似非の魔法士
時間を稼――消える。
「………あ?」
俺の前から消えたその長身。
それが、あまりにも早く身を屈め、同時に前に跳んだからだと気づいたのは――打たれた後のことだった。
衝――撃。
綺麗に入った掌底、後方に吹き飛んだ俺は、フロントガラスをぶち破って外に放り出される。
「が……ぁ……っ!?」
息が、吸えない。
強烈な熱と痛みが、胸の中で暴れ回る。
ガラス片にまみれた俺は、血反吐を吐きながら倒れ込み、必死に立とうとするものの両手足が言うことを聞かない。逆流する奔流が、目と鼻から噴き出し、あっという間に血の沼に浸かった俺は叫んだ。
「つきをり……た、たたかうな……にげろぉ……っ!!」
ぷしゅっ。
気の抜けた音がして。
扉を開けた劉悠然は、黒色の手袋を嵌め直し、ミュールを見つめる。
「お前……劉か……?」
「…………」
長躯を持つ虎は、小躯の彼女へと手を伸ばし――その喉に、月檻は刃を突き付けた。
「ラピス、レイ」
彼女は、目を見開いてささやく。
「ヒイロくんと寮長、ふたりとも連れて逃げて」
「で、でも、桜……」
「早く行けッ!!」
月檻が叫んだ瞬間。
劉の背後から、フレアは火炎を吹き付け、フーリィは氷塊を叩きつける。
が、それは、円――腕と手首で陰陽を描き、太極図の陣形に円められ、流された炎と氷はぶつかり合って消える。
「なっ……!?」
「コレは」
フーリィは、冷や汗を流す。
「勝てないわね」
擲。
蛇のようにしなった回し蹴り、直撃したフーリィを庇ったフレアは、吹き飛んできたその身体を受け止め地面を転がる。
既に、月檻は動いていた。
一息。
一息の合間に、数十の斬撃を刻んだ月檻は、そのすべてを拳で弾いた劉の反撃に合わせて踏み込む。
ほんの一瞬、劉は眉をしかめて。
月檻の騎士の右奪手は、眼前の空間ごと敵対者の首筋を狙い――二指――その薄い刃を摘んだ劉は、驚愕で目を見開いた月檻の額を突いた。
飛――ぶ。
吹き飛んだ月檻は、空中で回転しながら地面を剣で掻き、防御してへし折れた自分の左腕を見つめる。
「…………」
彼女は、立とうとして――崩れ落ちる。
必死に何度も立とうとする月檻を見下げ、劉は手袋のシワを直した。
「ヒイロ、だいじょう――なにコレ……魔力が……混じってる……?」
ラピスとレイが慌ただしく傷の程度を確かめ、黒砂が俺の傷に布を当てる。
「……ミュールを頼む」
俺は、九鬼正宗を杖にして立ち上がる。
「お兄様、無茶です!! 逃げましょう!! お兄様!?」
「…………」
せめて、月檻が逃げる時間くらいは稼がないとな。
ふらつく俺の隣に、アルスハリヤが出現する。
「ヒーロくん、やめろ。アレは無理だ。逃げろ。良いか、逃げろ。なにも考えずに逃げろ。聞け。アレには勝てない。格がどうこうじゃない。存在が異なる。アステミル・クルエ・ラ・キルリシアと同じだ。
アレは」
昏い眼で――劉は、俺を見つめる。
「創られた怪物だ」
「良いね……怪物退治か……」
俺は、笑う。
「楽しくなってきた」
「…………このバカが」
眼が、閻く。
払暁叙事を閻いた俺は、真っ赤に染まった視界の中で蠢く劉を捉え――勢いよく、喀血した。
「お兄様!?」
劉は、月檻にトドメを刺そうと歩み寄ってゆく。
「やっぱり、コレ、混じってるんだ……魔力が侵食されてる……ヒイロ、もう、魔力を流さないでッ!!
コレ以上、魔法を使ったら死――」
俺は、駆けた。
血反吐を吐きながら、蒼白い魔力の閃光に包まれ、俺は劉へと刀を叩きつける。彼女は、それを手の甲で受けて、紫電が周囲に飛び散る。
熱せられる空間、拳と剣、散りばめられる火花。
緋色と黒色に明滅している両眼で、俺は、劉を睨めつける。
「ソイツに……触れるんじゃねぇ……!」
「…………」
視え――顔面に、拳が叩き込まれる。
内部で何かが砕ける音がして、その拳を額で受けた俺は、そのまま前に進んで……月檻に伸ばしたその手を掴む。
ほんの少し、劉は目を見開いた。
そして――
「アルスハリヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
降ってくる。
躰、拳、脚、甲、臂、膝、指、爪ッ!!
