緋色の雪
寝息が聞こえる。
折り重なって眠る少女たち……女の子たちがひとつのベッドに寝転がる感じのアニメEDを視ると、俺の脳は、勝手に百合だと思い込んでいたが……その光景が、眼前に広がっていることに感謝の念しかない。
「…………」
「…………」
俺を挟んで、よく知るふたりが見つめ合っていなければ。
「…………」
「…………」
緋墨は、俺の腕を掴んだまま離さない。スノウも、俺に引っ付いたまま離れようとしなかった。
なんで、百合ゲー世界で、女の子同士が見つめ合ってるのに……俺という薄汚い男を挟んでいるのだろうか?
俺が知っているエスコであれば、女の子は必然的に女の子と仲良くなり、間に挟まる三条燈色は排除される運命にある筈だ。俺という異分子がヒイロの中に入ったことで、この世界にエラーが起こってしまったんだろうか。
「……おふたりは」
緋墨は、ささやいた。
「何時、出会ったんですか」
「幼い頃に」
予想外の場面で。
スノウとヒイロの出会いが語られようとしていた。
「御主人様は……ヒイロくんは、その頃から、とても優しかった。たぶん、私に優しくしてくれた唯一の人でした。
そんな彼と約束を交わしたから。彼があの頃のままでいてくれるなら、私は、彼と彼の妹の傍に居続けます」
過去のヒイロの記憶なんてものは、俺の頭の中には存在しておらず、三条家の手で捻じ曲げられる前のヒイロのことなんて俺は知らない。
もちろん、スノウと交わした約束なんてものを知るわけもない。
「この人は変わりました」
俺のパジャマ、その背をぎゅっと掴んで、スノウはささやいた。
「また、あの頃の彼に戻ってくれた……だから、私は、彼のためになることをします……ずっと……彼が要らないと言うまで……」
スノウは、女性を好きになったことがないと言っていた。
もし、それが、過去にお優しいヒイロと出会ったことに起因するのであれば……アイツは、幼い頃から、百合を破壊し続けていることになる。
天性の破壊神、おぞましい邪魔者、合言葉は『死ねヒイロ』。
「わ、私はっ!」
真っ赤な顔で、緋墨はささやく。
「か、彼に命を救われました……恩があります……だから、彼のために生きようと思ってます……しょ、正直に言います……わ、私、彼のことを格好良いと思ったことがあります……っ!!」
「こやつめ! ハハハ(震え声)。
スノウさん、こやつ、面白いことを抜かしますぞ。ハハハ。なかなか、パジャマパーティーに相応しい演目ですなぁ」
「私は、毎日、格好良いと思ってますが」
真顔でスノウは答えて、汗だくの俺は、掠れた声を上げる。
「は、ハハハ、お、お前、おもしれーじゃん……な、なぁ、緋墨ぃ……? あ、あの、なんで笑わないの……へへ……ねぇ……?」
「こ、コイツ、ばかだから」
緋墨は、俺の胸元を掴んで、赤い顔でぐいぐい引っ張ってくる。
「わ、私みたいなのが必要なんです、ぜったいに。シャワーの後に、頭拭かないで歩き回ってるし! 放っといたら、ずーっと、休憩しないで剣振ってるし! ニヤニヤしながら恋愛漫画読んでるのはキモいし、デリカシーないし、たまにムカつくことも言ってくるし、頭に来ることもいっぱいあるけど!!」
俺を透かして、潤む瞳で、緋墨はスノウを見つめる。
「でも、コイツは……私を助けてくれたんです……敵同士だったのに……私のせいで左腕を吹き飛ばされて……本当なら、コイツは私なんかを救って……誰にも見返りをもらえないまま死んでたんです……」
ぐいぐいと、俺の胸元を引っ張りながら緋墨は顔を伏せる。
「私……入院してた時に、たくさん漫画を読んでました……そこに描かれてる夢物語を読んでた……その中には、主人公がヒロインを庇うシーンもあって……格好良いと思った……でも、実際に、ああいう場面に……自分の命を懸ける場面に遭ったら……動けなかった……コイツ、スゴイんです、本当に……出来ない……普通、出来ないよ……死んだら終わりなのに……私は、コイツを見捨てて逃げたのに……再会した時、コイツは、文句ひとつ言わずに……笑ってました……」
スノウは緋墨を見つめ、ふたりの間で俺は佇み続ける。
