がし、懐からファブリー○を取り出して、全力で彼女の胸元に吹き付ける。
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ消えろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ロボットアニメで、死ぬ前に乱射するモブみたい」
ウエットティッシュを取り出し、俺は、月檻の胸元を丁寧に拭う。三条燈色の痕跡を完璧に消し去ってから、はぁはぁと息を荒げ、血走った眼で彼女を見上げた。
「月檻……二度とするな……良いか、幾らお前でも……やっていいことと悪いことがある……」
「眼、こわ」
月檻は、微笑んで、髪を掻き上げる。
「耳、赤くなってる。良かった。女の子には興味あるんだ」
「オレ、オマエ、キライ」
「それは残念」
腕と足を組んだ月檻は目を閉じて、そこでようやく、俺は自分が持ちかけた相談事が有耶無耶にされたことに気づいた。
湾区ミナトに辿り着いた俺たちは、洒落たカフェが並ぶ通りに出る。
その中の一軒に足を運ぼうとしたところ、スコア0の俺が入店拒否され、月檻が買ってきたコンビニコーヒーを片手に公園のベンチに腰を下ろす。
「はい、おごり」
「すいません……ご馳走になります、月檻さん……」
「よしよし、お礼が言えて偉い偉い。養ってあげる」
原作ゲームでもそうだが、湾区ミナトは富裕層(つまり、高スコア者)に人気の区画で、軒を並べるカフェはもちろん、コンビニでさえも、低スコア者は入店を許されていなかった。
ケヤキの大木が作る影の下、ベンチに座った俺たちは、三条燈色の姿を視るなり公園から出ていく親子連れを見つめていた。
「ヒイロくん、わたしにファブリー○かけすぎたんじゃない?」
「いや、ファブリー○の匂いのせいで逃げてくんじゃねぇわ。ファブリー○舐めんなよ、お前、驚きのW除菌だからな。俺が思うに、今、月檻の胸は翼の生えた無菌状態だからな」
「いや、絶対、そのWはWingのWではないでしょ」
俺は、画面を開いて時間を確認する。
「さて、ファブリー○月檻、これからアイズベルト家カチコミ作戦を開始するわけだが」
「誰がW除菌だ、人に勝手にファブリー○かけてスポンサードさせるな」
「まず、どうやって潜り込むかだが。
正直、俺は、もっとも取りたくない手を取らざるを得ない……そのため、この場にスペシャルゲストをお呼びしたが、たぶん来ないし、来たとしても殺されるかもしれない」
「……劉悠然?」
「誰が、これから自殺するって言ったよ」
画面に『もうすぐ着く』との連絡が入って、俺は、委員長に習った通りに手入れした九鬼政宗を握る。
走ってきた彼女は、仕事の途中で抜け出してきたのか、何時もの戦闘装束に身を包んでいた。
「ヒイロ……」
頬を上気させたクリス・エッセ・アイズベルトは、ぱたぱたと自分の頭を叩いて髪を整え、ちらりと俺を見つめる。
「久しぶり……だな……そちらから、連絡してくれるとは思わなかった……」
「あ、どうも。すいませんね、お呼び立てしまして」
なぜか、前回の百合姉妹見学会の時から、俺に好意的なクリスへと頭を下げる。そんな俺を視て、彼女は、微笑みを浮かべた。
「良い、ヒイロなら。呼んでくれるなら、何時でも来る」
「えっ……あ、ありがとうございます……?」
しきりに、自分の髪を撫で付けながら、クリスはちらちらと俺を窺う。
「急だったから、髪が……服も、あの……一度、着替えて来ても良いだろうか……今日、逢えるとは思わなかったから……油断してた……」
「え、いや、あの、大した話でもないんで」
袖を引かれる。
愕然と立ち尽くしていた月檻が、驚愕をもってクリスを見つめていた。
「…………誰?」
「いや、アレ、あの、クリス・エッセ・アイズベルトさん」
月檻は、ふるふると首を振る。
「違う」
「そう言われましてもお客様……姿かたちはお間違いようがなく……」
「だって、この間、殺し合ってたよね?」
「うん」
「殺しかけてたよね?」
「う、うん」
「いや、だって、アレは完全に」
「おい」
割って入ってきたクリスに、俺と月檻はびくりと反応する。
「私は業務を抜け出してきてるんだ、俗物。優先順位をその小さな脳みそで考えろ。誰の前で、誰に媚態を示してる。下らん矜持で私の妨げをするつもりなら、その頭を溶液に浸けて研究所に二束三文で売り払うぞ」
「……クリス・エッセ・アイズベルトだ」
「……だから、言ってるじゃん!!」
愛想笑いを浮かべて、俺は、ぺこぺことクリスに頭を下げる。
「す、すいません、クリスさん……」
「ち、違う! ヒイロには言ってない!
勘違いするな……しないで……」
月檻が俺の袖を握っているのを一瞥し、顔を伏せたクリスは反対側の俺の袖を握った。
「それで、ヒイロ、なんのようだ……?」
「怒らないで聞いてくれます?」
「怒るわけないだろ。なんだ、言ってみろ」
笑うクリスに、恐る恐る、俺はささやく。
「ちょっと、アイズベルト家に挨拶したいなぁと思って……出来ます……?」
さすがに、大それたお願いだったのか。
ぽかんと、クリスは口を開いて。
それから、見る見る間に真っ赤になっていき、あわあわと口を動かしながら俺の袖を両手で強く握り込む。
「あ、あい……あいさ……あいさつ……?」
「いやいやいや、冗談です冗談です!! 申し訳ございません!! 有り得ないですよね!? 大変申し訳御座いません!!
あの、お仕事にお戻り頂いて大丈――」
「わ、わわわわ悪くない! 悪くない悪くない悪くない!! ほ、本当に!? 本当にか!? わ、わわわ私とアイズベルト家に挨拶したいのか!? えっ!? ど、どうしよう!? どうすれば良いの!? え、えっ!? き、記憶が戻った!? ひ、ヒイロも私のことが!? えっ、えっ!?」
大慌てで画面を操作していたクリスは、ふと、手を止めてから俺の前にまで進んでくる。
それから、なにかを待つように目を閉じた。
「…………」
「え?」
ゆっくりと、クリスは目を開けて、寂しそうに微笑を浮かべた。
「……まぁ、そう都合が良いわけもないか」
「え? あの?」
「ヒイロ、挨拶とは言ってるが、本当は他の理由があるんだろう? ミュールか?」
さすがはお姉ちゃん、見抜かれてたか。
苦笑した俺は、正直に理由を打ち明ける。
「あんたの母親と話したい。別に危害を加えるつもりはないよ。奥に潜んでる虎に食いつかれても困るからな」
「……劉か」
図星を突かれて、俺は頷いた。
「わかった、手配しよう。だが、並大抵のことでは、お母様の顔を視ることすら難しい。
そうだな……ヒイロ、お前のことを私の婚約者としてお母様に紹介し、両者の婚約報告という形に仕立て上げる。それなら、お母様も釣れる筈だ。そこの俗物は、ヒイロのお付きの従者とでも説明すればそう怪しまれないだろう」
「協力してくれるのか?」
「当然だろ、ミュールは私の妹で……お前は……」
クリスは、目を伏せて微笑む。
言及しない方が良い気がして、俺は追及せずに話の軸を変える。
「良い手だと思う。
でも、俺は男でスコア0だから、アイズベルト家の敷居を跨げないんじゃないか?」
「それなら」
会話に入ってきた月檻は、綺麗に微笑む。
「良い考えがあるけど」
嫌な予感がして――月檻の話を聞いたクリスも、同じような笑みを浮かべた。