かつての帰還
「もう、なんか、病院も別荘みたいなもんだな」
歩いてくる死亡フラグこと、劉悠然との死闘を経て、俺はお馴染みの大学附属病院に入院することになった。
顔馴染みの先生は、怒りを通り越して呆れていて。
「なぜ、生きてるのか教えて欲しい」
とまで言われてしまい、菓子折りは受け取ってもらったものの、暇さえあれば俺のところに来て説教する始末だった。
共に重傷を負って、同じ病院に入院していた月檻は、ぼんやりと外を眺めることが多く。
恐らく、それは、彼女が目の当たりにしたまともな敗北のせいで……劉悠然戦は、負けイベントだから気にするなと俺が言っても、そんな事情を知らない彼女にとって慰めにはならなかっただろう。
退院後。
寮長室に呼び出された俺と月檻は、ミュール・エッセ・アイズベルトの従者……何時になく、真剣な顔をしたリリィ・クラシカルと対面を果たす。
「三条様、月檻様」
リリィさんは、深く、頭を下げる。
「ありがとう……ございました……本当に……今、劉悠然とあの子が言葉を交わしたら……取り返しがつかないことになっていました……」
「別にどうでも良いけど」
月檻は、完治した左腕で髪を掻き上げる。
「アレに借りを返したい。倍返しで、両腕をへし折る。
どこで戦れる?」
おいおい、この戦闘狂……俺は隣で笑みをひくつかせて、リリィさんは首を振って応える。
「現在、劉と連絡を取れるのは奥様だけです。私は、彼女が生きていたことすら知りませんでした」
「奥様……ってことは、ミュールのお母さんですよね?」
リリィさんは、こくりと頷く。
「劉が尾を振るのは、今となっては奥様だけです」
「今となっては?」
月檻のツッコミに、リリィさんは顔を背ける。
「…………」
「月檻」
意図を汲み取った月檻は、ため息を吐いて質問を変える。
「で、結局、あの化け物はなんなの?」
「奥様の子飼いの元・魔法士です。かつては、アイズベルト家専属の家庭教師をしておりました。『似非』と言われる前の彼女は、大変優秀な魔法士で、最高位の『祖』の位にまで上り詰めていました」
「それって、過去の話ですよね? 現在は?」
「現在は……」
「趣味の悪いスーツ着た根暗拳法家」
月檻が茶化して、俺は、ぺしりと彼女の頭を叩く。
「……彼女の魔法士の資格は、剥奪されました。家庭教師としても。
言うなれば、現在の彼女は、私と同じアイズベルト家に仕える従者です」
「アレが、メイド服着てお茶運んできたら腰抜かすわ」
俺が茶化して、月檻に、ぺしりと頭を叩かれる。
「で? なんで、魔法士の資格を剥奪されたの? 叙任の儀式が必要でもあるまいし、然るべき機関に紙ペラ一枚出せば、魔法士なんて誰でもなれるでしょ?
スコア0でもなければ」
茶化してくる月檻の肩を殴ろうとすると、ひらりと避けられる。
からかうように目を細めた主人公様の頭を、ぽんぽんと軽く叩くと、ソレは避けられずに受け止められる。
「月檻様の仰られる通り、魔法士になるのは至極簡単です。ですが、一度でもその資格を与えられれば、その縛りは言外に強い。魔法士とは、連綿と受け継がれてきた『魔法』を次代に繋ぎ、正しい形で運用することを目的とする機関。
魔法士は、魔法を用い得ない者を由とはしない」
「……どういう意味?」
驚愕で、月檻は目を見開く。
「もしかして、アレで、魔法を使ってないって言うの?」
「確かに、魔力は感じなかったな」
原作知識ですべてを知る俺は、不自然にならないように追従する。
「劉悠然は、ミュール・エッセ・アイズベルト……お嬢様と同じで、つまり」
「先天性の魔力不全……」
月檻のささやき声に、リリィさんは首を振る。
「いえ、彼女は後天性です。
だから、元・魔法士として振る舞えた」
「なにそれ? 元・『祖』の魔法士で、後天的に魔力を失った後は、素手であそこまで強くなったってこと? アレで? 魔法士となんら変わらない働きが出来るんじゃない?」
「はい。
