挟まりたい男
白い手足。
薄手のパーカーにハーフパンツ……いつも、流している金髪は、編み込んでポニーテールにしている。目深にかぶった野球帽の隙間からは、美しい銀色の瞳が覗いており、瞬きする度に輝きが増していくように思えた。
あたかも、二次元のフィギュアが現実に出てきたみたいだ。
風が吹く度に、彼女の髪が揺れる。
その度に、黄金の流砂が、空気中に流れ落ちるように感じた。
「…………」
そんな美少女は、ぎゅっと、俺の腕を抱き込んでいた。
なんか、その、柔らかくない……?
彼女の控えめな胸が、腕に押し付けられている。コレ、指摘したら殺されるんだろうかと、ぼんやりと考える。
なぜなら、彼女は、ラピス・クルエ・ラ・ルーメット。
エルフの王国、神殿光都を治める王女の一人娘……正真正銘のお姫様であり、本来であれば、男ごときが触れて良い存在ではない。
男の触れられない聖域。
エスコをプレイしていた時には、そんな雰囲気すら感じていた彼女が、俺に寄りかかって恋人同士のように歩いている。
彼女は、百合ゲーのヒロインだ。
対する俺は、百合の間に挟まるクズ男。
それなのに、仲睦まじく、ぴったりと密着して駅前通りを歩いている。
その矛盾に、吐き気をもよおしながら、俺は隣の彼女にささやいた。
「……ラピス」
「え、なに?
あ、お昼、どうする? なにか、食べたいものとかある? ヒイロって、好きな食べ物とかあるの?」
「百合かな」
「花、食べるの!?」
「いや、違う……ちょっと、待って……俺は、死ぬほど混乱している……確かに、昼食時ではあるが、一旦、現状を整理させてもらってもいいか……?」
その長い睫毛を数えられるほどの近さ。
超高精細に造られた美少女3Dモデルなんじゃないかと疑うくらいに、綺麗なご尊顔で、ラピスはこちらを見上げる。
「別に良いけど」
「師匠との地獄の特訓から帰ってきた俺は、悲しくもひとつの事件を起こしてしまった。
端的に言うと、シャワーを浴びようとして、ラピスの裸を視てしまった。事故で。飽くまでも事故で。被告人には情状酌量の余地ありというわけだ。そうだな」
「はいはい、事故事故。別に気にしてないって」
「で、俺が事故った後、お前は『きゃぁああ!』と叫び声を上げて、その場にしゃがみ込み、白い肌が手足の先から桜色に染まっ――」
「そこを端的に言え。なんで、正確に描写した」
頬を染めたラピスに対して、俺は、こほんと咳払いをする。
「その後、俺は、誠心誠意謝罪した」
「うん。
それで、わたしは、一緒に住む以上は有り得る事故だし、こっちは無理矢理押しかけた側で、ヒイロが朦朧としてた理由もよくわかるから許した」
「で」
俺は、自分の腕を抱き込んでいるラピスを見つめる。
「なんで、こうなった?」
「だから、言ったじゃない」
ラピスは、俺の腕を揺らす。
「へ~んそぉ~!」
ニコニコ笑っているラピスに、俺はため息を吐いた。
「……いや、お前、変装の意味わかってる?」
「わかってるよ。ちゃんと、帽子かぶってるし、そこらへんにいそうな女の子みたいな格好してるじゃない。
その上で、男の君と腕を組んで歩いてる……誰も、わたしのこと、ラピス・クルエ・ラ・ルーメットだなんてわからない。
有名人ゆえの悩みよね。街を歩くだけでも、声かけられるから困っちゃう。初対面なのに、告白してきたりするんだからたまったもんじゃない」
故意ではないとしても。
彼女の裸を視てしまった俺の謝罪に、彼女が返した答えは『なら、買い物に付き合って』と言うさっぱりしたものだった。
本来であれば、ヒイロは、あの瞬間に死んでいた。
ラピスの悲鳴に反応した12人の御影弓手は、恐るべき速さでシャワールームに飛び込んできて……『なんだ、ヒイロ(さん)か』と、つまらなそうな顔をして、あっという間に去っていった。
もし、以前までのヒイロだったならば、ラピスの裸身を捉えた瞬間に寿命が0になっていた。御影弓手たちに、滅多刺しにされて、その血は『御影弓手』と言う遺言を遺したことだろう。
ラピスだって、ヒイロのことを許したりはしなかった筈だ。
ヒイロに視られているだけでも『蕁麻疹が出る』と、露骨に嫌悪を滲ませていたのだから。アイスを食って殺されていた男が、彼女の裸を視たら、目玉を潰される程度では済まないだろう。
だから、荷物持ちくらいはやぶさかでない。
やぶさかでないが……変装目的だとしても、男と腕を組んで歩いたら、それはもうOUTなので勘弁して欲しい。
「確かに、男なんぞと、あのラピス姫が腕を組んで歩くわけないわな。
でも、さすがに、コレはOUTだろ。仮にも一国の姫なんだから、俺と男女関係を疑われたりしたらどうするんだ」
「はぁ? なに、ヒイロ、腕を組むくらいで意識しちゃってるの?
