フレア・ビィ・ルルフレイム
現界と異界。
隣り合わせの世界は、表と裏、その繋がりは根深く多岐に渡る。
現界には人間が住み、異界には魔物が棲み着く。
その棲み分けは、ふたつの世界が繋がった際に混沌と化して、人間と魔物が入り混じる結果を招いた。
混濁の後に生まれたのは、エルフ、龍人、精霊種、半妖と言った半人半魔の存在である。
彼女らは、主権を現界か異界のいずれかに持っている。
例えばエルフであれば、神殿光都という国家を異界に備えている(所謂、異界主派)。
過去には差別問題であったり、対立戦争であったり、それにまつわる紛争が多発していたわけだが、米国が主導した『現異条約』の締結によって世界規模でスコアが導入され、差別問題はカースト制度によって解決の方向に向かった。
長ったらしい『現異条約』の主旨は、『高スコア者は、現界であろうとも異界であろうとも、同一同様の基本的厚遇の尊重を得られる』というものだ。
基本的厚遇……その内容説明は多岐に渡るが、設定資料集にもその詳細は書かれておらず、Web上で閲覧出来るその条文は濁しに濁されていて、このパラノイア染みた素晴らしき世界を明確に表していた。
要するに、この世界での半人半魔の皆さんは、現異条約の名の下に保護されており、スコアが高ければ高いほどに地位名声は高まる。
フレア・ビィ・ルルフレイムは、その条約の庇護の下で力を得てきた典型例だ。
龍人は、権力と財宝、そのどちらをも求める強欲な種族として知られている。
中でも、フレアの持つ強欲という名の杯の大きさは計り知れず。
力を求めるがあまりに、彼女は朱の寮の寮長と生徒会長というふたつの権力を掌中に収めた。
本来であれば、コレは許されざることで、寮長と生徒会長を併任してはならないという暗黙の了解がズタズタに引き裂かれていた。
なぜ併任が許されないのか、その理由は明白である。
生徒会長には『学園内のイベント』を操作する権利が与えられ、その権力を思うがままに振るえば、簡単に三寮のパワーバランスが崩れることになるからだ……特に、あのイベントでは。
もちろん、ミュールもフーリィも、黙っているわけがない。
だが、今日に至るまで、フレア・ビィ・ルルフレイムの牙城が崩れていないということは、彼女の強欲さと強権が勝り続けていることを暗に示している。
あのフーリィが手出し出来ていないのだから、フレアの持つ力は尋常なものではない。
ゲーム内で、フレア・ルートに入るには、まずスコアが1万を超えている必要があり、そこから考えても彼女の力至上主義が伝わってくる。
そんな彼女が、スコア0の俺に粉をかけてきた。
そして、その意図は、ゲーム知識を持つ俺にはある程度の予測が付いている。
「まぁ、そう、緊張しないで」
美しき少女を侍らせている龍の少女は、頬杖を付いて足を組んだまま、ぷらぷらと足先を揺らす。
「吾は、元来、優しい人間だから。アリ一匹、殺したことないよ。信じる信じないの選択肢は、きみに与えることとして、三条燈色、まずはお茶の一杯でもいかがかな? 酒でもいいよ?」
「なら、テキーラで」
「ひゃっはっは、良いね良いね。気に入った。吾の生徒会に相応しい。スコア0のアリンコに、獅子の心臓が備わっているとは予想外。その小さな身体に似つかわしくない心臓が、口の中から飛び出ないことを祈ってるよ」
「そんな、カートゥーンアニメみたいな機能は備わってませんのでご安心を」
「はは、ユーモアまであるねぇ」
彼女は、上から、俺を睨めつける。
「良いねぇ、三条燈色……優れた生物の匂いだ……吾は、元来、鼻が利くが……きみからは、金銀財宝の匂いがする……三条燈色、きみ、裡に凄まじいモノを飼ってるだろ……欲しいなぁ……」
「寮長」
青筋を立てたレイが、護るように俺の前に立つ。