「コイツのこと、格好良いと思ったことあります……男の人のこと、そういう目で視たことはなかったけど……時々、目で追うこともあります……一緒にいると楽しいし、もっと一緒にいたいって思います……でも、私……」
泣きながら、緋墨は微笑む。
「コイツのこと、絶対に好きにはなりません……だから……だから、コイツと一緒にいさせてください……おねがいします……」
「緋墨……」
嗚咽を上げる緋墨の肩に、俺は両手を置く。
「号泣してるところ申し訳ないが、俺とスノウが婚約者っていうのは嘘だぞ」
緋墨の涙が止まり、彼女は満面の笑みを浮かべる。
「……………………は?」
「嘘だぞ」
「はい、嘘ですね」
「…………」
笑っている緋墨の顔が、どんどん赤く染まっていき、首筋が真っ赤になって、耳の先まで朱色に変じていく。
「緋墨」
俺は、真顔で、彼女にささやきかける。
「俺のこと、絶対に好きになるなよ。
その約束、違えることは決して許さな――」
顔面に緋墨の足裏がめり込み、照れ隠しの乱打が降ってくる。
「忘れろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 忘れろ忘れろ忘れろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「も~、うるさいよ~? なんなの~?」
全員が目を覚まし、ワラキアが電気を点けて、俺の上に跨っている緋墨の姿が晒される。
ぴたりと動きを止めた緋墨が振り返り、5人の視線が彼女に突き刺さる。
「「「「「…………」」」」」
「…………」
「「「「「…………」」」」」
「…………」
「「「「「…………」」」」」
「…………」
ルーちゃんが電灯ヒモを掴み、カチャッと音を立てて電気を消した。
「違う違う違うから!! なにもないなにもないなにもない!! ほら!! 私、なにもしてない!! ねぇ!? 寝たフリしないでよ!? ちょっと!? ほら!! 私たち、健全だから!! ちょっと!! おいっ!!」
「う、うぅ……主人を寝取られたぁ……」
「スノウ!! 俺を寝取った緋墨を俺から寝取れ!! お前にはその証がある!! 来い!! そういう百合もあるっていうところ見せてやる!!」
「うあぁ!! ぶっ殺してやるぅ!! この嘘つき主従ぅう!!」
緋墨が俺たちに枕を投げつけ、起こされた神聖百合帝国メンバーたちは、寝ぼけ眼で枕投げに参加する。
わーわー、ぎゃーぎゃー。
騒いでいるうちに、いつの間にやら朝になって……俺は、顔に乗っている足やら胸やら尻やらを押しのけ、抱きついてきている彼女らを解き、重なっている少女たちの写真を撮ってから誰よりも早く起床した。
早朝4時。
何時ものように、日課の鍛錬をこなしていると、誰かが屋根に上ってくる気配を感じて振り返り――呑まれた。
ショートのデニムパンツに、灰色のスウェット。
袖あまりのアウターを着たスノウは、少しヒールの高いブーツを履き、普通の女の子みたいな格好でこちらを見つめていた。
普段、ロングスカートばかりだから、惜しげもなく足を晒したスノウには違和感があったが……なによりも似合っていたし、恥ずかしそうに両手で足を隠そうとするのは可愛らしかった。
珍しく照れているようで、スノウは、足で地面を掻きながらささやく。
「……感想」
「え、は?」
「かんそー」
デニムパンツの裾丈を伸ばそうと、何度か引っ張り、スノウは髪を掻き上げる。赤くなった耳が、ちらっと視えて、彼女はじっと俺を視る。
「かんそー……カワイイ以外は……殴る……ります……」
「え、あ、まぁ、良いんじゃない……すか……?」
「カワイイ」
頬を染めて、スノウは、じとっと俺を見上げる。
「カワイイ」
「か、カワイイ……っすね……」
「……おせーよ、ばか」
しきりに髪を掻き上げて、スノウはちらりと俺を見つめる。
「……うるおったか」
「は?」
腕を押さえつけて、彼女は、右斜め下を見つめて顔を赤くする。
「目、うるおったか」
そこで、ようやく気づく。
――たまには、主人の目を潤おわせるためにカワイイ私服姿でも見せてくれよ
コイツ、俺の軽口を受けて、わざわざ服買いに行ったの……?