あは、かわいいところもあるじゃない」
「ぁあ?(ガチ切れ)」
くすくすと笑うラピスは、俺の腕を、つんつんと突いてくる。
「だって、恋人じゃなくても、女の子同士で腕を組んで歩くくらいふつーよ、ふつー。わたしだって、よく、アステミルと腕組んで歩いてるし」
確かに。
イチャイチャイチャイチャ、駅前通りを歩いている女の子たちは、誰も彼も腕を組んで楽しそうに歩いている。
「それこそ、男女関係なんて有り得ないって。男装してる誰かと、腕を組んでるんだろうなぁ~とか思われて終わりよ。たまに、そういうカップルいるし。
ヒイロのスコア視たら、ひっくり返っちゃうんじゃない?」
「あぁ、はい、そっすか」
「まぁ、でも、わたしは、ヒイロのことは男として……いや、ひとりの人間として認めてるよ。あのアステミルにも認められたんだから。
わたしとの勝負から逃げ回るヒイロを追いかけて、居候させてもらえて良かったと思ってる。ヒイロ、面白いし」
「そりゃどうも」
俺、ひとりで意識していても仕方ない。
ラピスは、そこらの置物と腕を組んでいるとでも思うことにした。
「で、お姫様、本日はなにをお求めで?」
「服!
そろそろ、学園も始まるし、入ったら直ぐにアレがあるでしょ? ドレスでも、買っておこうと思って」
薄々、気づいてはいたが。
俺とラピス、レイ、それに残るふたりのヒロイン……そして、主人公が、鳳嬢学園に入学する日が差し迫っていた。
ついに始まるのだ。
エスコ世界の本番、ヒイロへの殺意の塊、死亡フラグだらけの鳳嬢学園の日々が。
そして、ラピスの楽しみにしている“アレ”は……俺は、どう言うシナリオになってるか知っているので……うん、まぁ、楽しみにしててください……俺は、主人公と貴女の勇姿を、隅の方で応援してるので。
「でも、その前に、お昼ごはんでも食べる? なんか、良い場所知ってたりする?」
「うん……あぁ……」
俺は、ポケットの奥をまさぐる。
数秒かけて、三条グループが運営しているレストランの会員証を取り出した。
『ラピスと買い物に行く』と家から出る際に、ずっと、俺を見張っていた白髪のメイド……スノウに、真剣な顔で、渡されたものだった。
「レストランでも良いか?」
「え、なに、おごり!?」
「お前、御曹司舐めんなよ。札束でプールを満たせるくらいに金もってるわ(誇張表現)」
ドヤ顔で、黒いクレカを見せつけると、ラピスはきょとんとする。
「……それって、お金、もってるって言うの?」
生粋のお姫様がよォ!! ヒイロの唯一のアピールポイントを潰さないでください!!
若干、その格差に落ち込みつつ。
俺は、腰に差している九鬼正宗を確かめる。
「ラピス、魔導触媒器、持ってるか?」
「え、うん」
ラピスは、折りたたんでいる機械弓を見せてくる。
「使わなくて良いからな。つーか、なにがあっても使うな。
先に謝っておく。すまん」
「え? なに、どういう意味?」
「いや、一応な……ちょっと、一本、電話掛けてくる」
念の為。
いや、たぶん、念の為で済まなくなるんだろうが……仕込みをしておかないと、さすがに、危ういからな。
戻ってきた俺の腕を、ラピスは、また両腕で抱き込む。
「悪い、待たせた。行くか」
「う、うん……さっきから、どうしたの?」
「いや、別に。
それよりも、今日は、俺の、三条燈色の本領ってもんを見せてやるよ」
俺は、不敵に微笑む。
「今日は、俺のおごりだ」
髪を掻き上げて、俺は、ラピスに親指を立てた。
「幾らでも食べろよ。金だけはあるからな」
「きゃー! ヒイロ、かっこいー!」
俺とラピスは、はしゃぎながら、高層ビルの頂上にあるレストランへと向かって――
「スコア0の方は入店できません」
「…………」
「できません」
普通に、門前払いを喰らった。
「…………」
「そ、そんな、泣きそうな顔しなくてもいいわよ! ほら、わたし、お姫様だから! レストランなんて、食べ飽きてるし! ハンバーガーでも食べましょ、ハンバーガー! ドクター○ッパー、美味しいじゃない!」
「………………ゴメンネ」
「い、良いって! そんなに、落ち込まないでよぉ!」
俺は、ラピスに背を撫でられながら、退店しようとして――その声を聞いて――くるりと、振り向く。
「……ラピス」
「だから、良いって! わたしとヒイロの仲じゃない!」
「外に出てろ。一時間くらいで戻る」
「え?」
ラピスを置いて、俺は、歩き始める。
「お、お客様、困ります……」
店内に入ろうとした俺を、タキシード姿の従業員が止めようとして――引き金――脅し目的の魔力の放出に、彼女は、たじろいで後退る。
「あんた、スコアの測り方、間違えたんじゃないか?」
「…………」
「なぁ?」
「は、はい……間違えてました……」
だらだらと、汗を流した彼女を押しのけて奥へ。
楽団が演奏する横を通り抜けて、奥の奥、壁一面がガラス張りの最上席に……三条家の連中に囲まれ、涙を流している三条黎がいた。
聞き間違えではなかった。
ぶちりと。
自分の中で、なにかが音を立てて千切れる。
服装規定を無視して、本来、ココには居られない筈のスコア0が、音を立てて広間を歩く。
食事を摂っていた淑女たちがざわめき、俺に気づいた三条家お抱えの侍衛が魔導触媒器を引き抜く。
俺の気配を察知した婆さんたちが、驚愕の表情で顔を上げる。
「よぉ」
なるべく、軽薄に見えるように。不快に思えるように。
三条燈色を真似た俺は、三条家のテーブル席に着いて――思い切り、音を立て、テーブルの上に両足を放り出す。
「随分と楽しそうなことしてるじゃねーか」
彼女らは、驚きを隠そうともせず――俺は、ニヤニヤと笑った。
「俺も混ぜてよ」