「なんの御用ですか? 私とお兄様は、これから、一緒にお昼ごはんを食べる予定だったのに、貴女のくだらない問答に突き合わされて辟易しています。
お兄様の貴重な時間を奪うつもりなら、喜んで私がお相手差し上げますが?」
「やだなぁ、そんなに怒んないでよ、レイちゃん。
ブラコン、悪化してるんじゃない?」
「私は、ブラコンではありません。お兄様を敬愛しているだけです」
「待ち受け画面が兄なのに?」
「…………」
「毎日のように、黄の寮の兄の部屋に入り浸ってるのに?」
「…………」
「なんで、告白を断るのかと聞いたら『兄以下の人間とは付き合えない』って言ってるのに?」
「…………」
「なにかと兄を連呼し――」
「生徒会長、涙目で赤面して、ぷるぷると震えている人間に追撃を続けるのはやめてあげてください」
両手で顔を隠して、震え続ける妹の横で、俺は別の意味で震えていた。
「寮長……私は……貴女が……嫌いです……」
「はは、レイちゃんが、恥死する前に本題に入るけど」
フレアは、ニコリと笑う。
「三条燈色、きみ、吾の寮に転寮しなさい」
急に顔を上げたレイは、両目を輝かせる。
「寮長、私、貴女のことが好きになってきました!」
「ひゃっはっは、良いね良いね。両思いだ。
丁度いいから、吾と付き合っ――」
「気安く、話しかけないでください」
「えっ」
「まぁ、そんなことだろうとは思ったよ」
秒でフラれたフレアに、俺は苦笑を投じる。
「寮長と生徒会長、ふたつの長を兼任する龍人様の狙いは、俺みたいなスコア0にもよくわかる」
「……ほぉ」
口端を歪めて、朱色の龍人は足を組み替える。
「では、その絶対なる権力者の狙いとはなにかな、三条燈色くん」
「三寮戦」
フレアの爪を磨いていた女生徒たちは、あからさまに顔を歪めてフレアを凝視し、手を止めて『正解』を示していた。生徒会役員たちは、誰も彼もが俺に視線を向けて、驚愕で動作を停止している。
そんな中で、フレアだけは、愉しそうに笑っていた。
「いやぁ、さすがは玉だ。吾が認めた金銀財宝。磨けば光る璞を両の目に抱く三条家の正統後継者様は、頭まで切れ者で、ココに来るまでの間に既に正解を導き出していたわけだ」
「わかりやすいおべっかをどうも」
ちろりと一瞬だけ舌を出し、フレアは、目を細める。
「平静だなぁ、三条燈色。
普通、吾からお褒めの言葉を頂けば、涙を流して歓喜に打ち震えるものだが」
「初対面で、そこまで上質な演技を求められても困りますね」
笑みを浮かべながら、フレアは顎で指示を出す。慌てて、女生徒たちは、フレアの爪を磨き始めた。
「三条燈色、聞けば、きみはフーリィ・フロマ・フリギエンスと肩を並べて魔人と相対し、見事に生き残ったとのことじゃないか」
「寝てただけです」
「しかも、あのクリス・エッセ・アイズベルトとデートするだけでは飽き足らず、可愛らしい黄の寮の寮長も侍らしているとか」
「寝てただけっつってんだろクソがボケがカスがアホがカスが(小声早口)」
「いやしかし、驚いたなぁ……あのクリス・エッセ・アイズベルトが、あんなに優しい笑顔で、男の口元をハンカチで拭ってやるとは……化粧室で、一生懸命、髪を直している姿を視た時には卒倒しそうになったよ」
「あんた、尾けてたのか?」
ゆったりと、背もたれに身体を預けて龍人は微笑む。
「ココに座ってれば、大概の情報は耳に入ってくるんだよ。大分、昔に、龍が空を飛んで、家畜を襲う時代は終わった」
「で、それ、脅してるつもり?」
「ひゃっはっは、脅す? この吾が? 龍たる吾が人如きを脅すかよ」
笑いながら、彼女は、懸命に己の爪を磨く少女の髪に指を通す。
さらさらとした長髪が、指の隙間から流れ落ちていって、なすがままの女生徒は顔を赤らめた。
