容疑者Aの献身
ざわついている。
ただ、俺たちは、歩いているだけなのに……頬を染めた女性たちが、俺の隣を見つめ、ひそひそとささやきを交わし合っていた。
「…………」
俺の三歩後ろ。
ピッタリと付いてくるクリスは、数多の視線を集めながら、ハンドバッグを両手で握ってしとやかに付いてくる。
時折、背後を窺うと。
彼女は、嬉しそうにはにかんで、俺と視線を合わせてくる。
「…………」
だ、誰だ、コイツ……?
俺の知っているクリス・エッセ・アイズベルトは、こんなカワイイ私服を着たりしない。あの豪奢な衣装に身を包んで、今にも人を喰い殺しそうな目で『気安く視るな、ゴミ』とか宣う女傑である。
あのクリス・エッセ・アイズベルトが、ミニ・スカート……? げ、原作でも、そんな格好、視たことないんだが……? と言うか、あの優しい眼差しはなに……? ココに来る前に、二、三人殺してきて殺意ゲージリセットしてきたの……?
「アルスハリヤ……アルスハリヤ……ッ!!」
ニヤニヤしながら足を組み、フヨフヨ浮いていたミニ・アルスハリヤは、俺の呼びかけに舌っ足らずな声で答える。
「どうした、ヒーロくん。君の方から、僕を求めてくるなんて珍しいじゃないか。ついに、そこらの女体では我慢ならず、僕の魅惑のロリボディに手を出そうって手筈かい」
「おちゃらけなしに、本気で聞いてくれ」
真顔の俺は、彼女にささやく。
「俺は、クリスに命を狙われている」
「ぶほぉっ!!」
アルスハリヤは吹き出して、バタバタと空中で暴れ回る。
ようやく落ち着いたかと思えば、頬を痙攣させながら「ど、どうして、そう思うんだい?」と問いかけてきた。
「いいか、フザケてないで、笑わずにちゃんと聞け。あのクリス・エッセ・アイズベルトが、理由もなしに戦闘装束を脱ぎ捨ててオシャレポイントを高めてくるわけないだろ。間違いなく、なんらかの意図がある」
「だ、だろうね……」
「戦闘になったら魔眼を開く。止めるなよ。副作用は強烈だが、今日は、ミュールもリリィさんもいるしな。巻き込むわけにはいかない」
「ま、まかせたまえ……ぼ、僕は、君の相棒だからね……」
なに笑ってんだ、コイツ、きもちわるぅ……。
どうにも、アルスハリヤは腹に一物抱えてそうだが、俺以外には視えないコイツに悪さが出来るわけがないし……そもそも、俺とコイツは一体化しているのだから、悪さをすれば直ぐにわかる筈だ。
俺の百合センサーによれば、クリスの身に起こった変化に、アルスハリヤが関わっている可能性は0%……クリスに何の狙いがあるかはわからないが、姉妹百合見学会を成立させるためには我が身を砕く所存よ。
ククッ、魔人、こよなく百合を愛する俺の知能を甘く視るなよ?
どうせ、性格の悪いお前のことだ。クリスの変化にかこつけて、さも自分が関わっているように見せかけるつもりだろ。
そうして、俺を翻弄し、今回の姉妹百合見学会を破壊しようって魂胆だろうが……あめぇよ……俺は、お前の遙か先にいる……!
「ひ、ヒイロ、ヒイロ!!」
ぐいぐいと服を引っ張られ、振り向くと、不安そうなミュールが見上げてくる。
「お姉様が変態だ……」
「寮長、『態』は余計ですね。余計な『態』によって、貴女の愛する姉が春先に出没する変質者と化すので気をつけましょう」
「ど、どうしたんでしょうか」
寄ってきたリリィさんが、こそこそと耳打ちしてくる。
「あんな格好、初めて視ました。以前までは『ミニスカート? 私に素足を晒して、愚鈍に堕ちろと言うつもりか。蒙昧の群れに混じる気はない』と仰っていたのに」
「え、ちょっと、リリィさん、声真似、上手くないですか? 本人降臨したかと思って、ちょっとビビっちゃったもん」
「『粟と稗でも喰っていろ、下民』」
「セリフまでソレっぽい!! すげぇ!!」
「ヒイロ」
甘ったるい声音で、呼びかけられ、振り向くと笑顔のクリスが立っている。
彼女は、微笑を浮かべながら、俺を見つめる。
「なんの話をしていたんだ?」
「え……い、いや、あの……『粟と稗でも喰っていろ、下民』って言ってもらっていい……?」
「ん? あわとひえでもくっていろ、げみん?」
甘ったるぅ!! ホイップクリーム、トッピングし過ぎたみたいになってるぅ!! 声帯を付け替えましたか!? 誰だ、お前!?
