三寮燈色
蒼の寮の寮長室。
全面ガラス張りの壁からは、咲き誇る蒼色の薔薇と青色の水槽が視えている。魔法で浮き上がるお嬢様たちが、艷やかな肌色を晒しており、ストイックに泳ぎ続ける光景が在った。
「ヒーくんは、私のこと好き?」
「あんた、手段を選ばないにも程があるでしょ……」
立ち上がったフーリィは、俺に寄ってくる。
後ろに逃げ続けると壁にまで追い詰められ、寄り添ってきた彼女は、俺の胸を人差し指でつーっと撫でる。
「私、なんだか、ヒーくんと仲良ししたくなってきちゃったなぁ……」
「フリギエンス家のご令嬢ともあろう御方が、歴戦のキャバ嬢みたいなことするのはやめてください。
男の胸筋を撫でて、頬を染めるな」
「やだ、釣れない男」
すっと、顔色を戻したフーリィは苦笑してから席に戻る。
「紅茶は? いけずな男には、パック紅茶しか出さないけど」
「いけずな女とは、紅茶は嗜みません」
ギシ、と音を鳴らして。
背もたれに身体を預けた彼女は、手のひらの上に氷華を生み出し、人差し指でつんつんと弄ぶ。
「別にね、ヒーくん、私、三寮戦だから貴方を誘ってるんじゃないのよ。残念ながら、私の蒼の寮はそんなに安くないから」
「なら、どうして?」
「スコア」
真っ青な氷原みたいな眼で、彼女は俺を視る。
「上がった?」
俺は答えず、彼女はため息を吐く。
「今週末、また、ラッピーたちとダンジョンに行くんでしょ? 百合ーズだっけ? そのファミレスチェーン店みたいなパーティーで、ご好評を重ねて、スコア0から脱却する作戦は良いと思うけど……ねぇ、もう、三条燈色の名声はとっくの昔に広まってると思わない?」
フーリィの人差し指でなぞられる度に、手のひらの上に咲いた氷華は姿かたちを変えてゆく。
いつの間にか、それは、一体の人形へと変じていた。
「蒼の寮の寮長にしては、短絡的なお考えですね。それは、飽くまでも、鳳嬢魔法学園っていう狭い世界での話でしょ。
現異条約っていうご立派な条約で、世界規模で周知付けられてるスコアが、そう簡単に上がるとは俺は思ってない」
「あらあら、ラッピーの大事な騎士様とは思えないくらいに、現実を見据えてないご意見だこと」
どことなく、俺に似ている人形を、彼女は綺麗な指先でつつく。
「私、冒険者協会に、魔人討伐者を三条燈色として報告したから」
「はぁ!?」
手のひらの上で、人形がことんと倒れて、絶零の二つ名を持つ彼女はくすくすと笑う。
「受理されたわよ、ふつーに。一応、ヒーくん、ダンジョンの入出許可は通ってるし、正式に書面まで出した私の報告なんだから無碍にも出来ないでしょ」
「おいおい、ふざけんなよ、あんたどういうつもりだ……人様に無許可で功績を押し付けやがって……俺は、ただ、ベッドの上でぐーすか寝てただけだぞ……!!」
「つーん、しらなーい。そういうのは、寮内の目安箱に入れてくださーい。寮生以外の意見は受け付けてませーん」
こ、この女ァ……!!
ぺしりぺしりと、人形にデコピンを繰り返しながら、フーリィは甘ったるい笑みを浮かべる。
「でも、その結果視て笑っちゃった」
人形の頭が消し飛び――彼女は、笑う。
「三条燈色のスコアは、0のまま微動だにしなかった。
どういう意味かわかる、コレ?」
「……俺が男だから」
「そう、その通り、そしてこの問題は今まで表面化していなかった。なぜなら、この世界が経てきた長い時の中で、スコア0から脱却する程の功績を収めた男性は、この世界に存在していなかったから。
色々と調べてみたら笑っちゃった。この世界の男性は、まるで世界に押さえつけられるみたいに無能かろくでなしばかり……でも、この世界の歴史上で、初めて、貴方という有能な男性が現れた。
まるで、世界の理から外れるみたいに、ね」
日が差して。
水槽を通した陽光が、その水面をフーリィに投影し、粉々に砕け散った人形が水影に溺れる。
両肘を机の上に置いて。
彼女は、愉しそうに笑んだ。
「貴方、何者、三条燈色?」
「視ればわかるでしょ」
俺は、笑って、両手を広げる。
「この世界に存在してはいけない異物ですよ」
「やだやだ、わかりやすく煙に巻いちゃって……ねぇ、ヒーくん、わかってるでしょ」
彼女は、両手を握って開いて――砕けた人形は、綺麗な氷華へと変わる。
「きっと、貴方、なにをしてもスコア0から上がらないわよ? 三条家のしがらみは関係ないって、薄々、勘付いてるんじゃないの?」