「三条燈色、吾はね、体内を巡る龍の血ゆえか財宝を求める性質がある。龍には龍の法則があり、細分化された属名があるが、吾が属する一族は特に『人財』に目が眩む呪いをかけられていてね」
女生徒のその髪。
確かに、それは財宝と銘打たれても文句のつけようがなく、光り艶めく長髪を撫でながら、龍の少女は満足気に喉を鳴らした。
「人は良い……眩むね……心臓の奥底で、欲が渦巻くのを感じるよ……三条家の人財は、とうの昔に精査済みで、三条黎以上の隠し玉があるとは思いもしなかった……もし、あの人幼が既知の下できみを選んだとしたなら……はは、妬むねぇ……アレにも、璞の気はあったが……眼の良さは、吾の上を行くか……」
そっと、髪から手を離して、彼女は俺に目線を向ける。
「三条燈色、璞の人財くん。
きみの予測通り、我が朱の寮は、来る6月の三寮戦を見越して動き始めており、なにがなんでも欲しいと思ったのはきみだ。そのために、生徒会役員の役職付きの席も用意した」
彼女は、笑う。
「呑め、三条燈色。吾の財になれ。
きみが欲しがる財宝は、直に吾の手のひらから与えよう……金も力も女も。きみも欲が渦巻く人間だ、欲しい欲しいと、喉から手が出る程に強請りたい財宝がある筈だ」
謳いながら、彼女は、俺に笑みを投げかける
「さぁ、聞かせてくれよ。
きみの望みはな――」
「百合」
ゆっくりと、フレアの余裕の笑みが消えていく。
「……なに?」
「百合」
初めて、困惑の表情を浮かべた龍の少女は、周囲の生徒会役員たちに目線を向ける。目を向けられた誰もが首を振って、考え込んだフレアは画面を開き、検索欄に『百合』と打ち込み――合点がいったかのように頷いた。
ぱちんと、彼女は指を鳴らして指示を出し、どこからともなく現れた人員たちが彼女に百合の花を手渡した。
キザな微笑を浮かべて、小首を傾げたフレアが、俺に一輪の百合の花を差し出す。
「Veux tu te marié avec moi ?」
俺は、鼻で笑って――フレアは、愕然とする。
「角洗って出直してきな」
「ま、待て!!」
颯爽と立ち去ろうとした俺の背中に、慌てて、フレアは呼びかける。
「良いのか、この好機を逃しても……金に力に女……吾の力があれば、そのすべてを手に入れられる……その乾きに目を背けるつもりか……?」
「金に力に女、ねぇ」
俺は、フレアが取りこぼした百合の花を拾い上げ、その香りを鼻孔に吸い込む。
「そんなもの、子供が欲しがる玩具だ。
百合と呼ばれる至宝に比べればな」
「ゆ、百合……なんだ、その財は……花ではなければ、いったい……」
すっと、俺は、懐に手を入れる。
生徒会役員たちの顔に焦燥が走り、彼女らは、慌てて俺とフレアの間に入ってくる。
笑いながら……俺は、マリア様が○てる(全37巻)を一冊一冊取り出し、厳かな動作でティーテーブルの上に積み上げていった。
お茶会を営んでいた天女たちの笑顔は消えて、高い高いケーキスタンド以上の高さを持つマリア様が○てる(全37巻)を見上げ、シリーズ累計発行部数560万部の高みに恐れおののき顔を青ざめさせる。
圧倒的な『力』で理解らせた俺は、唖然とする彼女らの前で笑った。
「俺の至宝か? 欲しけりゃくれてやる。
探せ! この世のすべてをココに置いていく!!」
呆然とする彼女らに後ろ手を振って、俺は、そっと別れの言葉をつぶやいた。
「タイが曲がっていてよ」
ニコニコしているレイと呆れている委員長を引き連れて、俺は、見事な布教を終えてから生徒会室を脱出した。
そして、その次の日。
「ヒーくん」
俺を呼び出した蒼の寮の寮長、フーリィ・フロマ・フリギエンスは、猫撫で声でささやいた。
「蒼の寮に転寮して♡」
「……次は、こっちかよ」
精霊種の少女は、ニッコリと笑った。