「もう、あまり、バカなことをやらせるな」
笑いながら、クリスは、俺の頭を撫で付ける。
それから、俺の両肩を持って全身を眺めて、満足そうに微笑む。
「服以外は、完璧、だな。ヒイロはヒイロだから、服なんてどうでも良いが……いや、その服のままの方が良いな。うん。完璧だ」
「…………」
俺は、両手で『T』の字を作る。
無言で、歩き出すと、ミュールとリリィさんも付いてきて三人で円陣を組んだ。
「残念なお知らせです。
寮長、貴女の姉は、悪霊に取り憑かれている」
「…………」
「お嬢様、否定してください。『もしかしたらそうかもしれない、でも、あのカワイイお姉様も好きだ』と言う顔をしないの」
「隙を見せたのに、クリスは、俺を殺そうとしなかった。異常事態だ。姉妹百合の危機だ。本日の趣旨からズレている。
俺たちは、この危難に対して、三本の矢よろしく、一丸となって対処しなければならない。緊急警報発令だ。準備は良いか、百合の護り手たちよ。我らの力を見せつける時が来たぞ」
「おぉ! よくわからんが、感動したぞヒイロ! つまり、わたしはスゴイってことだな!」
「本当に、なにも、わかってない!!(泣)」
「三条様の高尚なるお話は理解出来ませんでしたが、クリス様の真意は気になるところですね……なにか、あったのでしょうか……?」
「ヒイロ」
「おわあっ!!」
袖を引かれて、振り向くと、クリスはニコッと笑う。
「お腹、減っただろ? 私の行き着けの店があるんだ。お前の好きなハンバーグもあるし、腹ごしらえしてから遊びに出かけよう?」
「え……俺、別に、ハンバーグ好きじゃないけど……?」
クリスは、ゆっくりと目を見開いて――笑う。
「やっぱり、優しいなお前は……私の手料理なんて食べられたものじゃなかっただろうに……嘘まで吐いて……このお人好し……」
「は?」
「お前には、悪いが」
彼女は、少しだけ、悲しそうに微笑む。
「お前が憶えていなくても……私は、私のこの想いを奪われなくて良かったと思う……忘れたくなかった……だから……壊れゆく夢幻に現れた、悪戯好きな彼女には感謝しているよ……」
「え、なに、彼女? 誰?」
振り向けば、アルスハリヤは人差し指を口の前に立てており、愉悦の笑みを浮かべている。
俺は、その魔人の顔面をむんずと掴む。
「おいおいコラコラ、アルスハリヤ先生ぇ……? もしかして、まぁた、なんかやらかしちゃいましたぁ……? なんだか、急に、この手のひらの中にある球でバスケしたくなっちゃったなぁ……? 太平洋のド真ん中に、ダンクシュートしちゃおっかなぁ……?」
「ハッハッハ、なんだなんだ、私が関与した証拠はあるのか検察気取り。私は、君と同じ大義を帯びた百合を護る者だぞ。
まさかまさか、君が愛する姉妹百合を破壊しようだなんて。その間に君を挟む策略を巡らせようなんて、まさかまさか」
「お前……だって、コレ……」
クリスは、熱を帯びた目で、俺のことを見つめる。
「そういうアレじゃないの……だって、あのさ、意味が……意味がわかんないよ……お、俺、寝てただけだよ……な、なのに、どうして……く、クリスが、あんな目で俺のことを視るの……い、愛おしそうに……ま、まるで恋人みたいに……」
俺は、その場で蹲る。
「お、おかしいよ、そんなのぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 間違えてるよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 俺は寝てただけなのにぃいいいいいいいいいいいいいいい!! なにもしてないのにぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!! こんなのって、ないじゃないかよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ヒイロ」
汚れるのを厭わずに、膝をついたクリスは、急に泣き喚き始めた俺の背を優しく撫でる。
「大丈夫か? 具合、悪い? ほら、掴まれ、ちょっと休憩しようか? ご飯は、また後でにして、一度、どこかで休もう?」
「良いところがあるぞ!! 良いところがあるぞ!!」
「アルスハリヤ、テメェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
大人しか入れないホテルを指差して、早くも叛逆の旗を振った魔人の指先に釣られ、俺の視線がそこに釘付けになる。
クリスもまた、俺の視線の先を見つめて――ゆっくりと、耳の先まで赤くなる。
「……ま、まだ、昼間だぞ」
「ち、違う違う違う違うっ!! ホントに違うっ!! 俺じゃない俺じゃない!! 魔人が!! 悪の魔人が俺に憑いてるんだ!!」
「…………」
真っ赤な顔で俯いた彼女は、そっと、俺を見上げる。
「…………………い、いくの?」
「行かない行かない行かないっ!! なにがなんでも行かない!! 行くくらいなら、ココで舌を噛む!! 俺は、貴女に手を出さない!! ノータッチ!! ノータッチ、プリーズ、オッケェ!?」
「ひ、ヒイロ、お前……」
真っ青な顔をしたミュールが、俺の前で立ち尽くす。
「じ、実の妹の前で……姉をいかがわしい場所に連れ込むつもりか……?」
「ノーノーノーッ!! 違う違う違う!! なにもかも違う!! 寮長、あんたの答案用紙、✕しかねーよ!! 真っ赤だよ!! 0点だ!! 落第!! 俺とクリスの間に、なにもねーから!!」
「な、なにもないことはないだろ」
クリスは、胸の前でぎゅっと右手を握り込み、そっぽを向いてささやく。
「き、キスした癖に……」
リリィさんは、勢いよく飲んでいた水を吹き出す。彼女は、顔面水まみれで、俺のことを凝視した。
「…………」
「ち、違う違う違う違う違う!! してないしてないしてない!! 事実無根の冤罪コース!! 俺と言う名の百合を護る者は、なにをどうしたって、女の子の唇に触れることはないから!! 誓う!! この命に誓いますよ、俺ぁ!!」
「だ、抱き締めた時に、いやらしい感じに背をなぞってきた癖に……」
顔面蒼白になったミュールは、じりじりと後退る。
「け、ケダモノ……!」
「ち、違う、ミュール、違――いや、ケダモノで良いのか!? あぁ、そうだ、俺は性欲お化けだ!! クリスとも、たくさん、いやらしいことをし――てなぁい!! 頭がおかしくなるぅ!!