その総べて、悉く、雲霞のごとき必殺。
血反吐を吐き散らしながら、そのすべてを払暁叙事で捉え、幾重にも重なる可能性から生存の一択を掴み続ける。熱い血潮が、口端から漏れ続けて、己を壊しながら刀を振るい続ける。
そこに出来た隙間。
フーリィを抱えたフレアは、月檻を回収して遁走を開始する。
「…………」
ちらりと、そちらを眺めた劉は。
トンッ、と。
あたかも、後方から人の肩を叩くかのような自然さで。
へし折れた光刃を振っていた俺の胸郭に両手のひらを押し付けて――回した。
ぎゅるん。
視界、全身、高速で回転する。
一瞬、時が止まって。
「ヒーロ、受け身だッ!!」
アルスハリヤの絶叫が聞こえて――回りながら吹き飛んだ俺は、導体を付け替え――必死で、地面に、光玉を連打する。
勢いを弱めながら、俺は、地面に全身を擦りつけて。
ようやく、止まる。
逃げるラピスたちを追おうとして、劉は一歩目を踏み出し――その肩を、俺は掴む。
「よぉ」
へらへらと笑いながら、俺は、削れて真っ赤になった右腕で彼女の肩を掴み直す。
「戦闘の最中に……お相手ほっぽりだして……どこ行――」
拳が俺の鳩尾を突き上げて、声もなく俺は蹲る。
劉は踏み出――その腕を、俺は掴んだ。
「…………」
赤黒く染まった髪の隙間から、俺は、劉を見つめる。
「……なぜ、立つ?」
問いかけに、俺は、笑って答える。
「まだ、立てるからだよ」
手刀が、俺の腹部を貫き、真っ赤に染まった右手が引き抜かれる。全身に力が入らなくなった俺は、ずるりと倒れ、劉は俺の身体を肩で受け止める。
「……不错」
トドメを刺そうと、劉は左拳を握り込む。
そして、止まった。
人の形をした魔力の奔流。
断裂した空間から覗く宝弓・緋天灼華……銀色の長髪を蒼白い光で包んだアステミルは、無銘墓碑を片手に怒気を迸らせる。
「劉悠然……墓場の上に戻ってきましたか」
「……アステミル・クルエ・ラ・キルリシア」
俺からの救援連絡を受け取ったアステミルは、画面を閉じて、真っ蒼な魔眼で劉を捉える。
「その子は、私の弟子です。退け。
聞こうが聞くまいが、相応の報いは墓の下まで持ち帰ってもらう」
「……この子に興味はな――」
光。
瞬いた瞬間、防御動作を取った劉が、地面に線を残しながら圧される。俺を片腕で受け止めたアステミルは、無表情で、下から魔法士殺しを睨めつける。
「退けと言った」
「…………」
両腕に真一文字の血線を刻んだ劉は、無言で血を払う。
柔らかな視線。
こちらを見下ろした師匠は、微笑みながら俺の前髪を撫で付ける。
「随分と無茶しましたね……でも、生きるために戦ったので許しましょう……もし、私を呼んでいなかったら……赦さなかった……」
「……勝てないなら敗けない戦いをするだけだよ、俺は」
アステミルは笑って――表情を消した。
強者の眼下に置かれた劉は、ネクタイを緩めながらささやく。
「わたしは、お嬢様と話をしに来ただけに過ぎない。
邪魔を……しないで頂きたい」
師匠に見つめられ、俺は首を振る。
「お断りします。
劉悠然、貴様の要求は、なにひとつとして呑まない」
「…………」
体現するかのように。
劉は、拳を構えて――着信音が鳴り響く。
静かに姿勢を正した彼女は、胸ポケットから旧式の携帯電話を取った。
「……はい」
二言三言、『はい』と『いいえ』のみを口にしてから。
劉は、小さな携帯電話を胸ポケットに戻した。手袋を外した彼女は、丁重な手付きで折りたたみ、同じように胸元へと仕舞う。
「帰ります」
「そう言われて、帰すとでも?」
剣呑な雰囲気を滲み出す師匠に対して、劉は無表情で対する。
「殺したいなら殺せば良い。わたしは、それを拒まない」
「師匠……良い……行かせてやってくれ……」
納得がいっていない顔つきで、逡巡していた師匠は……ようやく頷き、宝弓と長刀を収めた。
その意思を確認し、劉は踵を返した。
ふと、なにかを思い出したかのように、彼女はこちらを振り返る。
「名は?」
「なんですって?」
劉は、繰り返す。
「その子の名は?」
「誰が教え――」
「三条燈色」
息も絶え絶えに、俺は、劉に微笑みかける。
「戦闘のお誘いなら大歓迎だ……何時でも来いよ……」
「…………」
もう、振り返ることはなく。
劉は、遠景へと消えていった。