だから、魔法士としての実力を認められながらも、表舞台から追放された彼女はこう呼ばれた」
面を上げたリリィさんは、ゆっくりとささやく。
「似非の魔法士」
寮長室が静まり返り、月檻の顔に直感的な気づきが閃いていた。
似非――その二つ名を持つ者は、もうひとりいる。
月檻がその者の名を口にする前に、寮長室の奥の扉が開いて、白金髪を持つ張本人が姿を現した。
「いや」
ボサボサの髪で、目の下に隈を作り、だらしなく寝間着を着崩したミュールが、自嘲気な笑みを浮かべながら現れる。
「劉は、わたしとは違う……才能も実力もその体質も……なにもかも……だから、わたしは……お母様にも……お姉様にも……なににも応えられなかった……」
「ミュール、寝ていないと!」
リリィさんが駆け寄ると、彼女は片手を振る。
「ただの心的外傷だ。別に寝ようが寝まいが治らない。それだったら、ヒイロと月檻の顔を視ていた方がマシだ。
リリィ、ふたりにお茶を入れてくれ」
寮長らしくもなく。
疲れ切った顔で、大人ぶった小さな彼女は、執務机に座って両手を組んだ。
「劉は、わたしの家庭教師だ。元、な」
お茶を淹れに行ったリリィさんの背を見守り、両手の中に顔を隠したミュールは深く大きな息を吐いた。
「もう……会うことはないと思っていた……まさか、戻ってくるとは……お姉様との約束を……いや、ケジメをつけに来たのか……どちらにせよ、わたしは、劉と一緒に行くべきだった……」
「行くな」
ミュールは顔を上げ、俺はささやいた。
「行くな、ミュール」
「……無理だ」
小さな寮長は、微笑む。
「時間切れだ。劉悠然が……死神がやって来た。ミュール・エッセ・アイズベルトに与えられた余暇の終わりだよ。どうやって、墓の下から伸ばされた手に抗える」
「俺がいる」
ミュールは、ゆっくりと、目を見開く。
「月檻もいる……ラピスもレイも……その他大勢の奴らも……この黄の寮には……鳳嬢には……お前を護れるヤツがたくさんいる」
「……ヒイロ、お前は、本当にバカだな」
彼女は、苦笑する。
「わたしは、お前じゃないんだよ。誰がわたしのような人間を護ってやろうと思う。頭にくるようなヤツがいれば、直ぐに、家財道具を寮の外に放り出すような寮長だぞ。大半の連中がわたしを憎み、バカにして、利用しようとしている。
残った良心的な連中は、全員、わたしに興味がないだけだ」
銀盆に載せたティーセットを持ったまま、リリィさんは入り口で止まり、耐えるように唇を引き結んでいる。
諦めきった顔で、ミュールはささやいた。
「わたしは、所詮、出来損ないだよ。似非だ。ミュール・エッセ・アイズベルトは、アイズベルト家と言う家名以外に価値はない。
だから、わたしは――」
「俺が護る」
その言葉は、月檻に言わせるべきだとわかっていても。
それが、彼女にとって似非に聞こえれば終わりだと思ったから。
俺は、自身の本物を口にする。
「お前が何度間違えても、誰もがお前を見捨てても、そのせいで地獄に堕ちようとも。
俺だけは、お前を護り続ける」
ミュールは顔を伏せて、俺は笑いかける。
「だから、諦めるなよ、ミュール・エッセ・アイズベルト。頑張れ、寮長。応援してやるから。もう少し、足掻いてみましょうよ」
俺の呼びかけには、反応を示さないまま……彼女は、顔を伏せて、静かに沈黙を保つ。
永い沈思の後、ようやく、彼女の喉が動いた。
「………………寝る」
鼻をすすって。
ふらふらと立ち上がった寮長は、奥の部屋へと引っ込む。
ミュールの私室へと続く扉が閉まったのを確認してから、俺は寮長室の扉を開き廊下へと出る。
「さ、三条様?」
入れ代わりに、部屋の中に入ったリリィさんに声をかけられる。
「どちらへ……?」
「ん? そっすねぇ」
片手をポケットに入れた俺は、踏み出そうとした足を空中で止めて。
笑いながら、もう片方の手で廊下の奥を指した。
「ちょっと、殴り込み?」
唖然とするリリィさんを残して、俺は歩き出し、無言で月檻は横に並んだ。