「お陰様で、本日、確信をもてたところですよ」
「なら、蒼の寮に入りなさい」
ふーっと、息を吐く。
彼女の吐息の中に氷華は溶け落ち、きらきらと輝きながら宙空に飛び散って消えた。
「フリギエンス家で、庇護してあげる。私の目の届く範囲にいなさい。私は優秀な人間は好きだし、ラッピー推しだから、貴方のことは特別に匿ってあげる」
「お得意の占いで、なにか視えました?」
「…………」
無言で、フーリィは、冷めきった紅茶を口に運ぶ。
「貴女になにが視えたか知りませんがね」
俺は、笑いながら、彼女に語りかける。
「俺は、俺がどうなろうと知ったこっちゃない。護りたいものは別にある。それが俺の意思だ。誰にも捻じ曲げられない。その意思を貫くために、俺は俺として、あの子たちの側に居続ける。
それこそが、三条燈色が選んだ道だ」
言い切った俺の前で、ティーカップを持ったフーリィはぼそりとつぶやく。
「……まぁ、ラッピーが惚れるのもわかるわ」
「惚れてねぇわ!! 訂正しろクソがッ!! その綺麗な顔面をぐちゃぐちゃに矯正すんぞ!!」
「いや、そこは聞こえないフリしなさいよ」
ニッコリと笑って、彼女は、冷めた紅茶を机に零して――一瞬で凍りつき、綺麗な氷柱が立った。
「じゃあ、それはそれとして、三寮戦は勝ちたいから蒼の寮に入って♡」
「本当に、良い性格してんな、あんた……では、正式に返答させて頂きますが、お断りしますよ」
目を閉じて、フーリィは口端を曲げる。
「あらら、フラレちゃった。
あれかしら、その三条燈色くんの意思は鋼よりも硬いのかしら?」
「当然でしょ。
俺という人間の意思の硬さは、モース硬度10のダイヤモンド、誰にも曲げられない。曲げられるもんなら、曲げてみてくださいよ」
「私、実は、マリーナ先生のことが好きなのよね。
身近に、その恋を見守ってくれる側近が欲しかったんだけど」
「寮長、これから、よろしくお願いしますね。微力ながら、その恋の手助けをさせて頂く三条燈色と申します。
蒼の寮、フーリィ・フロマ・フリギエンスの側近として、なんでもやる所存なので何時でもお声がけください」
「はぁい、よろしくね、チョロ男くん」
「こらぁ、まてぇえっ!!」
寮長室の大扉が蹴破られ、見知った人物が飛び込んでくる。
大股で歩いてきた寮長は、顔を真っ赤にして、唇をわななかせながらフーリィを指差した。
「黙って聞いてれば、おまえーっ!! ヒイロは、黄の寮の寮生なんだからなぁ!! ヒイロは、わたしのだ、わたしのーっ!! おまえなんかに、ぜーったい、やらないんだからぁ!!」
「あ、ミューミュー、はろ~」
ひらひらと手を振るフーリィの前で、ミュールは地団駄を踏む。
「『はろ~!』じゃなぁい!! いつもいつも、おまえはぁ!! わたしのものを、ぜーんぶ、後から横でかすめとるんだ!! このどろぼう猫!! ちょっと、背が高くて美人で、胸が大きいからってぇ!! 調子に乗るなぁ!!」
「なぁに、盗み聞きなんて趣味悪いわねぇ、子ねずみちゃん」
「この時期に蒼の寮の寮長に呼び出されたと聞いたら、なにかあると思って後をつけるのは当然だろーっ!! ばーか!! ばーか、ばーか、ばーか!! おまえなんて、ばーか!!」
「でも、ヒーくんは、私を選んだんだもん」
可憐な笑みを浮かべて、フーリィは、俺の腕を柔らかい身体へと抱き込む。
「だから、ヒーくんは私のだもん」
「かわいこぶるなぁ!! おまえ、美人でかわいこぶるのは反則だろぉ、卑怯者ぉ!! ヒイロは、最初からわたしのだーっ!! わたしのだって言ったら、わたしのだーっ!!」
「いや、俺は、寮長のモノじゃな――」
「誰がなんと言おうと、わたしのだーっ!!」
「えぇ……」
俺の腰に抱きつき泣きわめくミュールと、余裕の笑みで俺の腕を抱き込むフーリィ……そして、ふたつの流れを上手く受け流し、寮長同士の百合に発展させられないかと画策する三条燈色。
三者の思惑がバチバチと火花を鳴らしている時、窓外の水槽に人影が差して――凄まじい破砕音と共に、窓ガラスが弾け飛び、飛び込んできた月檻はフーリィに長剣を突きつける。
「……一線越えたね、蒼い人」
「月檻桜」
欠片も笑っていない両目で、月檻はフーリィを睨みつけ……さすがのフーリィも、全身を硬直させる。
「抜けば、魔導触媒器?