百合姉妹見学会の前の、なんてことない軽口のひとつ、それを今の今まで憶えていて有言実行するとは……しかも、わざわざ、俺とふたりきりになれるタイミングで……他人に私服を視られるの恥ずかしがるとかカワイイっすね……。
らしくもない雰囲気に、俺は、右斜め上を視ながら「あー……」とかうめき声を発する。
「い、良いんじゃないっすか」
「……そっすか」
「…………」
「…………」
いやいやいや! なんで、俺まで緊張してんだ!? 俺とコイツは、そういうのじゃないだろ!? 漫才コンビでしょ!? 妙な雰囲気になってんじゃねぇよ!!
あーとかうーとか、うめいていると、スノウはふっと笑って。
「昨日、なんで、バラしちゃったんですか?」
「え……ん……なにが……?」
屋根の端に腰かけて、風に吹かれたスノウは髪を押さえる。
「緋墨様に。私との婚約関係は嘘だって、自分からバラしたでしょ。貴方の望む方向性とは反対方向なのに、どうして、自分が損するようなことするのかなと思いまして」
「いや、まぁ、別に」
「別にってことはないでしょう? なんで、急に歯切れ悪くなるんですか? カワイイ私に見惚れてるんですか?」
「いや、まぁ、うん」
スノウは、こちらを振り返り、顔を赤くして歯噛みしたまま唸り……正面に向き直る。
「まぁ、アレだよ」
俺は、鞘に刀を仕舞って、スノウの横に腰を下ろす。
「アイツ、泣いてただろ。
まぁ、百合を護る者としては失格かもしれないけどな……あのまま続けてたら、アイツ、ずっと辛い思いするだろうし……誰かの犠牲の元に成り立つ百合なんて、綺麗だとは思えないだろ……アイツを泣かすくらいなら俺が泣くよ」
頬に、冷たい感触。
その冷たい感触は、直ぐに温かさに変わる。
俺の頬に指先で触れたスノウは、優しく微笑み、両目に俺だけを映した。
「バカですね……」
彼女は、そっと、ささやく。
「バカですね……ずっと……貴方は……」
ゆっくりと、指先が離れて、微笑を浮かべたままスノウはささやく。
「貴方のためなんですからね、ぜんぶ」
「今日のカワイイ私服姿も?」
意表を突かれたのか、彼女は目を丸くする。
ワンテンポ遅れて――スノウは笑った。
「ばーか」
りっちゃんを講師に迎えた『神聖百合帝国強化合宿(対三寮戦バージョン)』も終わり、俺とスノウは、無事に帰宅の途に着いた。
そして、月曜日。
授業に向かおうと外に出て、黄の寮の前に見慣れない異物を見つける。黒地に金文字、如何にも金持ちが好きそうな外観のバスが止まっていた。
登校する生徒たちは、物珍しそうに様子を窺っており、興味がない俺はあくびしながら横を通り抜けようとし――扉が開く。
三人の少女が、ゆっくりと、バスから下りてくる。
「最近の景品は、二足歩行で歩き回るから困ったものねぇ」
「ひゃっはっは、良いねぇ、三条燈色。この吾に行方を掴ませないなんて、あの世で散歩してたのか?」
「気安く、ヒイロに近づくな! 声をかけるな! そもそも、黄の寮の前に駐車するなぁ!!」
朱、蒼、黄――フレア、フーリィ、ミュール――三寮長が肩を並べる。
周囲はざわめきに包まれ、三人三色に取り囲まれた俺は、嫌な予感を覚えつつバスを見上げる。
窓からラピスが手を振っており、バス内には、見覚えしかないメンバーの顔があった。
意図がわかった俺は、予感の的中に喜ぶことなく苦笑する。
「さぁ、乗れよ、玉」
フレアは笑う。
「財宝の奪い合いだ……参加するだろう?」
「朝っぱらから、VIP待遇の脅迫なんて涙が出ますね」
俺は、バスに乗り込み――扉が閉まった。