こ、ココから、ば、挽回するには……そ、そうだ、払暁叙事……さ、最善手……あ、アルスハリヤァ!! 魔眼を開けェ!!」
俺は、高らかに叫び、浮遊している魔人は腕を組んでニヤニヤと笑った。
「ヒーロくん、君の口の利き方、僕は、どうかと思うがねぇ? それは、アレかな、人様にお願いする態度かな?」
「あ、アルスハリヤ……?」
「…………」
「アルスハリヤ……さん……?」
「…………」
「ア」
俺は、泣きながら、顔面を震わせる。
「アルスハリヤ先生……!!」
「…………」
俺は、ガクリと肩を落として座り込む。
「百合が視たいです……」
「忘れるなよ、ヒーロくん」
微笑んだ魔人は、力なく項垂れる俺の肩に両手を置いて微笑む。
「私は、君の脳を粉々に破壊する切り札をあと1つ残している……その意味がわかるな?」
「俺は」
泣きながら、俺は、魔人の肩を揺さぶる。
「俺は、なにをしたァ……なにを……なにをしたァ……なにを……なにをぉ……!!」
「す、素晴らしい……コレだ……コレこそが、生きている実感……君のか細い悲鳴は、実に私を高揚させる……愉悦……真なる愉悦……なるほど、コレが生きがい……百合を破壊して、君の脳を歪める……あぁ、魔人とは斯くあるべし……!!」
満面の笑みで、魔人は、俺にささやいた。
「ヒーロくん、安心しろ。この私が、君を幸せにしてやるからな」
「こ、ころしてやる……ころしてやるぅ……!!」
「ひ、ヒイロ、大丈夫か? ヒイロ?」
クリスは、俺の腕を抱き込んで、無理矢理立たせる。
その反対側の腕に、ミュールが飛びついてきて、俺とクリスを順番こに睨みつける。
「に、二重の意味でダメだ! そもそも、今日、ヒイロを誘ったのはわたしなのに……お、お姉様もヒイロもズルい!!」
「ほう」
クリスは、目を細める。
「競うつもりか、このクリス・エッセ・アイズベルトと……その舌で強者の弁を振るうか、ミュール。だが、その蛮勇、嫌いではない。いや、むしろ、好ましい。アイズベルト家としての自覚が出てきたらしいな」
「はいっ!!」
「ミュール、クリス様……こんな光景が見れるなんて……三条様、貴方は本当に……」
「姉妹百合だ、コレは姉妹百合だ、俺と言う異物を透かせばソレは姉妹百合だ、誰がなんと言おうと姉妹百合だ、姉妹百合に違いない、姉妹百合以外の何者でもない、だから、俺は、嘆く必要も絶望する必要もな――アルスハリヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「ヒーロくんの絶望で、今日もコーヒーが美味いな」
小指を立てて、コーヒーを啜りながら、アルスハリヤは満悦至極を顔に刻む。
俺は、クリスとミュールの姉妹に挟まれて……まずは、昼食を食べるために、ゆっくりと連行されていった。
地獄の姉妹百合見学会の翌日。
「三条さん」
俺の部屋(屋根裏部屋)を訪ねてきたクロエ・レーン・リーデヴェルト……委員長は、そっと、ささやいた。
「ある御方からのお誘いなのですが……生徒会に入るつもりはありませんか?」
勝手に、ソファーを設置して、寝転んでいたレイが顔を上げる。
「「…………」」
「いえ、三条燈色さん」
彼女は、つぶやく。
「貴方へのお誘いですよ」
俺とレイは、無言で、顔を見合わせた。