その瞬間、脳天から叩き斬るけど……人のモノに手を出して、無料で済ませてあげるほど優しくないから」
「良いぞ、月檻桜ぁ!! やれぇ!! ぶっ殺――もがぁ」
「こらぁ!! 寮長、煽っちゃダメでしょぉ!! 冗談、受け付けるような眼ぇしてないでしょあの子ぉ!!
月檻、お前、やめろ!! 魔導触媒器まで、持ち出すようなことじゃないだろ!!」
「やだ」
「やだ、じゃないの!! めっ!! やめなさい!! ソレ以上するなら、怒るからね!!」
「…………」
不満気に、月檻は、俺のことを見つめ――急激に、身を捩る。
流星、否、流矢。
月檻の脇の下を矢が通り抜けていき、部屋の中に滑り込んできたラピスは、スライディングの姿勢で連射する。
蒼白い魔力線を描きながら、回転した月檻はそのすべてを弾き飛ばし、ラピスが操作する魔弦の矢を叩き斬る。
両目を光らせたラピスは、指先で矢を操作しながら距離を取り、月檻が蹴り飛ばした花瓶を白雪姫弓で叩き割った。
ふたりの視線が交錯し――凄まじい勢いで、その間に、一本の銀槍が刺さった。
窓の外から跳躍して入ってきたレイは、亀裂が入った床から槍を抜き取り、ひゅんひゅんと回転させながら投げ上げる。それをキャッチしてから背の後ろで回し、蒼白い魔力の燐光を帯びた穂先を光らせた。
赤熱して朱色に染まった槍を脇の下に挟み込み――風切り音と共に回転させ――ふたりの間で、挑戦的に笑む。
「お兄様は、朱の寮に入ります」
「蒼の寮に入る」
「最初から黄の寮」
三人は見つめ合って、楽しそうに笑い合った。
数秒間の沈黙が続き……何者かが、全力疾走で向かってくる足音が聞こえてきて……見覚えのある金髪縦ロールが、視界に飛び込んでくる。
必死に走ってきた彼女は、ぜいせい言いながら、手の甲を口元に運んだ。
「お、オーホッホッ、ゲホッ!! ゲホぉッ!! う、噂をすれば、はぁ、影が差す!! お、オフィーリア・フォン・マージライン……はぁはぁ……蒼の寮の危機に華麗に参上いたしましたわぁ!!
月檻桜ぁ!! ココで会ったが百年目、ってヤツですわぁ!! 蒼の寮のエース、真打ち、秘密兵器!! このオフィーリア・フォン・マージラインが、成敗して差し上げま――」
「お嬢、ダメダメ!! 入って来ないで!! 今、床にガラスとか飛び散ってて危ないから!! あっちで、遊んでなさい!!」
髪を掻き上げて、颯爽と踏み込んで来ようとしたお嬢に、慌てて俺はストップをかける。
彼女は、はたと空中で足を止めて、そろそろと足先を戻した。
「あ、あら、ガラス片があるの……それは、危ないですわね……」
「ごめんなお嬢、だから、今日のところはコレくらいで勘弁してもらってもいい?」
「ふん、下民の言うことを聞いてやるほど、マージライン家の名は安くありませんわ!!
でも、ガラスの破片は危ないから……お片付けが終わるまで、今日のところは、コレくらいで勘弁してさしげますわぁー!! オーホッホッホッ!!」
バッと、扇を広げたお嬢は、高笑いしながら廊下の奥へと消えてゆく。
その後ろ姿を見つめていたミュールは、くいくいと、俺の袖を引っ張った。
「なぁ、ヒイロ……あの子は、なにしに来たんだ……?」
「己の役目を果たしに来たんですよ……お嬢、最高や……(感涙)」
全員の視線を掻っ攫ったサブヒロインは、見事にその役目を果たし、噛み付くだけ噛み付いて立ち去っていった。
「ヒーくんを巡って、淑女同士で剣を交えるなんて、鳳嬢生としてはしたないわね」
お嬢のお陰で、白けきった室内で、フーリィは口を開く。
「ヒーくんとしても困るでしょうし……ねぇ、こうしましょうよ」
彼女は、楽しそうに笑った。
「三寮戦の前哨戦、銘打つならば、三条燈色争奪戦」
両手を広げたフーリィは、場を支配して、大っぴらに宣言する。
「その戦いに勝利した寮が、三条燈色を獲得できる。
どう、やる?」
「いや、俺は俺のものだろ」
月檻、ラピス、レイ、ミュール……彼女らの目線がかち合う。
そして、笑った。
「「「「やる」」」」
「俺のものだろ」
ヒロインたちは、寮長室から退出していき、取り残された俺は中心でささやく。
「俺のものだよね……?」
「ヒーくん、もう帰って良いわよ」